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1972年8月25日DD54のトップナンバー機が636レを牽いて生野峠を登り、生野駅に着いたときの事です。12:06定刻生野駅を発車するDD541636レが生野駅に停車するや否や運転室から機関士と機関助手が降りて来て汗を拭き拭き駅本屋に向かう機関士の姿がありました。下り列車を待っている夏休み中の子供達がホーム上で楽しそうです。機関車に何か不具合でも起きたのでしょうか?DD54のそばで留守番をしていた機関助手が機関車の下回りを覗き込んでいます。やがて機
近年、鉄道雑誌やディーゼル機関車関連サイトで、ディーゼル機関車DD54が寝台特急《出雲》を牽引した期間が昭和47年(1972年)3月から昭和49年ごろまでと記されている記事を散見します。此の昭和49年ごろの“ごろ”と言うところが微妙ですが、昭和48年8月の夏休みに山陰本線西部へ撮影に行った際に、既にDD51が牽く特急《出雲》を実際に写真に撮っている私にとっては、とても違和感を覚える記事です。上は昭和48年3月黒松駅下り方で撮った写真です(無断転載厳禁!)上↑のDD5435
こちらの造形村・DD54のレストアをします例によって、元箱、説明書、付属品なしのジャンク品を比較的安く手に入れたものです一見、このままでも良さげですが片方の手すりと解放てこが欠品ですあと、6次型なのにでたらめな車番貧相なジャンパ栓、ホースもなんとかしたいところですそれからホイッスル、信号炎管の追加さらに意味ありげな穴に何かを追加😅が目立つところです早速上下を分離しますネット情報の中には、4本のネジを外せば簡単に分離と書いているものもあり
今日は四枚1977年に撮った一本のフィルムからそれぞれのディーゼル機関車を...DD5428上り普通列車播但線、長谷~生野1977.04.23晴れDE101152上り普通列車播但線、溝口?付近1977.04.24晴れ寺前~姫路の区間運転列車で、朝と晩にDEが牽いてましたね~。目玉はオハ41でした。DF5054上り普通列車紀勢本線、古座~紀伊田原1977.04.29晴れ電化直前の紀勢本線です。
ブログナンバー5400にちなみ、今回は5400…ではなく「54」のお話を。国鉄時代、「54」というと以下の形式がありました。C54DD54ED54EF54スロ54モハ54キハ54どれも影が薄いか、又は悪い意味で強烈な印象を残す形式です。そのためか、鉄道趣味界では「54の呪い」なる不穏な言葉もあり、形式番号「54」、特に機関車のそれは不遇・薄幸なものが多いとされます。【C54】昭和6(1931)年に17両だけ作られた。その3年前まで量産されていたC51の後継機となることを見込
エンドウ製のDD54をちょっと前に手に入れていました。DD54は、学生の頃作ったDF50と共に気になる車両です。DD54は、DF50、キハ82と共によく地元の福知山線で活躍した車両です、実際の車両は、ドライブシャフト折損など故障だらけで評判わるかった様ですが、よく見かけた車両であり、やはり思い出の車両です。で、造形村のモデルは数万円なので手が出ず、ヤフオクで5000円ぐらいで入手したものです。作りはアルミダイカストでとっても重く、我社の標準保管箱では、下に敷いていたプチプ