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米澤穂信さんの『黒牢城』のレビューになります。こちらは映画ではなく、原作のレビューになるのでご注意を!さっそくですが、あらすじ〜ネタバレ〜感想をどうぞ!◇あらすじ◇祝第166回直木賞受賞!本能寺の変より四年前、天正六年の冬。織田信長に叛旗を翻して有岡城に立て籠った荒木村重は、城内で起きる難事件に翻弄される。動揺する人心を落ち着かせるため、村重は、土牢の囚人にして織田方の智将・黒田官兵衛に謎を解くよう求めた。事件の裏には何が潜むのか。戦と推理の果てに村重は、官兵衛は何を企む。デビュ
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で秀吉を軍師として支えた竹中半兵衛の人生を『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』でみる。後を託したかった黒田官兵衛の無謀な荒木村重説得を止められなかった竹中半兵衛(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想大河ドラマ『豊臣兄弟!』でも、間違いなくその重要キャラとして活躍するであろう竹中半兵衛のついてです。<竹中半兵衛の年表>(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)
大河ドラマ『豊臣兄弟!』で倉悠貴さんが演じる黒田官兵衛の若き頃の失敗を『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|全番組が無料放送』の内容メモ確かに理も大事だが、情が分からなかったので荒木村重を説き伏せられずに幽閉されてしまった若き黒田官兵衛の失敗(『偉人・敗北からの教訓|BS11(イレブン)|』より)内容と感想今回は、信長に反旗を翻した荒木村重を単身で説得しにいくも捕らえられ、幽閉生活を送ることになった黒田官兵衛のその失敗の理由を探る回です。<黒田官兵衛
播磨国時代の黒田家と母里家「母里太兵衛と黒田家①黒田24騎と黒田八虎」の続きです。母里太兵衛友信(春日神社・福岡市博物館)前回のブログで、福岡黒田藩一番の勇猛な武将・母里太兵衛友信(もりたへえとものぶ)を「黒田24騎」・「黒田八虎」の一人として紹介しました。今回は、母里太兵衛が生まれた播磨国姫路時代の黒田家と母里家の家系について触れたいと思う。つまり、「軍師官兵衛」の播磨灘物語の時代である。軍師官兵衛(NHKオンデマンドより)黒田官兵衛孝高の父・黒
黒田官兵衛は、九州平定後、豊前国に配置となりますが。これは、豊臣秀吉が官兵衛の才を恐れ警戒し、官兵衛は中央から遠ざけられたのだ、と言われているが、それは違うのではないか?経済先進地帯であり、しかも大陸進出を控えて益々発展が見込まれる九州への転封は、栄転ではないのか?と論じておられる方が、いましたが。そもそも、この異動が栄転なのか左遷なのか、というのは、客観的な数字で決まるもんではありません。形式的な肩書の上下でもありません。左遷か否かは、本人たちの「捉え方」によるものです。異動させる側
荒木村重による黒田官兵衛の幽閉について、実際にわかっていることは、次の点だけです。荒木村重により有岡城に約1年間幽閉されたこと、および救出後に足に障害が残っていたこと。これだけなので、幽閉場所の具体的な構造や環境、および脚が悪くなった原因を確定させる史料は存在しないのが実情です。幽閉されていた官兵衛は有岡城落城時に救出されましたが、以後この一連の出来事が物語(フィクション)によって度々描かれています。特に軍記物やドラマでは、幽閉場所は「土牢(つちろう)」という最も過酷な形で描かれます。
「……御台様は、官兵衛殿が本能寺の変に関わったと?」「断じはせぬ。だが、官兵衛が秀吉を天下人にしたいと思うことはありえるであろう」私は灯火を見つめた。「秀吉があれほど早く動けた理由……そこに官兵衛の知恵があるのではと考えると、納得できるのじゃ」右近は長く黙っていた。信じたくない、という思いが顔に浮かんでいる。やがて、ぽつりと呟いた。「官兵衛殿は……信長公を深く敬っておられた。たとえ秀吉に大恩があろうと、そのお命が危うくなる賭けに出るとは思えませぬ」「確かにな……官兵衛は軽挙妄動に出
板部岡江雪が主人公。北条氏直や氏規、氏房から慕われ、北条氏政からは疎まれていた江雪。そして今、北条家はまさに滅ぶ寸前。だけど小田原城攻めで集まった20万の兵は危うさも潜んでいて、何かが起こるのを待っていた。北条家存続のために板部岡江雪は、千利休、黒田官兵衛、徳川家康、伊達政宗に接触し、策を巡らせる。板部岡江雪は北条家を救うため、秀吉は小田原城を落とすため、黒田官兵衛は秀吉の天下を覆すため、策士たちの頭脳戦が繰り広げられた。面白かった!石田三成、大谷吉継らが忍城に行く
加古川線に乗って黒田庄駅で降り、兵主神社を参拝しました。『加古川線黒田庄駅〜兵主神社[兵庫県西脇市]』北条鉄道に乗車し粟生駅で降りました。『のどかな北条鉄道に乗り鉄♪』兵庫県でのマンホールカード集めの記事に戻ります。北条鉄道北条町駅近くのカフェでモーニングを…ameblo.jp兵主神社前の池には鴨と川鵜がいましたすぐ近くに、太閤腰掛石が置かれている祠がありました。極楽寺の裏手にあります。太閤腰掛石由来記には「羽柴秀吉、天正年間三木攻略のとき大志野に陣し、兵主神社に戦勝を祈願