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わたしの好きな蒸気機関車を見に室蘭市にあります。旧室蘭駅公園の蒸気機関車のD51560号機を見におじゃま♪こちら、旧室蘭駅は、1912年に建てられた、北海道内の駅舎の中では最古の木造建築物で国の登録有形文化財とJR北海道の準鉄道記念物にも指定されている歴史のある駅舎で、現在のJR室蘭駅より、約1キロ先にあります。ほか、1975年12月14日ここ室蘭駅より岩見沢駅に向けて国内最後の旅客の蒸気機関車運行が行われました。数年まで室蘭市青少年科学館に置いてあったのですが歴史のある
真夏の白昼夢それは昭和47年8月27日のこと浜田区に居たD511の梅小路入りを記念して出雲市ー米子間に四重連の記念列車が仕立てられたのです。記念列車とは言えスジは未だ浜田区のC57の通常運用だった546レで米子まで行き、復路は通常DF50牽引の533レのスジが充てられました。もうこの頃になるとイベント列車なら12系客車が使われることも考えられましたが、定期列車のスジで運転されたこともあり鋼体客車を使われたのも嬉しい出来事でした。D511を先頭にした四重連がヤマタノオロチ伝説の斐伊
三江北線に入る気動車の横で下り列車を牽くD51の運転整備が続きます。243号機は長門の機関車のようで集煙装置が着いていません。1971年8月15日キハ65の車内から浜田機関庫を望みます。機関庫の妻壁は長年の蒸機の煙に燻され真っ黒です。1972年8月8日改札口からも機関区に憩うD51を見る事ができました。集煙装置が着いていないのは長門の機関車着いているのが浜田か米子の機関車でした。1972年3月31日この春から特急「やくも」の新設、「出雲」が特急に格上げされ
小学生の頃の思い出で1番印象に残っている事は?▼本日限定!ブログスタンプ1869年(明治2年)のこの日京都市に日本最初の近代小学校「上京第二十七番組小学校」と「下京第十四番組小学校」が開校その日を記念した日だそうです私の母校開智学校かなって思って調べてしまいました京都も子供が減って古い小学校が次々と閉校になっていますね人口減少に歯止めがかからない鎌倉の記事書いてきましたがぐんま旅の記事に戻します水上駅に驀進するSLの写真撮り終えたら急いで向かうところが有ります
ちょっと間が空きましたが、今回は摩訶不思議(?)な、D51-1116号機です。デゴイチは、使い勝手も良いカマであり、第2次世界大戦時の大量貨物輸送に対応するためもあり、国内で最多両数の1115両が製造されました。また、台湾やサハリン向けなどのデゴイチが、これとは別に69両製造されています。で、戦局が悪化し、制海権が無くなると、一部の海外向けのデゴイチが輸送できなくなり、空襲等で壊れたカマの代わりに同じ番号で国内を走っていたカマなんかもあります。ちなみに、サハリンD51については
10月4日の、くさせんりさんとのお出かけ記録ですが、今回だけはタイトルを変更しています・・・・。生まれて初めて直方汽車倶楽部にやって来ました。ここは、本来鉄道模型ショップですが、知る人ぞ知る九州保存蒸機の聖地です。豊後森機関庫の9600形蒸気機関車29612号機をはじめとして、直方汽車倶楽部が整備を行っている静態保存のカマは多いです。その直方汽車倶楽部の顔というべき存在が、この9600形蒸気機関車59647号機です。9600形蒸気機関車は、大正2年に登
元あびら町鉄道資料館時代のD51320です撮影日:2007年6月22日道東からの帰り道、いつもと違うルートを使って苫小牧に向かっていると追分の辺りでとても手入れの良いD51の静態保存機(動態?)が目に入ったので寄ってみることにしました。あまり静態保存機には興味がないので普段はスルーするのですが、このD51320は今にも動きそうな雰囲気なので思わず立ち寄ってしまいました。ロッド類に色が入っているのが唯一の残念な処ですD51320の入る建屋には「あびら町鉄道資料館」の看板がありど
2018年10月28日JR東海主催のさわやかウォーキングに参加しています。蒲郡博物館にやってきました。博物館の敷地内にD51式蒸気機関車が保存されていました。小学生の手紙がきっかけで、昭和48年7月にD51201号機が蒲郡にやってきたのです。蒸気機関車を末永く保存するため、ナンバープレートにあやかって、昭和51年2月1日に「蒲郡SLを守る会」が発足したそうです。清掃や写生大会、機関車展等の活動をしながら保存活動をされているようです。D51
•••え〜前回の物欲バンザイで…前回の「物欲バンザイ」なのよ(@ ̄ρ ̄@)←『(〃゜Д゜)ノ{…物欲バンザイ!【GWトレジャーハントの結果】そにょ②』•••(〃´д`)ノ{…コレの続きというコトですが(笑)…はい、スタンプラリーが終わったあと浜松周辺にてガラクタ探し…いや、お宝探しをしたのでそのご報告をば…ameblo.jp…「GW最終日、横浜西口にて鉄道模型も大収穫だった」と言っていたのは覚えていますかな?わすれてしまった人たちは前回のを見て確認してくれても構わないわよ?フフ(@
JR西日本はJR山口線の観光列車「SLやまぐち号」の運転再開!(2年ぶりの定期運行再開)再開日:2024年5月3日(憲法記念日)運転区間:新山口(10:54発)~津和野(13:07着)津和野(16:12発)~新山口(18:00着)土日祝日の運行(1日一往復)HPSLやまぐち号公式ホームページSLやまぐち号の公式サイト。運行日やイベント情報、周辺スポットの観光案内などを紹介しています。新山口から津和野までロマンあふれるSLの旅をお楽しみください。www.c571.
(前回ブログの続き)★前回ブログはこちら✏↓↓↓↓↓【No.1東北トラベル】岩泉☆水深98mの青い地底湖・龍泉洞【No.2東北トラベル】ふれあいらんど岩泉☆ブルートレイン「日本海」【No.3東北トラベル】今も泊まれる!B寝台車車内探訪☆ブルートレイン日本海【No.4東北トラベル】開放A寝台車オロネ24貸切り宿泊(ブルートレイン日本海)【No.5東北トラベル】寝台列車で迎えた朝(ブルートレイン日本海)【No.6東北トラベル】三陸鉄道北リアス線
人吉鉄映会です。コロナ第3波が非常に気になるところですが、人吉球磨関連情報として、11/19に熊本県の樺島知事が球磨川の治水対策として「流水型(穴あき)ダムとしての川辺川ダム容認」を表明しました。治水方法に関してはダム建設や川床掘削など色々な意見が出されていましたが、最終的には川辺川の流れを妨げず、洪水時の危険性がある場合のみ貯水する流水型川辺川ダムの建設方針に踏み切ったようです。しかしながらこのタイプのダムは設置されているところもありますが洪水の恐れのケースがまだ発生しておらず、
JR西日本・D51200号機とJR東日本・D51498号機の比較!D51形蒸気機関車は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造した、単式2気筒で過熱式のテンダー式蒸気機関車です。主に貨物輸送のために用いられ、太平洋戦争中に大量生産されたこともあって、国鉄における所属総数は1,115両に達しており、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車1形式の両数でも最大を記録した。この記録は現在も更新されていない。現在、動態保存されているD51形蒸気機関車は、JR西日本
こんにちは。新型コロナウイルス感染症(COVID19)が感染拡大の傾向にあります。この状況がいつまで続くのか…、一日も早い収束を願うばかりです。とにかく感染拡大を防ぐためには、私たち一人ひとりが、最新かつ正確な情報に基づいて落ち着いた行動をする、特に「手洗い」「うがい」「部屋の換気」「咳エチケット」「過労を避け体の抵抗力を高める」等、今の自分に出来る事を地道に実践していく、これが大切だと思います。まずは皆でしっかりと予防ですね。さて、先日やっぱりと言いますか…(汗)、KATOの「
訪問日2024年4月29日場所北海道士別市つくも水郷公園※少し記事の分長めD51397は北海道士別市に保管されているデゴイチです。番号にピンとくる方もいるかもしれません、本機は名寄市のキマロキ編成に組み込まれている398の兄弟機で1両先に生まれた機関車です。本機397と398は兄弟そろって宗谷の大地で保管されています。機関助手席側のフロントガラスの屋根が少し曲がっていました外で保管されている以上仕方ないですね、その分厳冬の大地で長い間士別の道を見守るという重要な任務に
皆さま、こんにちは!北海道を旅するたびにスゴイなぁと感心していること。それは、保存されてる鉄道車両が多いことと、その保存車両の状態が大変素晴らしいことです。先日のブログで、昭和44年に廃止された、函館本線の旧線上にあった神居古潭駅跡のことを挙げましたけど、あそこにも3両の蒸気機関車が保存されてましたよね。しかもピッカピカのやつが。石北本線沿線にある北見市内にもステキな保存車両がありまして、先週、これらを見るために周ってきました。合計3ヶ所にある保存車両ですけど、半径
三重県護国神社から1キロほど歩いて比佐豆知神社へ比佐豆知神社【ひさづちじんじゃ】社宝の高麗狛犬に記されてある年号に依りますと、凡そ1300年前から現在の地に御祀りしてあると言う事になります。当社は延喜式内社で神饌幣帛料供進指定社となって特別の取扱いをされてまいりました。又、藤堂家代々から御供米等寄附され毎年の大祭には、藩主を始め領内の人民多数の篤い崇敬がありました。明治2年には、明治天皇神宮参拝の節、勅使御代拝御玉串献上されています。社号標の文字が可愛い鳥居は真っ白で綺麗や
書類上では昭和48年(1973年)10月秋の改正で関西本線は無煙化された事になっていますが、実際にはDD51の配属が上手く行かずに昭和48年10月に入っても暫く細々と奈良区のD51が荷物列車や貨物列車を牽いていました。私は何でその情報を得たのか?記憶も訪れた日も定かではありませんが、半信半疑で関西本線を訪れることにした日の事です。関西本線に蒸気機関車の「さよなら列車」が走った事がテレビニュースで大々的に放送されたので、さすがに他の撮影者に出会う事はありませんでした。ただ沿線でカ
やまぐち号にも乗りたいねぇ(^^)皆んなの憧れD51🚂母が(自宅から)汽笛が今日は長〜く鳴り響いていたなぁ‼️と言ってましたが、汽笛を高らかに鳴らしたのはワタシだ🤭
現役蒸機終焉期のころでもD51はかなりの数が居て、両数が多いだけにバリエーションが豊富で個性的な機関車が多く、中でも戦時型のD51は戦後に性能に関係のないデフやドームはそのままの罐や程度の差はあれ標準型に寄せ換装された罐など戦時型D51だけでも一両一両本当に様々な形態のD51が存在していました。風景重視で撮っている私でもシルエットで形式が判別できるようなアングルで待っている時にカマボコドームのD51が来たときは正直残念な思いがしたものです。それがどうしたことか移動の関係などで
斐伊川流域に広がる出雲平野には洪水から家を守るための築地松が点在する風景が展開していました。山陰本線はその築地松の間を大きくカーブしながら斐伊川堤防へと登り詰めるのですが、山陰本線の列車と築地松を上手く絡めて撮影することは高校生の私には中々難しい課題でした。姿の綺麗なC57が客車を牽き連れ斐伊川堤防に現れました。山陰本線直江-出雲市1973年3月斐伊川を渡るC57101牽引の544レ山陰本線出雲市-直江1973年3月築地松の点在する出雲平野を行く石州号山