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前回までの話手術前日『入院へ』2020年冬無事に手術を終えて退院してきました今日から『入院、手術』のカテゴリー記事を書いていきます初めての入院手術の前日の朝9時半までに来てくださいというこ…ameblo.jp手術当日『手術当日』入院2日目ついに手術当日!!入院初日の様子『入院へ』2020年冬無事に手術を終えて退院してきました今日から『入院、手術』のカテゴリー記事を書いていきます初めて…ameblo.jp手術室で『手術室で』前回までの話入院編『入院へ』2020年冬無事に手術を終えて退院
今日の娘弁当は、昨日の夕飯と同じハンバーグ。焼きたてじゃないからどうかな?と思ったけど、美味しかったみたい。ちなみに、最近買った冷食で1番娘が気に入ったのはマルハニチロのオクラのおかずなんとかお昼にも野菜を食べて欲しいという気持ちで娘が選んだ商品だけど、「毎日入れてほしい」といわれてビックリ私も食べてみたいわ日中は外来診療をしたんだけど、久しぶりにコンビニにランチを買いに行く時間があって嬉しかったさて、先日HCU当直をしようかな…という話を夫にしたら、「まだ娘は小学生だし」と反対さ
土曜日から昨日までHCUで鎮静かけて貰ってた。薬使って強制的に眠るやつどんどん足痛くなって何回モルヒネ使っても効かなくて。痛すぎて冷や汗かくし泣くしかなくなるし、吐いたり暴れたり記憶飛んだり副作用が酷くなっちゃってこれ以上はモルヒネ無理ってなった鎮静って最後の手段って感じするし、寝たらそのまま死んじゃう気がしてほんと怖かった怖すぎてめっちゃ泣いて、急遽仕事抜けて兄ちゃんきてくれて…そこら辺から記憶ないから多分薬入ってその後HCUに入ったんだと思うちゃんと起きれてほんとに良かった。生きてた
最期を迎えた後HCUの医師が『お母さんから上のお兄ちゃんがRSウイルスに感染しているかもと言われていたので、りょうちゃんも調べてみたらやっぱりRSウイルスが出ました』と話してくれた。K医師が『昨日の受診の時入院させるか悩んだよね』と妻に語りかける。『入院するか〜?!ってりょうちゃんに話しかけたら今まで無反応でママの身体に顔を埋めるように寝ていたのに、むくって起きたもんね。それで、じゃあ通院で見ていこうかってなったんだもんね』とK医師。妻は『入院って聞いて私がドキッてなったのが伝わ
すっかり更新が遅くなりました。10月23日に、食道がんの胸腔鏡・腹腔鏡下食道亜全摘、胃管再建、腸瘻増設手術が予定通り終わりました。心配していた声にも影響はなく、術後は概ね順調なのですが、体内に炎症が起きたため、抗生剤を投与しつつ経過観察中です。そのため、いまだ経口食にはたどりつけず。採血の結果、数値が改善していれば来週の月曜に嚥下の検査後、ようやく水が飲めます。長い道のりですー。私の予定では来週月曜には退院しているはずでしたが(それは早すぎるか)。ICU、HCU
HCU4日目、11月20日。夜中にトイレで起き、ナースコールを押す。その後、お腹と背中の術創が疼き、寝付けない。姿勢が決まらず、何度もベッドの角度を微調整する。そんなこんなをしているうちに朝6時の採血。左腕の血管からうまく採取できず、右腕に変更して採血。朝7時頃、主治医の先生、担当医の先生と立て続けに回診に来られた。その後、看護師さんから「一般病棟への移動、先生からOKでましたよ」と教えてくれ、荷物の整理を始めてくれた。いよいよ戻れる~!その前に、飲み込み、嚥下機能の検査があります、という
K医師が家族休憩室に入ってきた。「いろいろなことを試みようとしていますが、りょうちゃんの状態が悪くなっています。お薬もずっと最大限使ってなんとか保っている状態です。ただこの状態のまま頑張るよりも、お母さんお父さんに会ってもらったほうがりょうちゃんも喜ぶかな」と私が返事する前に妻が「お願いします」と返事する。妻と一緒にHCUへ向かう。(もう難しいってことだよな、、、本当に覚悟を決めなきゃな)先ほどと変わらない状態のりょうちゃん。管が
リアルタイムでのブログが続いていましたが、術後3ヶ月以上が経ち、記憶もどんどん薄れているので忘れないためにも入院中のことを書き残していこうと思います。もう結構忘れていますが、手帳に書いていた数行の日記を頼りに書いていきますので、肝心なことが抜けているかも。下垂体腺腫術後2日目2023年10月14日(土)朝の6時を過ぎると看護師さんがカーテンを開けますかと聞いてくれましたが、右目の複視でまぶしいのが無理になっていたのでカーテンは開けないでほしいとお願いしました。
腎臓癌ステージ3だろうと告知され1週間後、昨日右腎臓全摘手術でした。目覚めたらHCUのベッド🛏️上で、しばらくしたら、担当医が無事終わったことを話され、そして息子が入って来て、先生から聞いた事を話してくれました。今年25になる息子は童顔で私に似ず、小柄。顔を見たら愛しさが込み上げ、心配かけてる事が申し訳なくなり、しっかりしなきゃと思いました。訳ありで生まれてからずっと私が1人で育てて来ました。もちろん両親や周囲の方々からも多大なる力添えをいただいたから、出来た子育てです息子からやはり腫瘍がめ
腹腔鏡下肝切除時間は、予定より早い3時間30分(流石名医T先生👏)で終わりましたただ、全身麻酔から覚めた瞬間からずっとお腹が痛い😣💦起き上がれないので何処が痛いのかは最初分からなかったのですが、肝臓を取り出した臍の部分がずずーんと重い痛みが継続的に続いて辛かったです痛みがずっとお腹の上に重く乗り続けている感じ💦そして、腹腔鏡下手術はお腹にガスを入れてお腹に空間を作ってから手術するため、術後ガスがお腹に溜まって張るため…余計に傷口が張って引っ張られる感じがずー…っとあり…もぅ、しんどい。(ガス
さえちゃん安定してます。たまーにヨダレは溢れてくるけど持続吸引は必須ではなさそう。MRIの結果聞きました。予想通りの最悪。ショックも悲しいも分からなくなった。涙も出なかった。淡々と話を聞きました。理解したけど受け入れきれてない。他人ごとみたい。ふと、あ、さえのことなんだっけ。って思い出す。泣きそうになるけどそうなるとすぐ感情が無になる。泣きたいけど泣けないような。現実味がない。だって、さえ嫌って反応できるじゃん。酸素なくても問題ないじゃん。心臓
10時頃にHCUへお引越し個室に入れてもらったのはいいんだけど、ICUの時のように近くに看護師さんは居ない…時間はまだ14時これかは12時間以上ここで寝たまま?!そんなに眠くないし、寝過ぎと傷とで身体は痛いし…辛すぎる!絶対に辛すぎる!心細くて心細くて逃げ出したくなった身体が痛い、体位を変えて欲しい時はナースコールを押して…時計と睨めっこ。。。こんなん夜も寝られへん!っと思って看護師さんに相談すると眠剤をくれるって一安心でもでもでもでも寝てるのが辛い、傷が痛い夜勤の看護師さんに相談し
手術が終わったと言われても、うつら、うつら。ベッドが移動しているのは、わかるけど何処かわからない🌀漸くベッドが停止した。HCUだった。主人がニコニコしてやってきた。嬉しくて、嬉しくてたまらない。私は、輸液と心電図、尿管カテーテル(導尿)。他にもついていたかも。管でいっぱい。そして、足には血栓予防のエアポンプがついていた。これが実は、片足抜けていて(笑)取る頃に気づいた(笑)私のベッドの隣には、男性の患者。この方は、消化管の手術をしたようだった。そして、右隣には女性の患者。
6:00起床、7:00水分禁止、朝食なし、8:30妻が手術の付き添いのため病室に来る9:25病棟看護師と一緒に、妻と手術室へ歩く。心臓バクバクです。手術室につながる部屋に行き椅子に座ります。ピンクのナース服を着た若い看護師が8人が2列に整列しており、前列は、膝に手を置いて少しかがんでいます。まるで集合写真を撮るときのポーズですね。そのうちのリーダーらしき看護師さんが、片方の膝を立てて座り目線を私と同じ高さまで落として、「今日の手術を担当する看護師です。よろしくお願いします」と挨拶してきまし
午前中HCUから大部屋に帰ってきました当たり前のように大部屋ねずっと個室希望してんですけどね朝から普通の食事出ちゃうし、なんだかビックリですけども、そこが消化器系との違いなんですねーなんか予定より小さく取ることが出来たみたいで、手術時間も早かったらしいです。だからって本人的には術後はやっぱり辛くて、もう手術したくないなーって思いました。今回は目覚めてすぐ肩が痛くて、息するだけでも痛くて、体勢のせいだろうって動かすように言われたけど、動かせない程痛くて…それでもなんとか温めてもらった
今さえちゃんMRI検査中。まだHCUにいるからなのか鎮静かけています。ほんとは午前中検査だったのに腕のルートが点滴入れ始めたら漏れたようで面会に行くと再びCVが入っていましたその時の処置の間に下がったのか鎮静の影響で冬眠モードになったのかさえちゃん体温が35.0℃HRも50台まぁこれくらいはよくあることでもありますが。血圧がまた測れず…ドップラー登場。担当看護師さんが何度測っても血圧40台とか下は10台…うーん。さえちゃん?医師もやってきて2人がかりで血圧測
昨日術後ICUに入りましたが経過が良くて夕方HCUに変わりました。そして今日お昼に病室に帰って来ました❗️まだしんどいので今日は報告まで。
医療がすばらしいと感謝しながらわたしはこう考えている。病院とは元気な人間のためのものだ。ある程度ね。母は、目が覚めれば意識は元気だ。そう。目が覚めれば、の話。昨日、HCUの看護師に「家族から見た状態や気づいた事」を話した。特に透析についての家族目線の気づき。ほんの一言だけど。不思議だよな。目を覚ませば、何ごともなく話すのだから。目を覚ませばね。の話。
無事手術が終わりました。今まで大きな病気をしたことがなかったから、全てが衝撃的でした…笑背中に痛み止めを入れる時と、手術終わって麻酔が効いてぼーっとしてる中、家族の顔が見えた時の2回だけ涙がツーと出ました。痛いとかではなく「私の大切な体の一部…ありがとう…さようなら」と「父、母、妹よ。無事終わったよ。心配なしだよ。」という気持ち。何故か叔母さんもいました。2017年10月24日火曜日手術前日手術前日にはMRI写真見ながら先生から家族へ詳しい説明があった
こんばんは。お久しぶりですなかなかブログを書けずにいました。体調が悪いのもそうだけど、厳しめのダイレクトメッセージがきて精神的にやられ、ブログから離れてました💦まだしばらく書けないなぁ〜なんて思ってたら、まさかの…緊急入院しました11月14日から始まった大量出血がね、29日に、とうとう3kg(3,000ml)超えちゃったんです。鉄剤は飲んでたけど追いつかず心臓が苦しくて立てなくて息もゼイゼイして呼吸が出来ない…28日の日曜日には、1日で1.5kgも出血しました🩸
年が明けてから1月3日、HCUに移ることになりました。結局ICUには1週間いたんだなぁ、、。頭が痛くて、ひたすら耐えて、座る事も難しいので薄暗い部屋で寝ながらずっと天井眺めて、看護師さんが動く様子をひたすら見つめて。1日が永遠にも感じる、ほんとにつらかった時間。スマホも使えなかったし、のちに大活躍したタブレットもなかったし、コロナ禍で家族の面会もなかったし、余計つらかったです晴れてHCUへ脱出「行ってらっしゃい~」と言われながらストレッチャーで移動。4人部屋に入って窓際の場所明る
こんにちは。皆様お久しぶりです。少し予後が悪く放置していました。さて、いよいよ手術当日の朝になりました。先生が朝来られてゆっくりねむれましたかー。なんておっしゃられまして、ぐっすり寝ました☺️なんて答えました。心配しなくて大丈夫よと肩を揉まれ緊張もほぐれ安心しました。9時30分から手術でした。術着に着替え歩いて手術室まで向かいました。手術室手前で両親が来ていました。コロナ過で面会ができない為入り口で数秒の会話でした。
こんばんはree_coですご覧いただきありがとうございます【夫の病歴】2011年下咽頭〜食道がん2013年悪性リンパ腫2017年下咽頭がん再発2018年2月放射線治療の後遺症による喉頭軟骨壊死4月軟骨壊死による気管支狭窄からの誤嚥性肺炎10月心筋梗塞辛いだけだった夫の闘病の日々。でもこの経験を無駄にしたくないとブログを始める決意をしました!笑いあり、涙あり、そして時々愚痴もありの闘病記です2018年10月胸の痛みと苦しさを訴え救急外来に駆け込んだ
ブログをご覧の皆様♡いつも暖かい心をありがとうございますクリスマスのみならず…いつも子供とのイベントに張り切りすぎる私旦那様からは毎度『うち何人家族か知ってる?』とやや呆れられちゃうぐらい(笑)作るだけ作って母は満足お腹いっぱいおチビらは意外に少食余興・ゲームに全力を注ぐ長女・次女は痩せの大食いだが居ない時が多いそう!上2人が大きくなってからは、ほぼ残飯処理班は旦那様となるのだ(笑)子供達と過ごせる時間て私の中では本当に短い過ぎてしまえばあっちゅう間…いつか家族とじゃな
★35日目今日、夫は、とうとう✨一ヶ月以上お世話になった✨HCUから一般病棟へ移る。。。朝から用事を済ませ、いつもより遅めに面会へ。。。。とんでもないサプライズが✨😭✨なんと!?夫が喋った😲✨👏昨日、高気圧酸素から戻ったあたりから、痰もとまり、凄くいつもと、様子が違ったらしい✨高気圧酸素ってすごい😭✨😭✨本当に、神様ありがとうと言いたい🥺(高気圧酸素療法は、病気により、回数が決められており、一酸化炭素中毒では10回のみが通常。それ以上行うことはないらしいが、それを特別に、更に10
事故の7日後痰を自力で出す力が弱く、酸素の数値が下がるため痰を出しやすくする機械を使用するのことになる。熱は高いままで、苦しそう。鼻から胃に栄養を入れてみるが、半分以上吸収されず中止となる。事故の8日後ICUから→HCUに移る。脳の腫れのせいで目も腫れていて閉じない状態。頭の手術のあとのガーゼが外される。事故の9日後熱は相変わらず高い。痰で苦しむ回数は減ったかも。目の保護シートは、閉じないので縦に貼られる。事故の10日後熱は高い。胃に入れる栄養は中止のまま。事故の11
母が亡くなったときのことを書いたが死という事実以外にも衝撃だったことがあったので記しておくいまのわたしは人生の棚卸しの時期にいるから*******いよいよ危篤となったときHCU(HighCareUnit)の責任者である看護師長がわたしに言った「お母様の個室は面会フリーにしました」「連絡したいかたがいれば今のうちに」特に連絡したい親戚はいなかった母が大切にしていた甥たち(わたしの従兄弟)はみな土日に関係のない公務員なので恐らく個人携帯は繋がらないその他の親戚は母自ら疎遠にし
わたしはHCUにもう一泊するのですが、両隣は午前中に一般病室に戻っていきました。そのあとにその日手術を終えたひとが入ってくるため、準備が終わるのが先か入ってくるのが先かみたいな戦争が起こっていて、とてもたいへんそうでした(裏側を見た……と思いました。音だけですけど)。また、手術のときからずっと横になっていたわけですが、リクライニングの機能でベッドをすこし起こしたら、まあお腹に響くわけです。途中で止めてもらって、その位置でしばらく慣らしてから、またすこし起こしてもらって慣らして、という感
るいくんのお母ちゃんさんのプロフィールページhttps://profile.ameba.jp/meお早うございます🌞昨日主治医から経過報告の電話が有りましたDr.)肺炎の方は軽度だったのでCRPはマイマスになっています問題は肺のほうですね呼吸は呼吸器で12時間(半日)酸素マスク3~4L(半日)で経過中ですこれからはSP02の低下がみられるので呼吸器以外は酸素マスクをすることになります元のように施設に戻りたいと思われますが施設では少し難しいかなぁと感じています
前回に続き2回目の手術を受けました何の躊躇もなく・・。寝て起きたら治ってる。そんな気持ちでした。ですが、違っていました。予測不可能でした。こんな事になるなんて・・・・手術から目覚めました。終わったよー」先生目が覚めたその時世界が変わっていました。視界がぐちゃぐちゃ頭がぐらぐらふわふわえっ目が、顔の感覚がえっ終わりました。今までにない感覚。全く平衡感覚もなくこのままどうしよう・・と思いました。とりあえずまたHCUに入れられました。時間がたつ