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きょうは家族全員でお盆のお墓参りと、終戦記念日につき先人の方々に黙祷を捧げていました。戦後80年。自分が子どもの頃にはずいぶん昔のコトのように感じていたのですが、まもなく50歳のオッサンになるにあたっては、「え!わずか80年前のできごとっすか。。。」と、身近に感じるようになりました(⌒-⌒;)💦あなたはいかがでしょう???ーーさてさてきょうは4年前の終戦記念日に書いた記事をリライトしてシェアをさせていただきますね🍀■自分のことが好
今年も8月9日がやってきた。実は今年になって吾輩は「長崎原爆資料館」にも(かつての長崎国際文化会館の原爆資料センターを含め)初訪した。元・広島市民だもので、どうしても8/6の広島のことを多く語ってしまいがちなのだが、「長崎のこともちゃんと知らなければ」とずっと思っていたのだ。ようやく訪れることができた。「遅くなってすみません」とも思った。30年前の開設でリニューアルを計画中ということではあるが、広くて近代的な印象を受ける。ナガサキでは特に、キリスト教会や教徒の備品などの被爆展示も数多く、外
12月28日日曜日〜その9開宴。(写真提供・八上夫妻)最初に、8月19日に急逝された、川渕工業代表で大阪未来皆等会会長川渕一男さんを偲んで黙祷を捧げました。壇上には、次男の一意虎風関、母川渕由香里さん、長男元幕下の川渕一誠さん、三男プロボクサーの川渕一統さんが並ばれました。木瀬部屋木村瀬平親方、日本大学相撲部木崎幸之助監督、御来賓のスピーチの後、四代桂小文枝師の乾杯で祝宴がスタート。
8月6日。本年も「人類の愚かさ」を改めて反芻する朝がやってきた。実は今年になって吾輩は広島市の「平和記念資料館」を再訪した。広島市に在住していた世を忍ぶ仮の小学生時以来であった。見学経験があるといっても半世紀以上経っているし大人になってから足を運んでいなかったので、ずっと「もう一度必ず」と思っていたのだ。やっとそういう機会を得ることができた(何であれ、機会とは自分から能動的に求めねばならないものだ、とも再認識した)。大体の雰囲気は覚えていたが、2度目といっても初めてと同じくらいの感慨が
戦後81年目の原爆の日8時15分、少しの間黙祷をしました。ㅤㅤ何を書けばいいのかわからないまま10分が過ぎました。81年前の今、この場所で、何が起こっていたか、想像するのも恐ろしく悍ましく、81年後の今を生きる僕にできることなど何もないけれど、ただただ、一瞬でも早く、苦しみを取り去って差し上げたい、と思うばかりです。人間が、人間に絶対してはいけないこと、戦争以外でも、世の中には横行しています。戦争被害で、お亡くなりになった御霊に対して、何がご供養になるのか、今の日本が
東京大空襲の犠牲者を慰霊するための、「旧中川灯籠(とうろう)流し」が15日開催され、私も式典に参加し、自作の灯籠を流し、また、橋のたもとの鎮魂碑にも献花を行いました。旧中川両岸の、江戸川区平井と江東区亀戸にかかる「ふれあい橋」の上で式典が行われ、「国連平和の鐘」を江東区の小学校6年生が6回撞くのに合わせて1分間の黙祷を捧げました。式典後、参加者の皆さんとともに、自作の舟灯籠を中川に流しました。私は「東京大空襲で亡くなった皆様へ」「追悼の意を表します」「鎮魂」と書きました。昭