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4/20(土)に、大阪の城友と一緒に「菩提山城」(岐阜県不破郡垂井町)と「松尾山城」(岐阜県不破郡関ヶ原町)に登城しました。「竹中氏陣屋櫓門」からは、「関ヶ原古戦場」内を突っ走り、車で約20分位で「戦国ロード」沿いの「松尾山城登城口」に着きました。「松尾山城」の歴史と城主については、「関ヶ原の合戦」時に、西軍から東軍に寝返った「小早川秀秋」が陣取っていた陣城ということは良く知られていますが、陣城として活用される前の城主は、「主郭」に詳細が記載された案内板に記載がありました。そ
(2023.07.24訂正あり)格好良さの問題だろうが、レザーよりジャージの方が動き易いと思うのだがな。まあ、防御もある程度欲しいからなのかも知れないけど。先ずは宗矩さん。前列敵1体物ダメ3.30(兵器使用時攻撃最大敵へ対象変更)前ターン同敵発動確定クリティカルうーん……どうなんだろう?前ターンと同じ敵にスキルを放たにゃならんということは、陣形コンボだの溜めだのを使った後ということになるから、どうしても最大級の攻撃とはいかんよな。いや、勿論コンボの温存や溜め付与スキル持ちを連れ
ようこそのお運びで厚く御礼申し上げます今日は『軍師官兵衛』の主人公・官兵衛さんの一人息子。(次男はいたけど早逝したらしい)松寿丸こと黒田長政さんとその妻たちのお話をしてみたいと思います。黒田長政の妻というと、関が原の前夜、官兵衛の妻、光さんと一緒に西軍の包囲網をかいくぐり大阪を脱出したエピソードで知られる徳川家康の養女、栄姫(えいひめ)が有名ですが。実は、その栄姫と結婚するより前、長政くんにはれっきとした正室がいました。秀吉の側近、蜂須賀正勝の娘、糸姫です。正勝は、秀吉が信長に仕える
関ヶ原ガチャ、やってなかったのか。自分で驚き。先ず家康さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】7周年総選挙(4)』『【信長の野望20XX噺】7周年総選挙(1)』星4まで含めると総勢30名。全部で……5回くらいかなぁ。先ずは光秀さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】光秀ガ…ameblo.jp〈一言二言〉まだまだ現役の全体屋さん。固有は若干微妙かな?当たり。次の忠勝さんはこちら。『【信長の野望20XX噺】天下への軌跡』こっちももうすぐ終わってしまうな。最初の宗矩さんはこちら。『【
あまりにも長くなりそうなので記事を分けたよ。大したこと書いてないけど笑徳川家康最後陣跡からの岐阜関ヶ原古戦場記念館へ。潤くん階段で上ってきたのかな?かなりの段数よ。一望できるとても気持ちいい空間ですが…!…関ヶ原前日、大変賑わってました潤くんはまず家康公本陣を見たんだね。エレベーター降りて右側。本当に潤くんの家康ゆかりの地の訪問ありがたい!潤くんのおかげで初めて訪れる人が多いかと思われます子供が小学生の頃に連れてきてあげたかったな。10年前何もなかった記憶しか←山の向
空花さんより、鵜来島についてコメントを頂きましたので、私も少し調べてみました。まずは、こちらのブログ様より一部引用してご紹介させて頂きます。《西公園の北西、すぐ沖合いに浮かぶ小さな島を「鵜来島」(うぐしま)という。黒田長政が「長男の忠之には不行跡のため藩を譲らぬ」と怒った時、筆頭家老の栗山大膳が忠之を守るために、家臣たちを集めて血判書を書かせたのがこの島。》《栗山利章(くりやまとしあきら)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士。黒田氏(福岡藩)の家臣。栗山利安の子。一
高野山にある黒田家のお墓です。人物名墓のある施設住所黒田家高野山奥之院和歌山県伊都郡高野町高野山誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(__)mスマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるようです。黒田家の墓は高野山奥之院にあります。右地図は奥之院の弘法大師御廟をマークしてありますが、墓は一の橋から弘法大師御廟へと続く参道にあります。高野山周辺には数か所の無
本日の「天守台シリーズ」は、第87弾「福岡城」(福岡市中央区)です。現在多くの「天守台(天守代用の櫓台含む)」が残されていて、更にはその上に復元、復興等の「天守(御三階櫓)」が再建されている場合も多くあります。「天守台」だけがひっそりと残っている場合は、「天守」が取り払われたケースの他にも、江戸時代には機会が有れば「天守」を建築するために「天守台」だけは用意していたケースや、「天守」を建築したいが幕府の目を気にしたり資金面で難しかった場合は、上物は建てず“権威の象徴”として「天守台