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生きてます敗血症性ショックってのになっちゃってICUに行ってました熱とか血圧とか色々やばくて、呼吸も苦しくて挿管になって、ほんとに辛かった身体辛くて、いたい処置とかもいっぱいで、ICUの雰囲気も怖くて、ぜんぶに泣きたかった。地獄の毎日だったなんかまだ夢と現実がぐちゃぐちゃして変で、急に混乱して騒いじゃったり、わけわからなくなっちゃうことあって辛くて、いまもあんまかけないけど、とりあえず無事って報告です。なんにちかまえにICUからも出られてます。ご心配おかけしました。落ち着いたらまたか
乳がんになっても変わらず明るく元気で過ごせるように私が実践してよかった事とか感じたこと。これを読んだあなたも前向きな気持ちになれたらいいなと思って日々感じたことをつづります。このブログが少しでも今辛くて泣きそうなあなたの心を軽くできますように。今日も誰かの悲しい心をちょっとでも前向きにできたらいいな初めましての方は自己紹介も読んでね😉『ブログタイトルに込めた想いと自己紹介』はじめまして千葉県で料理の苦手な人のための料理教室SmileKitchen八千代中央とい
ICUに入って2日目面会時間に病室に入ると娘の体には昨日までなかった器具がつけられていました看護師さんが来て昨晩から自発呼吸をできなくなってしまったので人工呼吸器が必要になったと教えてくれました転院したもののやはり病状は今も明るい兆しは見えてこないこのままだと一緒に年を越すことすらできないかもしれないそう考えると胸が締め付けられる思いで娘の小さな指先を握りしめながら涙が止まらなくなりましたもし転院してICUに入っていなかったら、、、。その恐怖は計り知れません
たくさんのブログの中から訪問して下さってありがとうございます。伯母さんがコロナに感染して、重篤化しICU病棟に入院しています。『今日の話、転院先での話』たくさんのブログの中から訪問して下さってありがとうございます。今、これ使ってるねんけどおすすめやでー年齢を重ねたお肌に同年代の方は使ってみてーぷるんぷるん大塚…ameblo.jp意識不明やってんけど意識が戻りました。意識が戻っても寝たきりやけどね喉に穴あけてるから喋れないし伯母さんに聞きたいこといっぱいあったので、手紙を書きまし
2024年8月1日手術3日目にして、少し痛み和らぎ、なんとか少しだけ寝返りうてるようになりました皆様ご心配おけしましたまた沢山の応援ありがとうございました🍀少し気持も落ち着いてきたので、手術前後のことを書かせていただきます😊7月29日手術当日8時45分に病棟に看護師さんが呼びに来られ、一緒に歩いて手術室まで行きました。受付でソファに座り、名前と手術部位の確認ラッキーセブンの7番のお部屋でした手術室はガランと広く、ベッドは狭い印象でした。上半身脱いで、寝転び、心電図や血圧、酸
2023年1月26日手術当日。ゆっくり休んで下さいね!と言われたけれど、早くから目覚めてしまっていました。看護師さんが、検温や手術着などを持って来てくれました。私の姉と主人が来てくれることになっていたのですが、娘も心配だから…と来てくれました。看護師さんがご家族の方が到着されたので、そろそろ行きましょうか。と部屋に来てくれ、病棟入り口にいる姉、主人、娘と一緒に手術室へ向かいました。朝早くからごめんね。と私が言うと、そんなことは気にしなくていいから。と…娘は、意外と元気で良かった。と
1週間の一般病棟は、好きな時にフロアの散歩に行けて、窓から外の景色が見れて、1人でトイレに行ける、普通のことが楽しいひととき。病院からの景色😊週のうち2日だけ、お昼ごはんのメニューを選べます。1週間に一回シャワーを浴びられる日があります。自動販売機で好きな飲み物を買って飲むことができます。本当に今思うと何てことないことが、とても幸せに感じた時間でした。ただ、コロナ後お見舞いの規制が厳しく、週末のみ予約制で15分の面会。人数規制もあるので、お友達に来てもらうのも申し
ICUで目覚めると、主治医がいました。主治医が手術は無事終わりましたよ。今日がいつかわかりますか?と聞いて、私ありがとうございます。う~ん、手術の翌日?27日?主治医そうです。手術が終わったのが遅かったのでね。明日には病棟の集中治療室に移れるので、今日まではここでゆっくりして下さいね。私なんだか管がいっぱい…主治医あまりに大きい腫瘍でした。30センチはゆうにあってね。左腎臓は摘出しましたが人工肛門はしなくて大丈夫でした。腎ろうは今してありますが、退院までには取れる
ICUでは、血液検査する度に看護師さんが、使った分の血液を戻しますねー。と言われていました。貧血は入院した時から酷かったので、手術でも大量の輸血量だと聞いたので、そうかぁ…と主治医から輸血パックを13パック以上使ったと聞いたので、改めて大変な手術だったんだなぁ…と私としては、酸素マスクが慣れなくて早く取れないかなぁ…と思っていましたが、すぐには酸素濃度が上がらす、一般病棟へ行ってからもしばらくそのままでした。一般病棟へ移動する時、ベッドのまま移動。改めて管がいっぱいだなぁ…と思っていま
我が家は理学療法士の多い家族息子と甥っ子、そして妹夫婦が理学療法士です理学療法士はリハビリをしてくれる先生実際リハビリを受けたのは今回が初めてでした1回目の手術が終わり、少し体を動かせる様になったら、すぐに来てくださり、手や足の様子を見て、2〜3日たつ頃には、ICUの中を散歩🚶初めの頃は、身体が傾いていましたが、徐々に治っていき、ICUを出る頃はスムーズに歩ける様になりました。一般病棟に移ってからは、体力の回復のため毎日何歩歩いてという課題をいただき、最後の方は5000歩と言われ、万
あれは5年前2019年11月29日でした。11月4日が私の誕生日ですから61歳になったばかりでした。まだ「英知進学塾」も「英龍会」もやっていましたので、現役バリバリだと自分では思っていました。その私が29日の深夜(塾が本業なので帰りはいつも遅かったのです)突如何の前触れもなく意識不明でぶっ倒れたそうです。今書くと恥ずかしい限りですが、何度も嘔吐しそれを自分が着ていたものでふいていたそうです。挙句に白目をむいて泡を吹き大小便を垂れ流しな
4月20日にクッシング病の治療として、下垂体腺腫を摘出する手術を受けました!タイトルの通り、訳あって2回手術を受けまして……それはそれは壮絶な思いをして、やっとこさ術後10日ほどたちました退院して体調も安定しており、パソコンを開く気になれたので記憶を頼りに振り返っていこうかな〜と思います!同じ病気で同じ思いをしている方への情報提供や励みになりますように『難病になりました。クッシング病と診断された28歳の闘病日記のはじまり。』2024年4月、クッシング病(下垂体性ACTH分泌亢進症
私は思いの外副作用も軽かったと思います。治療して2~3日はやはり、倦怠感はありましたが、それよりも強い眠気に襲われることが多かったです。私の体調をみて、娘がいろいろ連れ出してくれました。お母さん!ちょっとショッピング行かない?と言って、私の骨髄抑制もあるので、人混みを避け、なるべく人の少ない時にショップめぐり✨そして、ランチなんかしながら…(笑)娘なりに気遣ってくれて嬉しかったです。息子は、その頃彼女がいたのですが、その彼女と結婚したいと言っていたのですが、彼女のご両親に私の癌のこ
気そらせるために将来のこととか書いてたけど、ついこの前ICUから出てきたところで。今は体調落ち着いてるから大丈夫だけど、動けないからちょい辛い。ご飯も鼻からのだし、尿カテでトイレ行けないし、腕と股関節(?)のところからなんちゃらカテーテル入ってるし、酸素もマスクだし、まじでありとあらゆるところからチューブ付いてて怖い。寝返りすらできないし、まじで看護師さんいないとなんもできない。早く普通に戻りたいよーゴールデンウィーク兄ちゃんと出かける予定だったのに。美味しいものいっぱい食べまくる予
病院のICUに入るには消毒と白衣の着用、さらにヘアキャップが必要でした普通病棟とは全く違う雰囲気昨日までいたのが普通の小児科病棟だったなんて信じられないくらいでした転院して初めて娘がいる病室に入ると大人用の大きなベッドに娘の小さな体手足には無数の点滴やコード管がつながれていて頭にはヘッドギアが装着されていました。娘は手足を動かすことも目を開けることも泣くことすらできない状態でした白くて小さな体に無数の針が刺さる痛々しい姿を目の当たりにするのは親として本当に
オペ後はICUに入りました。といっても、他の方の書かれていたICUから想像していたICUとは全然違っていました。普通の病室のようでした。ようでした、というのは、叩き起こされる以外はずーーっと眠っていたから記憶がないのです。声をかけられて目は覚めましたが、目をパチッとは開けなくて、眠ったままで手術室から出たので、記憶などは全くありません。(こわっ)次に目を覚ましたのは、、誰かおじさんがひたすらしゃべっている声がうるさくて目覚めました。ICUがどうやらナースステーションに近かったらし
手術翌日の昼自宅に息子の訪問入浴の方が来られるのでバタバタと用意をしていた所、私の電話が鳴りました表示を見ると病院からの着信で急いで電話に出るとT先生でした一晩ICUで挿管したままだった夫は朝に抜管したそうです今までならそのまま一般病棟に戻る所ですが、今回はもう一泊ICUでお世話になるとの事でした頭の中をかなりいじったからなのか、先生達からの指示などへの反応がまだよくないと…13年前の手術の時は術後ICUに運ばれた後会った時には意識もあったし、翌日には自分でナースコールを押して何度も
ICU卒業の面接でお医者様に言われた一言もう一つ動脈瘤があります。とにかくひと段落と思った矢先の告白に、頭が真っ白に…魔の2週間再び???と不安になりましたが、先生曰く、「もう一つのはすぐ破裂する様な大きさではないのですが、今後大きくなる不安を解消するためにも、もう一度手術をしましょう」ちなみに倒れてすぐの手術はこちら↓そして、今回はこちらの手術↓血管内治療(コイル塞栓術)|未破裂脳動脈瘤治療|済生会熊本病院血管内治療(コイル塞栓術)とは脳動脈瘤の中をコイルで満たし、血
ので、タイトルも変えようと思います。2年前、2022年の今日、舌癌の手術をした日です。2年前のこの時間はICUにいましたね。目覚めた時間とか覚えてないけど…11月17日から23日の午前中までICU。#ちなみに23日は私の誕生日(笑)今は普通に生活してるけど、大手術だったことには違いはない。首のリンパを切ったところの術跡は、もうわからないくらいだけど、舌の術跡や、舌の再建に使った左手首の傷は傷痕バッチリ。まぁ、とりあえず生きてます。ってか、この前の診察で
入院した時にICUで上向で苦しくて寝れなかったことがあり、先週耳鼻科に行ったので無呼吸かもしれないと相談しました。このような機械を借りて、上向きで寝るようにしてどんな結果が出るか調べてみることになりました。結果、中度〜重度に近い無呼吸症候群だと判明。長い時は530秒息が止まっていたらしいです……恐ろしい耳鼻科での治療?対処法?としては、CPAPと言われました。ただ、今回は上向きで寝るように指示があったため、横向きで寝たら多分こんなに息が止まることはないと先生もおっしゃっていました。昼
更新遅くて心配かけちゃってごめんなさい!コメントいっぱいありがとうございます!3日の夜に飽和度70台まで下がって超苦しくなっちゃって、気管挿管(人工呼吸器ってやつ)してICU行ってました。先生も看護師さんもいっぱいきて緊急事態ってかんじでまじ怖かった日曜日の夜ICU入って、5日後の金曜日HCU移って、今週の火曜日管抜いてようやく一般病棟の個室これた。家族と面会できたけど、皆んなめっちゃ泣いてた。普段冷静な兄ちゃんも泣いてた。心配かけてごめんね。ICUもHCUもまじで地獄だった。ICU
朝9時からの手術でした後方固定術という術式で、10時間に及ぶ大手術だったそうです医師、看護師さん、立ちっぱなし昼食なしで頑張ってくれたかと思うと頭が下がります本当にありがとうございました無事に手術が終わりました。手術室で麻酔科医と話をして、言われるがままにしてたら、目覚めたらICUにいました。勝手に手術は終わったらしいめちゃくちゃ唇が乾燥しており、喉が乾いて、でも酸素マスクなど装着されて目がぼんやり見えるだけでした。何かしゃべりたかったけど声が出ませんでした。喉が乾いたばっかり
7/10部屋も静かだったこともありぐっすりと熟睡朝がきました朝5時に目が覚めてそのまま起きていました。7:30頃に先生がこられて言葉少なに話される。体調がどうか?とか。ちょっと緊張している感じ。場数を踏んだドクターでもやはり緊張するのね「じゃ、また手術室でね」と言い残し、先生は退室。私は8:50までに手術室へ入室することになっているのでそれまではゆっくり過ごす。8時過ぎて部屋に看護師さんが来られて手術着に着替え血栓予防のソックスを履く5分前に病室を出発
手術が終わり目がさめた私は、そのまま手術室からCT撮影へCTに全介助で移乗されるのだが、頭の傷の部分に手を思いっきり突っ込まれて「いってぇーなー!」と思ったのを思い出す。そもそも、雑で荒い。開頭の術後なのに、頭を保持してくれる人などおらず、それはそれは業務的でひどかった。愛護的に関わるって教えてもらっていないのか!?痛みをこらえて、その後ICUへ入室このICUがひどかった・・・・マジ地獄。頭元に蓋つきごみ箱があり、ごみを捨てる度に蓋が閉まる音で覚醒ごみ箱がそこしかないのか、みんな
ダンナは躁うつ病(双極性障害1型)躁状態で熱中症になりました。なかなか更新できずにいます。すみません…いつも読んで頂きましてありがとうございます。ダンナはICUに入ってから3日目くらいかな??鬱状態になりました。(ICUでは面会禁止なのでハッキリした状態はわかりませんでした)24時間点滴も終わりお粥を食べれる様になった時は静かに、何も言わず多動もなくなり…黙々と食事をしていたみたいです。この時まだ歩けません。熱中症の経過は良くてお粥から普通の食
閲覧注意こんにちは。ゆずdeぽんです。脳ドックで『未破裂脳動脈瘤』が見つかり、手術をすることになりました。その記録として2023.2.21にこのブログを開設しました。まな板の上の鯉から帰って参りました!3/22手術が終わってから遠くから名前を何人もの人に呼ばれて…「あー、終わったんだな」って手術が終わったことを知りました。この後で、待っててくれた旦那と再会して、手を繋いだかな?この後、「ベッド動きますよ。3階のICUに
小室圭さん、現在は“月2出勤”のセレブ待遇NEWSポストセブン篠原常一郎先生、ちょっと違うのではないでしょうか?篠原常一郎先生は、元共産党員です。18歳頃、共産党に入党して、途中で辞めたのです。クビになったのです。辞めてから、自民党の味方になったのです。それは、生きていくために、やったのです。僕は、篠原常一郎先生は、非常に好きな人です。この人は立教大学を卒業して、教員の免許を持っています。小学校の先生になったり、予備校で小学生の面倒をみたこともあったので
とまぁ、ICUでの地獄の時間がようやく過ぎて朝を迎えることになったのですが、(前回の記事参照)ICUを退室する前に、清拭という身体を拭いてくれる看護行為をしてくれるのですが、そこの大学病院は珍しくディスポタオルではなく、洗面器に湯をためて病院のフェイスタオルを浸して絞って拭いてくれるという古いやり方をしていた。さいきんは感染面からディスポタオルに移行しているので、東京の有名な大学病院だったので、びっくりしたのを覚えている。それはそれは、あったかくて気持ちいいのだが・・・。背中をふいてくれるた
手術後、CTを撮りICUへ。頭がぼやっとしていたのが、だんだんはっきりしてきた。管は点滴が静脈2本、動脈1本、尿管の計4本。右手は血圧計が巻かれてる。想定内だけど、とにかく腰が痛い。傷が左にあるため、右しか向けらなかったから(本当は左を向いてもいいけど、怖くてなかなかできず)首が痛くなってきて、少し動かしてみたら、右のおでこに激痛左の耳の裏を切っているのに、なぜもしかして、手術中に頭をピンで固定していたところ?恐る恐る触ってみると、絆創膏が貼ってあった。傷よりこっち