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令和八年五月十一日黒田の武士録を此処に書き留める。『支えられた日々を、支え合う力に』我らは此の合言葉と共に、震災から十年を迎える復興の軌跡を、次代へと繋ぐ大切な一年として参りたい。日々公務を行う日中は、ようけ汗をかく。故に我が腰元には、手拭いを携えておるわけで、本日は手拭いの話と相成るが、幾つかある手拭いの中で、よく私が公務に携えておる手拭いには、黒田二十四騎の名が記されておる。黒田二十四騎とは、我が嫡子・長政に仕えた優秀な家臣達(精鋭部隊)の呼称。黒田二十四騎は下
黒田官兵衛は、九州平定後、豊前国に配置となりますが。これは、豊臣秀吉が官兵衛の才を恐れ警戒し、官兵衛は中央から遠ざけられたのだ、と言われているが、それは違うのではないか?経済先進地帯であり、しかも大陸進出を控えて益々発展が見込まれる九州への転封は、栄転ではないのか?と論じておられる方が、いましたが。そもそも、この異動が栄転なのか左遷なのか、というのは、客観的な数字で決まるもんではありません。形式的な肩書の上下でもありません。左遷か否かは、本人たちの「捉え方」によるものです。異動させる側
福岡を造った父と子・黒田如水公と長政公令和7年(2025年)の6月末、福岡城址天守台の学術的な発掘調査が開始された。天守閣が実在していたのかの議論が長く続いているが、その謎が早く解明されれば嬉しい。↓実在していたならば、こんなにも勇壮で素晴らしい天守が建っていたことになる。福岡城むかし探訪館CG再現の天守閣しかし、結果がどうであれ、福岡県(市)民のシンボルとしての天守閣は舞鶴公園(セントラルパーク構想)内に求められているのではないか。インバウンド含む観光の目玉としても
米澤穂信さんの『黒牢城』のレビューになります。こちらは映画ではなく、原作のレビューになるのでご注意を!さっそくですが、あらすじ〜ネタバレ〜感想をどうぞ!◇あらすじ◇祝第166回直木賞受賞!本能寺の変より四年前、天正六年の冬。織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。デビュ
こんにちは、くるまやまこっちゃんです!ご覧いただき、誠にありがとうございます!年に1度は来ています、戦国時代と言えば必ず聞く武将(軍師)竹中半兵衛重治の墓所です。場所は兵庫県三木市平井です。裏手にブドウ園があります。竹中半兵衛とは、どのような方だったかと言いますと黒田官兵衛とも仲がよく信長の名を受け荒木村重が毛利家に寝返ってしまったのを戻るように単身で有岡城に兵庫県伊丹市まで向かいますが荒木村重に幽閉されてしまいます。織田信長は黒田官兵衛と連絡が取れなくなったことから裏切り者とみな
播磨国時代の黒田家と母里家「母里太兵衛と黒田家①黒田24騎と黒田八虎」の続きです。母里太兵衛友信(春日神社・福岡市博物館)前回のブログで、福岡黒田藩一番の勇猛な武将・母里太兵衛友信(もりたへえとものぶ)を「黒田24騎」・「黒田八虎」の一人として紹介しました。今回は、母里太兵衛が生まれた播磨国姫路時代の黒田家と母里家の家系について触れたいと思う。つまり、「軍師官兵衛」の播磨灘物語の時代である。軍師官兵衛(NHKオンデマンドより)黒田官兵衛孝高の父・黒
前回のお話『兵庫県に上陸してくれたバローのスイーツ!』前回のお話『初めて夕飯にケチをつけられたんやけど嬉しかった日』前回のお話『めちゃくちゃ磨かれて綺麗な店内で頂く鉄板焼き』前回のお話『ヒーッン可…ameblo.jpこのお話の続きです『めちゃくちゃ磨かれて綺麗な店内で頂く鉄板焼き』前回のお話『ヒーッン可愛すぎるぅ♥️2㌔のパンダのぬいぐるみ』前回のお話『三木市天保3年再建の立派な本殿、吉川若宮神社』前回のお話『高級珈琲…ameblo.jp姫路に本店がある宝橘
みなさんごきげんよう🏯城はあまり好きではない平和好きな私ですが阿波の城について学ぶ「勝瑞学講座」に参加する機会がありました「徳島城」の回だったのにもかかわらず、講師の方をはじめ皆さんが大いに関心を持っているのがビシビシ伝わってきたのが「一宮城」でした私もここはぜひ行ってみたい!!そう思ったのは豊玉姫を連想させる「月の宮」「辰」「東竜王」「西竜王」「玉姫」といったワードがたくさん登場し何より水の女神が大いに関係している地域に要衝として築かれていた城だ