ブログ記事793件
お久しぶりです。前回の投稿から気が付けば3か月経ちました。本日は久々に工作ネタを投稿します。上の写真は、TOMIXの0系7000番台(品番98648)の前照灯消灯状態、点灯状態を示しています。実車の引退から10年が経過した2018年に発売されたものですが、模型の金型自体はTOMIXが初めて0系を製品化した時(新幹線のNゲージに関する考察サイトSpeedSphereによれば1983年)から使用されているものです。そのため2024年現在の水準で見るとライトの表現が大味です。具体的には、実
愛知をふらふらしているときに、リニア鉄道博物館に行ってみました。名古屋駅であおなみ線に乗り、終点の金城ふ頭で降りたところにあります。この博物館の目玉はやはり超電導リニアMLX01-1です。リニアの車内です。山梨実験線の体験乗車の抽選は一回も当たったことがないので、リニアの車内に入るのは初めてです。955形新幹線試験電車です。ウンドウェッジ型先頭車しか展示されていません。922形新幹線電気軌道総合試験車です。昔のドクターイエローです。
1220)『1220)東海道新幹線--N700系S・A、車両・保線技術の進化に驚く』旅の帰り、少し疲れた体をN700AのA席に沈める。下りに乗った時は東海のN700S(J6編成)でしたが、帰路は西日本のK8編成(N700スモールA)…ameblo.jpの続きです。文中で、0系新幹線のパンタグラフから発生するスパークについて記載しましたが、「そういえば、どこかにバルブ撮影した写真があるはずだっ・・・」とゴソゴソ探してみました。・・・ありました!手帳のメモもありま
初代新幹線0系が引退してはや15年近くたちます。今でも食堂車を組み込んだ全盛期の16両編成や最後まで活躍した6両編成の「こだま」の姿が忘れられませんが、90年代後半の山陽新幹線広島ー博多間では、異様に短い4両のQ編成も走っていました。16両で颯爽と走っていた頃の0系と比べると、信じられないくらい短くなってしまった0系Q編成。「ミニ新幹線」と呼ばれた6両のR編成よりもミニな姿は、鉄道模型のファーストセットのように思えました=徳山—小郡(現新山口)もともと4両編成の0系は、
2005年3月5日、新下関駅にて。訓練用車両として置かれていた、0系Q3編成の22-1047。JR西日本博多総合車両所内で保管されてきた、0系先頭車・22-1047について、13日から解体作業が始まっているという情報が、ネット上で流れてきた。昨日14日には、重機で解体されている様子も捉えられているようだ。22-1047は1980年1月に東急車輛(現・総合車両製作所横浜事業所)で製造され、「こだま」用のK77編成16連に連結されていた。その後、12連化(Sk10編成)されて国鉄分
スマイレージを堪能したのち中央環状線を少し戻りますと…ブロ友さんも良く訪れるこの安威川沿いの小道に入りますと……「新幹線公園」少し前にリニューアルされて美しくなった昭和の新幹線"0系"1969(昭和44)年製の初期の新幹線以前の見学では運転席に座りましたが、灰皿が付いていたのを自然に感じなのは歳を感じましたね!シートがとてもキュートでレトロ…運転席は喫煙可で客車は「禁煙」です。電気機関車「EF15120」こちらも0系に続けてリニューアルされました。1954
東海道・山陽新幹線で長年親しまれた16両編成の0系。食堂車付きの「ひかり」用編成は、2階建て車両で注目された後継の100系登場後も日本の大動脈を支えました。小郡駅(現新山口駅)に入線する0系NH36編成。ひかり編成は8号車に食堂車36形、9号車にビュッフェ付きの37形と、窓配置が異なるが車両が連結され、外観上のアクセントになっていました=1988年0系は1986年まで3216両が製造され、87年の国鉄分割民営化で、JR東海に1339両、JR西日本に715両が継承されました
受験も終わって、ブログを書ける状態になったので、久しぶりの更新です。ついに念願の、エンドウの0系を導入しました。とても古い製品なのに、印象をよくとらえてあって、大好きなモデルの一つです。レンタルレイアウトでも、特に問題なくスムーズに走ってくれたので、とても感動しました❗どうやらトミックスから大窓食堂車付きの0系が発売されたみたいなので、またお小遣いを貯めて買いたいです。
夜行新幹線計画の名残今は折返しでたまに使われる。こだまが多い。4両の0/100系のこだまが姫路に乗り入れていた。よみがえる新幹線0系・100系・200系世界に先駆け、高速鉄道を実現した新幹線第一世代のすべて/三品勝暉