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血液製剤の治療が始まった翌日私はピーちゃんに会いに病院へ行きましたピーちゃんは人工呼吸器とヘッドギアを付けたままで見た目には特に変化はありませんでしたあれ?音楽が流れている……?娘の枕元を見ると、昨日まではなかったCDラジカセが置かれていましたすると看護師さんが「今は意識がない状態に近い娘さんですが周りの音や声は聞こえているんですよ私たちも時々こちらに来ますがそれでも一人の時間ができてしまうので寂しくないように音楽を流しているんです。今は目を開けたり、口を動
本日、大部屋への移動を告げられました。9/20の7日前??くらいには個室にいて10月11日?くらいにはICUから戻って今の準個室?みたいな部屋にいるので大部屋で過ごすのは2ヶ月ぶりくらい??あ、9/11に再入院して13日の金曜日に個室に入ったんだ。窓際だといいなぁと思ったけど、最近、日中温室になるし、外の景色見えないようにしてあるんだよね。夜景見るならデイルーム?でも廊下側だと何も景色変わらないしなぁ。あとトイレに近い部屋がいいなぁ。退院の練習でもあるんでポータブルト
つい先日海外にいる息子(夫の先妻子)と連絡を取り合い…クアラルンプールかボルネオ島で会おう!と夫ともウキウキ♪子供たちはとってもよい子達でわたしも愛しく思っていますそんな中…施設に入居している父がコロナ感染し救急搬送されました検査するとかなり重篤な状態でICUの個室に(減圧室?)血圧は70台から60台にも…病院からも控え室に居ていただいた方がよろしいですね、、また帰宅しようとすると呼び戻されたり…私も覚悟をしました。。。けれど辛くて辛くて…泣けて…現在、ICUに
手術から2日間ICUにお世話になり、今日の昼頃お部屋に戻って来ました(;∀;)朝8時半に手術室に入り、目覚めたのは18時過ぎくらい。手術自体は17時くらいには終わって、順調でしたよ〜との事。痛みはほぼ無し。前回は目覚めた瞬間からぶるぶる震えるほどの痛みだったけど、今回は硬膜外麻酔が入っているので全然痛く無い。ありがたや〜ただ手術中、腕が変な方向で固まってたのか、めっちゃ痛いのと、全く動けないので頭痛やら背中やら痛いしで地獄のような2日間でした(笑)携帯もテレビも無し、ただひたすら目
ICUでは、なるべく寝て過ごそう‼️もう、これにつきます。というわけで手術当日の朝です。何度手術を経験しても、やはり手術当日の朝は勝手に心臓がドキドキします。。。でも、麻酔で眠ってしまえば、すべで終わります😁😁麻酔ってすごいですよねー。眠くなる薬入りまーす。あー。。。。と思ってるうちに意識失いますもんね。そして、また恒例のまるるさーん!!わかりますかー??で目覚めます。どこか痛いところとかありますかー??とおそらく聞かれた気がします。そして、うつらうつらしながらも、の、のど
ここ数日、何か物足りなさを感じる日々だ…何が原因だろうか???来週の入院を前に、気持ちがかも…まぁなるようにしかならないのは分かってるあれこれ考えないのが一番だね…心臓の治療を受けるとき、いつも自分のベッドに戻るとホッとする…治療を受けてる最中に何度も具合が悪くなってICUに運ばれてるからね…除細動ってしたことがありますか?突然倒れた時に「AEDを持ってきてください」と、ドラマなんかでも目にするけど…生身の体に使うことはできないので麻酔で眠らされて使う
ラッセル・L・ダーギン(RussellL.Durgin、1891年11月21日-1956年1月13日)戦前の日本におけるYMCA指導者。今日の青少年団体の礎を築いた。略歴1919年、YMCA同盟協力主事として来日し、1942年まで青少年運動に関わった。オリンピックのロサンゼルス大会(1932年)、ベルリン大会(1936年)には日本体協顧問として参加。1945年、GHQ民間情報教育局担当官として再来日、47年には日本人の参加がまだ不可能であったYMCA世界大会に日
先日の投稿に対してたくさんの方からメッセージ頂きご心配をおかけしました🙇♀️主人ですが、心臓カテーテルの手術を受け、本日無事に退院しました。1歩遅かったら大変なことになっていたようですがお陰様で想像以上に元気に退院できこの時代の医療に本当に感謝です🙇♀️ようやく自分自身を反省した様子(おそい)ラーメン部は自主退部してもらうことに🙂↔️🍜そんなものに入ってること自体どうなんですか🙂↔️なのですが。みなさまのあたたかいお気遣いメッセージ、本当にありがとうござい
10時間に及ぶ大手術が終了し、ICUに移動。術後の第一声はラジオ体操の話題でした。一晩明けるまで水分禁止。喉乾くわ、腹減るわ、慣れない環境で寝付くのは大変でした。時間が長く感じました。パニックが発生し、👩⚕️から👩へ翌朝早めに来てほしいと連絡。環境に馴染めなかったり不眠の心配があり、母が付き添いで入院することになりました。可愛いよね曲線要素多い顔立ちと忘れ鼻にバランスのいい唇にEライン。人中が短く、アイドルに多い顔立ち。
今日午後から父手術になりました。家族は電話待機です。18時すぎ、先生から、無事に終わりましたと連絡ありました。やはり今日はICUで、明日一般病棟に移動予定です。面会は明日ですね。
翌朝ひと足先に訪ねていた義姉②にICUの場所とベッド#を確認。夫は今まで何十回もここの病院のお世話になっていたのでICU、日帰り手術室、術後のリカバリー室、病室、各種検査室、透析ルームその他色々院内のほとんどを網羅していましたが今回は初めての場所です。ICUについてはこちらを参照↓『夜中にICUへ運ばれた義姉』胆嚢摘出手術が済んでこれで吐き気からも解放され食事も食べられるようになって元気になってくれるだろう!と思っていたら…真夜中に義姉はICUへ運ばれました。白血球…ame
ꕀ⋆先ずは粗筋からꕀ⋆先月の上旬に手術終了後ICUに移動されてから現代医学では発症した原因が解明されてない疾患を発症して長期間居ました本院からリハビリ病院に移り、入院する際に新たな担当医から疾患名を耳にして起こり得る要因から推察されることを考えて断片的な記憶も含めて、現在、どんな経過なのか書いてます混迷状態のときの記憶は当然、ありませんノイロトロピンを服用してから、今の自覚症状の程度に対してどれくらい一定の効果があるのか持続性を時間で観察してました2錠服用後
ICUに入って2日目面会時間に病室に入ると娘の体には昨日までなかった器具がつけられていました看護師さんが来て昨晩から自発呼吸をできなくなってしまったので人工呼吸器が必要になったと教えてくれました転院したもののやはり病状は今も明るい兆しは見えてこないこのままだと一緒に年を越すことすらできないかもしれないそう考えると胸が締め付けられる思いで娘の小さな指先を握りしめながら涙が止まらなくなりましたもし転院してICUに入っていなかったら、、、。その恐怖は計り知れません
我が家は理学療法士の多い家族息子と甥っ子、そして妹夫婦が理学療法士です理学療法士はリハビリをしてくれる先生実際リハビリを受けたのは今回が初めてでした1回目の手術が終わり、少し体を動かせる様になったら、すぐに来てくださり、手や足の様子を見て、2〜3日たつ頃には、ICUの中を散歩🚶初めの頃は、身体が傾いていましたが、徐々に治っていき、ICUを出る頃はスムーズに歩ける様になりました。一般病棟に移ってからは、体力の回復のため毎日何歩歩いてという課題をいただき、最後の方は5000歩と言われ、万
今日、父、入院しました。一般病棟大部屋です。明日、手術後はICUに入るそうです。手術無事に終わります様に。
乳がんになっても変わらず明るく元気で過ごせるように私が実践してよかった事とか感じたこと。これを読んだあなたも前向きな気持ちになれたらいいなと思って日々感じたことをつづります。このブログが少しでも今辛くて泣きそうなあなたの心を軽くできますように。今日も誰かの悲しい心をちょっとでも前向きにできたらいいな初めましての方は自己紹介も読んでね😉『ブログタイトルに込めた想いと自己紹介』はじめまして千葉県で料理の苦手な人のための料理教室SmileKitchen八千代中央とい
朝の回診後、日本人の先生が話に来てくれて、明日ステントを入れる事が決定しましと伝えてくれました。今朝は酸素が66まで下がって、急ぐ必要があると。苦しいのなら、早く処置して楽にしてあげたい。旦那も一緒に説明を聞き、その後仕事へ。一緒にいてほしい気持ちもあるけど、病院にいても暇だから。それでいい。すこしは母乳が出るようになってきて、注射器に貯められるようになった。私が家に帰っている間は、3時間おきに1本、看護師さんが子どもにあげてくれるので、夜中のぶん2本搾乳しておかないと。そうす
今回で未遂三回目。救急車で大学病院に運ばれました。そしてICUへ。救急車を呼ばなければ遂行出来たかもしれない。だけど苦しくて、辛くて、我慢できなかった。そして119番に電話していた。三回とも医師も看護師さんも、救急隊員も、たった一人の家族の息子にも責められた事ない。甘えている自分。二度としないと誓っても自信はない。もういい年なのに。ほっといてもお迎えが来そうな年齢なのに。何を考えているのか自分でも分からない。
こんばんは今日は朝から母が緊急搬送されてようやく夕方転院し、ICUに入院になり、重症ではないとの説明で少し一安心しました。精神的に疲れた一日でございました。母に関しては、やはり命をくれた親ですから、元気になっていってほしいですね。まだまだ孫の成長を楽しみにしてもらってほしいものです。今日も1日お疲れ様でした!おばあちゃん早く元気になってにゃーん!by猫一同あまっちゃん
入院した時にICUで上向で苦しくて寝れなかったことがあり、先週耳鼻科に行ったので無呼吸かもしれないと相談しました。このような機械を借りて、上向きで寝るようにしてどんな結果が出るか調べてみることになりました。結果、中度〜重度に近い無呼吸症候群だと判明。長い時は530秒息が止まっていたらしいです……恐ろしい耳鼻科での治療?対処法?としては、CPAPと言われました。ただ、今回は上向きで寝るように指示があったため、横向きで寝たら多分こんなに息が止まることはないと先生もおっしゃっていました。昼
遠山玲央の刀のアイデンティティの中央値は2次と4次を主戦場とする「懐剣1630(思想戦のアイテム:キャンセリング・データクラウド化・殺人剣」にあり、2005年に秋篠宮佳子の念話実体が壁越しに遠山玲央のスフィアにぶっ込んで来て未だ少し引っかかっている1次を主戦場とする「懐剣1840(戦闘戦術:上島事変で上島が化体し、上島正道を殺した事になっている。安西家の伝家の家宝)」は、20才までの遠山玲央が体得し使用していた戦闘戦術の残滓がこびり付いた外来のアイテムに過ぎない。少なくともこの2年間は日本人コ
病院のICUに入るには消毒と白衣の着用、さらにヘアキャップが必要でした普通病棟とは全く違う雰囲気昨日までいたのが普通の小児科病棟だったなんて信じられないくらいでした転院して初めて娘がいる病室に入ると大人用の大きなベッドに娘の小さな体手足には無数の点滴やコード管がつながれていて頭にはヘッドギアが装着されていました。娘は手足を動かすことも目を開けることも泣くことすらできない状態でした白くて小さな体に無数の針が刺さる痛々しい姿を目の当たりにするのは親として本当に
ICUの個室は特に大変な方のお部屋幸い個室が空いていて平場がいっぱいだったので一晩だけ甘えました私はパパっ子だったので父との思い出がたくさんあります。お陰様で一晩中父との思い出に浸ることができました翌日には平場に移していただき前回2週間もいたのでスタッフさんも全員顔見しり我が家に帰ってきた気持ちです。父のこともいつまでも引きずっていられないというより、私の中であまり実感がありませんでした。お葬式は無理でも、1日も早く残された母のところに行くためできることを頑張るし
T市にある国立行政法人の病院へ転院した日私の胸には期待と不安が入り混じっていた一つは「ここなら娘の命が助かるかもしれない」というかすかな希望そしてもう一つは「転院しても病状が変わらなかったら、どうしよう」という不安何度、検査で画像を撮っても一向によくなることはなく病状は悪化の一途こんな小さな体に何度も放射線を浴びさせているのに検査する以外本当に何もしてくれない病院だった医師からも娘の命が助かる要素はないという感じの内容の話と虐待を疑われるばかりそんな
久しぶりのLINE6日目、7日目は仕事の為、妻に会いに行くことはできず本人にも筆談でそのことを伝えました。スマホは渡していたので調子のよいときは返信をくれていました。いかんせんICUなので長い時間の通信はできないので、時間差での返信がくることがほとんどでした。本人より水分量が1000㏄から1500㏄に増えたと連絡がありました。とは言っても水分も看護師管理の下で摂取しているので、キンキンに冷えた水はあまりないようで「冷たいのが飲みたい」と何度も言っていました。私が見た限り近くに
ので、タイトルも変えようと思います。2年前、2022年の今日、舌癌の手術をした日です。2年前のこの時間はICUにいましたね。目覚めた時間とか覚えてないけど…11月17日から23日の午前中までICU。#ちなみに23日は私の誕生日(笑)今は普通に生活してるけど、大手術だったことには違いはない。首のリンパを切ったところの術跡は、もうわからないくらいだけど、舌の術跡や、舌の再建に使った左手首の傷は傷痕バッチリ。まぁ、とりあえず生きてます。ってか、この前の診察で
10月30日にマリンちゃんは健康診断を受けましたがその結果が送られてきました『愛猫マリン健康診断へ』30日、マリンちゃんの健康診断のために犬山動物病院へまずは・・・肥満を言われ・・・そうですよね。ほんと、ドテッドテッと歩いてますもん。めちゃくち…ameblo.jp今年からは、表紙に写真がすっごい嬉しいカメラ目線だし(ちょっと怒ってる)結果は・・・採血結果もレントゲンも歯の状態も問題なしただ、腹部のエコーでは・・・「右腎-十二
あれは5年前2019年11月29日でした。11月4日が私の誕生日ですから61歳になったばかりでした。まだ「英知進学塾」も「英龍会」もやっていましたので、現役バリバリだと自分では思っていました。その私が29日の深夜(塾が本業なので帰りはいつも遅かったのです)突如何の前触れもなく意識不明でぶっ倒れたそうです。今書くと恥ずかしい限りですが、何度も嘔吐しそれを自分が着ていたものでふいていたそうです。挙句に白目をむいて泡を吹き大小便を垂れ流しな
ICUで電話?それも手術後すぐ…その電話は旦那からの電話でした旦那】大丈夫か?私】大丈夫!前より平気(わざわざ心配して電話くれたんや😊)旦那】そっかよかった実はな…(私の)お父さんが今朝亡くなったんや私】え?旦那】明日お通屋で、明後日お葬式の予定やねん娘と息子と3人で行ってくるからその時は何も考えられずとりあえずよろしくお願いしますとしか言えませんでした病院が個室を用意してくださったことに感謝し看護師さんがお部屋を出る時に辛くて何か話したくなっ