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その夜、RSCの劇場は異様な熱を帯びていた。近くを流れるエイヴォン川の水面には劇場の灯りが細く揺れ、空気の中で、観客たちの足音が石畳に重なっていた。演目は『リチャード三世』。主演はジュリアン・リード。RSCが、次のロンドン公演で『ハムレット』を任せようとしている男だった。誰もが、それを知っていた。劇団内でも、批評家たちの間でも、演劇学校の若い俳優たちの間でも、すでに空気は決まっていた。ジュリアン・リードは、次のロンドン公演でハムレットを演じる男になる。そして、今夜の『リチャード三世』は
ポニーの家の大きく開け放たれた窓からは、焼きたてのクッキーの甘い匂いが午後の風に乗って流れ、丸いテーブルには、湯気の立つ紅茶が静かに並べられている。そのテーブルを囲むように座っているのは、キャンディ、アニー、そしてパティの三人。それぞれが別々の場所で新しい時間を生き始めてから、以前のようにただ他愛もない話をしながら笑い合う時間は、いつの間にか少なくなっていた。だからこそ、こうして三人だけでゆっくり顔を合わせる午後が、たまらなく懐かしく感じられるのだ。ポニーの家の窓を揺らす風も、遠くから聞
ストラトフォード・アポン・エイヴォンの雨は、音を立てずに降る。窓を叩くほど強くはないが、いつまでも止まらない。今日も細い雨が石畳を濡らし、エイヴォン川の水面に細かな皺を作っていた。劇場裏口の鉄階段には水気が残り、踏みしめるたび、靴底が鈍く鳴った。RSC。建物は、今日も静かだった。だが、その静けさの奥には、獣の檻のような緊張がある。テリュースは煙草を指先で回しながら、裏口から劇場へ入った。廊下ですれ違う俳優たちは、軽く会釈するだけだ。誰も愛想よくはない。歓迎されていない。その事実だけは、日
今さら・でも―キャンディキャンディいつもアクセスいただきありがとうございます©水木杏子/いがらしゆみこ画像お借りしますブログを最初から読む二次小説を最初から読む11年目のSONNET目次スピンオフ本編前本編後キャンディ雑談を読むFinalStoryの考察を読む考察①FinalStoryって?考察②新旧手紙の比較考察③あのひとは誰?考察④Finalと漫画の違い考察⑤テリィの手紙考察⑥男アルバートさん考察⑦
マーロウ邸の二階、客間の薄暗いランプの下で、テリュースはひとり椅子に座っていた。膝の上には開かれたままのハムレットのクォート1。だが、文字は全く入ってこない。「愛していると言って」と震える声。スザナの泣き顔。君のことを愛している。ずっと側にいる。テリュースは、自分の吐いた言葉の空洞に吐き気をもよおした。それは決して嘘ではない。だが絶対に真実でもなかった。(俺はどこまで卑怯になれる?)テリュースは指を組み、額に当てた。指先に、母を抱えた時のスミレと水仙の匂いがまだ残って
空は、朝から重かった。低く垂れ込めた灰色の雲。霧混じりの風が、エイヴォン川から街へ流れ込んでくる。テリュース・グレアムは、劇場前で足を止めた。王立シェイクスピア劇団。RSC。重厚なゴシック建築の建物は、ブロードウェイとはまるで違う空気を纏っていた。派手な看板はない。スター俳優の巨大ポスターもない。客を煽るような明るい文字もない。ただ、長い年月の中で積み重ねられた“演劇そのもの”の重みだけがあった。入口脇のポスターには、『リア王』『十二夜』『マクベス』『ハムレット』の文字。そのどれもが静
翌朝、テリュースは誰よりも早く稽古場に入った。木の床には、誰かの落としたペンが転がっていた。テリュースはそれを拾い、机の上に置く。そして窓際の椅子に腰掛け、『ロミオとジュリエット』の脚本を開いた。ロミオとジュリエット。その名前を見るたび、テリュースの胸の奥に痛みが走る。あの役は、美しい。若さがあるし、熱がある。言葉が光っている。だが、その光の奥には、死がある。テリュースは、ページをめくる指を止めた。ずっと以前なら、ロミオを演じることは怖くなかった。恋を語ることも、愛を誓うことも、相手の