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ICUで不安な一夜を過ごし、朝を迎えました。病院なので夜9時に消灯しましたが、当然ながらすぐに眠れるはずがなく、横になって心電図のモニターを眺めているより他にありません。眺めていても時間の進みは遅く、夜はとてつもなく長かったです。看護師さんが何度も巡回に来て、その度に目が覚めました。翌朝は8時に朝食が出て、これもほとんど食べられませんでした。自分の状況に頭がついていけず、全然お腹が空かないのです。前日のCT造影検査の結果、私の体には両足の下から太腿まで血栓(血の塊)が詰まってい
だんだんと麻酔が切れてきて意識もはっきりしてきました。私はICUにいました。手は拘束されてたし、口には人口呼吸器入って声は出せないし、両腕に点滴入ってるし、結局うとうとしてまた起きてを繰り返してました。でも、いろいろ記憶はあるし、手も足も動なーなんて思ってました。「痰がすごいなー。タバコだな、これ」と男性の看護師さんが言ってるのが聞こえて、「タバコ吸うよね?」と聞かれました。私は過去にも今も全く吸わないので首を振ったら、「あれ?吸わない?そっかー、、」と言ってる声が聞こえて、痰
とうとうこの日がきてしまいました飲み物の制限時間が決まってたから(4:30)どうしようかな?って思ったけど30分前に起きてくれてミルク飲み切ってくれましたオペ時間が長いので飲んでくれて安心寝る時は寝ながらニヤって笑ったりミルク飲みながら寝ぼけて👋🏻振ってくれたり可愛いオペまで体調も崩さず、検査もいっぱい頑張ったね大変な手術だけど乗り越えようねパパママもみーんな帰りを待ってるよママがついてるからね何にも心配しなくていいよ寝てる間に終わるからね痛かったら泣きなさい怖かったら
アレセンサ463日目2022年7月、肺がんと診断され、8月、肺腺癌ステージⅣ、リンパ節、骨、胸膜に転移ありと診断。胸腔ドレナージ手術で胸水を抜き、胸膜癒着術をして、8月末から、アレセンサで治療中です。☺️☺️☺️本日の不調口内炎、肌の乾燥、味覚障害、胸痛、頭痛、手術跡の痛み、腰痛。父ちゃんいなくて寂しい病。私の不調は、もう辛いなんて言えない。ごく軽いものです昨日は、父のお見舞いに行って来ましたICUの父との会話管いっぱい繋がれてねー鼻には転倒した際の大きな傷私の顔見るなり
手術前に「身体拘束への同意書」に署名した。また医療ケアの看護師さんから「せん妄」の説明を受けた。初めて聞く言葉だった。ICUなどで身体の自由が効かなかったり、不眠や不安を抱えたり、時間の感覚がなくなると、幻覚や妄想、見当識障害が生じて、暴言を吐いたり、体につながれた接続ライン、チューブを自己抜去したり、時には暴力行為に及ぶことがあるらしい。個人や程度に差はあるとはいえ、1~3割近くのICU患者さんにせん妄の症状が出てくるらしい。手術が終わって、ICUに運ばれて、まず感じたのはすごい騒音
ICUに入れる時間に合わせて支度してたら病院から電話📞10:30にICU出ますとのこと。マジですか?昨日12時間近いオペして終わったら9時過ぎててもう出る⁉️管も取れてお熱も下がったしおしゃべりもしてるってすごいよ〜ダッシュ💨で用意して両親に迎えにきてもらい病院へ到着したら部屋に移動するところだった首からの管のみで手の点滴もおしっこの管もはずれてたうっすら目を開けたけど目が重いのかうとうとまたお熱も上がって38℃、顔や手足のむくみも酷く目もぱんぱん二重が一重におしっこも
「mRNAワクチンは絶対に接種しないでください。未接種の方、シェディングにくれぐれも気をつけてください。」kazuchan-cocone@kazuchancoconeなんで3年も4年も前にやった研究の発表が今なんだよ…イランでさえワクチンに忖度するの?「2020年7月30日から2021年6月15日まで、イランのアフヴァーズのラジ・シーナ病院に入院した110人の患者を対象とした二重盲検ランダム化臨床試験アフヴァーズ・ジュンディシャープール医科大学の研究」引用JSat
癌を医師から告知された翌日。朝から検査もあって病院に入りっきり。まずは内視鏡から。病室に入れないのでエレベーターで降りてくるのを待つ。来たのを見て、ショックを受けた。車椅子に乗って、鼻には酸素吸入、腕には点滴をした姿に崩れそうになった。内視鏡室の椅子で待つ間、昨日の話と今の姿に現実を突きつけられた感じがした。内視鏡室から出てきて、ICUに向かうと話が出た。まさか、急変??と最悪の事態を想定した。たまたま、医師を見つけて聞いたところ部分麻酔が効かず内視鏡検査と病片取得ができないの
まだまだまだまだ2023.08.25ひと通り説明が終わったあと、ICUにいる旦那に、お義母さんと面会。何となく返事をしてくれるが、辛そう。この時、時間は15時くらい。面会時間は16時半まで。家に帰って入院準備をし、また病院に16時半では無理かでも、早く入院準備を、買い物もしなくちゃだし…。オムツ買わなきゃだし…。結局、使わなかったけど、オムツと尿とりパットが入院準備品の中に入っていた。旦那の面会もそこそこに、お義母さんの運転で、病院を後にした。用意しなきゃいけないもの
2016年2月17日当時のFacebook記事より。無事オペ終わりました。6時間かかる手術でした。玲よくがんばったー‼︎‼︎実際、開腹してみると肝臓にかなりの癒着をしていて、急遽、肝臓専門の先生も入ってのオペになりました。お腹も当初は大きく横に切るだけの予定でしたが、癒着を慎重に剥がすため縦にも切ることになりました。出血もひどく、輸血も大量に行ったため、オペ後、玲はICUに。小さな顔も体もたくさんの管に繋がれお腹には大きな傷。血圧も高く、お腹の管から続く出
手術当日ついに手術当日。この日がきてしまった。5:00ごろ看護師さんに浣腸してもらう。7:00ごろには歯磨きをして、ICUに持っていく荷物に最後歯ブラシを入れて、荷造り完了。7:30ごろH先生が顔を出してくれる。よろしくお願いします手術室への出発は9:00予定。まだ時間はあるが、することがない。落ち着かない…9:00お迎えにきた看護師さんと移動開始。点滴棒をガラガラ、自分で歩く。病棟の食堂に待機している夫に会う。食堂の入り口に立つワタシをパシャリ頑張ってくるよ「ピー
更新遅くて心配かけちゃってごめんなさい!コメントいっぱいありがとうございます!3日の夜に飽和度70台まで下がって超苦しくなっちゃって、気管挿管(人工呼吸器ってやつ)してICU行ってました。先生も看護師さんもいっぱいきて緊急事態ってかんじでまじ怖かった日曜日の夜ICU入って、5日後の金曜日HCU移って、今週の火曜日管抜いてようやく一般病棟の個室これた。家族と面会できたけど、皆んなめっちゃ泣いてた。普段冷静な兄ちゃんも泣いてた。心配かけてごめんね。ICUもHCUもまじで地獄だった。ICU
タイトルが仰々しいですが、牽制の意味もこめて。そして誤解のないようにお伝えすると主治医の先生や執刀医の先生、看護師さん達など多くの病院のスタッフさんへは感謝してもしきれないくらい、本当にお世話になっていて信頼もしています。出産に関してもこの病院にお世話になって本当に良かった、と思えるくらい、気持ちに寄り添って頂きました。なので、こういう事が起こってしまうのは残念でなりません。原因は「人」の問題と言うよりも、管理側の問題(体質、職場の雰囲気、チームワーク的な)だと思います。ミス②につい
==5月1日午後、予定通り、手術をしました==「緊急MVD(微小血管減圧術)」です。そして、5月4日午前に退院今は自宅で過ごしています。応援してくださった皆さま、本当にありがとうございましたおかげさまで、無事、終了しました動作によっては、痺れなどの違和感はあるのですが、酷い痛みは無くなりました複視や聴力低下なども、ありません以下、執刀医👨⚕️の所見です。・MRI画像の通り、2本の血管(動脈と静脈)が三叉神経にあたっていた・結構太い静脈が三叉神経に強く食い込
11時間の空白のあと苦しくて辛かった長い長い夜が明けました点滴の棒には自身につながる7本の管首と鎖骨上、耳の前と後ろ、肩、顎、大腿そのどれもが真っ赤で術後を実感足には機械が取り付けられ定期的にポンプで空気が送られていました廊下には朝食が運ばれる音当たり前だけれど私の部屋には来ないICUには入らなかったんだ自身で術後用にセットした病室を眺めるまだまだ体が辛いけれど、嗽が出来たら嬉しいなぁ・・・お腹もすいたような気がするやっと朝になった、ひと山越えたか
2020年2月3日O大学病院へ入院遠い為、術前にまだ受ける検査等あるので2日前入院です。医療支援歯科・デンタル撮影・麻酔科の受診・手術の説明等が有りました。手術については開胸下左肺部分切除←左と右どちらを先ににするか先生は最後まで悩んでいました。5日13:00〜19:00手術6時間位(15個)〜20:00ICU(面会)←既に吐き気6日〜10:20ICU6日〜
どうしようもなくなって泌尿器科に駆け込み、採血された翌日の夕方。検査結果を聞きに、また泌尿器科に行った。開口一番、「即、入院してください!」検査の結果、HbA1cが約15、随時血糖値が700以上というとんでもない数字となっていたのだ。ヤバいことになってるんだろうなという意識はあったが、なんとまぁ、ここまでとは…とにかく、泌尿器科に行ったのは排尿障害のせいなので、この日、まずは1日で溜まった尿を導尿で出した後、バルーンカテーテルを留置された。そして、近くで開業し
『私の感情とパパの憤り』『救急車の中で辛くなる心』『ICU緊急搬送』『悪化していく中で』『生き地獄』『気持ちの問題…?』『不安な緊急入院』『娘と友達』入院していた娘の大部屋は歳の近い…ameblo.jp前回の記事しばらく待っていると、ICUの扉が開き主治医の先生が来ました。ICUの中に別室があり、そこに案内されました。主治医の先生はこれからの治療方針を説明しました。「娘さんは閉塞性細気管支炎の急性増悪です。ネーザルハイフローで症状が落ち着いたら、ステロイドパルスをします。」ステロイ
記録。10日4時下血したとLINEがくる。下血はよくあることだった。11時洗腸の処置後、嘔吐、失神。黒いゼリー状の下血。目の前がぐらつく。トイレも歩行困難となっていき観察室移動。18時集中治療室(ICU)移動。目の前が突然光を当てられたように真っ白になりパニックを起こす。本人からLINE。病院から着信。仕事中で出られなかった。20時退勤して病院に電話。多量出血によるヘモグロビン低下。元々悪化していた心臓への負担増。循環機能低下。
今日は、私の母の話をしようと思います。題名の通り、成人T細胞白血病リンパ腫で約1年と半年の闘病生活でした56歳という若さで亡くなりました。今から約8年前。。その時はいきなりだった。母(時子なのでとっきー)がいきなりバターーんと凄い勢いでリビングに入ってきた。※2世帯で上下階の同居ここ触って!!と、母は慌てた様子で首の耳の下らへんをやたら触れと言ってきた。あ。凄く大きなしこり。やばいかも。。母はすぐ東京にあるT病院へ。実は私の妹が大学生の頃、病院実習の血液検査でわかった事が
いつもほんとにありがとうございますやっとやっとステロイドの効果出てきて体調上向きになってきました!首あげたりちょっと体勢変えるのはできるようになった。声の掠れも良くなってきた。まだ自力で座れないけど、やっと前に進めそうな気がする。長かった…。まじで辛かった。緊急入院からのICUとHCUで気持ちが追いつかなかったのとかステロイドの副作用が大きいけど、ほんとにメンタル壊れてた。急に寂しくなったり生きるの辛くなって大泣きしたり散々だった。頑張っても頑張っても良くならなくて、全部怖く
私は、浣腸を待っていた。手術の日の朝である。そわそわしていた。あの羞恥プレイも13年ぶりである。あれっ…でもその前に既に若干の便意があるんですけど…早くしてくれないかな。「三島さ~ん、お通じありましたか?」永野芽郁によく似た若くて可愛らしい看護師がカーテンを開ける。「えっと、浣腸は…」「…えっ」「…えっ」しばしの沈黙。「前は壁に手をついてお尻を突き出…あの、浣腸はしないんですか」看護師がフフっと含み笑いをする。「ああ、今はやらないんですよ。そのための下剤です。トイレまだです
頭蓋骨頸椎固定術の父の前回の記録はこちらから初めてアメトピに選んでいただきました。びっくりです。ありがとうございました。『手術中の待合室、シビアな命の選択の話』頭蓋骨頸椎固定手術の87歳父の前回の記録はこちら『87歳父、手術直前に気胸見つかる、アスベストが頭をよぎる』87歳入院中の父の前回の記録はこちらから『…ameblo.jp87歳父の手術、予定時間が過ぎても終わらず。頭蓋骨頸椎固定術の父の手術は、
2024年5月18日(土)18:00〜長野県須坂市にあるゲストハウス蔵にて、「いのち」のシェア会を開催します。長野県の蔵の街須坂市にある素敵なゲストハウス蔵https://www.ghkura.com/16才の時に、バイクで事故り、左手首と左大腿骨の複雑骨折で、2ヶ月の入院。22才の時に、車に轢かれて、右上腕と右足くるぶしの複雑骨折で、2ヶ月の入院。43才の時に、クモ膜下出血でICUに3日間と約3週間の入院。と、たぶん普通の人より多く死にかけた人生を送っていると思います。一般的に
こんにちは、ミーです術後1年を目前にし、現実から目を背けずに記事を進め「今現在をリアルタイムでアップしなくては!!」の状態の私話を進めます!ICUでの一晩は、怖くてたまらなかったです。ICUの看護師さんは「天使」と思ったほど優しい分だけ、人が見えない不安と恐怖心を始めて感じました。途中で真剣に怖くなり、近くに人の気配を感じたときに、出ない声を必死で出して看護師さんを呼びました。気付いた看護師さんが駆けつけてくれました。「コワイ」と出ない声で伝えたところ、ナースコールをいつでも押せる
日にちと時間の感覚がなく、疲れた寝たいと思って時間を聞いたら昼だったり。首も少し切ってカテーテルを入れた。何をするのかわからない。どのくらい切るの?どのくらい痛いの?大変なの?どんな形なの?何もわからないまま聞けないまま進行することが一番怖かった。我慢できないほどの痛みではなくでも縫われる感覚はわかった。そこからでているチューブは4股くらいに分かれ色々な投薬が絶えずされていた。手首にも大事な1本が入っている。人工呼吸器のために話せず筆
おはようございますベビちゃんは生後53日目になりやっと3000g超えました!!小さくてもおっぱいを一生懸命に飲んでる姿が愛おしいです今回は帝王切開術から約20時間後に目覚めた日のことを書きます!前回の内容は↓『全前置胎盤の帝王切開術〜手術中の記憶〜』こんにちは前回の続きを書きます。『帝王切開術の直前までのこと〜入院3日目〜』こんばんはベビちゃんと過ごし始めて初投稿になりますベビちゃんは生後48日目でやっ…ameblo.jp帝王切開中に全身麻酔になると言われて薬を吸入したの
忘れたくないので記憶が鮮明なうちに夫の最期の日の事を書いておこうと思います11月13日月曜日夜11時前私のスマホが鳴りましたその時は丁度私がお風呂から上がり、母と2人で息子の夜最後の注入を準備している所でしたスマホの画面を見た瞬間、嫌な予感がしました病院からでした電話に出ると循環器の先生からで、「血圧が下がって来ています。これから病院に来られますか?」「奥様が病院に向かわれている途中に亡くなる事も考えられる状況です」全身の血の気が引いていくのを感じました「今からいきます」
一晩明けて、、、いや明けない寝れない痛すぎる‼️麻酔が切れてから、もう地獄喉はカラカラ身動き出来ない酸素マスクうざい左大腿部痛い右の顔パンパンで腫れまくり一言なんじゃこりゃー‼️はい、手術完全になめてました。ドレーンの管がコメカミと喉に刺さっているし皮弁チェックは2時間おきだし左大腿部は痛いし😣身動き出来ない、仰向けの状態そして右手には麻酔プッシュ左手にはナースコールなんとも言えないバンザイの状態ICUだからかナース室は近く電気はつきっぱなしだからか眩しい
朝9時からの手術でした後方固定術という術式で、10時間に及ぶ大手術だったそうです医師、看護師さん、立ちっぱなし昼食なしで頑張ってくれたかと思うと頭が下がります本当にありがとうございました無事に手術が終わりました。手術室で麻酔科医と話をして、言われるがままにしてたら、目覚めたらICUにいました。勝手に手術は終わったらしいめちゃくちゃ唇が乾燥しており、喉が乾いて、でも酸素マスクなど装着されて目がぼんやり見えるだけでした。何かしゃべりたかったけど声が出ませんでした。喉が乾いたばっかり