ブログ記事2,405件
妻からのラインが「今から帰りま」で止まっている。今から帰りません、だと驚く。今から帰ります、か?だと更に驚くが、妻にそんな洒落っ気はない。後から「す」が来た。明智光秀の三日天下(正確には11日)を考察する番組を見た。案の定、明智光秀は本能寺の変の後、何故失敗したかという論調である。違うと思う。いきなり千歳一隅の信長を討つチャンスが来た。討った後のことはちゃんと準備できてないが、戦国の武将だもの、千歳一隅のチャンスを見逃す方が恥ずかしい。その後、足利将軍や朝廷や反信
ネットでこんな一文を拾った。「お金の本質が『感謝の気持ち』であるということに気づくと、お金が絡むあらゆることが手に取るようにわかります。これが見え始めると、『感謝の気持ちをたくさん生み出した人ほどお金持ちになれる』ということがわかるようになります。自分の器(スキル・考え方・人望)を大きくしなければ、他人や世の中に大きく貢献することはできません。大きく貢献することができなければ大きく感謝されることもありません。感謝されない以上、感謝の気持ちとしてのお金は手に入りません。」(坂下仁。お金のソムリ
先週金曜日に3タテを喰らって2024年のファイターズの大航海が終わってしまいました。1stステージのエスコンではチケット発売日には完売でしたから福岡に行くことを信じ、千葉ロッテとの激闘を制して当日を待つばかりでしたが、ご存じのように完膚なきまでに叩きのめされこのチケットは🎟️⇒💵払い戻しに…。試合はなくとも✈️とホテルはどうしようもないのでそのまま旅に…。連敗した時点でプランBとして計画してました…😢スターフライヤーでの機上ということで、久しぶりに羽田の第1ターミナルからのフライト🛫空港
黒田孝高が手掛けた名城へ。中津駅から徒歩15分程、中津川沿いに建つ海城で、日本三大水城に数えられています。(日本三大水城:中津城・今治城・高松城)◆中津城◆(大分県指定史跡・続日本100名城)豊臣秀吉より豊前国6郡12万石を与えられた黒田孝高は、天正16年(1588)に築城を始めます。関ヶ原の戦いでの戦功により、慶長5年(1600)に筑前(福岡)へ転封となり、その後に入封した細川忠興が元和7年(1621)に中津城を完成させます。黒田官兵衛・正室光姫銅像黒田
夏の大分県漫遊。舞台は宇佐から中津へ。宇佐神宮からバスで40分、中津の市街に着きます。<旅の行程>1日目:宇佐→中津2日目:耶馬溪→別府3日目:大分→別府4日目:臼杵中津市は福岡県に隣接した人口8万人の都市。(人口は大分県で第3位)黒田孝高(黒田官兵衛)が築いた城下町として、また、福沢諭吉ゆかりの地として知られます。近年は中津からあげでも有名ですね。そんな城下町を巡ります。まずは、寺町から。寺町その町名の通り、中津城の外堀に沿
豊臣秀吉軍と毛利軍が戦った備中高松城黒田官兵衛の奇策水攻めの主戦場となった城址現在公園として整備されており公園中央に水攻めの陣営を書いた場所がありました本丸跡本丸跡には城主であった清水宗治
9/19今日は通院の日、血液検査があったので少し遅くなった。電車に乗って御着城を見に行く事にした。JR御着駅から旧西国街道を少し東に行くと城跡である姫路市役所東支所がありますが、今日は天川沿いを歩き先に大榎を見に行きます。JR御着駅前昔ながらの小さい駅です。天川(あまかわ)を渡る。天川は御着城の外堀として利用された。目の前のとんがり山が桶居山この場所は江戸時代に姫路藩が威信をかけて作った石橋が掛かっていた。石橋は移築保存されています。今日はまっすぐ城跡には向かわずに天川沿いに歩く事に
お久しぶりにござりまする。ポンにちは。清盛なべをいただく神戸・清盛隊の平知盛にござります。この季節のお祭りといえばコレ「2024兵庫運河祭」今年もこのお祭りこそはと!出陣させていただきました。本日の出演はとーりょー(清盛殿)、あにじゃ(重盛殿)、とももり(知盛)、ぴらぴら(重衡)、あつぅ(敦盛)の5名でございました。披露させていただきました楽曲はオープニング「GOODKOBE」口上「願い-NEGAI-」「五人演舞」「サネカズラ」「GOODKOBE」でございます
八十のいろは帖を開いていただき有難うござりまする。【甲辰の陣】にて、絶対に言うてくれるな!絶対に拡散してくれるな!SNS絶対禁止!と口を酸っぱくした故、周年祭後の感想すら呟けなかった者達も多かったであろう、、、かたじけなかった。わざわざ二度目の十二周年祭を催した訳は、ここに御座った!『官兵衛様、御帰還なりやーーー!!!』あの、お優しく朗らかで、なんでも包み込んでしまう軍師が、同じお身体で再び戻ってきてくださりました!一年半前の「熊本城で会おう」にて、天へお還りになった際、お寂しゅうて
令和六年神無月拾二日筑前福岡黒田家の藩祖、私の名は黒田官兵衛孝高と申す。此ノ度、熊本城おもてなし武将隊の将として加入致した次第で御座る。以後、お見知り置きを。私が蘇った役割は只一つ。我が隊の御輿である加藤肥後守清正殿と熊本城おもてなし武将隊をしっかりと支えること。蘇ってから数日、現時点では隊をはじめ多くの方々にご迷惑をかけることが多々御座ろうが、精一杯励んで参る所存である故、皆様方も私について参り、肥後熊本の未来を共に歩んで頂きたい。さて、明日からの出陣に関して、明日は熊本城
皆様方。此度は儂の“直往邁進記”を御覧頂き、誠に感謝致しまする。本日、ようやく情報解禁!此度より我等熊本城おもてなし武将隊に新たに…いや、再び戻って参った仲間黒田官兵衛殿出陣である!先日の十二周年祭『甲辰の陣』にて登場致し、当世には戻られておったが、満を辞して本日出陣を果たした。これからも共に、再び、当世の戦場を歩んで参りましょうぞ!そして!此度の武録!官兵衛殿のおかげで、1000件達成!ありがとう!官兵衛殿!それではまた。~玉(ガラシャ)へ~本日、再び蘇った官兵衛殿。
実は、、メッチャ小説読んでます!!直木賞受賞作??!これは見なくては!って事で読んだのですが、歴史物って字が難しいので調べながら読んだのでいつもより時間がかかってしまいました、詳しく言うと楽しみがなくなるので言わないですが、最後まで見入ってしまいました!歴史物にもジャンルを広げていくのも良いかなと思った感じです囚人!
天正15年(1587)に黒田官兵衛により創建された、中津市寺町の「合元寺(通称:赤壁寺)」です。黒田氏は中津城内で宇都宮氏を討ち、合元寺で待機していた家臣たちも討伐しました。そのときの血が、寺の壁を何度塗り替えても赤く染み出してくることから、遂には、壁を真っ赤に塗るようになりました。寺の柱にも、当時の「刀傷」が残されています。中津城内で宇都宮鎮房が暗殺されたとき、家臣たちはこの寺に立て籠もり、抵抗しました。家臣たちも討伐されたものの、壁は真っ赤に。ここに、鎌倉時代か
中津で最も有名なお寺「合元寺」です。黒田官兵衛が開いた寺院ですが、歴史上の事件発生場所として「宇都宮氏の滅亡に繋がる悲劇の寺院」として有名です。では、宇都宮鎮房とは、どのような武将だったのでしょうか。豊前宇都宮氏は、下野の名族:宇都宮氏を祖とし、鎌倉時代初めに九州入りをした宇都宮信房に始まる、豊前国最大の国人領主です。城井(きい)郡を含む豊前6郡を支配していました。信房は、豊前守護職に任じられていました。ただ、大内氏と大友氏に挟まれて、苦しい立場だったことは確かです。戦国大名に
からつバーガーを食べたら、何だか眠くなってついつい居眠りしちゃいました。ふと目が覚めたら、バスはもう福岡市内を走行していました。およ、福岡ドームだぁ~⚾福岡ドームじゃなくて、みずほPayPayドームって言うんだね。今年は、福岡ソフトバンクホークスが強かったな。福岡市内の停留所で下車して、地下鉄に乗り、やってきました。福岡城大河ドラマの主人公にもなった黒田官兵衛は、関ヶ原の戦いの後、筑前の国に入り、福岡城を築きました。黒田官兵衛は、藤堂高虎や黒田長政と並び、築城の名人として知られて
こんばんは♪昨日は、光雲神社に連れて行ってもらいました。黒田官兵衛と黒田長政親子を祀ってる神社。お城にはまって、勉強始めて、存在を知って、いつか行ってみたいと思ってました。場所、わかりにくい😅西公園の山の中。近くにはいるんだけど、迷いました😅真新しい😅お賽銭入れたら音が鳴りました🧐鶴の声らしいです。ほぉ。黒田家家臣。母里友信。母里太兵衛。黒田節。名槍日本号。織田信長。福島正則。横は目薬の木って。勉強不足でなんだかわからなかった…。おみくじは30円。良心的。で、今
九州出張今日の仕事は大分国東半島の根本あたり昼になりましたー宇佐市安心院(あじむ)でお昼を…いい感じの食堂発見。入ります😅メニュー豊富です。一番売れてるのはとり天定食ですが…豚汁定食が1100円が気になるーやってきました。おっきな魚フライ付きです😃相方はカツ定食1200円次回訪問時に更に探求すること決定です😄今日は仕事が早く終わってしまったので…😅お城見学へもちろん向かうは中津城昭和になっての再建みたいですがなかなかでした。軍師官兵衛やってたころは観光客もわんさかだ
もしも豊臣秀吉がコンサルをしたらAmazon(アマゾン)もしも豊臣秀吉がコンサルをしたら[眞邊明人]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}【内容】amazon祖父のコンサル会社を継いだ武田倫太郎は幼少期から感性が鋭く身近な霊と対話するようになったある大企業の難しい案件を担当することになった倫太郎の前に現れたのは豊臣秀吉だった映画.com様
楽天roomはじめました姫路に行く方におススメしたいスポット廣峯神社詳しくはこちらから牛頭天王総本宮廣峯神社国指定重要文化財素戔嗚尊姫路廣峯神社黒田官兵衛www.hiromine-j.jpかなりおススメしたいスポットだったのですが1つ注意点が。駐車場から神社までが遠いです山の頂上にある駐車場に停めて山道を歩きます☝️そんなに道狭くないのに長男が次男に「崖から落ちるから手を離すな」「崖側はにいにが歩くから」と超絶過保護でベビがうんざりしていたしかし突如「💩漏れ
うっちーこと宇都宮芳綱です本日2度目の更新ですまずは戦上くじを8枚引きましたグッジョブ♪('-^*)/新極の飯富さんが出ましたこの後は天下くじを引きましたグフッ!><ハズレなので鍛錬スキル素材更に天神くじも引きましたグフッ!><これは鍛錬で溶かすかなかなか家康さんが出ませんね次に期待しますブログ更新のモチベアップのためポチッとお願いします♪にほんブログ村戦国IXA
※竹中半兵衛重治公顕彰碑・・・江戸後期の儒学者「山田翠雨」が半兵衛公墓所に訪れたとき、半兵衛公の事績を称える漢詩を作りました石碑があったのかどうか覚えてません・・・江戸期の漢詩は旧字体が多く、読めないし変換できません・・・内容は、半兵衛公を称えているのはもちろんですが、秀吉のことはかなり「バカ」にしています竹中半兵衛公の墓3️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(
ただ今、軍師官兵衛を見直していますがやはり学びが沢山ありますね黒田官兵衛…黒田官兵衛軍師の極意(小学館新書)Amazon(アマゾン)オススメ度…★★★響いた内容・乱世であっても、時代を生き抜く知恵は切実に求められていた。その重要な人材供給源が、「京都五山」「鎌倉五山」であった。・戦わずして敵を屈服させるために「調略」があった。ところが秩序なき乱世にあっては、孫子の言う「兵は詭道なり。」を曲解する者もいた。本来の意味は、謀略を用いて、敵を欺く道のことであり、間者(スパイ)を用い
角川文庫白痴・二流の人(改版):9784041100011:紀伊國屋書店-通販-Yahoo!ショッピングstore.shopping.yahoo.co.jp572円商品を見る人生初坂口安吾である(^^ゞ先日読んだ本(これだかあれだか忘れたが)に話が出ていて、突如坂口安吾に手を出した。タイトルの『白痴』(変換候補に出ない。コンプライアンスってやつですか?)『二流の人』の他、『木枯の酒蔵から』『風博士』『紫大納言』『真珠』『風と光と二十の私と』『青鬼の褌
こんにちは、philosophiaです攻城ロングTRGの続編です。「山崎の戦い」での光秀本陣跡を攻城した後は、大山崎ICから名神高速道路/西宮線と新名神高速道路と山陽自動車道経由で播但連絡道の花田ICで降り、<御着城跡公園>に到着御着城は赤松氏の一族である小寺政隆によって築かれた城です。駐車場の後ろは、模擬天守の姫路市役所東出張所でもあります!<案内板>グランドになっている<二ノ丸跡>残存する二ノ丸石垣公園内には<天川橋>が移設保存さ
9月16日(祝)近江西国三十三霊場で行ってきましたナビで住所を入れると違う場所になったので諦めて後日行こうかと思ったのですが地元の人に聞いてやっと行けました石道寺と鶏足寺の後なので当日最後の参拝です電話をすると地元のかたが開けてくれて拝観できるのですが三連休の最終日で時間も遅くて御迷惑をおかけするので諦めました◆龍頭山大澤寺◆奈良時代の行基開基の曹洞宗寺院で、十一面千手観世音菩薩を本尊とします。賤ヶ岳の合
姫路市立城陽公民館大規模改修等工事が始まるのを前に本年度最終の「じろりんフォークライブ」が開催されました。初じろりんの方や常連さんが次々とご来場下さり、めっちゃ「リキ」の入ったライブとなりました。素敵なお花も飾られました・・・本日のセットリストです・・・①ゆめいっぱい②お祭りマンボ③浅草キッド④東京(マイ・ペース)⑤京都から博多まで⑥20歳のめぐり逢い(シグナル)⑦ダンシング・ヒーロー⑧アイノカタチ⑨ロード⑩花のつぶやき(くまこ)⑪鏡の前の52分(シャララ・サスケ)
期間:2024/09/20〜09/27天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)井伊直政:栄光の傷痕武)井伊直虎:敢為の女地頭武)本多忠勝:古今独歩の勇武)井伊直孝:親子鷹の賢将戦)黒田官兵衛:野心の参謀星3射)今川氏真:心眼・参©コーエーテクモゲームス
黒牢城(角川文庫)Amazon(アマゾン)『黒牢城』を読みました。出張途中でふらっと立ち寄った本屋で「山田風太郎賞受賞」というコピーが目に飛び込み即買い。やっぱり、リアル書店は偶然の出会いがあっていい(^^)。直木賞も取ったようですが、直木賞といわれると、玄人好みの難解な文章かなと気おくれするのですが、山田風太郎賞は、気になります。その奇想天外で、ハラハラドキドキし、ちょっとHな(^^|)忍者物語に心躍らせた子供心を思い起こすからです。さて
本日は中秋の名月十五夜こちらは前日の月↑2024/09/17修業時代は月をゆっくり見る余裕が無かったですね9月13日〜15日は石垣原の合戦の日大河ドラマ放送から10年、月日が過ぎるのは早いものです。。10年前に誕生した〝石垣原伝説〟10年前、官兵衛ブームで作った商品をまだ作ってるお店あるのかな、、。石垣原伝説、今も製造販売中です〜定休日ラピュタパン作ったり、敬老の日は義両親とランチへ🍣キャンプ道具を干したり、、今週もゆっくり過ごしました私の修業時代第89