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港には、薄い霧が漂っていた。春の終わりの海風は、岸壁に並ぶ人々の薄手の洋服の裾を静かに揺らしている。巨大な客船がゆっくりと汽笛を鳴らした。低く長い音が海へ溶けていく。甲板の手すりに寄りかかりながら、キャンディはゆっくりと遠ざかるアメリカの海岸線を見つめていた。シカゴ。ポニーの家。アルバート。アニー。ステア。アーチー。パティ。たくさんの人たち。たくさんの思い出。嬉しかったことも。苦しかったことも。全部があの大陸の向こうへ残っている。けれど不思議だった。胸は痛むのに
八月の終わり。窓を開けると、まだ残る夏の匂いのなかに、ほんのわずかだけ秋の気配が混ざり込んでいた。スザナは机の上に、小さな紙袋をそっと置いた。中に入っているのは、一枚のレコードだ。あの日、テリュースの心をあれほど揺さぶった曲を、自分も同じように、きちんと聴いてみたいと思った。蓄音機にレコードを載せ、そっと針を落とす。小さな針が刻む雑音のあと、静かな音が部屋を満たし始めた。A面に収録されていたのは、あのときラジオで耳にした曲だった。『汽笛の彼方へ』細やかな音が絶え間なく重なり合い、やがて静寂
初演の幕が上がってから、まもなく一年。空前の熱狂を巻き起こした『ハムレット』は、初夏の再演を経て秋を迎えた今もなお、あふれんばかりの観客を迎え続けていた。夜ごとに劇場の前に伸びる馬車や自動車の列。幕が下りたあとも楽屋口を離れようとしない人々の気配。翌朝の新聞を開けば、舞台評の活字のなかに、いつでもテリュース・グレアムの名を見つけることができた。舞台の稽古に、衣装合わせ、取材や劇団との打ち合わせ。マチネのある日に至っては、朝から晩まで息を吐く暇すらない。ひとつの幕が下りれば、待ち構えていたように
二月になっても、マンハッタンの風は容赦なく頬を刺した。ガラスの回転ドアが開くたび、乾いた冷たさが廊下へ入り込んでくる。鼻先をかすめるのは、いつもの消毒液の匂い。磨かれた床。洗いたてのタオル。診察室の奥で交わされる低い声。何年も通っているうちに、そのどれもが特別ではない日常の欠片になっていた。スザナにとって、リハビリはもう「歩くため」だけではなくなっていた。最近になって、小さなラジオ局で物語の朗読や番組のナレーションを任されるようになった。長時間立ち続けることはまだ難しい。それでも、義足