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ん????コリャまずい。⁉️こんなので全国ニュースとは?我が故郷は天の涙に大揺れだ。心配してくれる仲間には感謝しかない。緊急避難命令だと。有事の際は俺の先輩や後輩には先般きつく申し送っておいた。俺の考えはこうだ。最上川が決壊したら終わりだ。90歳過ぎた親父殿は思うように動けん。ならば2階の俺の部屋が避難場所。外に出るな。!これが答え。近所の先輩も心得ておった🙄とにかく2階だ。避難命令は出ても、二次災害が怖い。ここは忍の一字。情報は命綱である。女房の実家近くは川の決壊
こんにちは。今回も、ちずさん通信に訪問くださって、ありがとうございます。今回は、久々に、信仰生活に関する記事を書くことにしました。特に、たぶん皆さんも思たはるやろなあ・・・って、私自身が感じとること。「クリスチャンは、何で祈る時に手を組んでんの?」いう疑問です。聖書にも、祈りについて書いたる箇所が、いくつか、あるんですけども。。。それも踏まえて、また調べさして頂いたサイトも参考にしつつ、中身を書いていく事にしますね。祈るときには・・・聖書から見てみよう実はね、皆さん
ひでです。お早うございます。いよいよ最終日になってしまいました。楽しかったトルコとももう直ぐお別れです。あっという間の8日間でしたね~。ヒルトンホテルでの最後の朝食となりました。今日行くドルマバフチェ宮殿は1856年に完成し、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、6代の皇帝が、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用した施設です。オスマン帝国末期に建てられたこの宮殿は、今は一般公開されて観光見学が可能ですが、迎賓館としても使用されている国立宮殿府管轄の格式高い宮殿博物
今日、10時から昨日説明があった肺のドレーン手術でした。行くのも嫌がるし、ベッドからも降りたがらない。でも、さすが小児科こんなステキなメッセージで良磨を励ましてくれていましたやっぱりここのスタッフいいなぁって思っていた矢先、、、またもや移動小児科の病棟ではなく、緩和ケア病棟😱😱😱なんだか、タライ回し。そして、もうダメだと言われた気分。小児科の看護師さんが言うには、前の整形外科に帰る予定だったけど、自分もこの小児科でみたいと思っていた。でも、緩和ケアチームの方が痛みや、咳に対応できる環
昨晩は久しぶりにエアコンを切って寝ました秋らしくなってきましたね先程、学校へ行っている娘より連絡がありました。先日投稿しました⬇『ヘルメット』今日は上の娘から悲しい出来事を聞きました娘の高校の3年生が数日前に事故にあい、脳死状態だそうで1学年80人しかいない高校なんですが、娘も直接知ってる方ではない…ameblo.jpこちらの続きです。悲しい事に、脳死になってしまった3年生の葬儀も終わったらしく奇跡は起きないか。と願っていましたが残念でなりません朝、黙祷を捧げたみたいです。
9年前のあの日。私には東日本大震災と共に忘れられない日になっています。次女が難病を発症したのがまさにその当日でした。地震のあと、やっと帰れた自宅で家族全員ほっとした頃、娘が痛みを訴えたのです。ぶつけたか、無理な体勢で痛めたか?そう話しながらニュースを見て言葉を失ったあの日。あれから9年が経ちましたが大切な人を失った方々のお気持ちを考えると胸が痛みます。毎年どこにいてもその時間には黙祷します。その日に始まった病気の治療はそれから四年続きました。治療が上手くいったケースで現在は
昨日はどんより曇った日で、気温はあるけれど風の冷たい日でした。散歩を迷ってるとラブは拗ねてテーブルの下に隠れてました。散歩の用意を始めると、舌を出しながら私の前に仁王立ち、ホントに行くの?とでも言うように見つめてきます。ラブは満足したり思い通りになると舌を出します。そのあとラブは、転がるように張り切って散歩に出かけましたよ。両陛下の英国訪問がスタートしました。たくさんの方が、ワ
2022.8.15一日一季語終戦記念日(しゅうせんきねんび《しゆうせんきねんび》)【秋―行事―初秋】カンバスの余白八月十五日神野紗希第4回俳句甲子園最優秀句。終戦記念日である、八月十五日を季語として使った句で、日本人にとってのこの特別な日を、物と季語だけで詠み上げている。「八月十五日」という季語に「カンバスの余白」という白。白旗、無、空虚、明るさなど、この余白には、読み手の思いが深く重なる。佐藤卓己の『八月十五日の神話』(2005)では、玉音放送は815文字だと書
13日と14日は、母方の法事のために、鹿児島へ行きました🚄約5年ぶりの鹿児島行きでした🌋(←噴火はしてません^^;)↑新幹線に乗るのも約5年ぶり熊本駅内の待合スペースにいる、くまモンとも約5年ぶりの再会🐻✨今回の法事は、祖母の33回忌の法要です🛕母は、7人きょうだいの末っ子。上の6人のうち、3人は既に他界しています..東京在住の長姉は健在ですが、施設に入所してほぼ寝たきりの状態です..残りの2人(母にとっては兄と姉)と会うことが、母には今回の鹿児島行きの大きな目的でした。(父は
氷室京介が2011年6月11日、12日に行った東日本大震災復興支援チャリティライブ「GIGatTOKYODOME"WeAreDownButNeverGiveUp!!"」ライブの内容は、氷室が掲げたチャリティという主旨に賛同してくれたオーディエンスの気持ちに応えるべく、今もなお日本のロック史上最大の伝説のバンドとして多くの支持を得ているBOφWYの楽曲で全編構成。開演直前、場内アナウンスにより、5万5千人のオーディエンスが黙祷を捧げ、その後、ライブがスタート。氷室がス
少しインターバルが入ってしまったが、同窓会の続き。同級生102人のうち、38名が出席してくれた。残念ながら2人が当日キャンセルだったが、ポストコロナ、卒後26年…と考えると上出来だろう。北海道や関西からも上京してくれ、久しぶりの仲間との再会は感無量だった。変わらず若々しい者もいれば、初老になっている者もいた。医師という仕事柄か、例外なく風格が漂っていた。みんな、偉くなったという事だ😁。受付を済ませ、座席は抽選で決めた。会に先立ち、故西澤弘太郎君を偲び、全員で黙祷を