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こんばんは🌃5/9日に無事手術終わりました。8日の夕ごはん(18時)〜術後10日の朝まで絶食水。9日のお昼頃(12時半)から手術だったのですがやっぱり…手術室入って全身麻酔入れたらどんなに頑張っても(←)すぅーーーっと落ちて約2時間記憶全く無い_(_*`ω、)_zzZ(あったら耐えられないですが…(꒪⌑꒪.)!!)で「終わりましたよ〜」って15時過ぎ起こされた時は『まだ寝たいよ〜(๑'-ωก̀๑)💤』って感じでしたが手術室から隣のHCUに移ったら…だんだん麻酔切れて来
るいくんのお母ちゃんさんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/meこんにちは👋😃ー我が家ベランダの花達ー昨日洗濯物を取りに行きました肌着とタオルぐらいです面会の頻度は3日に1回少ないでしょうか?(元ICU経験者職業柄も含め控えているそれとなかなか喉の調子が姉妹揃ってスッキリしない内科から耳鼻科に切り替える)レンタルパジャマ一式を借りているので洗濯物は少ない面会に行くとあれ(?_?)ベッドが端へ場所が移動していた正面は
3人でエレベーターに乗り込みボタン🔘を押しました。目に入ったのは⭕️階HCUわたし『HCUってどんなとこ?』息子『Hだから、High』娘『ICUとどう違うの?』『ICUって集中治療室だよね』わたし『どっちかスゴイの??』息子娘『どっちがスゴイ〜??』………………😮💨1階に着いてエレベータから降りました。日が暮れていました。かなりお腹が空いています。全員一致でお肉を食べる事になりました。この日は息子の奢りでした。ごちそうさま😋
6:00起床、7:00水分禁止、朝食なし、8:30妻が手術の付き添いのため病室に来る9:25病棟看護師と一緒に、妻と手術室へ歩く。心臓バクバクです。手術室につながる部屋に行き椅子に座ります。ピンクのナース服を着た若い看護師が8人が2列に整列しており、前列は、膝に手を置いて少しかがんでいます。まるで集合写真を撮るときのポーズですね。そのうちのリーダーらしき看護師さんが、片方の膝を立てて座り目線を私と同じ高さまで落として、「今日の手術を担当する看護師です。よろしくお願いします」と挨拶してきまし
22日の13時に手術を受けて、目が覚めて時計を見たのが18時前頃でした。4時間ほどの手術だったそうです。全身麻酔下での、上下顎骨形成術術式はLeFort1型骨切り術+両側下顎枝矢状分割術つまり上の顎も下の顎も、骨を切っちゃうよーっていう手術を受けました(説明適当)上顎の3mmのズレが下顎の大きなズレを起こしているのが私の顎。上顎3mmくらいなら別に切らなくていいんじゃない?って思ったけど、下顎だけ切ると後戻りが起こりやすいとかいう文章を見たので納得はしてます。さて、手
こんにちは♪2/29〜3/3までコロナで緊急入院していました…幸い軽症で済んだのですが重症化のリスクが高いということでHCUでの隔離の入院でした。部屋にはトイレもなくベットに繋がれたまま24時間おむつで生活しかも看護師さんも少ないのでナースコールしてもなかなか来てもらえないたった4日間の入院でしたが試練の時間でした。それでも感染のリスクを背負ってお世話をしてくださった医療従事者の方々には感謝でしかありません(^^)ありがとうございました。入院中、娘とのビデオ
母がお腹の辺りが痛いと、連休明けに行きつけの病院に検査に行って、異常無し翌日病院から再検査が必要と呼び出されて再検査の結果、近くに有る大きな専門病院ですぐに再々検査時間外の「救急外来受付」に「ER」ってTVドラマで良く見るから何か怖いです。車椅子に乗って母は、診察に!私が看護師さんに?「私はどうしたらいいでしょうか」「御主人はここでお待ちください」笑っちゃいました・・心の中で「オレ息子やねんけど」そう見えるんかな?
ひたすら耐えた夜が明け7時ごろに酸素マスクを外しました唇は物凄いガサガサでしたがなにか自分の体から一つでも外されただけでもホッとします不思議な事に、酸素マスクを外すとほどなく腰の痛みが消えて行きました何の関係も無いと思うのですが・・・最初は口をゆすぎ、少し経つと水分をとるOKが出ました私は水のペットボトルとペットボトル用のストローを持参したのですが気付いた看護師さんがストローを付けペットボトルをセットして下さいましたホカホカのタオルで顔をふき看護師さんには体をふいて
突然ですが、先ごろ、突然に倒れ、人生初めての入院を経験しました。事故とも言えまずが、根本は普段の自分の食生活及び、健康状態が悪かったからだと思います。(脂質異常症)外出中に道で倒れ、頭を打って脳内出血。救急車で病院に運ばれてきたとき、意識がなく、そのまま緊急手術となり、まるまる2日間、麻酔で眠っていたそうです。(救急車を呼んでくれた方、警察、病院に感謝!)ハッと気がついたとき、何と、HCU(リンク参照)のベッドに寝かされており、自分の置かれている状況がすぐには理解で
土曜日から昨日までHCUで鎮静かけて貰ってた。薬使って強制的に眠るやつどんどん足痛くなって何回モルヒネ使っても効かなくて。痛すぎて冷や汗かくし泣くしかなくなるし、吐いたり暴れたり記憶飛んだり副作用が酷くなっちゃってこれ以上はモルヒネ無理ってなった鎮静って最後の手段って感じするし、寝たらそのまま死んじゃう気がしてほんと怖かった怖すぎてめっちゃ泣いて、急遽仕事抜けて兄ちゃんきてくれて…そこら辺から記憶ないから多分薬入ってその後HCUに入ったんだと思うちゃんと起きれてほんとに良かった。生きてた
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★今日の主な登場人物俺様ちゃん・・・抹茶ゆあん攻撃様・・・愛息、高校生隊長・・・長姉サトシ先生、アガッチ先生・・・攻撃様のダンスの先生☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★手術の翌々日。動くことが回復の近道と聞きかじった俺様ちゃんは自分勝手にHCUにて闘っていたぁあ!そして・・・俺様ちゃん今まであんまりアレルギーないと思ってたけど実はけっこうあるようだ。そういえば深く考えたことなかったけどよくおなか壊したり湿疹
11月17日、手術から5日目、午前11時頃、ベッドで寝たまま、HCU病棟に移った。運ばれたHCUのお部屋は、真ん中にベッド、脇に床頭台、奥に医療器具、装置、モニターが沢山置かれた簡素な個室だった。装置、モニターから発せられる音を除けば、騒音減、喧噪がなく、ICUに比べて、びっくりするほど静か!!というのが最初の感想。ちょっと落ち着いて過ごせる~、と思ったが、静かな環境で、却ってひとりで自分に向き合う時間が長くなり、手持無沙汰で、身体の痛みと向き合う時間も長くなったように思う。身体に繋がる
るいくんのお母ちゃんさんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/meこんにちは🌞2回目の投稿です昨日は母には面会せずに荷物のチェックだけのつもりで病院へ部屋を移動したら必ず「肌着を持ってきて!首の周囲が寒い」という事が解っていたので姉が面会に来るついでに施設に寄って持ってくるように依頼していました!病院で待ち合わせ姉が下着を持ってきたと見せるが速攻「これじゃない!」持ち帰り何時ものパターン全く可愛げのない母です施設の荷物は全
午前中HCUから大部屋に帰ってきました当たり前のように大部屋ねずっと個室希望してんですけどね朝から普通の食事出ちゃうし、なんだかビックリですけども、そこが消化器系との違いなんですねーなんか予定より小さく取ることが出来たみたいで、手術時間も早かったらしいです。だからって本人的には術後はやっぱり辛くて、もう手術したくないなーって思いました。今回は目覚めてすぐ肩が痛くて、息するだけでも痛くて、体勢のせいだろうって動かすように言われたけど、動かせない程痛くて…それでもなんとか温めてもらった
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★この日記は過去の出来事です!さぁ怖がらずに読んでごらん・・・今日の主な登場人物俺様ちゃん・・・抹茶ゆあん隊長・・・長姉☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★紆余曲折あったものの、いよいよ入院・手術の時がやってきたァア!!隊長が泊り込みで来てくれてるから、母・息子ともに安心だ!(隊長の子がもう独り立ちしていて助かった~。義兄にはスマヌ!!)さあ、俺様ちゃん入院初日からオオイソガシだぞ、心してかかれ!ヌゥ、どんどんくるのか
~2019年10月21日~恐怖の肝臓手術の日です。前日はビビりながらも割りと眠れました手術までの流れは前回と同じで、私はエビと唱えたら、いつの間にか終わってた感じです。ただ前回と違ったのは、手術室付近の廊下で起こされたことです。だいぶしかめっ面をしていたらしく「どこが痛いの?」と看護師さんに聞かれました。「腕が痛いです。腕がすごく痛いです」なぜか腕がとても痛かったのです。看護師さんは「ずっと手を上に上げて手術してたからねー」と言っていました。6時間半かかったそうです。今回は開
わたしはHCUにもう一泊するのですが、両隣は午前中に一般病室に戻っていきました。そのあとにその日手術を終えたひとが入ってくるため、準備が終わるのが先か入ってくるのが先かみたいな戦争が起こっていて、とてもたいへんそうでした(裏側を見た……と思いました。音だけですけど)。また、手術のときからずっと横になっていたわけですが、リクライニングの機能でベッドをすこし起こしたら、まあお腹に響くわけです。途中で止めてもらって、その位置でしばらく慣らしてから、またすこし起こしてもらって慣らして、という感
麻酔をかけられて、モニターに表示されている手術前最後にみた時刻は9時29分。そのあとは深い眠りに落ちて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何か体中が異常に熱い!まるで造影剤を入れられてCT検査をされているような感覚。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・気がついたらベッドの横には私が麻酔から覚めて少し安心した表情の妻がいました。場所はHCU(HighCareUnit)で、どうやら無事手術は終わったよう
火曜日の朝、睡眠薬を30錠ODしました。そのあと記憶が無いのですがカルバマゼピン(テグレトール)を20錠ODしていました。おかげでテグレトール急性中毒になりました。記憶を無くしている間、かなり暴れて興奮状態だったようです。ふらふらしてベッドから落ちそのまま暴れていたと聞きました。カルバマゼピンの飽き袋、横にやぶけば一気に破けんな、と思ってたら実戦したようです。5包ずつ横に空けた袋が4つ散らばっていたようです。(薬は一包化されてます)記憶あれば処分してるわ。飲み忘れ結構あったから
すっかり更新が遅くなりました。10月23日に、食道がんの胸腔鏡・腹腔鏡下食道亜全摘、胃管再建、腸瘻増設手術が予定通り終わりました。心配していた声にも影響はなく、術後は概ね順調なのですが、体内に炎症が起きたため、抗生剤を投与しつつ経過観察中です。そのため、いまだ経口食にはたどりつけず。採血の結果、数値が改善していれば来週の月曜に嚥下の検査後、ようやく水が飲めます。長い道のりですー。私の予定では来週月曜には退院しているはずでしたが(それは早すぎるか)。ICU、HCU
手術当日は水を飲むことができなかったので(うがいは可)口の中が滅茶苦茶乾くんですけど、消灯前に口をゆすがせてもらって、すこし潤いました。手術で寝ていた上に、そのあともわりとがっつり眠ってしまったため、まったく眠くないという事態に陥りました。暇を持て余して、頭の上にあったモニタの写真を撮りましたよ。看護師さんに聞いたところ、上から、脈・血圧・酸素・呼吸だということでした。消灯すぎても寝ないので、看護師さんから眠剤も勧められましたが、無理に寝ることもないと思い断りました。H
前回、主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込み、大量に飲んだという話をしました。日に日に体調が良くなり、短時間なら、自分で立つことができる様になりました。サチュレーション(動脈血酸素飽和度)も安定してきました。リハビリの指導に来ていただいた理学療法士の先生に、訴えます。泉谷:「この調子なら一般病棟への転床、いけるんじゃないですか?」嗚呼、一般病棟!!!(お風呂に入りたい!〜ICUにはお風呂がないです)
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★こんにちは、当ブログにお越しくださり誠にありがとうございます。ごゆっくりお楽しみください。皆さんに笑顔とハッピーが訪れますように!☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★手術直後の朦朧タイムはまだまだツヅク。夢か現かマボロシか、8回くらい寝ては覚め、あ、チョイト痛くはないけど体の動かないこの状態は時間が解決してくれるのに、寝れないなんて。明日が、明日が遠すぎる!!あ、チョイト無理せず睡眠剤もらいまし
HCUでの長い夜が明け、朝7時を迎えました。約束通り看護師さんからキンキンに冷えた水をコップに入れてもらい、飲ませてもらいました。あんまりたくさん飲んで胃腸がびっくりして妙なことになっても困るので、控えめに。その直後、夜勤から日勤の看護師さんに交代のようで、引き継ぎをされていました。8時頃には主治医の先生をはじめ脳外科の先生たちが入れ替わり立ち替わり様子を見に来ていただきました。開頭手術後は15度までしかベッドを起こしてはいけないそうで、少しだけ起こしていただきました。しかし
前回、主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込み、大量に飲んだという話をしました。それから、主治医もびっくりするような驚異的な回復をしました!リハビリも順調で、理学療法士の先生も手応えを感じているようです。ICUに入院してから4週間、ついにHCU(高度治療室)への転床が決定しました。『(コラム)ICU(集中治療室)とは?』今回は、私の闘病記を少し離れて、ICUについて解説したいと思います。実際、入院を経験された方、ほと
11月19日、HCU3日目、今日は日曜日。朝、昨日に続けて、また坐薬を入れてもらった。今日は出るかな。腸ろうから、シリンジを使って溶かした薬の注入と栄養剤エネーボの経腸栄養のセットは自分で大体できるようになった。先生はなかなか回診に見えず、今日のチューブ外しはもうだめかなと諦めかけてきたら、10時過ぎに先生が部屋に見えた。「レントゲン問題なし、排出される液もきれいで量も多くないので、脇のドレーンチューブを抜きましょう。ベッドに横になって」と。う、う、うれしい。!痛いのかなぁ、、ドキド
2月に入り、主治医の面談があってからICUにいる間は夕方、看護師さんから電話連絡が来るようになっていた。また、ボイスレコーダーを看護師さんに渡しに行ったときに近況を聞いていた。夫が倒れてからメモしていた、ノートの記録から↓しっかり目が開いている、焦点が合わない意識は戻っていない、表情が出てきたような?、リハビリでいすに座らせてみる、体を動かしてみる、鼻からチューブで栄養、肺炎残っている等々夫が倒れて7日目、看護師からの質問に対して『勤務地はどこですか?○○ですか
主治医に直談判し、私が開発した商品R(健康食品)をICU(集中治療室)に持ち込んでから、まさに「脅威的な回復」をみせました。HCU(高度治療室)に転床、リハビリをこなし、院内の廊下をうろちょろ歩くまでに回復しました!(もちろん酸素付きで)HCUに入ってから、ちょうど1週間、いよいよ、一般病棟への転床が決定しました。待ち望んでいましたよ!何度も言いますが、お風呂に入れるからです(5週間、入ってませんから)。ICUからHCUの転床ほど、大掛かり
腹腔鏡下子宮全摘手術(11/2)からもうすぐ4週間。通勤もいつもどおり、仕事もいつもどおり何もなかった日常に戻っています。ありがたいことです。おかげでブログに書くこともなくなってきた~σ(^_^;)って思ってたのですが・・・ありましたよ。魔のHCUの1日のこと。。。そもそも私はHCUという言葉を知りませんでした。HCUは「HighCareUnit」の略、高度治療室というそうです。ちなみにICUは「IntensiveCareUnit」の略で集中治療室。
更新おそくて心配かけちゃってすみません急性扁桃炎になってHCUいったりいろいろ大変なことになってました。ねつが41度とかまで上がって全然さがんなくて。まじ辛かったまだ色々と辛いけど、多分1番のピークはすぎたかなって感じですたぶんもうちょっとで治るかな。回復したらまた更新します!いつもありがとうございます!追記もしかしたらアメンバー限定記事書くかも。承認のくわしいことはリクエスト画面にかいてます。よろしくお願いします!