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頭蓋骨頸椎固定手術の87歳父の前回の記録はこちら『87歳父、手術直前に気胸見つかる、アスベストが頭をよぎる』87歳入院中の父の前回の記録はこちらから『頭蓋骨頸椎固定術の手術に入室後、医師が慌てた様子で走ってきた!』87歳入院中の父の前回の記録はこちら『87歳…ameblo.jp手術中の待合室、シビアな命の選択父の手術中、待つ場所に指定されたのが、ICUに入る人の待合ルーム。特別な空間で、広い空間にソファーがあり、くつろげるようになっていた。でも、全
怖いんですけど・・・1日目は午後1時半ごろから夜中の12時過ぎまで病院に居た私。2日目の夕方にはライアンの病状が少し落ち着いて来たので、夜10時過ぎには病院を出て11時までやってるスーパーで買い物して帰れるなぁ・・・って思ってたの。夕方にはご近所の日本人友達Aちゃんのご主人と息子さん2人がお見舞いに来てくれて(Aちゃんは日本に居たので)、同じ頃に義弟(ライアンの弟)も長男を連れてお見舞いに来てくれた。しばらくすると日勤と夜勤の看護師の交代時間
皆さんこんにちは。今回も舌癌の内容となります。舌がん手術後、ICUで3日間過ごしました。ICU、人生初体験でしたがとにかく辛かった、の一言でした。事前に術後の窒息地獄のことはYoutube等で何となくわかっていましたがここまで壮絶だとは思ってもみませんでした。術後、唾液、痰が大量に出て嚥下障害で自力で飲み込みにくくなるのですが、又気管切開しているので喉にカニューレという管を入れていてそれが痰で詰まり、呼吸がしにくくなるので15~20分毎位に看護師に吸引してもらうのですが
昨日、ようやくブログが書ける程度に回復しましたが、手術の記録をまとめようと思います。手術当日朝8時に家族が病室に到着。しばしの歓談。手術前の緊張が和らぎました。手術室手前まで見送ってもらいました。ドラマみたい😁手術室もドラマみたい。大病院だから7部屋もあってフル稼働していた。まずは自ら名前と今日の手術内容を説明。事故防止と思います。麻酔の前に背中に管を通して痛み止めを注入。体が硬いので丸まるのが大変。管を突っ込んでいくのがまぁまぁ圧迫感があって「うっ」となってしまった。その後呼吸マスク
全く招かざる者1日目の夜にERからICUに移されたライアン。本当に私のブログはERとICUの写真が多いわ私は夜の12時過ぎに一旦家に戻って、翌朝8時頃に病院へ戻った。↑夜の病院の駐車場からは爪先のように細く茶色の月が見えた。でね・・・8時半ごろからICUドクターの回診が始まって、ライアンの病室にもドクターと看護師が2人入って来たのね。そしてドクターが話し始めたと同時くらいに、こんなのが病室に入ってきた
私がくも膜下出血になった時ずうっとお世話になってた友達が数日我が家にお泊まりよくぞここまで復活したと2人で入院中やその後リハビリなどを話をしてて長かった入院生活での面白い体験をしてたのを思い出したこうしてある程度回復したからこそ面白い話として伝えられる話だけど備忘録としていくつか記憶に残ってる話をこのブログにも書いていこうと思いますまずは1度目のくも膜下出血の時の話ICU(個室)の2週間の入院を経て4人部屋の一般病棟へあっ、ちなみにICUにはど
前回記事皇位継承皇室の長い歴史を知るとその続いてきた歴史こそが宝であると知ることができる皇室の歴史の前には学歴など必要ないしかし、国民が望むなら、それに応えようとするのが皇室「天皇家には受験勉強だの学歴自慢だのしてほしくないんだよね」「開かれた皇室はいらない」これにつきます10年ほど前はよくネット情報を見ていました男系支持者は東宮家(当時)を罵倒女系支持者は秋篠宮家を罵倒ひどいものでした私自身は男系男子派ですが、見てい
ICU(쉬어가도돼/休んでもいいよ)『Girls-The2ndMiniAlbum』aespa作詞・ペ・ヘジン(153/Joombas)作曲・RyanS.Jhun,JoshCumbee,NishaAsnaniIseeyouIseeyouのいゆおプしうんくりごしっぷん너이유없이웅크리고싶은理由もなくしゃがみこみたいくろルってんねげきでどでぇ그럴땐내게기대도돼そんな時は私に寄りかか
一晩明けて、、、いや明けない寝れない痛すぎる‼️麻酔が切れてから、もう地獄喉はカラカラ身動き出来ない酸素マスクうざい左大腿部痛い右の顔パンパンで腫れまくり一言なんじゃこりゃー‼️はい、手術完全になめてました。ドレーンの管がコメカミと喉に刺さっているし皮弁チェックは2時間おきだし左大腿部は痛いし😣身動き出来ない、仰向けの状態そして右手には麻酔プッシュ左手にはナースコールなんとも言えないバンザイの状態ICUだからかナース室は近く電気はつきっぱなしだからか眩しい
今日は、私の母の話をしようと思います。題名の通り、成人T細胞白血病リンパ腫で約1年と半年の闘病生活でした56歳という若さで亡くなりました。今から約8年前。。その時はいきなりだった。母(時子なのでとっきー)がいきなりバターーんと凄い勢いでリビングに入ってきた。※2世帯で上下階の同居ここ触って!!と、母は慌てた様子で首の耳の下らへんをやたら触れと言ってきた。あ。凄く大きなしこり。やばいかも。。母はすぐ東京にあるT病院へ。実は私の妹が大学生の頃、病院実習の血液検査でわかった事が
更新遅くて心配かけちゃってごめんなさい!コメントいっぱいありがとうございます!3日の夜に飽和度70台まで下がって超苦しくなっちゃって、気管挿管(人工呼吸器ってやつ)してICU行ってました。先生も看護師さんもいっぱいきて緊急事態ってかんじでまじ怖かった日曜日の夜ICU入って、5日後の金曜日HCU移って、今週の火曜日管抜いてようやく一般病棟の個室これた。家族と面会できたけど、皆んなめっちゃ泣いてた。普段冷静な兄ちゃんも泣いてた。心配かけてごめんね。ICUもHCUもまじで地獄だった。ICU
今日は帝王切開後/産後12日産んでから、帝王切開後から12日になりました。何とか元気です!帝王切開で抜いた腹水が出産直前と同じ量戻ってきちゃって本気で苦しいし傷に5-6キロのしかかって痛すぎてベッドから横になったまま動けず、本当に辛かったので、利尿剤とアルブミン点滴の検討を医師にお願いしました。ネット検索で見つけた論文があって、産後の難治性腹水に効いたとあったから。その後私にも効いて、今は大きいお腹と腹水2-3Lくらいありそうだけど、だいぶ動けるようになりました。赤ちゃんはすこぶる順調!また
『私の感情とパパの憤り』『救急車の中で辛くなる心』『ICU緊急搬送』『悪化していく中で』『生き地獄』『気持ちの問題…?』『不安な緊急入院』『娘と友達』入院していた娘の大部屋は歳の近い…ameblo.jp前回の記事しばらく待っていると、ICUの扉が開き主治医の先生が来ました。ICUの中に別室があり、そこに案内されました。主治医の先生はこれからの治療方針を説明しました。「娘さんは閉塞性細気管支炎の急性増悪です。ネーザルハイフローで症状が落ち着いたら、ステロイドパルスをします。」ステロイ
手術についてです。8月お盆に手術を受けました。コロナで面会ができず、手術前の執刀医と麻酔科の先生からの説明に行った時に見た夫は、入院前からさらに痩せていました説明の際、入院ギリギリまでタバコを吸っていたことや夫のまるで他人事のような感じに、思わず先生も誰の言うのとも聞かないタイプだよね〜と少し笑いながら話せたことで心配が和らぎました手術当日、朝8時半までに来るよう言われました。コロナで待機は1人だけど言われ、夫と一緒に手術室に向かいました。後に聞いたのですが、な
4日目歩行器も変わり点滴付きのガラガラのやつに変わって、ひたすら歩くもちろん看護師さんも一緒に。支えてくれる程度に横で一緒に歩く人間の回復力の凄さ4日前迄は何も動けない、食べられない、寝たきりだったのに、もう動いて、自分で水も飲んで、食べて、歩いている。ご飯は相変わらずのペースト食で、全く美味しくもなく、見た目もね💦食欲がわかない感じでしたが、食べる事で元気になってICUから抜け出せるならばと必死でした。ただ、ICUに入っていた時に思った事時計の針が遅い1日が長すぎるI
いつもほんとにありがとうございますやっとやっとステロイドの効果出てきて体調上向きになってきました!首あげたりちょっと体勢変えるのはできるようになった。声の掠れも良くなってきた。まだ自力で座れないけど、やっと前に進めそうな気がする。長かった…。まじで辛かった。緊急入院からのICUとHCUで気持ちが追いつかなかったのとかステロイドの副作用が大きいけど、ほんとにメンタル壊れてた。急に寂しくなったり生きるの辛くなって大泣きしたり散々だった。頑張っても頑張っても良くならなくて、全部怖く
そして兄に会いに行く母と打ち合わせをし初めての大都市に着く。思い返せば母と会ったのは何十年ぶりだっただろうか…中学3年の頃が最後だった。キヨスクの裏手に、白いジャンパーを着た少し派手な髪色をした女性。2度見しないと分からなかったがそこには母が居た。話はするものの、2人共落ち着かない。なんせ19年振りなのだ。母が、目の前に来ている新幹線に乗り遅れたその瞬間から、遅刻は決定していた。病院の好意で、面会時間を変更させてもらった。直ぐにでも病院の最寄り駅に急ぎたい私をよ
こんばんは、こーちゃんです。★4月18日~4月20日手術に向けて簡単な検査や説明、体力維持のためのリハビリがありましたが、基本的には暇な数日間でした。この期間は妻とよく通話して、その日あったことを話たりしました。ただ、妻もこの期間はまともに寝れてないようで、精神的にもかなり滅入ってました。。。不安や不満はたくさんありましたが、お互いで励ましあいました僕は声を聞けるだけで元気になりましたリハビリの先生に言われたのですが、動けるときにどれだけ体力をつけてい
ICUってどんな雰囲気かな?と伝わればと思います。色々あり過ぎて、どう書いたら良いかな?と思いましたが、まずは、ICUの様子をと思います。私がお世話になった所は、カーテンで仕切られた大部屋にベットが何個か置いてありました。あと個室みたいになったところもありました。窓はなく、朝になると電気がついて、夜の消灯で消える。電気が太陽の代わりでした。監視カメラが着いていました。カメラはベットに向いていて、夜も様子が分かる様になっていたと思います。私は両方の手に点滴があって、寝返りも大変でし
11時間の空白のあと苦しくて辛かった長い長い夜が明けました点滴の棒には自身につながる7本の管首と鎖骨上、耳の前と後ろ、肩、顎、大腿そのどれもが真っ赤で術後を実感足には機械が取り付けられ定期的にポンプで空気が送られていました廊下には朝食が運ばれる音当たり前だけれど私の部屋には来ないICUには入らなかったんだ自身で術後用にセットした病室を眺めるまだまだ体が辛いけれど、嗽が出来たら嬉しいなぁ・・・お腹もすいたような気がするやっと朝になった、ひと山越えたか
相変わらず皮弁チェックと身動き出来ない管と大量の点滴とで寝たきりの状態。やっと鼻からの酸素は解放されたが、今度はマスクをしてくださいが始まった。待っ、、マスクやるんか?ICUで呼吸が苦しいのにマスクせよと💦無理無理無理〜‼️確かに病院だし、マスク必須は分かる。分かるんだけど💦今はパニックになるから無理‼️そう看護師さんに伝えマスクだけは回避💦ただでさえ、夜になれば暗闇が怖くなり死ぬかもしれないとパニックになるし、起きるとせん妄みたいな状態にもなっているから本当に無理でした
はじめましてあずさです過去にいろいろと模索し、迷走した時期もありましたが…恥ずかしいけど、それも私なので、そのままこのアカウントで書き綴っていこうと思いますついに、今スグできることから行動していこう!と、ヤル気スイッチが入りました以前からやりたいことが明確にはなっていたものの…動いていなかったヤル気スイッチがカチッと入るまで、約2年かかってしまいました(笑)私がやりたいこと。それは…息子から学び、息子と経験したことを、多くの方に伝えること!私の息子はある日突然、本当になんの前触
おもち生後9m9dお陰様でおもちくん、胃ろう手術が無事に終わりました〜当日の昨日は、朝8時半に手術室へ運ばれていき13〜14時には終了連絡があるはずだったのですが14時を過ぎてもまだ連絡はなくまぁ手術時間が押す事なんてあるあるだよね、、と思っていつつも気持ちはそわそわそわそわ朝からずっと一人で待ち続けていたのもあって1秒1秒が本当に長く感じました14:30を回って、これはこちらから問い合わせてもいいものなのか、、どうしたものか、、、と考えを巡らせながら無意味に院内を散策し
おこんばんは。熊川です🐻Xで虹視力の仲間のまゆみくんがこんな呟きをしていました。仕事中は秋が強く出てしまう私💦そして忙しくなると、秋ノット全開!オラといっちょやってみっか!状態になってたんですよね😂最近その自分が本当に窮屈で…。変わる時なんだろうな☺️と思って言語化して自分にオーダー中です💕自分の仕事や、やっていることに誇りを持ちたい。—まゆみ@一度で二度美味しい魔法使い🪄︎︎✨(@mayumi_1110)2024年4月15日う〜ん。わかる!わかるぞッ!🥺虹視力
昨日はコロナもう治ったなとか思ってたら夜中はまた熱38度に朝にはすっかり平熱。隔離生活による暇の為手術の事を引き続き思い出しながら書こう手術の翌日病院からは特に連絡もなくコロナ禍真っ只中のこの時期、会いに行くこともできずひたすら祈りながら自宅待機とは言っても、手術は成功したんだという安心感がありました手術から2日後主治医から電話がありました。安心していた私はのんきに明るい声で手術のお礼を言いました。反して先生の神妙な声のトーンに一気にイヤな予感がしました旦那の体調が
今日は夜勤っす最近では、ICUはそれほど重症患者さんがみえないので、(とはいえ、重症さんはおられ、ただECMOなどが回ってないしあまりドタバタしていないという意味ですよ~)落ち着いているのですが・・・夜間になると、救急病棟の入院が多くてバタバタなのでそちらのお手伝い&入院してきた方々の処置などに入っております。それに他病棟のお手伝いにも行っておりますなただね~お手伝いに行ってるのに、ICUがバタバタの時は他の病棟はお手伝いに来てくれないのよね~それが不満ですわ
今晩は。いつもいいね、コメント有り難う御座います🙇ICUから一般病棟にでて、かなり自由に過ごしてますが、なかなかスイッチが入らず、ブログ書けずにいました。他の方のブログ読んだり、コメント書いたりは出来るんですけどね。何かが少し抜けた感じでしたが、別に凄く落ち込んでいたとかではありません。前向きな気持ちは変わらずですし。入院してても地元では色々ありますし、焦らずしっかり体調を1度整え、1度帰郷する思いも強いです。今の前後の事、重複するところ、時系列のおかしな所とかあると思いますが、書
こんにちはこちらの動画、是非見ていただきたいと思います。国公立大学を志望していたけれど、途中で難しいかも、と思い始め、秋くらいに志望校を難関私大に絞りはするものの、結局間に合わず不合格になってしまうケースは結構見てきました。自分のキャパを知り、逆算して間に合うか間に合わないかを考えるのは、受験を成功させるには必要だと思います。どうせ秋以降に私立専願に変えるなら、春から私立専願にしておいた方が、当然ですが合格の可能性は上がります。特に早慶レベルだと、夏前くらいがギリギリのタイミングだと思
痙攣が起きて意識戻らずそのまま低体温治療開始息子はずっと1人でICUで過ごす私も息子の意識が戻るまでの数日間、病院側のアパートにいた意識戻ってからはようやく自宅に戻った抱いてやることもできぬまま日だけ経つ面会制限がある中で、毎日病院には足を運んで会える限りは数分でも会わせてもらっていたもちろん無理強いしてた訳じゃない行くとどうぞと入らせてくれたきっと、医師の指示があったからだろうしかし、状態が落ち着いてきたところで言われた他の患者さんも面会我慢なされてます毎日は難しいです
中に入り、イケメン看護師さんとバイバイ👋また病室で会おう‼️なんて爽やかなんだっ💫緊張しながら手術担当看護師さんに連れて行かれた長い通路。言い方が悪いが牢獄にも見えた。だって、ものすごい数の手術室ずらっと並んでオペ室が沢山あっけにとられた。如何に手術が多いか、患者が多いかを。こちらになります案内された部屋に入る台の上に横になってくださいね仰向けでリラックスね名前確認しま〜す。今から点滴の管入れますね少し痛いですよ〜ブスッと注入💉麻酔の点滴針が手の甲に入る本当