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阿部と白鳥は無断外出から無事に隊舎に帰り着くと、待ち侘びていた谷口と北沢に無言で新聞を手渡した。消灯になり照明は消したが、ある者は憤慨しある者は冷静にこの件について意見し合った。皆、外部からの飛行物体による衝撃で損傷したとする見解で一致した。飛行物体についての議論阿部:問題は何が垂直尾翼を破壊したかだ。北沢:まさかミサイルじゃないでしょうね。阿部:ミサイルなら信管でも外さない限りあんな損傷にはならないよ。白鳥:例えば航空機そのものだとか。谷口:航空機ならその相手もダメー
翌8月13日0600.百里基地に起床のラッパが鳴り響いた。眠い目を擦りながらベッドを整頓していたところに警務隊の当直士官が入って来た。「おはようございます。本朝の朝食は食堂ではなくこちらで用意しますので本庁内で摂っていただきます。その後はここで待機してください」すぐに阿部が、「一度隊舎に帰らせてくれ。着替えや洗面道具など他にも取って来たい物がある」「申し訳ありませんが、本庁から外出させぬよう通達を受けております。隊舎に必要な物があればメモを渡してください。警務隊員に取りに行かせます」
※私個人は神社寺に以上に詳しい人が作った捏造話だと思っています。根拠を以下に書きます。『知識が豊富じゃないと捏造出来ない』事が良くわかると思います。東京都教育委員会資料等参照【大円寺石仏群~五百羅漢】東京都の目黒区には東京都指定有形文化財とされています「大円寺石仏群」というものが有ります。明和九年(1772)、江戸市中を焼く大火があり、火元と見られてのがこの大円寺であった。この火事は「行人坂の火事」と呼ばれ、明暦三年(1657)の振袖火事※1、文化三年(1806)の車町の火事※
はじめに2021.10.17この日は私にとって忘れられない衝撃の1日となった。日本航空123便墜落事故の調査をするうちに、縁あって連絡を取り合っていたY氏から非常に重大な内容の資料を託されたのである。資料はPDF化したデータを3つに分けてメールで送って頂いた。時は1985.8.12日本航空123便に非常事態が発生してから直ちにアラート発進したF-4EJファントム.2機の編隊長.阿部典之元一等空尉の105頁にわたる大変貴重な記録である。阿部氏は記録を完成させたその日のうちに旧知のY氏に託
「機長、これから横田基地にエスコートしますので付いて来てください」「了解しました。ただハイドロがダウンしていますので殆どアンコントロールです。エンジンコントロールとエルロンでどうにか付いて行けると思います」こんな状態で果たして横田までエスコート出来るだろうか、もし自分が高濱機長の立場なら自信がない。阿部はそう思いながらJAL機の前へ出ようとした時、思わぬ光景を目にした。旅客機だから当たり前だが、乗客が窓から盛んに手を振ったり手を合わせたりしているのである。阿部は胸が締め付けられる思いで任務
田村飛行隊長は話を続けた。自衛隊と米軍では123便の墜落地点を正確に把握していたが、国の上層部はそれを直ぐには公表しなかった。123便にB-1の塗料が付着している可能性があるとして、先ず意図的に墜落地点の誤報を流した。その間に陸上自衛隊の精鋭部隊である習志野第1空挺団が大型ヘリで墜落地点に飛び、残骸の中から塗料が付着している部品を回収したのである。回収を終わらせてから国は正式な墜落地点を公表した。それは日付けが変わった午前4時頃だということだ。もう一つの現場、相模湾には123便の損失したラ
墜落の全容(後編)日航123便は、18:38′山梨県上空の横田空域内で、米軍輸送機C-130に誘導されながら東から北東へ変針した。この区間で、高濱機長はC-130が横田基地と交信中であろう僅かな隙を狙って、東京管制(ACC)に羽田へのレーダー誘導を要請し、B滑走路22がアベイラブルであるとの情報を得た。そしてちょうど大月市上空に差し掛かった辺りである。18:40′エンジンを一旦スローに落としたことでC-130が後方に距離を開けて下がったタイミングで、突然スラストレバーを全開にした。そし
定期的に会って買い物🛍️したりご飯食べたりする通称肉友と今日はお寿司を食べながらガンと診断された80%はがんもどきという話から「ほら、あの人...」顔はわかっているのに二人して名前が出ない(あるある!な年頃)・・・末期の膵臓がんと診断され抗がん剤治療が合わなくて病院変えて診て貰ったらガンじゃなかったというこのかた森永卓郎さん最近YouTubeで✈️123便の際どい発言されて大丈夫?という話題についてアレコレ話したあとその123便✈️が撃○された
人類が滅亡する理由が判明しました【都市伝説実験】飛行機を知り尽くしたプロフェッショナル・パイロットの方々の具体的な指摘【怒りと悲しみ】パイロットによるJAL123便墜落事故の考察|嘘と悪意に満ちた事故報告書■ALPAJapan「日乗連」HPhttps://alpajapan.org/■日本航空123便事故調査報告書の問題点(2011年:ALPAJapan)https://alpajapan.org/cms_202306/wp-c...■日本航空123便事故報告書につい
落合証言から分析する時系列と飛行経路落合由美さんの証言は、基本的に事故調査報告書の飛行経路略図と時系列に合わせてある印象である。一見すると羽田にも横田にも向かった様子が見られない。これを羽田緊急着陸や横田緊急着陸の予定があったものとして吟味し直すと、証言からは、大月旋回の中盤18:42′頃から墜落直前の18:55′頃までが完全に欠落していることが分かる。これを以下に説明する。先ず証言内で矛盾することを一点のみ挙げる。酸素が出なくなった時刻(酸素供給は約18分間)は18:43′頃である。そ
大月旋回につき.飛行経路図は事実無根である(後編)隠された真実前編にて.大月市上空のループ状旋回について.飛行経路図とDFDRを照合して旋回半径.距離を概算した。その結果.旋回半径は約4.80km.旋回距離は約30.6kmとなった。旋回開始を40′52″.終了を43′32″とし.旋回所要時間は2分40秒間の設定で概算した結果である。⚫︎念の為.DFDRのデータから旋回所要時間を算出する。✴︎この場合.計算の規則上.CAS:校正対気速度ではなくTAS:真対気速度を用
ベンゼン環というのはガソリンのことだそうですよ森永卓郎さんの更なる証言❗️御巣鷹山の遺物を青山桐子さんが調べたらベンゼン環が出てきた。ベンゼン環は、ガソリン。飛行機の航空燃料のジェット燃料は、ベンゼン環は存在しない。沸点の低いガソリンを積むなんて危険でしょうがないから飛行機はガソリンは積まない。…https://t.co/MKCEAlaxkhpic.twitter.com/Wy8oeXHhxa—♥ℛ༘まなᕱ⑅ᕱ:.*♡(@RoseVivienelove)
客室を前方に進む膨張波▶︎減圧の伝播と空気流は...後部圧力隔壁の破断で与圧部(客室.コクピット.貨物室)の空気は非与圧部へ流出した。この際生じた客室の断熱膨張に於いて報告書が示す理想気体の条件で計算すると、実在気体のジュール.トムソン膨張と比べて温度に随分差が生じることは[検証の記録37]で述べた。■ここでは細長い機体胴体の客室後端から与圧空気が噴出する場合の与圧室空気の膨張と減圧の伝播速度.及び空気の流れを検討する。補足:空気の微小擾乱である音波や微気圧振動波は振幅が十分小さ
皆が知らない所で大事な法案が決められているのですこちらの動画、是非、ご覧くださいね政府による言論統制強化。SNSで意見言えなくなる。にがりは疲れ目にいいとか、東京15区補選で票操作が行われたとか、日航ジャンボ機は撃墜だとか、ビタミンCで風邪が速攻で治るとかコロナワクチンで人が死にまくっているとか、…https://t.co/2IFHfBtQXi—KAITO(@teteatete2021)May3,2024SNSの情報は嘘も沢山あるけれど真実を探
B497<1985年に墜落した123便についての追加情報>1985年に墜落した123便24年5月1日※はじめに森永卓郎さんなどが情報発信してバズっているようですが・・・やはり偽情報ですね。(※私の情報が広まったので撹乱でしょうか?)日本政府がアメリカに貸しを作った?などと言っていますが真っ赤な嘘です!アメリカは初めからトロンの技術者を狙っていた(その後、発売されたWindows95)日本は10年早く成功していた。今、見
翌日の出来事としてバーバスポイント基地飛行隊との共同飛行訓練の様子が描写されている-中略-訓練後、4人は隊舎に戻りミーティングルームに集まった。先ず阿部がK子から仕入れた情報として、日本国内では7年前の尻もち事故歴が調査の対象になっていることを話した。そこにケインがやって来て事故についての議論が始まった。「新たな情報を入手しました」4人はケインの次に出て来る言葉に少し緊張した。「皆さんがJAL機をエスコート中に遭遇した岩国からのC-130輸送機のクルー6人が、JAL機墜落の翌日アメ
現在進行中のコロナ騒ぎとワクチソ接種政府が国民から真実を隠蔽し何らかの目的を達するというのは常套手段そんな隠ぺいが過去にもあった。123便撃墜事件事故調査委員会の嘘で固めた報告の内容を真に受けている関係者は皆無だ。助かったであろう乗員乗客はなぜ横田基地への着陸を阻まれて群馬の山中へ向かったのかよく遺体を山に埋めて証拠隠滅を図るという殺人事件が起こるが理由はそれと同じで人気のないところで秘密裏に処分しなければならないことがあったのだ。そ
B385大谷翔平の2回目の手術は必要?<大谷翔平の2回目の手の手術は必要?>シン>大谷翔平さんの手術って必要なんですか?みこ>手術はやってもいいみたいですけど、あんまり意味ないって言ってますね。シン>しないほうがいいでしょ?みこ>やりたかったらやればいいけど”あまり意味がない”って言ってますね。気持ちが落ち着くっていうか”気”の持ちようって言ってます。それをすることで良くなる気がするのであればいいんじゃないかって言ってますね。
日航機墜落事故関連そこに友情は無かった黒田匠ワタナベケンタロウ氏の私に対する根拠なき誹謗中傷が過ぎる。当方が抗議しないことをいいことに図に乗るのはいい加減にしてもらいたい。自らの狭量が元で協力者が離れて行ったにもかかわらず、それを恨んで虚偽の言い掛かりを付けて相対的に自分の位置を上げようとする卑劣な行為は許されない。よって事実を説明する。とはいえ一時は同じ志をもつ仲間として全面的に信頼した相手でもある故に誤解が解けることに期待したい。▪️対象ワタナベケンタ
大月旋回につき.飛行経路図は事実無根である(前編)隠された真実飛行経路略図(報告書.付図-1)の大月旋回区間はレーダー航跡を基にDFDRで補正した推定飛行経路として描かれている。ところが経路図上の旋回航跡はDFDRの各データと殆ど整合しないので出来るだけ明確にする。🔲先ず飛行経路略図から.⚫︎40′52″の磁方位79°から旋回開始として航跡が重なる43′32″の磁方位358°で旋回終了とすると.約2分40秒間の旋回所要時間となる。「磁北偏差6°30′W」図①.②⚫︎飛行経路図
APU防火壁への初期荷重▶︎解法に難あり(後編)【課題】圧力隔壁破断直後の過渡的な現象がAPU防火壁に加える荷重について中編では事故調の解法と数値計算が実験設備のショックチューブ(衝撃波管)をモデルとしたものであり、初期荷重の算出には不適当であると指摘した。後編では、実際に圧力隔壁が2.5㎡(縮流断面積1.8㎡)の規模で破断し、与圧空気が非与圧側に流出した場合に起こり得る過渡的な現象について検討する。🔲状況設定と数値計算🔳過渡的な現象を以下に設定する隔壁破断部からの噴出流が
◉異常事態発生時の警報音報告書には異常事態発生時の衝撃音分析に於いて、CVR再生波形に添えてサウンドスペクトログラムが提示されている。図①また1/3オクターブ周波数分布図は10パターンの周波数について音圧レベルを入力電圧に変換したグラフとして掲載された。図②そして事故調は最初の衝撃音の途中から鳴った寸時の警報音を客室高度警報音と推定した。🔳警報音について.事故調は不可解な分析方法と結果を提示したサウンドスペクトログラム中には37″18から警報音が記録されていたにも拘らず、途中の3
日本航空123便を襲った衝撃波の正体1985.8.1218:24′に日本航空123便の垂直尾翼と機体尾部は、超音速機が掠めたことによる衝撃波で破壊されたとした。今回は「検証の記録3」を補足する。【機体内部の衝撃波】確実に言えることは、伊豆半島にソニックブームとして伝わった衝撃波は日本航空123便の機体内部で発生したものではない。仮に後部圧力隔壁に1.8㎡の開口部ができてラバーノズルの働きをしたとすれば規模の小さな衝撃波は生じるだろう。しかしながら、真後ろのAPU防火壁に衝突して破壊す
墜落現場からは、垂直尾翼の破断部が全く回収されていない⁈事故初期の垂直尾翼損壊後に、いったいどれだけの垂直安定板が残存したのか。先ず、事故調は下図(P163.付図27)にて格子柄の部分が山中から回収した残骸として、事故現場から回収された部分と記している。さらに事故調は、最終的な墜落時の垂直尾翼残存部分を下図(付録11.付図10)のA.B.E.の部分として全体の41.61%が残存したと結論づけた。これには東京都西多摩郡奥多摩町日原で、非番の警察官である山崎啓一さんが撮影した写真(18:50
墜落現場の朝(後編)先遣部隊として翌朝7時54分に基地を発進した習志野第1空挺団.73名は、現場に8時49分リベリング降下を開始し9時54分降下を完了した。しかし墜落現場の中心となる御巣鷹の尾根とツゲノ沢第3.4支流に駆け付けることはなかった。何故だろうか。統括する東部方面総監部は、早朝6時前には複数の捜索機(立川UH1.OH6入間V107)から有視界下での機体残骸確認の報告を受け、6:15′には墜落現場の空撮映像を伝送されていた.にも拘らずである。このことは、第1空挺部隊は予め任務と
横田飛行場を目前にして羽田への帰還を要請したが突然横田基地への変更…CAPこれはだめかもわからんね...COP...CAPちょっとわからんなぁCOPはいCAPまだどうなるかねCOPはい🔘日航123便が横田飛行場の目前まで迫りながら着陸を中止したという仮定で検討する。🔲横田飛行場に最接近したと思われる18:48′03″にどれ位の[距離]まで迫り.どれ位の[高度]まで降下したかを概算する。また.45′08″~48′03″の区間は.DFDRから比較的穏や
APU防火壁への初期荷重▶︎解法に難あり(中編)前編では、圧力隔壁破断直後の過渡的な現象がAPU防火壁に加える荷重について事故調の解法と数値計算について検討した。今回は更に詰めて分析し、より適切な解法を検討し荷重を算出する。🔲解法について■報告書の付録4.付表6[ケース1]に提示された反射衝撃波背後の圧力と初めの圧力の比:2.454*の算出法を分析しながら事故調の見解を探究した。結果、事故調は実験装置のショックチューブ(衝撃波管)を日航機のモデルとして解法と数値計算に適用
異常事態発生‼︎夏の上空7300mの気温を−32℃と条件設定▶︎何故そんなに低いのか日航123便は異常事態発生の18時24分35秒にはDFDR上高度7300mを飛行中で巡航高度の24000フィートに達する直前であった。当日の伊豆沖の条件で海面上の気温25.8℃.海面気圧1013.19hPaとすると、図①の近似計算式から高度7300mの気温は約−21.6℃.気圧408hPaとなる。図①T:絶対温度(t℃+273.15)K.P:気圧hPa.h:高度mこれに対して報
あとがき私がこの案件を調べるにあたり、先ず参考にした資料は事故調査報告書とその解説書である。さらに航空力学、圧縮性流体力学、熱力学、材料力学、音響などの成書や論文などの文献も参考にしながら、私の専門分野からの解析も含めて慎重に調査を進めた。新聞記事や信頼筋(元米軍連絡将校.大手航空会社現役機長.元日本航空客室乗務員)からの情報も大いに有用であった。関連書籍、雑誌記事、ブログ、動画等は情報としての信頼性において優劣があるためそれに応じて参考程度とした。事故調査報告書を読み進めるにあたり、