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4/18(木)9時少し笑って「どうせ寝てるだけで終わるんだから〜」と言って手術室へ入っていった旦那主治医からは早くて夕方だけど2〜3時間のびることもあるので自宅が近いなら自宅で待っていていいとなので家で待っていた17時頃には今にも病院から電話がくるかもとソワソワ19時過ぎ病院から電話がきた「すみません。まだ終わってません。もうしばらくかかります。」不安で落ち着かない外は雨が降ってる21時40分病院からもうすぐ終わりますと電話ダッシュで病院に向かう真っ暗で雨
抗がん剤を3コース終わった頃の腫瘍マーカーCA125は13でした。上限値は35なのでかなり効いていることが判明。しかし手術は予定通り。手術の2日前に入院しました。入院当日は血液検査、おへその掃除、血圧測定ICUの説明、20時に下剤最初の食事はランチ低残渣食だそうです。手術前日は婦人科と麻酔科の診察、恥骨あたりの除毛、ICUの持ち物チェック、20時下剤とガス出す薬服用。食事が注腸食というメニューに変わり、朝はお粥と味噌汁。昼、夕、昼と夕の間にカロリーメイトみたいなバ
おもち生後9m9dお陰様でおもちくん、胃ろう手術が無事に終わりました〜当日の昨日は、朝8時半に手術室へ運ばれていき13〜14時には終了連絡があるはずだったのですが14時を過ぎてもまだ連絡はなくまぁ手術時間が押す事なんてあるあるだよね、、と思っていつつも気持ちはそわそわそわそわ朝からずっと一人で待ち続けていたのもあって1秒1秒が本当に長く感じました14:30を回って、これはこちらから問い合わせてもいいものなのか、、どうしたものか、、、と考えを巡らせながら無意味に院内を散策し
ICUにて3日が経ちました。10時くらいから背中やお腹など1つずつ管が外され残りは尿管と手(腕かも)の点滴のみ。ベッドに寝たままレントゲンを撮りました。看護師さんがカラダを拭いてくれるのですが、その日は若い男性看護師さんでした。恥ずかしいというよりも、おばさんでごめんなさいって感じ。慣れているとはいえ下半身はちょっと、と思っていたら、女性の看護師さんにいつのまにかチェンジ。「さぁ、歩いてみましょうか」きたきた、歩く練習。男性看護師さんです。「帽子被りましょうか」おっ、この気
ご訪問くださりありがとうございます昨日は大急ぎでブログ更新してしまったので注意喚起出来ませんでした。痺れが出たらすぐに病院!!痺れは異常事態です。(正座等原因がわかるものは除く)速やかに病院に行ってください。行ってみて何ともなかったなら安心出来てよかったと思ってください。痺れはあっという間に広がってしまいます。動けなくなる前に、気付いたらすぐに病院に行ってください。昨日と今日の出来事を忘れないうちにですね。前回のブログ投稿後すぐに手術室に向かいました。手
う〜ん柔らかいエネルギーの4月末です。こんなエネルギーの中で生きていける。やっと人類にとって「心地いい」が具現化しやすい世界線になって来たのではないでしょうか。そんな中一昨日の午後、とある若者がこの世から去ろうとしていました。「息子が死ぬかもしれない」と物凄い勢いでその子のお母様より連絡が入りました。その連絡を受けて彼にリンクしてみると、ほぼ身体の中から意識はなくもう本当にギリギリのラインにいらっしゃいました。救急搬送された病院ではICUで電気ショックを2回もするくらいの
ICU(쉬어가도돼/休んでもいいよ)『Girls-The2ndMiniAlbum』aespa作詞・ペ・ヘジン(153/Joombas)作曲・RyanS.Jhun,JoshCumbee,NishaAsnaniIseeyouIseeyouのいゆおプしうんくりごしっぷん너이유없이웅크리고싶은理由もなくしゃがみこみたいくろルってんねげきでどでぇ그럴땐내게기대도돼そんな時は私に寄りかか
昨日はコロナもう治ったなとか思ってたら夜中はまた熱38度に朝にはすっかり平熱。隔離生活による暇の為手術の事を引き続き思い出しながら書こう手術の翌日病院からは特に連絡もなくコロナ禍真っ只中のこの時期、会いに行くこともできずひたすら祈りながら自宅待機とは言っても、手術は成功したんだという安心感がありました手術から2日後主治医から電話がありました。安心していた私はのんきに明るい声で手術のお礼を言いました。反して先生の神妙な声のトーンに一気にイヤな予感がしました旦那の体調が
こんな事ってあるんでしょうか。医療現場や介護の場では普通なんでしょうか。手術日の翌日です。息苦しさと痰の絡みと格闘しながら、長ーい時間であるかのような感覚の中で何とか、ようやく私は朝を迎えてホッとしていました。それでもその間も体の倦怠感や疲労感、麻酔とか痛み止めの作用なのか、ずっとボーッとした感覚でした。ですが突如、このボーッと感からギャー‼️ッッッッッッうっそーーーー!!!という出来事に直面するのです。まだまだ自分の身体は自力で動かせない状態でしたし、夜中に何度も発熱を繰
気そらせるために将来のこととか書いてたけど、ついこの前ICUから出てきたところで。今は体調落ち着いてるから大丈夫だけど、動けないからちょい辛い。ご飯も鼻からのだし、尿カテでトイレ行けないし、腕と股関節(?)のところからなんちゃらカテーテル入ってるし、酸素もマスクだし、まじでありとあらゆるところからチューブ付いてて怖い。寝返りすらできないし、まじで看護師さんいないとなんもできない。早く普通に戻りたいよーゴールデンウィーク兄ちゃんと出かける予定だったのに。美味しいものいっぱい食べまくる予
みなさん、こんにちは。入院生活にいつ戻らなければならないのかとドキドキしている僕です。さて、ICUにて看護師さん達と意思疎通が出来ない僕ですが、どうしても伝えたい時、そのどうしても伝えたい強い気持ちと、分かってあげたいという強い気持ちがある時、奇跡的に伝わる事がある事を知りました。伝わった時、涙が出ました。涙が出るほどに嬉しいとかではなく、本当に涙しました。何を伝えたかったかといえば、いつ口の中に入ってる物が抜管してもらえるのかという事。いつまで経ってもこの話なのですが、それ程に辛か
全く招かざる者1日目の夜にERからICUに移されたライアン。本当に私のブログはERとICUの写真が多いわ私は夜の12時過ぎに一旦家に戻って、翌朝8時頃に病院へ戻った。↑夜の病院の駐車場からは爪先のように細く茶色の月が見えた。でね・・・8時半ごろからICUドクターの回診が始まって、ライアンの病室にもドクターと看護師が2人入って来たのね。そしてドクターが話し始めたと同時くらいに、こんなのが病室に入ってきた
ICUで過ごして、8日目くらいからでしょうか。頭が痛いなりにも、電気をつけて過ごせる様になってきました。氷枕と氷嚢は必須で、頭痛が酷くなってきたら当てて、タオルを目に置いて寝て過ごします。頭痛を我慢するため汗がじんわりと出て、設定温度を下ると身体が冷えて寒くてたまりません。この頃から、部屋の温度も暑いのかも。、。と思えてたりする様になってきました。毎日、夜中の2時か3時頃、点滴のブザーがなり、点滴の交換をしてくれます。脳血管の攣縮を予防する為に点滴をずっと入れます。そのタイミングで
息子が不登校になってスクールカウンセラーや医師、精神福祉士、保健師、市区町村の相談員と沢山の人と話をしてきました。そのたびに全く心に響かないと思いました。自分よりも若い人にはその若さではわからないだろうなと思うし(偏見です)医師やベテランの人でも表面だけのアドバイスだな不登校の子と住んでいない人にはわからないでしょうと思ってしまいます。私はひねくれています。その自覚はありますが聞く耳を持てる時もあります。それは自分と同じかそれ以上の苦難を生きている人。と死に
昨日の仕事も嵐のように忙しかったので、今朝は嵐の翌日の難破船の船員の翌日の状態って感じでした。(一体どんな感じ?笑)でも週一で参加できる無料5Kのパークランがあるので走ってきました〜。ゆっくりジョグでアップしながら行ってスタート!今日はゆっくりジョグの日だったけど、競争大好きの私には無理。がんばったわ〜!私なりに飛ばしました。ランニンググループ仲間もいて楽しかった。すごく速い人だけどついていけて嬉しかった。いつもひとりで走ってるけどたまには速い人たちと走ると良い練習になりますね!1K
あれやこれやありあちこち削られ凸凹形態となり2年遅れで新社屋、完成するも建築士に続きワンマン社長までもが失踪したそうです。えっw元々ワンマン社長はフィリピンによく遊びに飛んでらしたので✈「保険金〇人🔫に遭ったんじゃ?」などと噂するも10日以上、行方知れず。そして原因判明@「コロナ感染→重篤化してICU行き🏥」だったそうです。もしかして失踪建築士もコロナだったのかな?※だからと言って建築基準
本日の様子。先生から昨日連絡があった通り、ゆっくり鎮静具合を緩めているようで声をかければ、目を開けるし、文字盤や筆談で会話もできてる、とICUの看護師さんからも連絡あり。「パニックにはなっていない。」とのこと。暴れたり、泣いたりはしていない様子に安心した。今日、CTを撮ったところ、8日に真っ白になっていた移植肺は影も薄くなり、肺炎は、良くなってきてる、と。ただ、拒絶っぽい影が出てきてるので、今日から中止していた薬(セルセプト)開始するらしい。今日は、たっ
手術中は、和室のような待合部屋に通され、義両親も到着して、そこで待っていました。すると、警察が…。こんな状況なのに、調書のためにいつ来れますか?と言われて、まだ何もわからない状況なのでお引き取りいただきたい旨を言いましたがました、4回くらい来ました。義両親は私に怒鳴り散らし、「なんでこんなことになったん?」「どうなってるん?」そんなん、こっちが聞きたいわ。と言いたい気持ちを抑えて、黙って我慢していました。何時間経ったのか、今となっては思い出せないのですが、看護師さんが「手術、終わりました
改めてになりますが、私が今回入院して感じたことを。今回は、月イチの診察日の血液検査(採血)で、データが悪く、緊急を要する値が出ました。24時間以内は絶対安静。その後、何も無ければそれはそれで良し。前回みたいに「荷物取りに帰る」も❌EICUへの即入院でした。飲み物ひとつ、買いに行くことが許されない、医療者は緊迫した感じ。そんな中、私本人には自覚少女もなかったため、めちゃくちゃノンキな事を言うてました。で、EICUにいる間は、病院で購入出来るセットで過ごしていましたし、そもそも
前日に引き続き寝ているだけですが水を飲んでもいいとOKが出たので早速看護師さんが氷入りの冷たいお水を用意してくれて、ストローで飲みました水道のお水がこんなに美味しいと感じたのはこれが初めてかもしれません。大量の痛み止めを使っている事や、術後で体が本能的に睡眠を要求していた事もありますが、寝ても寝ても眠い。薄らと目を開けてみるもすぐに閉じてしまう。寝ているところ誰かが私の名前を呼び起こそうとします…誰かと思ったらICU担当のリハビリの方でした。早速起きてみましょう!と言わ
2024.4.12私に残された治療法があるのか、無いんだろうなと思っていたら、提案された『ハラヴェン』今日から投与。すでに、あちこち転移した影響なのか、背中や胸の痛み、頭痛もある。転移のスピードがとても早い。そんなに急がなくてもいいのに。自覚症状が出てからおよそ1年で、あらゆる事が身の上に起こりすぎた。術前抗がん剤で使った薬剤の副作用で、I三途の川が見えそうなのを、Uターンして帰ってきた。でも、その間にどんどん進行していき、あちこちに遠隔転移している。なかなか
看護士さんと手術室へ向かった。待合いに3名、次々と中へ入って行った。私は最後で、担当の先生でなく別の先生らしき方2名と看護士さんらしき方に連れられて部屋に入った。狭い手術台に寝転んで背中を丸めて、皆さんのブログで見てわかってた痛み止めの管を入れた。そこから記憶がない。とにかく無事に手術ができますようにと心の中で願った。起こされてまず聞いたのが「今何時ですか?」「今·····13時30分かな、とりあえず後で説明するから聞いてね」終わった、手術出来なかったんだと絶望した。ICUに運
前回記事皇位継承皇室の長い歴史を知るとその続いてきた歴史こそが宝であると知ることができる皇室の歴史の前には学歴など必要ないしかし、国民が望むなら、それに応えようとするのが皇室「天皇家には受験勉強だの学歴自慢だのしてほしくないんだよね」「開かれた皇室はいらない」これにつきます10年ほど前はよくネット情報を見ていました男系支持者は東宮家(当時)を罵倒女系支持者は秋篠宮家を罵倒ひどいものでした私自身は男系男子派ですが、見てい
こんばんは、こーちゃんです。★4月18日~4月20日手術に向けて簡単な検査や説明、体力維持のためのリハビリがありましたが、基本的には暇な数日間でした。この期間は妻とよく通話して、その日あったことを話たりしました。ただ、妻もこの期間はまともに寝れてないようで、精神的にもかなり滅入ってました。。。不安や不満はたくさんありましたが、お互いで励ましあいました僕は声を聞けるだけで元気になりましたリハビリの先生に言われたのですが、動けるときにどれだけ体力をつけてい
【2017年10月7日/ICU入院当日】1日だけ入院した消化器内科の病院で朝一でCT検査を受けました。検査が終わってすぐ「今すぐ家族を呼んで」という看護師さんの声に血の気が引く。医師からは胸水と腹水がかなり溜まっていている事と、この病院では治療が出来ない為、大学病院へこのまま転院する事を伝えられ紹介状を書いてもらいそのまま大学病院へ。激混みだった大学病院でもすぐに検査が始まり最終的に医師から言われたのは「心不全です」という一言でした。先生、真顔で驚くほどあっさり言
入院生活44日目ICUから脱出して20日目やっと咳もほぼほぼ収まってきました🙂酸素の方はまだ少し90を切ってしまいますが、それもあと少しで改善してくれたら退院が見えてきます😆次は移植に向けての準備なんとか6月の移植まで寛解を維持しないといけませんもし寛解が維持できなくて移植が出来なければ…ここは先生もはっきりとは教えてくれませんでした無治療の白血病はどうなってしまうんでしょうね…どんな最期になるのか怖すぎて考えたくないけど、でも少しでも長く子供達、家族と一緒に過ごしたいだか
子宮全摘卵巣及び卵管切除手術は無事終わった麻酔科の先生もよかったねと声を掛けてくれた先生が旦那さんが凄く心配していたよと言っていた3時間45分大手術じゃん!!これは次の日旦那に電話できいたのだが、、輸血3リットル取り出したもの6キロ手術後旦那は私に会いたいと言ったがダメと言われ恐ろしい画像を見せられ、、長い時間一人で待たされ、、失意の中ショックすぎて家まで1時間以上よろよろ歩いて帰ったそうコロナ禍だから?先生あんまりじゃありませんか私は何も
今日、とうとう息子から連絡がきました息子『この2日間パパと連絡が取れへんねん、ラインの既読すらつかんねん。』とても心配した様子でした。もし息子がリオ母に連絡したら私達に伝えてあることを知るかもしれないので「なんで知ってて言ってくれへんかったん」ってなる前に元夫が救急搬送された事を伝えることにしました。息子がケガした日と同じ日にパパ救急搬送されてん息子『え?待って…どーゆーこと?』なんか心臓の病気みたいパパのお母さんから電話があった。息子『この前まであんなに元気
忘れたくないので記憶が鮮明なうちに夫の最期の日の事を書いておこうと思います11月13日月曜日夜11時前私のスマホが鳴りましたその時は丁度私がお風呂から上がり、母と2人で息子の夜最後の注入を準備している所でしたスマホの画面を見た瞬間、嫌な予感がしました病院からでした電話に出ると循環器の先生からで、「血圧が下がって来ています。これから病院に来られますか?」「奥様が病院に向かわれている途中に亡くなる事も考えられる状況です」全身の血の気が引いていくのを感じました「今からいきます」
ハラヴェン2回目の投与日...血液検査の結果次第で、できるかできないか決まるけど、毎回この緊張感を味わうのかなーと。今までの抗がん剤治療も、そうやってきたけど、今回のハラヴェンは、骨髄抑制がおもな副作用。感染症に気をつける...と言っても、もうなるようにしかならない。なんとかギリギリ、投与できる事になり、ホッとして。化学療法室に入ると、若い女性が看護師さんと盛り上がりながら点滴をしていた。楽しそう。いや、きっといろんな思いを胸の内に秘めてるだろうけど。私も、久しぶりの化学療法室で、