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黄金週間ど真ん中。明日から5月。初日は雨が多いけど、後は5日頃まで大体晴れの予報が出てますね。行楽中の皆様。どうかお気をつけて…お仕事真っ最中の皆様。お疲れ様で〜す👋なーんも書く事がないのでちょいと思い出話を…最近また空気が乾燥気味なので、すっかり肌の弱った私は痒み止めを塗り塗り。塗りながら思い出す。一昨年秋の手術入院。術後は配管などの為に自分でシモの世話が出来ない。なのでオムツを履いてました。4日ほど…。それは仕方の無い事なので諦める。でも諦め
土曜日から昨日までHCUで鎮静かけて貰ってた。薬使って強制的に眠るやつどんどん足痛くなって何回モルヒネ使っても効かなくて。痛すぎて冷や汗かくし泣くしかなくなるし、吐いたり暴れたり記憶飛んだり副作用が酷くなっちゃってこれ以上はモルヒネ無理ってなった鎮静って最後の手段って感じするし、寝たらそのまま死んじゃう気がしてほんと怖かった怖すぎてめっちゃ泣いて、急遽仕事抜けて兄ちゃんきてくれて…そこら辺から記憶ないから多分薬入ってその後HCUに入ったんだと思うちゃんと起きれてほんとに良かった。生きてた
おはようございます今日、時間は未定ですがHCU病棟から一般病棟へ部屋を移る事になりました血液内科の病棟です肺炎の方も徐々には良くなってきている様で待ちに待った一般病棟へ部屋変えですまだ、落ちた筋肉のせいでまともに歩けないし鼠蹊部から点滴の管が3つも付いているし酸素吸入器もなくては、なりませんしオシッコも管付きです嬉しさの反面、不安もいっぱいですここHCUではトイレも大人用簡易トイレ(オマル?)か一度だけ、室内の奥の普通トイレまで酸素吸入器を車椅子に付けて貰って行ったく
22日の13時に手術を受けて、目が覚めて時計を見たのが18時前頃でした。4時間ほどの手術だったそうです。全身麻酔下での、上下顎骨形成術術式はLeFort1型骨切り術+両側下顎枝矢状分割術つまり上の顎も下の顎も、骨を切っちゃうよーっていう手術を受けました(説明適当)上顎の3mmのズレが下顎の大きなズレを起こしているのが私の顎。上顎3mmくらいなら別に切らなくていいんじゃない?って思ったけど、下顎だけ切ると後戻りが起こりやすいとかいう文章を見たので納得はしてます。さて、手
病院からの電話がありました。すごくドキドキします。着信音は緊急事態的な音に変えてあるので余計に……『もしかして急変??』つい、そう思ってしまいます。夫は病室が変わるそうです。重篤な患者さんの搬送により夫は押し出された感じになったみたいです。親子でざわついた『HCU』へここがどんな所かはひまモグラさんに教えていただきました夫がそこに居たのは半日くらい。面会に行ったときは既に一般病棟の個室に移っていました。※この時も看護師さんから連絡アリ。結局、どんな所かは見
3人でエレベーターに乗り込みボタン🔘を押しました。目に入ったのは⭕️階HCUわたし『HCUってどんなとこ?』息子『Hだから、High』娘『ICUとどう違うの?』『ICUって集中治療室だよね』わたし『どっちかスゴイの??』息子娘『どっちがスゴイ〜??』………………😮💨1階に着いてエレベータから降りました。日が暮れていました。かなりお腹が空いています。全員一致でお肉を食べる事になりました。この日は息子の奢りでした。ごちそうさま😋
『しばらく、現在の話になります!』ここからは、9月に入ってからの義父の緊急入院から始まったバタバタです。『リアルタイム•義父、またもや緊急入院①』義父がまたもや緊急入院になりました最近、義父と…ameblo.jp私「え‥あ、そうですか?」別に会いたかねぇって何?お義父さん、居なくなったら一番困るのは自分なのに!めっちゃ、他人事そんなやり取りがあった日。まさに、その日。もう、面会出来る時間も終わりかけ。オイ弟も学校から帰って来た矢先。旦那から電話があり。嫌な予感旦那「今、病院
火曜日の朝、睡眠薬を30錠ODしました。そのあと記憶が無いのですがカルバマゼピン(テグレトール)を20錠ODしていました。おかげでテグレトール急性中毒になりました。記憶を無くしている間、かなり暴れて興奮状態だったようです。ふらふらしてベッドから落ちそのまま暴れていたと聞きました。カルバマゼピンの飽き袋、横にやぶけば一気に破けんな、と思ってたら実戦したようです。5包ずつ横に空けた袋が4つ散らばっていたようです。(薬は一包化されてます)記憶あれば処分してるわ。飲み忘れ結構あったから
今日は教授から今後の治療方針についてのお話があったので、午前中に病院に行ってきました。まず面会に行くと、娘は寝たフリをしていました笑色々と話しかけると、頷くか、いやなことはいやと首をふります。目はあけてくれませんでした。パパに体拭いてもらう?と聞くと、こくっと頷いたので、HCUで初めて体拭きをしたのですが、嫌がって体をよじったので、ほとんど拭けませんでした。また明日来るね、と言うと、また声を出さずに泣きました。ツンデレかな。切ないです。面会の後に、教授からお話があった、現状たてている
ひたすら耐えた夜が明け7時ごろに酸素マスクを外しました唇は物凄いガサガサでしたがなにか自分の体から一つでも外されただけでもホッとします不思議な事に、酸素マスクを外すとほどなく腰の痛みが消えて行きました何の関係も無いと思うのですが・・・最初は口をゆすぎ、少し経つと水分をとるOKが出ました私は水のペットボトルとペットボトル用のストローを持参したのですが気付いた看護師さんがストローを付けペットボトルをセットして下さいましたホカホカのタオルで顔をふき看護師さんには体をふいて
手術、無事に終わりました。ただ1週間は急変もありえるとの事で、まだまだ不安な気持ちは消えませんが😣今はHCUにいてます、意識もしっかりしてて、会話もできるからホッとした😭腫瘍は全部取りきれず、残ったものは引き続き抗がん剤を使うみたい。このまま先生の予定通りに事が運んでくれる事を願うばかり…。患者家族である嫁と子供はというと。子供達もホッとしたのと不安な気持ちが交差するようで、私に喋る喋る喋る喋る…😖正直、どーでもええわ!今その話聞かなアカン!?ってゆー内容のない事を永遠と喋る喋る喋
仕事がバタバタで時の流れについていけてない🫠4日目、面会行くとちょうどリハビリが終わったところだった。少し歩いたらしいけど、ヘトヘトになってる旦那様。だけど、顔色は良くなってた😊5日目、HCUから一般病棟へ。水分制限も無くなったせいか、明らかに前日より顔つきが良くなってた😌6日目と7日目は残業なので面会に行けないー😭そんな嫁の仕事問題。会社が気にかけてくれて、休職するという選択肢を与えてくれた。いったんは、まとめて休むじゃなく出勤日数を減らすことに。きたる繁忙期に何やって
こんにちはたくさんのblogの中からご訪問ありがとうございますY...40代後半大学生・高校生姉妹の母身長156㎝足23㎝sizeS多めプチプラ服を中心に日々服を楽しんでますいいね、フォローありがとうございますとっても嬉しいです昨日の記事『【楽天マラソン】欲しいもの♪/雨の日ランチコーデ/昨日の出来事!!』こんにちはたくさんのblogの中からご訪問ありがとうございますY...40代後半大学生・高校生姉妹の母身長156㎝足23㎝sizeS
更新おそくて心配かけちゃってすみません急性扁桃炎になってHCUいったりいろいろ大変なことになってました。ねつが41度とかまで上がって全然さがんなくて。まじ辛かったまだ色々と辛いけど、多分1番のピークはすぎたかなって感じですたぶんもうちょっとで治るかな。回復したらまた更新します!いつもありがとうございます!追記もしかしたらアメンバー限定記事書くかも。承認のくわしいことはリクエスト画面にかいてます。よろしくお願いします!
気がつくとHCUでした旦那が麻酔のボタンを持たせてくれ「寒くない?」前回むっちゃ寒かったからね「大丈夫寒くない」結構眠くて目を閉じたかったけど旦那が居るので必死に起きてました主治医も顔出してくれて「ごめんね、傷が少し大っきくなっちゃった6cm位かな?でもちゃんと取れましたからね」との事「何で傷大きくなったんだろ?」「切り取った部分が凄く取り出しにくい位置にあったんだって」「そっか、体の中心部だったもんね」「あと目視で小さいがんが他にもあったから取ったって
腰を丸めてうずくまったまま怖くて身体の向きも変えられない私を二人がかりで起こして座らせてくれると看護師さんは、どうしましょう~と言ってナースステーションへ駆け戻り・・・このタイミングでこの場に息子が来たらビックリさせてしまうと、困った私は「ぎっくり腰やった、でも大丈夫」とメール結局、驚いて来たから一緒だけど(笑)歩いて手術室へ移動する予定でしたがこれでは危ないとのことで車椅子に・・みんなが自分の足で手術に向かうのに重病人みたいで申し訳なかったです揺れたり段差のたびに
6:00起床、7:00水分禁止、朝食なし、8:30妻が手術の付き添いのため病室に来る9:25病棟看護師と一緒に、妻と手術室へ歩く。心臓バクバクです。手術室につながる部屋に行き椅子に座ります。ピンクのナース服を着た若い看護師が8人が2列に整列しており、前列は、膝に手を置いて少しかがんでいます。まるで集合写真を撮るときのポーズですね。そのうちのリーダーらしき看護師さんが、片方の膝を立てて座り目線を私と同じ高さまで落として、「今日の手術を担当する看護師です。よろしくお願いします」と挨拶してきまし
昨日、新しい福祉車両で母との初ドライブを果たせ✨喜びに湧いたのもつかの間午前1時頃に枕元の携帯が鳴り半分夢うつつで画面をみると母の老健からでした久しぶりに昼間一緒にゆっくり過ごしたから夜中に寂しくなっちゃったのかな?なんて呑気に構えながら電話に出ると母が嘔吐し高熱もありガタガタ震えているとのこと病院で診てもらった方が良いのではという内容でした着の身着のままで慌てて施設に駆け付けると既に救急車が到着していてすぐ近くの新しく出来た病院へ搬送されることになりました
HCUにて意識が戻って初めに思ったのはとにかく喉が渇いたということ。遠隔転移はないし取り切れると思っていたので心配はしてませんでしたが、夫に無事手術で取れたよと聞いたときは安心しました。夜でありHCUで長居はできないので私の意識回復を確認後、夫は帰りました。38.5℃と熱はあったものの暑くも寒くもなく、熱の出ている感じは全くなし。お腹の痛みも全くなし。でも、オムツが気になり眠れず。息子のオムツ替える立場のママなのに、自分がオムツ替えてもらう立場であるという事実に悲しくなりました。お
生体肝移植12時間の手術は無事おわった2日あと麻酔から目が覚める医師から「娘さんも手術無事に終わり元気ですよ」とつたえられた涙が止まらなかった娘がドナーにきまってから生きられるという希望はあったが娘の肝臓をもらう辛さはずっとあった苦しくって…悲しくって…ドナーのリスクをきいても辛かったICUからHCUに移り何日かすると娘に会えた「おー元気じゃん」声をかけてきた娘はいつもと変わらず元気だった追伸2023年1月2日現在帰省
こんばんは。お久しぶりですなかなかブログを書けずにいました。体調が悪いのもそうだけど、厳しめのダイレクトメッセージがきて精神的にやられ、ブログから離れてました💦まだしばらく書けないなぁ〜なんて思ってたら、まさかの…緊急入院しました11月14日から始まった大量出血がね、29日に、とうとう3kg(3,000ml)超えちゃったんです。鉄剤は飲んでたけど追いつかず心臓が苦しくて立てなくて息もゼイゼイして呼吸が出来ない…28日の日曜日には、1日で1.5kgも出血しました🩸
リアルタイムでのブログが続いていましたが、術後3ヶ月以上が経ち、記憶もどんどん薄れているので忘れないためにも入院中のことを書き残していこうと思います。もう結構忘れていますが、手帳に書いていた数行の日記を頼りに書いていきますので、肝心なことが抜けているかも。下垂体腺腫術後2日目2023年10月14日(土)朝の6時を過ぎると看護師さんがカーテンを開けますかと聞いてくれましたが、右目の複視でまぶしいのが無理になっていたのでカーテンは開けないでほしいとお願いしました。
腹腔鏡下肝切除時間は、予定より早い3時間30分(流石名医T先生👏)で終わりましたただ、全身麻酔から覚めた瞬間からずっとお腹が痛い😣💦起き上がれないので何処が痛いのかは最初分からなかったのですが、肝臓を取り出した臍の部分がずずーんと重い痛みが継続的に続いて辛かったです痛みがずっとお腹の上に重く乗り続けている感じ💦そして、腹腔鏡下手術はお腹にガスを入れてお腹に空間を作ってから手術するため、術後ガスがお腹に溜まって張るため…余計に傷口が張って引っ張られる感じがずー…っとあり…もぅ、しんどい。(ガス
HCU4日目、11月20日。夜中にトイレで起き、ナースコールを押す。その後、お腹と背中の術創が疼き、寝付けない。姿勢が決まらず、何度もベッドの角度を微調整する。そんなこんなをしているうちに朝6時の採血。左腕の血管からうまく採取できず、右腕に変更して採血。朝7時頃、主治医の先生、担当医の先生と立て続けに回診に来られた。その後、看護師さんから「一般病棟への移動、先生からOKでましたよ」と教えてくれ、荷物の整理を始めてくれた。いよいよ戻れる~!その前に、飲み込み、嚥下機能の検査があります、という
2018年2月27日前回からの続きです。【2018年1月23日のこと】今回のHCUは、明るくて気持ちのいい看護師さんばかりだったので、とても快適でした♡肝っ玉かあさんみたいに明るいチーフ看護師さんが「マノンさん、昨日は入口のうるさいベッドでごめんなさいね。今日は奥の静かなベッドに移動しましょうね〜♪」お、ラッキーと思ったら、行く先は前回のオバケ部屋でした(;´Д`)まぁICUシンドローム(錯乱)だろうと結論が出てるので、今回は怖くないんですけどね…。レントゲ
ブログを見て下さっている皆様♡2019年1月1日賀正あけましておめでとうございます本年もりーたんとみよしばファミリーをどうぞ宜しくお願い致します年末『痙攣』の症状を把握しておらず見逃されていたというダークな内容になってしまい皆さんにご心配をおかけしたにもかかわらず年明けまでも…ありえない事が起きてしまいましたその後も色々とバタバタでブログを綴るのも遅くなり沢山の方に年明けから『大丈夫?』と気にかけて頂けたのは申し訳ない中にとても嬉しい気持ちでした2019年新しい年を
こんにちは。約一年前に開腹手術をしました。今、振り返っても手術をした日の夜はつらかったですね。身体が思うように動かないのと、痛いのと。でも、一年経った今、あの日があったらから今がある、とも思えます。今、術後で痛い思いをしている皆さん、動ける日が必ず来ます。============手術が終わり、HCUに運ばれました。HCUというのは、HighCareUnitの頭文字をとったもので、ICU(集中治療室)と一般病棟の中間に位置する病室らしいです。一般人の私からすると
こんにちは。手術が終わり、HCU(HighCareUnitの頭文字をとったもので、ICU(集中治療室)と一般病棟の中間に位置する病)に運ばれました。HCUでの一晩は、とても手厚く看護していただきました。今日は、HCUで生き返った出来事を書きます。============HCUにいた私の体には、点滴(痛み止めや水分補給)、尿道カテーテル(膀胱にカテーテルを入れ、無意識に排尿されます)、血栓防止のフットポンプが身体に取り付けられています。激痛。不思議なもので、水が
すっかり更新が遅くなりました。10月23日に、食道がんの胸腔鏡・腹腔鏡下食道亜全摘、胃管再建、腸瘻増設手術が予定通り終わりました。心配していた声にも影響はなく、術後は概ね順調なのですが、体内に炎症が起きたため、抗生剤を投与しつつ経過観察中です。そのため、いまだ経口食にはたどりつけず。採血の結果、数値が改善していれば来週の月曜に嚥下の検査後、ようやく水が飲めます。長い道のりですー。私の予定では来週月曜には退院しているはずでしたが(それは早すぎるか)。ICU、HCU
『リアルタイム•義父の容態が急変④』『リアルタイム•義父の容態が急変③』『リアルタイム•義父の容態が急変②』『リアルタイム•義父の容態が急変①』しばらく、リアルタイムなお話が続きますあまり、良い…ameblo.jp待っていた病棟には、手術室などが周りにありましたいつもと違う光景に、違和感はありましたが‥ベッドで運ばれている義父が回復したように見えたので、何故いつもと違うのか?病室の違いが、よく分かって居なかった私。HCUという、ICUで治療するよりは少し軽めの患者さんが入る病棟だっ