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こんばんは、ななせです♪台風がいつになく強い勢いで吹き荒れていますね。関東地方でさえこれだけ強いのですから、中心地付近はもっと凄いのでしょうね…という事で、風音がうるさくて眠れないので本日入線した車両の整備についてお送りします。今回は待ちに待ったTOMIX製「国鉄1031000系通勤電車」。前に出た冷改仕様から更に時代を遡った地下鉄乗り入れ仕様です。増結セットの数…私は予約組ではないのでタムタム開店時間帯に突撃し、一番乗りで手に入れる事が出来たのです
前回103系KOKUDENのヘッドライトを点灯化しましたが、次はテールライトを点灯化します。テールライト点灯も、一両のみ加工してテールライト点灯専用車とすることで、工程を短縮します。このKOKUDENという製品は構造が今の製品とは異なっており、先頭動力車以外は床が外れず、屋根から外すようになります。分解するとこうなります。床部分のパーツは座席パーツを含めて、すべて使用しないと爪がはまらない構造になっていますので、加工するには工夫が必要です。そのため、パーツを残しつつ、適宜穴を
2024年5月14日、昨年春まで和田岬線で使用されていた網干総合車両所明石支所所属の103系R1編成が、網干→吹貨西の経路で回送されました。廃車になるものと思われます。甲子園口にて。比較的光線が良い東淀川や吹田で撮るかも悩みましたが、阪和線の103系と似たような写真になるかなあと思い、神戸線で見送ることに。まあ写ったので良いでしょう。岸辺にて。74レを牽引してきたEF65と並びました。後打ち。何十回もここで103系を見送ってきましたが、切ない気持ちになりますね。まだ播但線、加古
毎度!おばんです!まず、昨夜は記事更新終わってから・・・なぜか山陽電車のS特急を記録しに・・・夜の阪急神戸三宮へ。今回のダイヤ改正で、平日夜の3本の下りS特急のうちの1本が、何年ぶりかの阪急始発に鞍替え。あたしの現役時代は2番ホームから発車してましたが、さすがに今は所定の1番ホームから発車。それが嬉しくて?記録しておいてからの、今朝の川崎車両のモーニングシャッフルは・・・今日もよろしくお願いします!まずは、4番線のニュージャージー構体が7番線へ。そして夜が徐々に明けだし
今回は各車の塗装と組み立てを行いました。〇上野寄り先頭車11号車クハ103-1028クハ103-1028上野寄りの11号車、クハ103-1028です。常磐線で活躍していた103系は0番台だけでなく、地下鉄直通用だった1000番台や1200番台、試作車を改造した800番台も走っていました。車体は101系キット、顔は103系改造パーツから1000番台のものを使用しています。正面手すりとテールライトを交換しました。手すりはBONA製103系EVO用パーツ(PE001)、テー
今回は、103系1500番台の紹介をしたいと思います。103系1500番台の概要(103系1500番台)1982年に福岡市営地下鉄空港線と筑肥線との直通運転が開始されることから6両編成9本が導入されました。全3447両が製造された103系の中ではかなり少数派ですね。内装・車内設備(103系1500番台車内)4扉オールロングシートの車内となっており、1号車車端部にはトイレが設置されています。保安装置ATS-SKATC-9(福岡市営地下鉄空港線)国鉄時
現在川越線には、埼京線から直通運転の新性能電車が高速でバンバン走っていますが、その昔、気動車によるマッタリした運転でした。また大宮駅には地下ホームなど一切無く、今の11番線、12番線の地平ホームから出発していました。キハ35ツートンカラー3連が大宮を出発して行きます。遠く見える大栄橋は現在も変わっていません。現在駅ナカも跨線橋エリアに浸透し、面影などは一切残っていません。跨線橋から見た大宮駅川越線の風景です。右の線路の先に大宮工場があります。左の駅ビルも現在は残って
1992年6月、山陽本線岩国ー下関間で運用される車両の冷房化促進のため関西圏の淀川、奈良、日根野の各電車区から下関運転所に転属してきた16両の103系。国鉄通勤形電車の代表格で大都市向けだった形式が、乗客が少なく駅間距離の長いローカル輸送に就く姿は、鉄道ファンとしては新鮮でした。4両編成4本の103系は翌93年3月のダイヤ改正で広島運転所に移ったため、下関時代はわずか9カ月間でした。一方で趣味的に見ると、元は首都圏で活躍した車両だったり改造車があったりと、個性派ぞろいでした。当時の4編
昨日の悪天候から一転、青空の広がる朝。関西地区の103系0番台として最後まで残ったR1編成が、網干から吹田へと向かいました。前走りで来たEF652083牽引の74レ。途中までR1が先行していたとの事ですが、どこで抜かれたのやら。そしてやって来た回9870M。森ノ宮からの転属車ということで、阪神間での営業運転はなかったR1。フレームインする前から既に六甲道にはMT55の爆音が響き渡り、これが最後とは思えない軽快な走りで吹田へと走り去っていきました。このシーンは涙無しには見れなかった
カレンダーが関係ない私はGWも関係なく、カレンダーの休日はほぼ仕事であった。尤も子供も大きくなり、部活やバイトで家族で出掛ける・・とことをしなくなったこともあるが、激混みの人混みは苦手なので明けや休みは出掛けることもなく、資料整理や模型製作でノンビリ過ごした。その整理中、拙ブログでシリーズ化している「ブリキのバスから広がる名神ハイウェイバス」用に画像を纏めていたところ、昨年取り上げる予定ながらすっかり忘れていたネタの画像があったので、1年遅れながらお届けしたい。昨年3月のダイヤ改正
毎度!おばんです!だんだん日中の時間が短くなってきましたが・・・そんなことはお構いなく?川崎車両も、新しい一週間が始まります。(午前6時で、この明るさ😅)では、いつものようにモーニングシャッフルから見ていきましょう!今週もよろしくお願いします!と思ったら、南から運送屋さんが出てきましたよ。やっぱり先頭被りましたか😓アーララ・・・7番線から小田急5062Fの1~6号車の出るタイミングでした。これも、「モーニングシャッフルあるある」なんですがね😅とりあえずは、南に下がりました。
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。今回は川崎重工兵庫工場と和田岬線についてご紹介します。川崎重工兵庫工場とは主に鉄道車両や鉄道部品などを製造する工場です。場所はJR兵庫駅から徒歩15分の所にあります。★川崎重工兵庫工場留置線(2015.09.22に撮影)川崎重工兵庫工場内に踏切があり誰でも渡ることができるので新製車両を間近で見れる有名な場所でしたが近年は撮影禁止となっていて撮影ができないようです。★川崎重工兵庫工場内(2015.10.16に撮影)TWILIGHT
s52/4/29中央西線定光寺103系古虎渓駅159系中央西線の79系が103系に置き換える頃です東京からお古が転属してきまして神領電車区に色とりどりな103系がいましたね青に統一されましたが
実は前回の記事の前に、ASSYパーツを利用して103系のLED化ができるかどうかを試していました。使うASSYパーツはこちら。4015-6G・クハ153538ライトユニット。このASSYパーツ、以前かんちょさんのブログを拝見した時に存在を知り、どこかで使えないかなと試しに買っておいた物です。今回初めて使うので、すんなり交換できれば良し。もし交換できない場合も色々試してみる実験台として割り切ることにしました。クハ103を分解してライトユニットを取り出します。▼上:元々の基板。下がA
皆さんこんにちは。1998年4月の別な日生瀬駅にて撮影。普通京都行。207系。快速大阪行。湘南色の113系が来ました。続いて来たのが回送幕の103系。JR京都線方面への直通運転でスカイブルーの塗装に戻りました。201系の普通京都行。この頃は、生瀬駅などで見る201系は新鮮でした。201系がJR宝塚線を走行したのは、1997年10月から2007年ごろまでの10年間ぐらいで比較的短期間でした。快速同志社前行207系。JR宝塚線で電車が走るようになって一
毎度!おばんです!今朝の川崎車両のモーニングシャッフルは・・・まずはスイッチャーくんが2番ピット前からディーゼルピット前へ。横浜市営地下鉄ブルーライン・4641Fが動くのか?ここで改めて、今日もよろしくお願いします!通り過ぎるクルマへの、誘導の職員さんのていねいな一礼から・・・仮台車に交換された神戸市営地下鉄6154Fの1号車が、艤装職場から出て来ました。あれ、こんなところに無線アンテナありましたっけ?車両の真ん中の屋根にもアンテナ。何か「新しい装備」でも搭載されたか?従
1982(昭和57)年に広島・山口地区向けにデビューした115系3000番台でお目見えした「瀬戸内色」。海と砂浜を表現した明るいカラーは新鮮で、地域に根差した国鉄色として定着しました。115系他番台のほか103系、113系にも広がり30年以上にわたって親しまれた塗色を、当時の写真で振り返ってみました。瀬戸内色時代の115系3000番台。写真は中間車2両も3000番台のトップナンバー編成=防府ー大道、1989年クリーム1号をベースに青20号の帯を巻いた瀬戸内色。当初は115
唐津で一泊した翌日、レンタカーを手配しておいたので郵便局巡りに勤しむ。ただ、朝のうちに鏡山をクルマで登り、虹の松原を俯瞰してE12編成を撮ることも目論んでいた。レンタカーを借りたのが午前8時、E12編成の写真を撮れたのが9時過ぎ。天気は今ひとつだったが、こんなにタイムロスなく目的を果たせるとは思わなかった。【写真】230815OLYMPUSE-5+ZUIKODIGITALED70-300mm1/400F8.0ISO400AWBを編集及びリサイズ391
和田岬線を引退してから、1年以上西明石に留置されていた103系0番台R1編成でしたが…先頃、網干での展示撮影会ツアーに駆り出され、ツアー終了後その足で吹田での展示後の廃車で回送されたということです。たまたま網干へのツアー客を乗せた「サロンカーなにわ」を早朝のトレインビューファミレスにいた時に目撃しました。4000両を超える一大勢力を誇った、ありふれた国電103系でしたが、ずっと放置されているように見えた、この空色の京阪神緩行103系はその中でも大事にされ、
KATO103系一般形をHOBBYOFFで買いサハ103の側面の通風口を削りボディーはグリーンマックス鉄道カラースプレー山手線⓯黄緑6号をスプレーしました。サハ103‐31モハ103‐177モハ102‐332サハ103‐32冷房車はグリーンマックスの103系ATCです。非冷房の103系塗装-レオナと鉄道KATO103系一般形をHOBBYOFFで買いサハ103の側面の通風口を削りボディーはグリーンマックス鉄道カラースプレー⓯黄緑6号をスプレーし
毎度、ネットウォーカー鉄道クラブのブログをご覧いただき有難うございます。本日、YouTube動画をアップしました。タイトルは絶滅危機種103系を和田岬線で撮る!です。いつ引退してもおかしくない状況にある103系を撮影しました。最近は鉄道ファンの混乱を避ける為に予告なしに突然引退するので、今のうちに撮影した方が良いと判断して公開しました。103系の中では比較的原形に近く、6連編成を組んでの運行となっているので、貴重な編成となっています。予想として次に引退するのは和田岬線
▲103系冷房車が活躍する中、役目を終え駅裏でひっそりと佇む103系非冷房車。足回りは外され、残された車体は倉庫代わりに。行き先方向幕は、今は無き「陸前原ノ町」行きの表示。陸前原ノ町電車区があった頃ですねぇ。『仙石線8番線・9番線ホーム』▲仙台駅・北口改札口を通り、東北本線や常磐線などの各ホームと接続する連絡地下通路を進んでいくと、8・9番線ホームへと続く階段があります。▲階段を上…ameblo.jp『福田町電車区』▲当ジオラマを走る車両たちが所属する福田
いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。今日はNゲージ鉄道模型、103系の整備が進んでいます。”山手線”っぽくなって来ました(笑)。行先、運行番号表示が入って随分雰囲気が変わったと思います😁。自作で”山手線”シールを作りました。例によりフィルムシール用紙にインクジェットプリンターで印刷して作ったものです。フォントも適当です😅。左から前面行先、運行番号、編成番号札、そこから右は側面行先がズラリと並びます。自分で撮った写真↑左側車両の運行表示、"18"の右は”臨”
こんにちは。本日は久しぶりに大和路線まで撮影に行ってきました。今回のお目当ては323系です。普段は大阪環状線やJRゆめ咲線で営業運転しているこの車両ですが、ごく稀に大和路線を通って奈良まで走行します。主な目的は奈良支所での車輪の転削です。導入当初は疎開や訓練のための回送もありましたが、流石にもうないでしょうか?狙うは河内堅上界隈。この場所は、以前に存在した森ノ宮車の大和路線直通運用を撮影するために2番目ぐらいによく来た場所です。323系導入を前にこの運用は無くなってしまいましたが、
先日某所のホビーランドぽちにて、こんな物を入手しました。😄これは何ぞやって感じですが、これらはあのマイクロエースのレールとパワーパックになります。😲マイクロエースのレールとパワーパックってあまりイメージがありませんが、かつてジオラマレールセットや、レイアウトボックス等々、いくつか製品化されていました。私も存在は知っていて、パワーパックは既に1つ持っていますが、レールは今回初めて手にします。中身はこんな感じです。直線レールが4本と曲線レールが12本、そしてフィーダー線とパワーパックです。😄
↑大阪駅で発車を待つ森ノ宮区17編成を7連化した103系京都ゆき。2005年8月。京都ゆきの103系を見た。甲子園口発である。しかし、オレンジ色である。オレンジと言えば森ノ宮区。車両のやり繰りの関係で平日朝の東海道線緩行~福知山線新三田までの運用で限定で入ってきた。通勤型車両が不足するのだろう。↑京都からは折り返し新三田ゆき1113Cとなって福知山線に直通する。2005年8月。阪神淡路大震災の時も森ノ宮区からオレンジ103系が応援に駆け付けた。神戸電鉄を利用した迂回
みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。今回は福岡市営地下鉄空港線についてご紹介します。●福岡市営地下鉄空港線とは福岡県の姪浜駅から博多駅を経由して福岡空港駅までを結ぶ鉄道路線です。これまでに西九州新幹線と博多総合車両所に行ってきたというブログを掲載しているので、併せてご覧いただければと思います。『西九州新幹線に乗ってみた!』みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。今回は西九州新幹線についてご紹介します。●西九州新幹線とは佐賀県の新鳥栖駅〜長崎県の長崎駅までを結ぶ新幹線とし
2024年1月15日、網干総合車両所明石支所加古川派出所所属の103系M2編成が厄神→網干→吹貨西の経路で回送されました。廃車になるものと思われます。御着にて。103系の後ろにチラッと見えている城は姫路城です。厄神工臨との並びも見ることが出来ました。普段は加古川線で並んでいた並びですが、この日は山陽本線で実現しました。須磨にて。列車線を走る姿は新鮮でした。吹田にて。吹田まで来るのは2004年以来なのでしょうか?加古川線は2022年春のダイヤ改正で4両編成が消滅しており、1編成余
乗車日:2018年6月13日(水)そろそろアメブロ『鉄道』ジャンルから除名()され兼ねないので気休め的乗車記を←6月半ばの福岡旅はほぼテツ活皆無だったのですが、、、“初乗車”って訳でもなければ自身の鉄道興味の根幹と言えよう“特急”とかではないものの、福岡旅2日目に天神から筑前前原へと向かおうとした際に乗りましたこちらの列車のことでも強引に乗車記にしてしまいます()地下鉄空港線に直通する関係上JR九州内で貴重な筑肥線用の直流新型車✨JR九州305系まあ新型言いましても登場から
国鉄通勤形電車の代表格で約3500両が製造された103系。広島地区では1990年代から20年以上活躍しました。先頭車は低運転台のクハ103形のみでしたが、のちに高運転台車が2両加わりました。福知山線脱線事故などにより車両不足となったJR西日本に、JR東日本から譲渡された8両中のクハ103-821とクハ103-828で、特徴的な姿で注目を集めました。下関駅南の電留線にやって来た103系高運転台車(右)。広島運転所ではE04編成に組まれていましたが、引退直前に岡山地区に移った影響で、