ブログ記事2,405件
【大分】大分県中津市二の丁にある中津城季節に応じステキな【見開き御城印】がいただけます【中津城見開き御城印】※枚数限定(書き置き)秋は紅葉でした【中津城御城印】天守売店でいただけます【奥平神社御朱印】黒田官兵衛資料館内でいただけます【中津神社御朱印】中津大神宮でいただけます【城井神社御朱印】中津大神宮でいただけます【中津大神宮御朱印】中津大神宮でいただけます【中津城】中津城は黒田官兵衛により築かれた
先週金曜日に3タテを喰らって2024年のファイターズの大航海が終わってしまいました。1stステージのエスコンではチケット発売日には完売でしたから福岡に行くことを信じ、千葉ロッテとの激闘を制して当日を待つばかりでしたが、ご存じのように完膚なきまでに叩きのめされこのチケットは🎟️⇒💵払い戻しに…。試合はなくとも✈️とホテルはどうしようもないのでそのまま旅に…。連敗した時点でプランBとして計画してました…😢スターフライヤーでの機上ということで、久しぶりに羽田の第1ターミナルからのフライト🛫空港
黒田孝高が手掛けた名城へ。中津駅から徒歩15分程、中津川沿いに建つ海城で、日本三大水城に数えられています。(日本三大水城:中津城・今治城・高松城)◆中津城◆(大分県指定史跡・続日本100名城)豊臣秀吉より豊前国6郡12万石を与えられた黒田孝高は、天正16年(1588)に築城を始めます。関ヶ原の戦いでの戦功により、慶長5年(1600)に筑前(福岡)へ転封となり、その後に入封した細川忠興が元和7年(1621)に中津城を完成させます。黒田官兵衛・正室光姫銅像黒田
八十のいろは帖を開いていただき有難うござりまする。【甲辰の陣】にて、絶対に言うてくれるな!絶対に拡散してくれるな!SNS絶対禁止!と口を酸っぱくした故、周年祭後の感想すら呟けなかった者達も多かったであろう、、、かたじけなかった。わざわざ二度目の十二周年祭を催した訳は、ここに御座った!『官兵衛様、御帰還なりやーーー!!!』あの、お優しく朗らかで、なんでも包み込んでしまう軍師が、同じお身体で再び戻ってきてくださりました!一年半前の「熊本城で会おう」にて、天へお還りになった際、お寂しゅうて
令和六年神無月拾二日筑前福岡黒田家の藩祖、私の名は黒田官兵衛孝高と申す。此ノ度、熊本城おもてなし武将隊の将として加入致した次第で御座る。以後、お見知り置きを。私が蘇った役割は只一つ。我が隊の御輿である加藤肥後守清正殿と熊本城おもてなし武将隊をしっかりと支えること。蘇ってから数日、現時点では隊をはじめ多くの方々にご迷惑をかけることが多々御座ろうが、精一杯励んで参る所存である故、皆様方も私について参り、肥後熊本の未来を共に歩んで頂きたい。さて、明日からの出陣に関して、明日は熊本城
夏の大分県漫遊。舞台は宇佐から中津へ。宇佐神宮からバスで40分、中津の市街に着きます。<旅の行程>1日目:宇佐→中津2日目:耶馬溪→別府3日目:大分→別府4日目:臼杵中津市は福岡県に隣接した人口8万人の都市。(人口は大分県で第3位)黒田孝高(黒田官兵衛)が築いた城下町として、また、福沢諭吉ゆかりの地として知られます。近年は中津からあげでも有名ですね。そんな城下町を巡ります。まずは、寺町から。寺町その町名の通り、中津城の外堀に沿
前から気になっていた黒牢城読んでみました。荒木村重が織田信長に背いて有岡城に立てこもった後のお話。まず最初は謎の密室殺人・・・この後、不可思議な事件や殺人。これらを何故か牢屋に繋がれている黒田官兵衛の知恵を借り事件を解決する・・・そして、すべての事件は一つに結び付き常勝だった荒木村重の全否定に繋がり何故、荒木村重は一人城から脱出せねばならなかったのかを戦国時代の歴史観見に、はめ込み描写されていました。改めて、この本の作者凄い!!と思いましたね。誰か、この小説をもとに映画化してくれ
お久しぶりにござりまする。ポンにちは。清盛なべをいただく神戸・清盛隊の平知盛にござります。この季節のお祭りといえばコレ「2024兵庫運河祭」今年もこのお祭りこそはと!出陣させていただきました。本日の出演はとーりょー(清盛殿)、あにじゃ(重盛殿)、とももり(知盛)、ぴらぴら(重衡)、あつぅ(敦盛)の5名でございました。披露させていただきました楽曲はオープニング「GOODKOBE」口上「願い-NEGAI-」「五人演舞」「サネカズラ」「GOODKOBE」でございます
皆様方。此度は儂の“直往邁進記”を御覧頂き、誠に感謝致しまする。本日、ようやく情報解禁!此度より我等熊本城おもてなし武将隊に新たに…いや、再び戻って参った仲間黒田官兵衛殿出陣である!先日の十二周年祭『甲辰の陣』にて登場致し、当世には戻られておったが、満を辞して本日出陣を果たした。これからも共に、再び、当世の戦場を歩んで参りましょうぞ!そして!此度の武録!官兵衛殿のおかげで、1000件達成!ありがとう!官兵衛殿!それではまた。~玉(ガラシャ)へ~本日、再び蘇った官兵衛殿。
【福岡】福岡市中心市街(天神)の西福岡城址の北に荒津山と呼ばれた山があり福岡県で唯一『日本さくら100選』として指定されている福岡県管理の西公園。その西公園の山頂付近にあたる荒戸山中央に光雲神社は鎮座しています。9月15日は徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が天下分け目の決戦を繰り広げた「関ヶ原合戦」の日。黒田長政は竹中重門と共に関ヶ原一帯が見渡せる丘陵地の岡山に陣取り開戦の狼煙を上
今日は福岡城へ行きました。堀に蓮が植えられていて、他のお城では見ない感じ。シオカラトンボやオニヤンマが飛んでいました!福岡城は黒田長政が建てましたが、長政の父は黒田官兵衛、官兵衛は私と同じ姫路生まれという縁があるようなないような福岡城では謎解きをしました。なかなか面白かったです★体験しよう!!<福岡城謎解きタイムトラベル!>★|【公式】福岡城・鴻臚館昨年11月から「福岡城むかし探訪館」ではLINEを使った謎解きゲーム<福岡城謎解きタイムトラベル!>を始めました。城内の散
【兵庫】兵庫県姫路市広嶺山の廣峯神社境内社官兵衛神社【官兵衛神社御朱印】【官兵衛神社御朱印】(小さいサイズ)【廣峯神社御朱印】【廣峯神社御朱印】境内社【官兵衛神社】235年ぶりに福岡市の大長寺に安置されていた福岡藩祖黒田官兵衛一族ゆかりの古木の根が官兵衛神社のご神体として福岡から姫路に帰郷。古木の根は江戸時代に発見された姫路市内にあった官兵衛の父職隆のお墓に
香山城(たつの市新宮町香山字北山・坪尻)別名:金靏部城・備後屋敷・香山構香山城は香山村西方の山麓(通称:備後屋敷)に位置する香山氏の居城です。香山氏は系図によりますと鎌倉時代からの香山荘地頭職の家柄で、建武年間頃(1334~1338)に備後守秀清が香山城を築城したと伝えられて夏季の乱(1441)で城は一度落城します。その後文明三年(1471)に秀氏が城を再興しますが、羽柴秀吉が宇野氏(山崎・長水城)を攻めた時に城主秀明は宇野氏に属し、香山城は秀吉軍の黒田官兵衛に攻められ、天正八年(1580)
黒牢城(角川書店単行本)Amazon(アマゾン)1,584円(あらすじ)※Amazonより本能寺の変より四年前、天正六年の冬。織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。デビュー20周年の集大成。『満願』『王とサーカス』の著者が辿り着いた、ミステリの精髄と歴史
2022.10.21(金)廣峯(ひろみね)神社アクセス兵庫県福崎町の神積寺を拝観、そして、もちむぎのやかたで食事を終える。いよいよ、今日の最終目的地、姫路にある、廣峯神社へ向かう。廣峯神社へは神仏霊場会の御朱印をもらいに行きたかった。ただ、アクセスに難ありで、姫路駅から広峰行きのバスに乗って約20分、広峰バス停で降り、広峰バス停から広峯神社までは徒歩約50分。徒歩50分、それも山を登るのだ。車道を歩くので、ピッケルとかが必要な登山ではないが、早朝、奈良を出て、姫路
播州段文音頭(歌詞付)歌:姫路のじろりんをUPしました。https://www.youtube.com/watch?v=RLfE61yQwco&feature=youtu.behttp://kuro-megane-f.seesaa.net/article/403577855.html<現在・過去・未来>さんのブログより。「播州音頭」と言われる音頭は、ここ西播磨地方では「播州段文音頭(ばんしゅうだんもんおんど)」と呼ばれるものとその昔に聞きました。東播磨地方では「
す戦国武将の名字と名前の間についてる、ミドルネームみたいなん、あれは何なのか?「官名」または「通名」といいます。苗字○○○名前、というときの最後の名前は「諱」(いみな)といって、これは正式で神聖な名前ですので、天皇から位を貰う時とか正式文書に署名するときとか、特別な時にしか使いません。この諱を面と向かって呼ぶことは大変失礼なこととされています。普段の生活では滅多に使われることのない名前です。その代わり、普段呼ばれるためにある通称が、諱とは別に、誰もが持っています。たとえば「木下藤吉郎秀
からつバーガーを食べたら、何だか眠くなってついつい居眠りしちゃいました。ふと目が覚めたら、バスはもう福岡市内を走行していました。およ、福岡ドームだぁ~⚾福岡ドームじゃなくて、みずほPayPayドームって言うんだね。今年は、福岡ソフトバンクホークスが強かったな。福岡市内の停留所で下車して、地下鉄に乗り、やってきました。福岡城大河ドラマの主人公にもなった黒田官兵衛は、関ヶ原の戦いの後、筑前の国に入り、福岡城を築きました。黒田官兵衛は、藤堂高虎や黒田長政と並び、築城の名人として知られて
ようこそのお運びで厚く御礼申し上げます今日は『軍師官兵衛』の主人公・官兵衛さんの一人息子。(次男はいたけど早逝したらしい)松寿丸こと黒田長政さんとその妻たちのお話をしてみたいと思います。黒田長政の妻というと、関が原の前夜、官兵衛の妻、光さんと一緒に西軍の包囲網をかいくぐり大阪を脱出したエピソードで知られる徳川家康の養女、栄姫(えいひめ)が有名ですが。実は、その栄姫と結婚するより前、長政くんにはれっきとした正室がいました。秀吉の側近、蜂須賀正勝の娘、糸姫です。正勝は、秀吉が信長に仕える
妻からのラインが「今から帰りま」で止まっている。今から帰りません、だと驚く。今から帰ります、か?だと更に驚くが、妻にそんな洒落っ気はない。後から「す」が来た。明智光秀の三日天下(正確には11日)を考察する番組を見た。案の定、明智光秀は本能寺の変の後、何故失敗したかという論調である。違うと思う。いきなり千歳一隅の信長を討つチャンスが来た。討った後のことはちゃんと準備できてないが、戦国の武将だもの、千歳一隅のチャンスを見逃す方が恥ずかしい。その後、足利将軍や朝廷や反信
直木賞をとった作品である。織田信長から離反した荒木村重と、その有岡城に幽閉された黒田官兵衛を軸にしたミステリーである。現在形の短文で綴られており、文にはスピード感がある。どんどん読み進めることができる。面白かった。メモる。序章:時代は戦国時代、舞台は北摂、伊丹の有岡城。そのあるじは荒木摂津守村重。そこへ小寺(黒田)官兵衛が訪ねてきて、織田に背いても、毛利は信ずるには足らず、この戦は勝てないと言う。荒木村重は官兵衛を土牢に幽閉する。第1章雪夜灯籠:猛将中川瀬兵衛が織田に降参
戦国無双5山崎の戦いの【羽柴編】のミッションは下記の8つメインミッション一覧・渡河・天王山制圧・明智軍の猛攻・忠臣の覚悟・劣勢・形勢逆転の一手・最後の壁サブミッション一覧・潜む者・予防策・鉛の雨・裏切り者・決別・譲れぬ思いメインは進行通りに進めばうまくいくのでサブだけ説明します。その前に注意事項として黒田官兵衛中村一氏羽柴秀吉部をキャラクター選択してください。潜む者このサ
日本100名城のひとつで国宝天守&世界遺産の姫路城はいろんな時代の石垣がありますが、その中でもチェックしておきたい古い石垣があります。それが黒田官兵衛が普請したとも考えられる天正年間(1573~93)の石垣です。>>黒田官兵衛普請の石垣の地図🖕それがこの石垣。場所は上山里(かみやまざと:お菊井戸がある曲輪)下段。現地看板には天正八年(1580)羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の姫路城改築の時に積まれた石垣と推定されています。当時、黒田官兵衛は秀吉に従い姫路城を明け渡して
昨日9月6日、書寫山(しょしゃざん)圓教寺(えんぎょうじ)に夫婦で観光に行ってきました。運転しないといけないため、この日の朝は眠り成分が入ってる鼻炎薬は飲みませんでした。抗不安薬ももちろん飲んでいません。前日あまり精神状態がよくなかったので今日大丈夫かな?と書寫山ロープウェイ乗り場に着くまで心配だったのですがロープウェイに乗ってからは観光モードに入ったようで精神状態がどうとかの心配は一切無くなりました。着いたのは午前11時頃です。駐車場の出入り口にある売店です。駐車場の利用料金