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墜落現場の朝(前編)1985年8月28日朝日新聞朝刊立命館大学産業社会学部深井純一教授の投稿から【題名】鈍かった日航機救出活動深井教授はゼミで長野県南牧村の知人宅に8月12日から宿泊しており、事故現場へ救護隊として駆けつけようと翌13日早朝4時半にゼミの学生らと合わせて4人で事故現場を目指して自家用車で出発。長野県北相木村から群馬県上野村へ入ろうと試みたが、警察の検問に阻まれて止むを得ず迂回し、南相木村の川沿いの林道の終点で車を乗り捨てて7時に入山した。約3時間余りで事故現場(御
阿部と白鳥は無断外出から無事に隊舎に帰り着くと、待ち侘びていた谷口と北沢に無言で新聞を手渡した。消灯になり照明は消したが、ある者は憤慨しある者は冷静にこの件について意見し合った。皆、外部からの飛行物体による衝撃で損傷したとする見解で一致した。飛行物体についての議論阿部:問題は何が垂直尾翼を破壊したかだ。北沢:まさかミサイルじゃないでしょうね。阿部:ミサイルなら信管でも外さない限りあんな損傷にはならないよ。白鳥:例えば航空機そのものだとか。谷口:航空機ならその相手もダメー
「機長、これから横田基地にエスコートしますので付いて来てください」「了解しました。ただハイドロがダウンしていますので殆どアンコントロールです。エンジンコントロールとエルロンでどうにか付いて行けると思います」こんな状態で果たして横田までエスコート出来るだろうか、もし自分が高濱機長の立場なら自信がない。阿部はそう思いながらJAL機の前へ出ようとした時、思わぬ光景を目にした。旅客機だから当たり前だが、乗客が窓から盛んに手を振ったり手を合わせたりしているのである。阿部は胸が締め付けられる思いで任務
●この記事の画像は、墜落した日航ジャンボ機昭和60年(1985年)8月12日。日航機が、操縦不能に陥り、御巣鷹山に墜落した。この悲惨な事故により、520名のかたが亡くなった。犠牲者の中には、人気歌手の坂本九さん、阪神タイガースの球団社長もいた。ところで、この事故機に偶然乗らず、奇跡的に助かった事で有名なのが明石家さんまである。さんまは、東京のテレビ局で番組を収録した後、事故を起こした123便で、大阪へ帰る事が当時しょっちゅうあった
御座山とマスコミを使って誤報させた黒幕は、国際金融資本の配下にある「日米合同委員会」(現在のGHQ)です。日米合同委員会なら自衛隊や警察に限らず日本政府すら意のままに動かす事が出来ます。日米合同委員会が関わっていると言う事は、この飛行機に搭乗している乗客の中に、確実に国際金融資本の敵として殺さなければならない人物達が搭乗していたと言う事です。一番可能性の高いと思われる話があります。当時、トロンと言うウインドウズより先進的なOS開発があり、そのOSは貿易摩擦の関係で無償で世界に普及する可能性
田村飛行隊長は話を続けた。自衛隊と米軍では123便の墜落地点を正確に把握していたが、国の上層部はそれを直ぐには公表しなかった。123便にB-1の塗料が付着している可能性があるとして、先ず意図的に墜落地点の誤報を流した。その間に陸上自衛隊の精鋭部隊である習志野第1空挺団が大型ヘリで墜落地点に飛び、残骸の中から塗料が付着している部品を回収したのである。回収を終わらせてから国は正式な墜落地点を公表した。それは日付けが変わった午前4時頃だということだ。もう一つの現場、相模湾には123便の損失したラ
はじめに2021.10.17この日は私にとって忘れられない衝撃の1日となった。日本航空123便墜落事故の調査をするうちに、縁あって連絡を取り合っていたY氏から非常に重大な内容の資料を託されたのである。資料はPDF化したデータを3つに分けてメールで送って頂いた。時は1985.8.12日本航空123便に非常事態が発生してから直ちにアラート発進したF-4EJファントム.2機の編隊長.阿部典之元一等空尉の105頁にわたる大変貴重な記録である。阿部氏は記録を完成させたその日のうちに旧知のY氏に託
圧力隔壁破断説の根拠と示されるものは衝撃波による外部要因で説明できる☆以下に事故調査報告書が後部圧力隔壁から破断が始まった根拠として挙げている事項を羅列するが、これらは全て衝撃波による外部からの衝撃力で説明できる事柄である。⚫︎後部圧力隔壁は上方の第1ストラップと第2ストラップの間で大きく非与圧側に折れ曲がっていた(報告書.写真77〜83)⚫︎与圧側の断熱材が後部圧力隔壁の後方の非与圧区域(水平尾翼.垂直尾翼残存部.胴体後部)に広く付着していた(同写真94.95.97.98)⚫︎後部胴
みんなが分かってしまえば終わりです変なことやれば直ぐにバレます分からない、洗脳されているからバレないんです。この構造が分かれば誰も従わなくなるのを奴らは1番恐れていますだからショックドクトリンを使うんです戦争で人を殺しまくるくらい奴らには御茶の子さいさいです。人々が恐怖におののいて奴らの思う壷にハマるのを待っているわけですね。今回のコロナはウイルス怖いぞと騒ぎ立てれば、羊のように正体不明のワクチンと称する毒薬を打たせると言う事が判明しました。奴らは行動学を悪用し
墜落現場からは、垂直尾翼の破断部が全く回収されていない⁈事故初期の垂直尾翼損壊後に、いったいどれだけの垂直安定板が残存したのか。先ず、事故調は下図(P163.付図27)にて格子柄の部分が山中から回収した残骸として、事故現場から回収された部分と記している。さらに事故調は、最終的な墜落時の垂直尾翼残存部分を下図(付録11.付図10)のA.B.E.の部分として全体の41.61%が残存したと結論づけた。これには東京都西多摩郡奥多摩町日原で、非番の警察官である山崎啓一さんが撮影した写真(18:50
グエぇ〜!この内容ヤバいよ〜日航123便墜落事故が日本のGDP下落の最大の原因だったとはhttps://x.com/donburikanda/status/1772763259785134311?s=20【衝撃】日航機123便墜落の真実なぜ日本は未だに対米従属のままなのか?2024年3月16日の三橋経済塾における講演の一部を森永卓郎先生の許可を頂き、配信させて頂きます。全編をご覧になりたい方は、三橋経済塾にご入塾下さい。https://members13.mitsuhash
第4エンジンは大破.粉砕し原型を留めず日本航空123便は、墜落の最終局面では+3Gの斜め垂直旋回で機首を上げながら地上との衝突を避けようとした。しかし右バンクの姿勢で右主翼を一本から松などの木々に接触させて、右主翼と第4エンジンが破損。続くU字溝では機体後部胴体を地面に打ち付けて垂直尾翼や水平尾翼などが脱落し、弾みで反転して舞いながら約600m先の御巣鷹の尾根に背面から叩きつけられた。⚫︎事故調によれば、左主翼の第1.2.エンジンはU字溝での接触で外れ、500〜700m飛び、墜落地点(
翌8月13日0600.百里基地に起床のラッパが鳴り響いた。眠い目を擦りながらベッドを整頓していたところに警務隊の当直士官が入って来た。「おはようございます。本朝の朝食は食堂ではなくこちらで用意しますので本庁内で摂っていただきます。その後はここで待機してください」すぐに阿部が、「一度隊舎に帰らせてくれ。着替えや洗面道具など他にも取って来たい物がある」「申し訳ありませんが、本庁から外出させぬよう通達を受けております。隊舎に必要な物があればメモを渡してください。警務隊員に取りに行かせます」
翌日の出来事としてバーバスポイント基地飛行隊との共同飛行訓練の様子が描写されている-中略-訓練後、4人は隊舎に戻りミーティングルームに集まった。先ず阿部がK子から仕入れた情報として、日本国内では7年前の尻もち事故歴が調査の対象になっていることを話した。そこにケインがやって来て事故についての議論が始まった。「新たな情報を入手しました」4人はケインの次に出て来る言葉に少し緊張した。「皆さんがJAL機をエスコート中に遭遇した岩国からのC-130輸送機のクルー6人が、JAL機墜落の翌日アメ
大月旋回につき.飛行経路図は事実無根である(後編)隠された真実前編にて.大月市上空のループ状旋回について.飛行経路図とDFDRを照合して旋回半径.距離を概算した。その結果.旋回半径は約4.80km.旋回距離は約30.6kmとなった。旋回開始を40′52″.終了を43′32″とし.旋回所要時間は2分40秒間の設定で概算した結果である。⚫︎念の為.DFDRのデータから旋回所要時間を算出する。✴︎この場合.計算の規則上.CAS:校正対気速度ではなくTAS:真対気速度を用
日航機墜落事故関連そこに友情は無かった黒田匠ワタナベケンタロウ氏の私に対する根拠なき誹謗中傷が過ぎる。当方が抗議しないことをいいことに図に乗るのはいい加減にしてもらいたい。自らの狭量が元で協力者が離れて行ったにもかかわらず、それを恨んで虚偽の言い掛かりを付けて相対的に自分の位置を上げようとする卑劣な行為は許されない。よって事実を説明する。とはいえ一時は同じ志をもつ仲間として全面的に信頼した相手でもある故に誤解が解けることに期待したい。▪️対象ワタナベケンタ
◉垂直尾翼損壊の貴重なサンプル墜落事故翌日.8月13日の夕方に相模湾で護衛艦「まつゆき」に発見され回収された垂直尾翼の残骸は、前縁上部のまとまった部分形状をよく維持しており垂直尾翼の破壊状況を知る上でたいへん貴重なサンプルとなった。また8月14日午前10時頃に航行中の漁船によって下部方向舵最上部の残骸が回収された。図①図①B747垂直尾翼模式図🔳回収された垂直尾翼前縁上部の破壊状況日本航空123便は相模湾伊豆沖の上空で異常事態に見舞われ、その際に破壊された垂直尾翼とAPUの大半
伊豆半島に鳴り響いたソニックブームの音圧レベル(デシベル.dB)を概算す事故当日18:24′の初期事故とほぼ同時刻に、伊豆半島.賀茂郡河津町の海岸で、住民が波の音をテープに録音中に偶然ボーンという音が録音された。日本音響協会で分析した結果、サウンドスペクトログラムから衝撃波によるソニックブームと断定され、その音エネルギーは波の音の30倍以上と解析された。また事故発生40秒後に賀茂郡東伊豆町の東京大学地震研究所.箒木山観測所で微気圧振動計に記録された波形は、CVRの再生波形と同一の傾向を示した
CVRとDFDRの時刻の誤差CVRとDFDRを照合する場合は、時刻の誤差を考慮して1秒未満の事象は原則として比較することはできない。この誤差がある為に、寸秒で進行した垂直尾翼損壊の過程が曖昧になっている。CVRの時刻に対してDFDRはどの程度進んでいるか又は遅れているかを詰めることで異常事態発生時の事象を踏み込んで検討したいところである。🔳CVRとDFDRの時刻の誤差について報告書P75.76上記からDFDRにはキーイング信号が入力されてから1秒以内の誤差で記録されること、またDFDR
毎年8月12日になると、地元の上毛新聞をはじめ全国ニュースの片隅に掲載される様になった日航機墜落(激突)事故の犠牲者(被害者)遺族の現在。年々高齢化する遺族が減少するのと同じくしてその記事も少なくなってきた。被害者を追悼する「灯籠流し」が11日に行なわれ、11~13日は御巣鷹の尾根への慰霊登山が遺族や関係者に限られて行なわれる。14年前、この事故を題材に映画化された「沈まぬの太陽」について、以下ブログを記した。大阪市出身で堺市浜寺の山崎豊子氏の同名小説が原作で、社内の腐敗や航空機メーカ
もう38年になったか。不可解な墜落だった。夜になってからとはいえ、自衛隊が墜落場所を特定できなかったとはおかしな話し。ファントム2機が追尾していたというのに。今月12日朝日新聞の記事「あの日、自衛隊のヘリは現場に先着していたはずなのに、明け方まで正しい墜落現場が発表されなかったのはなぜなのか。事故後しばらくしてから当時の機長に接触を試みたが既に亡くなっており、取材はかなわなかった。」当日、他社に先駆けて自社ヘリで炎が上がる山岳上空に行くと、すでに超低空で自衛隊ヘリ