ブログ記事15,321件
また、病院通いの毎日に戻ってしまった。退院してから、二週間で出戻りとは(>_<)しかも、娘を担当して下さってた担当の先生が7月から違う病院に移動になってしまうらしくとても悲しい(>_<)。。。産まれた時からずっとずっと娘の事を見てくれて、手術してくれて、外泊やミルクの量など色々その先生の指示に従って来ました。娘の事を一番分かっている先生だっただけに、残念でなりません。そして、新たに担当になった先生、不安しかない娘が食道閉鎖だった事を伝えたら、知らなかったようで💦💦💦
手術翌日2023年10月13日㈮術後特に吐き気もなく、頭痛も10段階で1~2ぐらいの痛み(10がすごく痛い)で喉が渇くのと眠れないのが辛いなぐらいに思っていたのですが…夜中の1時頃突然吐いてしまい血まみれに(鼻の出血が喉にまわったからか?)ナースコールで看護師さんを呼ぶ間にもまた嘔吐してしまいました看護師さんが言うには、麻酔から完全に覚めたからそれで嘔吐してしまったのかもとのこと。すぐに先生に連絡してくれ、S先生が駆けつけてくれました。その前にも人の顔や物が
「パンツは?」「はいてなかったです」ふと聴こえてきた会話。どうせ脱がされるのだからと手術室にノーパンで来ました。新しいパンツはバッグに入ってます。ごめんなさい🙏余計なプレーでした…再び記憶をなくしガラガラガラガラ気づいたときにはものすごい速さで運ばれているストレッチャーの上の私。手術、終わったんだ。痛みはありません。手術室が10くらい並ぶ中を一気に駆け抜けICUへ。「ベッドの硬さはどう?」硬さを調整できるらしいです。うーん…このままでいいです。酸素マスクは
手術後、起こされて、まだ目がよく開かないけど耳は覚醒してるもの👂🏻"会話が聞こえてくる...オペ看👩えっ?大丈夫かなっ⁉️熱38°超えてるけどオペ看②👩🦰そんなに⁉️血圧も高すぎて測れないんだよね💦聞こえてるよー💦💦どうしちまったんだ私の体大丈夫なの?ICUとか連れていかれないよねオペ看👩嫁子さん暑いですか?私、黙って頷く。うんうんうん。オペ看👩ちょっと何もかけないで体温測ろう。おっ、下がってきた‼️オペ看②👩🦰血圧はまだ高いねぇ。オペ中、血圧200超
いよいよ明日手術検温の後、朝ごはんが運ばれてきました普段朝食はたべませんが退屈なんで食べます旦那さんのお姉さん(義姉)が遠路はるばる昼から面会に来るというので、午前中は病棟を散策したりアマゾンプライムでダウンロードした映画を見て過ごしましたたいして空腹でもないのに、直ぐにお昼ご飯ですこんな質素な食事内容でもカロリー表示は毎回600~700キロカロリーもありますから普段ダイエットしてる人はなかなか痩せないわけだ相当減らさないと痩せませんよなかなか義姉が来ず待っていると、麻酔科担当の医
当時のことを思い出すと苦しくて涙がでますでも息子と過ごした最後の瞬間まで忘れないように記しておくべきだと思いました辛い気持ちになる方はどうぞスルーしてくださいねICUに入る前に主治医から「家を出た時の息子さんとは変わってしまっていますから、ショックを受けるかもしれません」と言われました息子に会った瞬間夫と二人息を呑み膝から崩れ落ちました口にはそう管の管沢山の点滴のチューブ色んな機械に囲まれた息子涙が次から次へと溢れ出て「◯ちゃん、頑張って」って言ってしまい
看護師さんと別れて、ひとりになった。シラフになって、人工呼吸器が外れて、初めての夜だ。「ゆっくり休んでくださいね」そう看護師さんに言われたものの・・・ゆっくりどころか、目が爛々👀・・というか、、頭が爛々。✨✨✨消灯過ぎとはいえ、救命センターのICU。ほぼ、全員が何がしかの機器に繋がれており休みなくどっかで誰かの機器がピーピー鳴ってるし、チカチカ光っている。(これ絶対、寝れないやヤ
2024.4.12私に残された治療法があるのか、無いんだろうなと思っていたら、提案された『ハラヴェン』今日から投与。すでに、あちこち転移した影響なのか、背中や胸の痛み、頭痛もある。転移のスピードがとても早い。そんなに急がなくてもいいのに。自覚症状が出てからおよそ1年で、あらゆる事が身の上に起こりすぎた。術前抗がん剤で使った薬剤の副作用で、I三途の川が見えそうなのを、Uターンして帰ってきた。でも、その間にどんどん進行していき、あちこちに遠隔転移している。なかなか
のんたん入院していました。無事に退院出来たので良かったけど、今回は本当に吐きそうな日々でした。2月の頭通常通り学校に行きました。私はお昼から仕事へ💨仕事を始めて30分もしないうちに学校から電話。昼過ぎから痰がすごい。吸引も半端ない。熱が、38.5度。で、お迎え要請でした。すぐに迎えに行き家に連れて帰りました。仕事は結局途中で帰らせてもらいました。夕方まで様子を見ていましたが、一向に良くならない。酸素を入れてもサチュレーションも上がらない。熱は40.5度。あかん。これは。
おはようございます術後3週間目に入りました手術後の傷の痛みは、もう痛み止めなしでも普通に元気に歩ける程に回復だが、しかぁし膵炎膵液漏膿瘍縫合不全と、術後合併症のフルコースみたいなことになっちゃってます全部軽症なんですけどね退院は…。先生曰く『…ん退院ねぇ…。うーん一か月半……二か月後かなぁ』『…』そんな訳で、術後の傷とは違ういろんな痛みと闘っていますが、でも、あの、ICUの夜に比べたら、こんな痛みは乗り越えられるさっ※たくさんの方々の実体験ブログを読ませていただいてい
忘れたくないので記憶が鮮明なうちに夫の最期の日の事を書いておこうと思います11月13日月曜日夜11時前私のスマホが鳴りましたその時は丁度私がお風呂から上がり、母と2人で息子の夜最後の注入を準備している所でしたスマホの画面を見た瞬間、嫌な予感がしました病院からでした電話に出ると循環器の先生からで、「血圧が下がって来ています。これから病院に来られますか?」「奥様が病院に向かわれている途中に亡くなる事も考えられる状況です」全身の血の気が引いていくのを感じました「今からいきます」
手術日以降の様子を書こうと思います。まず、手術当日のICUでの状況です。ICUには、1日だけいる予定だったのですが、めちゃくちゃ大変でした。手術は、午前9時入室で、午後3時過ぎ頃終わったようなのですが、基本、ICU内では独りぼっちです。(当たり前か…。)「何かあったら、ナースコールで呼んでください。」といって、看護師がICUから出て行ってしまうと、一人で苦痛と戦わないといけません。僕の場合、まず、排便に困りました。術前に、下剤を飲んである程度排便は済ませていのたですが
実際は昨夜からICUにいるので今日は二日目の夜になるわけだが、昨夜は意識がないので今夜が初めての夜を過ごす気分なわけです頻繁に吸痰してもらっていると、来る看護師さんによって痛いくらい奥まで吸ってくれる看護師さんと、入り口付近しか吸ってくれない看護師さんと別れる事に気づきましたどうやら、年齢からみるとキャリアの差の様に思えました吸痰すると相変わらず身体中が暑くなるので、頭と背中にアイスノンを入れてもらっていましたが、それでも暑いので浴衣はまたしてもパーパーにしていました扉は開いてるけど個室
手術後1か月も過ぎたので、あの恐怖のオペ体験を僕の心の声を中心に書きたいと思うのだオペ当日朝7時、オペは9時からなのでまだ余裕をぶちかましていたのだが、時間の経過とともに次第に緊張と不安が押し寄せてきた‼️(ビビリ指数まだ60)ナースの「そろそろお時間ですので、あちらの談話室に移動しましょう」と言う声かけで移動談話室にはオペ付き添いの為長男夫婦が待機していたここら辺でビビリ指数80それを感づかせないように全然平気だぜ❗️オーラを出してみたのだが効果は無かったみたいだオペ室までの案内人
う〜ん柔らかいエネルギーの4月末です。こんなエネルギーの中で生きていける。やっと人類にとって「心地いい」が具現化しやすい世界線になって来たのではないでしょうか。そんな中一昨日の午後、とある若者がこの世から去ろうとしていました。「息子が死ぬかもしれない」と物凄い勢いでその方のお母様より連絡が入りました。その連絡を受けて彼にリンクしてみると、ほぼ身体の中から意識はなくもう本当にギリギリのラインにいらっしゃいました。救急搬送された病院ではICUで電気ショックを2回もするくらいこ
2回目の面会に行けました。1度目は挿管、呼吸器付けていて意識もなく、輸液でパンパン、透析、鼻から口からいろんな管に繋がれていて両腕はもちろん、両方の首にもと、インスリンなどたくさんの薬を大量に使っていて目を覚ますのかと心配だったけど数日後に目を開けました。少し話も出来るくらいになったと聞いて早めに会っておきたかったので目覚めて2日後に妹と面会に。息子としては起きたらICUで全く動けない、絶食絶飲で手にもグローブで拘束されてまだ全身痛くて辛くて不安定でした。どうやって病院行ったのか聞いたら
おもち生後3m11d昨日、おもちくんは瞼の形成手術を受けました。『生後100日目のおもちくん、現在手術中です』おもち生後3m10d生後100日記念日な本日。おもちくんの瞼形成手術の日です。先ほど、おもちくんを手術室へ見送りました。それまで元気にジタバタ動いてましたが…ameblo.jp皆さま、おもちくんへの(そして私にも!)沢山のエール、本当にありがとうございました!!手術ですが、無事に予定通りの時間で終える事ができました
4月2日の朝。『かぼちゃん、今日からの仕事は断って家にいて。文太、かぼちゃんをちゃんと守って』とらちゃんは突然に玄関で言いました。私は何故だか涙が溢れていました。いつもの様にぎゅっとしてとらちゃんは普通に出勤したのです。とらちゃんの言うことを聞いて文太とテレビを見ていたら『動けない。救急車でどこかに運ばれる。準備しておいて』そんな振り絞る様な声の電話が。それがとらちゃんの声を聞けた最後でした。10時8分。救急車の中で10分ほど心臓が止まったそうで
痙攣が起きて意識戻らずそのまま低体温治療開始息子はずっと1人でICUで過ごす私も息子の意識が戻るまでの数日間、病院側のアパートにいた意識戻ってからはようやく自宅に戻った抱いてやることもできぬまま日だけ経つ面会制限がある中で、毎日病院には足を運んで会える限りは数分でも会わせてもらっていたもちろん無理強いしてた訳じゃない行くとどうぞと入らせてくれたきっと、医師の指示があったからだろうしかし、状態が落ち着いてきたところで言われた他の患者さんも面会我慢なされてます毎日は難しいです
続き>>>>25日朝私は一睡も出来ないまま朝を迎え、何度も娘の様子を伺う。付き添い入院で、病院だし看護師さんも居るし安心...と思えるかなと思ったけど、全然安心なんて出来ない💦もし、目を離している隙にサチュレーションが外れていたら..!?サチュレーション外れている時にまた痰の詰まりで窒息してしまったら..?💦そう思ったら安心なんて出来ず何度も何度も確認をする。ちゃんと呼吸してる?サチュレーション付いてる?娘の呼吸が苦しそうなので、鼻に付ける大きな酸素マスクに変
手術後。「コトムさん、終わったよ」と主治医に肩を叩かれ目覚める。と、同時に電話を夫に繋いでくれていた先生が耳に電話を当ててくれた。まだ、何が何だかわからないけど、手術が終わったんだ、ということだけは認識し、ごしゃごしゃ何かを言った後(自分でもよく覚えていない)に「夫さん、手術終わったよ~。ありがとうね。」と伝えたことだけは覚えている。主治医から夫に「思ったより早く済みました。取れる箇所は全部取ってほにゃらら~」という説明が聞こえたので、そうか、少し早めに終わったんだということを理解し、その
ブログを書いた当日夕方、やはり酸素の値が低すぎるということで処置が始まりました。私自身は受け答えできていたし、そこまで大事になるとは考えて無かったんですが、そのままICUへ私なんかが言っていい場所なのか先生にも聞いちゃいましたよそこからあれよあれよという間に色んな処置がされ今日やっと一般病棟に戻れそうです本当は昨日でも戻れたらしいんですが、病室に空きが無かったようで💦あー、嬉しい病院内に移るだけだけど、ICUという場所はとてもきつい場所ですね窓は高いところに1つ、1日の時間感覚がな
数日前からお部屋は冷房から暖房に切り替わったここ数日はお天気もパッとせず何となく肌寒かったせいか快適に過ごしていたのだけどいや〜、今日は晴天暑い一応、部屋も温度調節はできるようになってるけど今の時期は、暖房か送風にしか変えられない送風にしても暑い窓が開かない仕様だから仕方ない万が一の事を考えて下さっているのだろうな今、暖房15℃そんな設定した事ないでも、ね…今見たら冷房21℃に変わってた館内全体で管理していてここで出来るのは微調整のみなんだねなるほど、納得
手術中は、和室のような待合部屋に通され、義両親も到着して、そこで待っていました。すると、警察が…。こんな状況なのに、調書のためにいつ来れますか?と言われて、まだ何もわからない状況なのでお引き取りいただきたい旨を言いましたがました、4回くらい来ました。義両親は私に怒鳴り散らし、「なんでこんなことになったん?」「どうなってるん?」そんなん、こっちが聞きたいわ。と言いたい気持ちを抑えて、黙って我慢していました。何時間経ったのか、今となっては思い出せないのですが、看護師さんが「手術、終わりました
食べたばかりだからって事でまだ鼻の管は入ったままでしたもう少し後から抜いてくれるとの事旦那さんが面会に来ました例のごとく談話室へ夕飯を完食して鼻の管が抜ける事を報告しました。「凄いじゃん」と言います。朝は「飲み込めない!」と愚痴LINEをしたばっかりですからね。でも、ポロポロと涙が溢れてきました。さっきの完食はとても楽なものじゃなかった極限まで自分を追い込んで成し遂げたものだったからですICU強制送還ゲームって何これから毎日、1日三回、アレを食べなきゃ(飲まなきゃ)ならんと
ICU(쉬어가도돼/休んでもいいよ)『Girls-The2ndMiniAlbum』aespa作詞・ペ・ヘジン(153/Joombas)作曲・RyanS.Jhun,JoshCumbee,NishaAsnaniIseeyouIseeyouのいゆおプしうんくりごしっぷん너이유없이웅크리고싶은理由もなくしゃがみこみたいくろルってんねげきでどでぇ그럴땐내게기대도돼そんな時は私に寄りかか
●6月9日DAY3の追記手術が終わったあと、ICUに旦那さんと実母が通されたみたい。面会時間は5分ほど。面会したところで、私は寝てるし、手術は成功しているし、医学的には元気らしいし、やばい状態ではないから、手を握って「よく頑張ったね!!!」なんて心揺さぶられるようなこともなかったらしくて・・・wICUにいてもやることがなさすぎて1分ほどで出ようかと思ったわ、と後ほど言われたwww実母に関してはICUの様々な機械に興味津々だったみたいで、私じゃなくて機械を見ていたそうなww
自分に起きた不幸を人のせいにしない。人に起こった不幸を喜んだりしない。それは人として当たり前の事だと思っているし、これからもその考えは変わらないと思う。この夏、私の身に次々と起きたアクシデント長い試練の日々、それが現在進行形である事、まだ不安と焦りの真っ只中にいるのだけれどやっぱり、今聞いて欲しいから書いてみます。6月のちょうどバンタンフェスが始まった頃、コロナに罹患してしまいました。みんなが気軽にブログ上で発表している様な病気なので、私もブログでフォロワーさん達にお知らせしようか
記録を残そうと思い始めたブログも、更新せず約1ヶ月が経ちそう。。この1ヶ月ほんとに色々ありすぎました。私自身大量出血とさらに合併症を引き起こしICUに運ばれ、一般病棟に移ってもまともに歩けなかったり1人でトイレやお風呂も行けなかったり、、今はやっと退院(先生に退院したいとすがりついた)して心身ともに回復に向けて頑張っています。実は最後の記事を書いた次の日に、32週に受けたDNAテストの結果が返って来て、私たちの赤ちゃんがかなり珍しい型の染色体異常を持ってることが判明しました。その時点で34
『救急車の中で辛くなる心』『ICU緊急搬送』『悪化していく中で』『生き地獄』『気持ちの問題…?』『不安な緊急入院』『娘と友達』入院していた娘の大部屋は歳の近い女の子が4人いました。娘…ameblo.jp前回の話大学病院に着き娘はICUに運ばれて行きました。看護師さんに「ICUの前で待っていて下さい。」と言われ誰もいない長い椅子に一人座って待っていました。待っていると奥の廊下からCLSさんが来てくれました。一人で心ぼそかった時に、CLSさんの顔を見てほっとしました。CLSさんが