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2月に入り、主治医の面談があってからICUにいる間は夕方、看護師さんから電話連絡が来るようになっていた。また、ボイスレコーダーを看護師さんに渡しに行ったときに近況を聞いていた。夫が倒れてからメモしていた、ノートの記録から↓しっかり目が開いている、焦点が合わない意識は戻っていない、表情が出てきたような?、リハビリでいすに座らせてみる、体を動かしてみる、鼻からチューブで栄養、肺炎残っている等々夫が倒れて7日目、看護師からの質問に対して『勤務地はどこですか?○○ですか
主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込んでから、まさに「脅威的な回復」をみせました。HCU(高度治療室)に転床、リハビリをこなし、院内の廊下をうろちょろ歩くまでに回復しました!(もちろん酸素付きで)HCUに入ってから、ちょうど1週間、いよいよ、一般病棟への転床が決定しました。待ち望んでいましたよ!何度も言いますが、お風呂に入れるからです(5週間、入ってませんから)。ICUからHCUの転床ほど、大掛かり
腹腔鏡下子宮全摘手術(11/2)からもうすぐ4週間。通勤もいつもどおり、仕事もいつもどおり何もなかった日常に戻っています。ありがたいことです。おかげでブログに書くこともなくなってきた~σ(^_^;)って思ってたのですが・・・ありましたよ。魔のHCUの1日のこと。。。そもそも私はHCUという言葉を知りませんでした。HCUは「HighCareUnit」の略、高度治療室というそうです。ちなみにICUは「IntensiveCareUnit」の略で集中治療室。
更新おそくて心配かけちゃってすみません急性扁桃炎になってHCUいったりいろいろ大変なことになってました。ねつが41度とかまで上がって全然さがんなくて。まじ辛かったまだ色々と辛いけど、多分1番のピークはすぎたかなって感じですたぶんもうちょっとで治るかな。回復したらまた更新します!いつもありがとうございます!追記もしかしたらアメンバー限定記事書くかも。承認のくわしいことはリクエスト画面にかいてます。よろしくお願いします!
そういえば術後一日目は、看護師さんにも先生にも「ガスが出たか」どうかをひたすら聞かれました。起き上がる前の午前中のうちに出ましたが、お腹の動きをよくするため、大建中湯という漢方を食前に飲むことにもなりました。これは入院中ずっと飲み続け、退院のときにもお持ち帰りしました。術後の数日はお腹にガスがたまっても特になんともなかったのですが、いつからかお腹にガスがたまるとめっちゃ痛くなるようになりました(10秒くらいで落ち着きますが)。トイレで座ってるときも、ガスがあると、ちょっと「う……」って
主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込んでから、まさに「脅威的な回復」をみせました。HCU(高度治療室)から一般病棟(個室)に転床。そこからも順調に回復し、いよいよ退院の日です!1ヶ月半も入院生活をしていたら、荷物もそれなりに多くなります。急いでまとめます。退院に向けて、気になることはHOT(在宅酸素)の導入です。まず、自宅に設置する大きな装置(空気清浄機のような感じです)。こちらは、大気
ブログを見て下さっている皆様♡2019年1月1日賀正あけましておめでとうございます本年もりーたんとみよしばファミリーをどうぞ宜しくお願い致します年末『痙攣』の症状を把握しておらず見逃されていたというダークな内容になってしまい皆さんにご心配をおかけしたにもかかわらず年明けまでも…ありえない事が起きてしまいましたその後も色々とバタバタでブログを綴るのも遅くなり沢山の方に年明けから『大丈夫?』と気にかけて頂けたのは申し訳ない中にとても嬉しい気持ちでした2019年新しい年を
病院からの電話がありました。すごくドキドキします。着信音は緊急事態的な音に変えてあるので余計に……『もしかして急変??』つい、そう思ってしまいます。夫は病室が変わるそうです。重篤な患者さんの搬送により夫は押し出された感じになったみたいです。親子でざわついた『HCU』へここがどんな所かはひまモグラさんに教えていただきました夫がそこに居たのは半日くらい。面会に行ったときは既に一般病棟の個室に移っていました。※この時も看護師さんから連絡アリ。結局、どんな所かは見
こんにちは!naruです夜中3時に主人に起こされ「胸が痛いから救急車呼んで!」とすぐに電話して救急車を呼びました。主人は痛みでうずくまってました。病院に到着し、検査の結果、心筋梗塞の疑いがありすぐにカテーテル検査。やはり、詰まっている箇所がありました。さらに、細くなって通りが悪い箇所も数カ所ステントを入れて血流再開主人は普段からとても健康体と本人自身も思ってましたが、本当に甘く見ていました。初めての検査、カテーテル手術、入院。本人はかな
最期を迎えた後HCUの医師が『お母さんから上のお兄ちゃんがRSウイルスに感染しているかもと言われていたので、りょうちゃんも調べてみたらやっぱりRSウイルスが出ました』と話してくれた。K医師が『昨日の受診の時入院させるか悩んだよね』と妻に語りかける。『入院するか〜?!ってりょうちゃんに話しかけたら今まで無反応でママの身体に顔を埋めるように寝ていたのに、むくって起きたもんね。それで、じゃあ通院で見ていこうかってなったんだもんね』とK医師。妻は『入院って聞いて私がドキッてなったのが伝わ
主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込んでから、まさに「脅威的な回復」をみせました。ただ、まだ1日2回の採血は欠かせません。上手な看護師さんだったんですが、注射針を刺した時の「チクッ」とした痛みは慣れません。颯爽と主治医の一人(チーム制なので主治医がコロコロ変わります)がやってきました。若くてイケメンの医師なんですが、最も地位が高そうで、他の年配医師が敬語を使っています。主治医:「泉谷さん、毎日2回の採血、
右乳房全摘出手術。今回は手術台に上がっても、まだ悲しい気持ちが収まらず。手術をする事自体は納得してたしそうする事が今選べる一番最良の選択だとも理解していた。でもただただ悲しい気持ちはのやり場はどこにもなく。情緒不安定のまま手術台の上に寝転んでいた。手術室内にはヒーリング効果のありそうな優しい音楽が流れていた。…涙が流れて止まらなくなってしまう。先生たち、看護師さんたちは本当に優しく、曲明るいのに変えようか?不安だよね、涙が出て当然だよね、と寄り添ってくれる。なんか好き
腎臓癌ステージ3だろうと告知され1週間後、昨日右腎臓全摘手術でした。目覚めたらHCUのベッド🛏️上で、しばらくしたら、担当医が無事終わったことを話され、そして息子が入って来て、先生から聞いた事を話してくれました。今年25になる息子は童顔で私に似ず、小柄。顔を見たら愛しさが込み上げ、心配かけてる事が申し訳なくなり、しっかりしなきゃと思いました。訳ありで生まれてからずっと私が1人で育てて来ました。もちろん両親や周囲の方々からも多大なる力添えをいただいたから、出来た子育てです息子からやはり腫瘍がめ
昨日、母が転院しました。転院ということは、今まで入院していた病院を退院するわけで。母が入院していた病院では、基本的に退院時に支払いとなります。救急車で運ばれて緊急手術。入院期間は2ヶ月と19日。ICUに24日間HCUに44日間一般病棟に13日間入院費用は、いくらになるんだろうと怯えておりました。母は後期高齢者なので、1割負担。高額療養制度で、上限額を超えた分が後から戻ってくるとしても、一度は窓口で払わなければいけません。(課税世帯なので限度額適用認定証は対象外で
こんばんわきょうもきょうとて面会に行ってきました。HCUに移って3日目。すこーしづつだけど肺炎が良くなってきて栄養剤の量も増えてきました♪次の段階としてハイフローが外れることを目標に頑張ってくれているのですがこの土日は人手が少なくなるので特にいじらず週明けからハイフローの圧を下げていこうと言われましたあとちょうど行ったときに浣腸してもらって💩くんがもりもり出てましたそして謎の蕁麻疹も出てましたあちこちにポツポツと出ていてとても痒そうで…。昨日手の甲に赤いポツ
久しぶりのブログ・・・定期的によって更新しようと思っているのに、ママ業の忙しさの余り、また開いてしまった過去を振り返って、、術後目が覚めて、ICUで最初の激痛は右側背中の肋骨の間に入っている胸腔ドレーンの痛みで、常時痛み止めを点滴で流してもらっても、すぐに痛み止めは切れて激痛で、少し身体を動かすだけで、また激痛・・・ナイフが常に刺さってるみたいな痛み、手術で色んな箇所を切ってるのに、(鎖骨の上、お腹とか)そのときは、他の箇所の痛みも分からないくらい、胸腔ドレーンの入ってい
K医師が家族休憩室に入ってきた。「いろいろなことを試みようとしていますが、りょうちゃんの状態が悪くなっています。お薬もずっと最大限使ってなんとか保っている状態です。ただこの状態のまま頑張るよりも、お母さんお父さんに会ってもらったほうがりょうちゃんも喜ぶかな」と私が返事する前に妻が「お願いします」と返事する。妻と一緒にHCUへ向かう。(もう難しいってことだよな、、、本当に覚悟を決めなきゃな)先ほどと変わらない状態のりょうちゃん。管が
生体肝移植12時間の手術は無事おわった2日あと麻酔から目が覚める医師から「娘さんも手術無事に終わり元気ですよ」とつたえられた涙が止まらなかった娘がドナーにきまってから生きられるという希望はあったが娘の肝臓をもらう辛さはずっとあった苦しくって…悲しくって…ドナーのリスクをきいても辛かったICUからHCUに移り何日かすると娘に会えた「おー元気じゃん」声をかけてきた娘はいつもと変わらず元気だった追伸2023年1月2日現在帰省
無事手術が終わりました。今まで大きな病気をしたことがなかったから、全てが衝撃的でした…笑背中に痛み止めを入れる時と、手術終わって麻酔が効いてぼーっとしてる中、家族の顔が見えた時の2回だけ涙がツーと出ました。痛いとかではなく「私の大切な体の一部…ありがとう…さようなら」と「父、母、妹よ。無事終わったよ。心配なしだよ。」という気持ち。何故か叔母さんもいました。2017年10月24日火曜日手術前日手術前日にはMRI写真見ながら先生から家族へ詳しい説明があった
主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込んでから、まさに「脅威的な回復」をみせました。そして、HCU(高度治療室)への転床。さらに、ぐーーーんと体調が良くなります♪リハビリは理学療法士の先生のもと、ほぼ毎日実施し、教えていただいた方法で自主トレもしました。本当に少しずつですが、歩く距離も長くなってきました。もちろん、鼻カニューラ(酸素:低流量シムテム)をやりながらですが。看護師さんにお願いし、サチュ
2017年8月4日先日は、ブログにたくさんのコメントありがとうございました(^^)1日の中でも体調、精神面にかなり波があるので、調子のいい時に少しずつお返事書いて行きます。その中で、週明けの7日に舌癌の外科手術を受ける方からのコメントを戴きました。舌半分切除で、放射線治療のため10本もの抜歯されたけど、マノンのブログを読んで頑張る!という嬉しいコメントでした。親しいブロ友さんに「マノンの術後復帰のブログ読むと、驚異的な回復力だと思う」と言われたけれども、実際はそんな事ない
主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込んでから、まさに「脅威的な回復」をみせました。HCU(高度治療室)から一般病棟(個室)に転床、そして待望の『退院』を実現し、自宅でリハビリ開始です。お店(漢方の鹿鳴堂薬舗)に少しずつ、復帰。リハビリ、無理はできませんが、何もしなかったら、私の肺機能はそのままです。いろんなリハビリの本を読んだのですが、その中で最も参考にしたものをご紹介します。https://amzn
♡ブログをご覧の皆様♡沢山の方々からの心強く暖かいコメント・メッセージ・いいね…『ありがとう』感謝の言葉じゃ足りないけれど感謝しか伝えられません…本当に本当にありがとうございますりーたんに負けない母りーたんを守れる母家族を笑顔に出来る母皆さんの様に誰かの心に寄り添い暖かく包み込める人間になっていきたいと思います念願の手術が終わりもうすぐ3週間を迎える今まではWで持続吸引しても誤嚥や肺炎呼吸の安定が難しい状態だったりーたん術後は鼻からの吸引のみ(唾液や痰等溜ま
★35日目今日、夫は、とうとう✨一ヶ月以上お世話になった✨HCUから一般病棟へ移る。。。朝から用事を済ませ、いつもより遅めに面会へ。。。。とんでもないサプライズが✨😭✨なんと!?夫が喋った😲✨👏昨日、高気圧酸素から戻ったあたりから、痰もとまり、凄くいつもと、様子が違ったらしい✨高気圧酸素ってすごい😭✨😭✨本当に、神様ありがとうと言いたい🥺(高気圧酸素療法は、病気により、回数が決められており、一酸化炭素中毒では10回のみが通常。それ以上行うことはないらしいが、それを特別に、更に10
久々の闘病記10月18日術後、PICUに入室して、無事にOPEが終わったことにひとまず一安心。術後出血を心配しつつ、病院をあとにして帰宅。10月19日お兄ちゃんの学校の校内図工展でした…6年生の作品は「将来の夢」たくさんの子供達の将来の自分像が、紙粘土で作られてた。「美容師」「ダンサー」「学校の先生」ちゃーこの夢は叶うのだろうか??ちゃーこの未来はどうなる??そう思ったら胸が張り裂けそうだったちゃーこが好きそうな本を図書館
16日夜に手術を終えてICUに入れられた後、ICUには一泊しただけで、翌朝には、HCU高度治療室に移されました。17日は痛み止め薬でボンヤリ、頭の中くるんくるんした状態で過ごしました。とにかく、のどが乾いて水が飲みたいのに、口からの補水が制限されたのがきつい。からだを動かせず、首を動すくらいしかできないので時折りやってくる看護師さんに水の入った吸飲みを手渡してもらったりして、とにかくつらいのをやり過ごそうとしてました。時間の感覚が無い中、主治医もやってきてあれこれ尋ねるので、とにかく頭が働
リアルタイムでのブログが続いていましたが、術後3ヶ月以上が経ち、記憶もどんどん薄れているので忘れないためにも入院中のことを書き残していこうと思います。もう結構忘れていますが、手帳に書いていた数行の日記を頼りに書いていきますので、肝心なことが抜けているかも。下垂体腺腫術後2日目2023年10月14日(土)朝の6時を過ぎると看護師さんがカーテンを開けますかと聞いてくれましたが、右目の複視でまぶしいのが無理になっていたのでカーテンは開けないでほしいとお願いしました。
長女ちゃんの面会にいってきました。昨日は面会中ずっと寝てたのですが今日は起きててくれてたくさん触れ合ってきた来週に初めてのカニューレ交換でうまいこと交換する時間に立ち会えたらいいなと思っています。旦那の妹さんが買ってくれたキティちゃんと一緒に入院生活頑張ってくれています早く抱っこしたり一緒に寝たりしたいな去年からずっと欲しかったスニーカークリスマスプレゼントで買ってくれました
るいくんのお母ちゃんさんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/meお早うございます☀️💮施設とのやり取りは余りにも有りすぎて🤣クールダウンしてから綴りたいと思いますまだまだお世話になると思っているので😝リアルに書けないところもあるかも(-ω-?)気を取り直し主治医とのやり取り5分程待ってから主)よろしくお願いいたします担当になりました主治医の○○です私)母がお世話になり宜しくお願いいたします次女の△△ですお座り下さい(
母の入院先はオムツ交換時に使うおしりふきシートを患者家族が用意することになっています。現物で用意するか、QUOカードを預けて、それを使って買ってもらいます。わたしたちは、QUOカードを預けています。病院から電話があり、母のおしりふきシートがなくなった、QUOカードも残額がないと連絡を受けたので、QUOカードを届けに病院まで行ってきました。母は現在、HCUにいます。ICUにいた時は、わたしの声や母の好きな歌を録音したテープを再生してもらっていました。(テープレコーダーも一緒に預け