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こんにちは無事に手術が終わりましたパチパチ約3時間の手術だったらしいです遡って書くことになりますが、手術当日のお話となります、よろしくお願いします追記わたしは今回、脳の下垂体というところに嚢胞ができたということで、内視鏡下経鼻的腫瘍摘出術を受けました!(図は下垂体腺腫ですが、同じ手術方法です)経鼻的というのは、脳の手術でありながら開頭手術を行うのではなく、鼻奥から穴を開けて粘膜と骨を切開して行き、脳に到達し腫瘍摘出するというものです開頭手術よりも身体に負担なく早く回復する
手術後。「コトムさん、終わったよ」と主治医に肩を叩かれ目覚める。と、同時に電話を夫に繋いでくれていた先生が耳に電話を当ててくれた。まだ、何が何だかわからないけど、手術が終わったんだ、ということだけは認識し、ごしゃごしゃ何かを言った後(自分でもよく覚えていない)に「夫さん、手術終わったよ~。ありがとうね。」と伝えたことだけは覚えている。主治医から夫に「思ったより早く済みました。取れる箇所は全部取ってほにゃらら~」という説明が聞こえたので、そうか、少し早めに終わったんだということを理解し、その
お疲れ様です。令和5年5月の61歳の誕生日に大腸癌の腹腔鏡手術をして、12月20日にゼロックス療法8クール(抗がん剤)を終え、5年間の経過観察中の定年退職おじさんです😅抗がん剤後5ヶ月の副作用❌足裏のジャリジャリ❌手指の乾燥❌左手親指の腱鞘炎来週の癌の診察のあと、親指の付け根にブスッとステロイド注射してもらお😱▲左目の目尻から涙❌人差し指の関節痛………🐱ということで、今日は、昨年の大腸がん腹腔鏡手術からちょうど1年となりました👏
久しぶりのブログです。昨日5月24日無事、脳動脈瘤開頭手術終わりました。4月17日から脳動脈瘤破裂リスクがある為、自宅療養生活が始まる。車の運転も危険を伴うので❌先生からは筋トレ(腹筋や腕立て伏せ)も❌見た目元気なのに頭に爆弾抱えながらの生活。もぉね…手術まで1ヶ月長かった、、不安との戦い。旦那仕事休んでるけど私まで仕事休むわけに行かない。パートなので大した収入じゃないけどでも一人で家に放っておくのも心配。なので私が仕事行ってる間は1時間おきの安否確認。玄関のドアは鍵を
アレセンサ463日目2022年7月、肺がんと診断され、8月、肺腺癌ステージⅣ、リンパ節、骨、胸膜に転移ありと診断。胸腔ドレナージ手術で胸水を抜き、胸膜癒着術をして、8月末から、アレセンサで治療中です。☺️☺️☺️本日の不調口内炎、肌の乾燥、味覚障害、胸痛、頭痛、手術跡の痛み、腰痛。父ちゃんいなくて寂しい病。私の不調は、もう辛いなんて言えない。ごく軽いものです昨日は、父のお見舞いに行って来ましたICUの父との会話管いっぱい繋がれてねー鼻には転倒した際の大きな傷私の顔見るなり
第8話を見終えました花束さてお話は祐希(矢本悠馬)に放火容疑も浩一郎(仲村トオル)に再就職先を紹介して貰っただけとリストラ候補真樹(亀梨和也:KAT-TUN)や奏(石原さとみ)の父親のことを気にしていた再就職先の協力すると言うも連絡は無く放火の日自宅を訪問も来客中で会えず再訪問そんな時に火災🏡男性に疑われそうになり咄嗟に逃げた先で真樹と出くわし逃走再就職先の面接に妻:知美(宮澤エマ)の歓喜もあり言えずだが祐希も真樹も潔白の証拠は無く浩一
いつもほんとにありがとうございますやっとやっとステロイドの効果出てきて体調上向きになってきました!首あげたりちょっと体勢変えるのはできるようになった。声の掠れも良くなってきた。まだ自力で座れないけど、やっと前に進めそうな気がする。長かった…。まじで辛かった。緊急入院からのICUとHCUで気持ちが追いつかなかったのとかステロイドの副作用が大きいけど、ほんとにメンタル壊れてた。急に寂しくなったり生きるの辛くなって大泣きしたり散々だった。頑張っても頑張っても良くならなくて、全部怖く
ICUにて3日が経ちました。10時くらいから背中やお腹など1つずつ管が外され残りは尿管と手(腕かも)の点滴のみ。ベッドに寝たままレントゲンを撮りました。看護師さんがカラダを拭いてくれるのですが、その日は若い男性看護師さんでした。恥ずかしいというよりも、おばさんでごめんなさいって感じ。慣れているとはいえ下半身はちょっと、と思っていたら、女性の看護師さんにいつのまにかチェンジ。「さぁ、歩いてみましょうか」きたきた、歩く練習。男性看護師さんです。「帽子被りましょうか」おっ、この気
先日尊敬する私より10歳以上年上の会社の元上司から突然のLINE「くも膜下出血になったら何日位ICUに入る」と…どうやら遠方に住む娘さんがくも膜下出血になったと連絡をあり私の様にICUに長期入院される事を想定しての内容でしたがそのあと数日後に手術の甲斐なく40歳の若さで天国に召されてしまいました「子供が親より先に亡くなる程親不孝はない」と言われてますがその元上司と用事があり数日前に会う事に突然の事や色々な諸事情があり元上司の悲しみは深くなんて声を
2020年に52歳で、食道癌で亡くなった主人と家族のリアルな記録です。当時の日記を元に、主人が最期まで闘い抜いた事を残したいと思いました。お読み頂けたら嬉しいです。なるさん(主人)会社員私パートたろう(息子)高校生・ラグビー部ことり(娘)小学生『手術が始まる』2020年に52歳で、食道癌で亡くなった主人と家族のリアルな記録です。当時の日記を元に、主人が最期まで闘い抜いた事を残したいと思いました。お読み頂けた…ameblo.jp『祈り待ち続ける家族たち』2020年に52
「うん、わかった。」そう答えた。こちらから何かを言ってもあまりわからないのかもしれない。そんな気がした。翌日、健康保険証を持っていく。総合受付へ。このあたりの記憶があいまい。この後、確かICUに行って主人とモニター面会した。タブレットで話す。何を話しただろう。仕事の話だった気がする。呂律がぜんぜん回ってなくて。それでも顔を見たら安心して。泣けてきた。会話ができることが嬉しかった。
今日はWeb面会の日。開始時間を仕事の休憩時間に合わせたけどなかなか休憩入れずヤキモキ…やっと休憩入って席に着いた途端、着信ありギリギリセーフ!呼吸を整えて、寝ている息子に声をかけるとしっかりと目を開け私の声を聞ききってる感じだった未だにWeb面会慣れなくて…しかも、息子は返事してくれないから一方的に話しかけるだけで寂しいし、ナースに聞かれてると思うと話題選んじゃうし…息子はホントとても優しい子で、私のくだらない話や仕事の愚痴を笑いながらいつも聞いてくれてた。赤ちゃんの頃は人見知り
今朝は一応株価をチェック。朝、商船三井が200円以上上げてたので指値で売り注文だしたけど、売れませんでしたお昼には義実家に電話してみました。義父が90歳になったのでお祝いの言葉と義母が今体調が悪いので様子を聞いてみました。痛みが強い日は眠れないこともあるそうで不安でいっぱいのようですが気丈にお話してくださいました実母の様子も気になったので妹にLINEしてたらお昼休み少し時間取って電話くれました。今日
かなり近しい人が三大疾病になり手術することになりました。かなり初期段階だというものの、リンパもカットするような話も聞きましたが、専門家じゃないので正直ちょっと不明😨病院は私が12年半前、ICUに運び込まれた埼玉の某総合病院とのこと。手術が成功しても5年は経過観察が必要だと聞いていますし、大変です。タバコ、止められる人は止めた方がいいような・・・気がします。
夫の入院中わたしと息子は実家でお世話になっていました。2019年1月始め、あまり風邪も引かない健康な父が突然熱を出しました。すぐ治るからと言って病院へはいかず(病院嫌いでして)朝少し回復し夕方になると熱があがる。インフルエンザも流行っていたから風邪をもらっただけだと軽くみていたのが間違いでした体調が悪くなってから2日ほどたった夜、父が布団の中で「イタタタ…イタタタ…」とお腹の痛みに苦しんでいる声が聞こえました。ただごとじゃない様子に同居している姉を呼び状況を説明し私は子供が小さいので姉
ICU(쉬어가도돼/休んでもいいよ)『Girls-The2ndMiniAlbum』aespa作詞・ペ・ヘジン(153/Joombas)作曲・RyanS.Jhun,JoshCumbee,NishaAsnaniIseeyouIseeyouのいゆおプしうんくりごしっぷん너이유없이웅크리고싶은理由もなくしゃがみこみたいくろルってんねげきでどでぇ그럴땐내게기대도돼そんな時は私に寄りかか
胃がん術後半年が経ちました。ブログ初心者です。時間がある時に少しずつ綴って行きたいと思いますので、よろしくお願いします。2021.10.7手術当日、朝6時ナースステーションに点滴ラインを取りに。「これは最後まで繋がってるから、仲良く可愛がってね。」と言われて厳重に固定されましたが、無惨にもオペ室ナースに「これ、ダメ」とあっさり抜かれました。渋滞で遅刻の主人にはオペ室前で一瞬だけ、会えました。名前と手術する臓器を聞かれました。「胃です」取り違え防止かしら??手術室には麻酔科の先生が
2017年10月20日(金)このあたりから記憶と日付の感覚がはっきりあります。ICUに入り13日目状況は悪化していました。【心臓補助開始】心臓の動きを補助する機械(大動脈内バルーンパンピング)を右足の付け根から入れました。バルーンパンピングは足の付け根から直接心臓に伸び、心臓のポンプ機能の手助けをしてくれます。この頃強心剤は2種類(ドブタミン、ミルリノン)まで増えていました。しかし心臓の動きが良くなることはなく、それどころか更に悪化していたのです。朝から何度もエコーを当て
こんばんは。まゆです。あれやこれやようやく落ち着いたので記憶しているうちに記録します。2/249:00くらいに手術室へ。手術室の前にその日に手術を受ける人でごった返して?ました。母と軽く挨拶して手術台に寝て、ハッと目覚めたら手術終了してました。そしてそのままICUへ。息はうまく出来ないわ、喉は風邪の時みたいに痛いわ、混乱の中であれやこれやつけられて頭をうごかさないよう言われて寝かされました。今は夜の8時ですよ!と言われてビックリ。父親と数秒モニターを通して面会してそのまま寝てました。
ICUに運ばれると同時に麻酔から覚めてきて意識がハッキリした途端に強烈な痛みに襲われました!痛いとにかく痛い首の後ろだけじゃない、肩も全体的に痛い。コルセットも痛い外して欲しい看護師さんに聞いたら、手術中ずっとうつ伏せで肩の位置も固定されてたので、恐らくその痛みもあるとのこと。このままの体制で明日までICUにいるなんて、地獄の始まりだと思ったとにかく痛みで眠れないナースコール押しては、少し身体を斜めにしてもらったり、タオル入れてもらったり…それでも楽な体制は見つからず、最後
生後137日にして、やっと一般病棟へ転床となりました。これまでPICUでの面会生活に慣れていた私、一般病棟での看護レベル(親と看護師のサポートの線引き)に衝撃を受けます。まず、付き添い入院について。主治医からは育児へ慣れてもらうため、付き添って欲しいとストレートに言われました。我が子の場合、退院予定があるわけではなくPICUが満床で追い出された格好なので24時間一緒にいれる事への喜びはあるものの、期限なしの付き添いは精神的にも体力的にもしんどい状況です。とはいえ、転床直後は3日間
コメントいただいているのに、お一人ずつ返せなくてごめんなさい🙏いただいたコメントはありがたく受け取っています。ありがとうございます!!まだ一進一退というか調子がいい時もぐったりしてる時もありまして。。。記憶がある内に記録を残します。手術当日の話。前日に飲んだ下剤があまり効かず、朝方にようやく1回お通じ。6:00頃に看護師さんが現れて、「浣腸2回しないといけないかも」と。その後、2回お通じがあって、さらに浣腸してからトイレで待機。10分は待って欲しいと言われて、耐える
5/229:00オペ室へ、シャンプーとキャビロン持って。その前に主治医が挨拶にきてくれた。安心するね。ただ、ここでもまた念押しのように摘出する箇所の少し上に運動野かあるので、万が一は運動機能に障害がでるかもと。その場合は、リハビリ病院に転院もあると。残さないといけない腫瘍は残すべきと思ってると。いやいや、朝イチでそれはやめて〜まぁ真面目なんだろうね🧐で、談話室にいた、家族と合流してオペ室のフラアへ移動。オペ室へ。前回は、オペ看がバリバリとされてて、既にあるドクター
こんにちは、きなこもちです!いつもイイねやコメント本当にありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡読者登録も嬉しいです!読んでいただけると励みになります♡***前回からの続きです。国立の病院にあるICUに入院したもちたろ。完全看護のため付き添いはしなくても良いのですが、やはり顔を見たいのが親心。ICUの場合は家族なら24時間面会可能なため、もちこを幼稚園の夏季預かり保育にお願いして面会に通いました。しかし、もちたろ入院で情緒不安定気味のもちこ。預かり保育は担当の先生も毎回変わる
看護士さんと手術室へ向かった。待合いに3名、次々と中へ入って行った。私は最後で、担当の先生でなく別の先生らしき方2名と看護士さんらしき方に連れられて部屋に入った。狭い手術台に寝転んで背中を丸めて、皆さんのブログで見てわかってた痛み止めの管を入れた。そこから記憶がない。とにかく無事に手術ができますようにと心の中で願った。起こされてまず聞いたのが「今何時ですか?」「今·····13時30分かな、とりあえず後で説明するから聞いてね」終わった、手術出来なかったんだと絶望した。ICUに運
おとといスーパーに買い物に行ったら隣の公園のイチョウと青空が綺麗でした息子が幼稚園に入園する前は、この公園で遊んでスーパーで買い物して帰るのが日課でした入園して初めて私ひとりで買い物に来た時に切なくて胸がキューって締め付けられたのを思い出します日中は、当たり前のようにいつも二人で過ごしていたのが幼稚園に入って別々に過ごす時間ができて…自分だけの時間ができて嬉しい反面寂しさもありあの何気ない濃密な親子の時間がとても尊いものだったなと感傷にひたってしまいましたが、本題の手術当
寒暖差から、風邪をひいこんだ。発熱してないが、気管支が痛い。医師曰く。コロナ罹ったもんね。すぐに、風邪を引き込んじゃうのは、コロナの置き土産で、良かった。良かった。😄😄よくない💢💢💢全然良くない👹👹👹👹👹でもね、クリーゼ(重症筋無力症の中で、1番まずい症状)だったら、あなた、今頃ICUで、挿管されて、呼吸のバックアップされてるよ?んまぁねぇ。。。キシロカインでの、麻酔アレルギーで、弱ってるのも影響してるし、これで済んだら御の字でしょ?ん。。。返す言葉もねぇコロナに罹ったの
『悪化していく中で』『生き地獄』『気持ちの問題…?』『不安な緊急入院』『娘と友達』入院していた娘の大部屋は歳の近い女の子が4人いました。娘は4つ年上のなぎちゃん(仮名)と仲良く…ameblo.jp前回の話時刻は朝8時30分。足早に先生が病室に入って来ました。娘を見るなり「動脈血を採血して!」と看護師さんに言いました。[動脈血ガスの測定]動脈血ガス検査では、動脈血中の酸素と二酸化炭素レベルを測定し、動脈血の酸性度(pH)を測定します。肺がどの程度二酸化炭素を血液中から排出で
朝が来て、執刀医の先生たちがやってきた。何やらベッドサイドで、わたしの気管挿管をどうするかを話し合ってる。今日は土曜日。先生たちは明日はお休み。この午前中を逃すと、月曜日まで気管挿管が外れない可能性を察した。それは、マジで死活問題だ。まずはジェスチャーで伝える。けど、まだ顔が腫れてるのが気になるらしい。特に、口が腫れてるのを気にしている様子。わたしにとって唇が腫れるのは日常茶飯事。身体は元気、呼吸も自力でいける気満々。今度は、筆談をしたい。先生の腕に書いてみたら紙とペ
父は大きな病院のICUにいました。人口呼吸器に繋がれていて、意識は無く、低体温療法をされていたので、手はとても冷たかったです。親戚なども次々とお見舞いに、と言うか、最後のお別れをしにきていました。主治医からは、2日間低体温療法をやって、その後意識が戻らなければ、脳死になります。と言われていました。母方の親戚の叔父さんが、「きみちゃん、お母さん1人になっちゃうから、一緒に暮らしてくれる?マンションの事、聞いてるよ。俺が買い取ってやるから大丈夫だ」と言ってくれたのです叔父さんは会社