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朝、東横イン名物の朝食をいただく。チェックアウトしてから、荷物をセルフロッカーに預けて、伊丹に再び出発。実は、予定していなかったのだけれど、先日、スカイパークに向かうバスの中で、偶然有岡城を見かけた。JR伊丹駅からすぐだ。おー、これは見ておかなければと思って急遽、有岡城行きを計画。阪急伊丹からバスに乗り、JR伊丹で降りる。立派な石垣。そんなに広くは無いのだけれど、荒木村重の居城で、黒田官兵衛が1年間、牢に幽閉されていた場所だ。そんな、すごい場所なのに、観光客は、いない。
※2026年2月5日訪問※西北腰曲輪から天守に向けて進むと見えてくるのが【ほの門】です昭和の修理で解体した際、明治の修理以前の外観がわからない程に腐朽が甚だしかったそうですこちらも国の《重要文化財》に指定されている貴重な建築物です【ほの門】の札が据えられていますねこのほの門は「埋門」形式、小規模ながら門扉は鉄板張りの頑丈な造りとなっていますね石垣を切り通して通路としているため、有事の際は石垣を崩したり、土砂などを放り込んで敵の侵入を阻む事も想定していたようです◆播磨国・姫路城(白鷺
天野セミナー4予告(有岡mami)先日の村重研究会例会で、次回の天野セミナー(令和9年2月12日開催予定)について打合せをした。テーマは「村重と官兵衛ふたりは生かし生かされた?」に決定。今年の映画黒牢城の「殺す信長生かす村重」から浮かんだ言葉だが、ふたりのその後の人生をよく表していると思う。早速メンバーのkさんがイメージを絵にしてくれた。ただいまチラシも作成中。乞うご期待❗️
海水湯と書いてあります。城と石垣に目が行ってて気づかなかったんですけど、ここには「汐湯」という海水を使った銭湯があったそうです。画面奥がお城。左に「海水湯」の石碑がありますが、まさにここの左にその銭湯があります。しかしここの石垣の作りも立派ですね。横幅3人くらいしか通れません。一回曲がると奥が見えますが、奥はかなり広い作りになっています。枡形ではありませんが、「虎口」の一種ですね。中津神社です。護国神社ではなさそうですね。手水舎は使用されていま
※2026年2月5日訪問※細くなった登城路を進み【にの門】までやって来ましたにの門も国の《重要文化財》に指定されており、櫓に続櫓、隅櫓を組み合わせた非常に複雑な構成になっています門扉は両開きで、外面は全て鉄板が張られふ潜り戸が付いていますこちらは【にの門】の案内板門の上部には【にの門】の札が据えられいますねにの門は天井が低い穴蔵で、暗がりの中をさらに右側に屈曲するという難解な構造🔥その狭さから、槍を手にした状態では通り抜けが困難で、櫓門の天井からは守備兵の攻撃を仕掛けられてしまいま
※2026年2月5日訪問※はの門を抜けると、天守群が目の前に迫って来ますこちらも絶好のシャッタースポットですね📷天守に向かって登城路を進んで行きましょう左手に見える土塀は【にの門東方下土塀】と呼ばれる土塀です右手に見える打ち込み接ぎの高い石垣は、池田氏時代の物と考えられており、隅角部の算木積みがほぼ完成されていますねさて、天守に向かって歩いていた登城路ですが、ここでぐるりと反転させられます敵の兵からしてみると、天守に向かって攻め込んでいるのに、ここでぐるりと反転し、天守を背にして進
みなさまいつも感謝してます😄商店ハッピーマークンです斎藤一人の10月17日のことば出陣の詩「福岡隊出陣!豪傑後藤又兵衛を先陣に猛将黒田官兵衛筑前の国より援軍」斎藤一人(さいとうひとり)実業家。「銀座まるかん」(日本漢方研究所)の創業者。1993年以来、毎年、全国高額納税者番付(総合)6位内にただ1人連続ランクインし、2003年には累計納税額で日本一になる。土地売却や株式公開などによる高額納税者が多いなか、納税額はすべて事業所得によるものという異色の存在として注目されている。
katsuさんの人生の質を高めるツアーin大分先日、行ってきましたー『人生の質を高めていくツアーin大分/「判断力と信頼力の繋がり」』最近は、心地よく涼しい、とても過ごしやすい毎日が続き、秋を感じています。昨年は、この時期でも夏の暑さが残り、まだ夏が終わらないのかという感じでした。ですが、今…ameblo.jp今回も胸熱な、良き時間を過ごさせて頂きました♡♡♡私は、ツアーや宿泊イベントが大好きでして♡笑katsuさんやりょうこさん、参加者の皆さんとゆっくり話したり、
katsuさんと行く人生の質を高めていくツアーin大分「判断力と信頼力の繋がり」では、軍師黒田官兵衛ゆかりの地を訪れ一族や仲間を大切にし大切にされながら発展していった黒田官兵衛にちなみ〈判断力をと信頼力の繋がり〉についての勉強会もありました。同じ方向を向き進んでいる人たちと、より豊かな人生を創り上げていく、そのイメージがグッと深まったよき旅となりました。光雲神社境内には黒田官兵衛の家臣母里太兵衛が名槍「日本号」を構えて立っています
結構頻繁にNHK番組みています受信料を払わずにいられないのなら、払った甲斐があるように、たくさんの番組を楽しむべきだと思ったのはいつのことだったか・・・今ではNHKじゃないとこういう番組は作らないだろうな~と、ファンになっている番組も多いですみている番組、自然を対象にした番組が多いけれど(ダーウィンがきたとか)、歴史ものも大好き~(英雄たちの選択とか)歴女と言えるほど詳しくはない日本史・世界史高校時代の成績もよろしくはなかった💦だけど好きなのよね~14日に放送された『
※2026年2月5日訪問※乾曲輪の真ん中には【十字紋の鬼瓦↗️】と書かれた案内板が建てられています▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼にの門櫓(右の二層櫓)の唐破風屋根に乗っている鬼瓦には、十字紋が貼られています。キリシタンの名残りとか魔除けともいわれますが、日本の城では珍しい紋瓦です。なお、この櫓の南面と東面の鬼瓦には、波しぶきが彫ってあります。これは火除けを祈ったものと思われます。▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲案内板の矢印はすぐ側にそびえる【にの門櫓】に向けられてい
※2026年2月5日訪問※はの門を潜った先は【乾曲輪】という曲輪が広がっています曲輪の北側には地形に沿ってへの字に折れ曲がった平櫓【ロノ櫓】が見えていますねロノ櫓は左右に控える土塀と共に、国の《重要文化財》に指定されています左手に見える低い石垣の上には、かつて【イノ櫓】や【多聞櫓】が建てられていたようですこの辺りの石垣も石の積み方が古く、羽柴秀吉時代の石垣ではないかと推測されています◆播磨国・姫路城(白鷺城)十字紋の鬼瓦(にノ門櫓)/世界文化遺産・国宝・特別史跡◆に続く
百徳松楽10月の講座24日土曜日午後1時から4時まで一部日本の暦日本の暦を学ぶ「11月は五穀豊穣祈りの月」二部心学心の極意正極と負極は心が創る追加秀吉・秀次の聚楽第黒田官兵衛屋敷跡からオンライン配信もあります!!
簗大臣が辞表を出して高市総理も任命責任というのを感じていたけれど実際にはどのぐらいの責任を感じているのだろうかどこか政治家というのは総理大臣にしても任命したとしても任命責任というのは私から見ればないようなものである別に腹を切るわけでもないし総理大臣をやめるわけでもないだからあってないような責任なのかなと私は思っているそして大臣が失言でいなくなってもまた次に誰かが代わりに大臣をやるそういう意味で変わりはいくらでもいるという
小早川隆景毛利元就の三男毛利海軍を鍛え上げた男そして、豊臣秀吉に天下を取らせた男秀吉の中国大返しは、小早川隆景が毛利軍を追撃させなかったから出来た。豊臣政権の五大老の1人に小早川隆景はなった。黒田官兵衛が毛利宗家に秀吉の甥、秀秋を送りこもうとしたから、小早川隆景の養子として貰い受けて毛利宗家を守った。兄の吉川元春は勇将として名を馳せた。弟の小早川隆景は、智将として名を馳せた。毛利両川この2人がいたから、毛利宗家は存在出来た。秀吉を嫌った吉川元春秀吉の懐に入り込んだ小早川隆
※2026年2月5日訪問※将軍坂を登った先には【はの門】が待ち構えています梁の部分には【はノ門】と書かれた札が据え付けられていますねはの門は天守への侵入を防ぐ重要な門で堅牢な櫓門の形式です屋根は切妻造り、門扉は素木のままで、門を飾る金具も最小限に省略された簡素な造りの脇戸付櫓門です門の側には【石灯籠の基礎】と書かれた案内板が設置されているので確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼姫路城では、姫山やその近隣にあった寺の墓石や石仏、古墳の石棺などの石造品が石垣や建物
目指せ♡可愛いおばあちゃん♪松本りょうこです自己紹介前回の続きこちらも読んでね♡『リアルタイムblog/幸先の良いスタート!』目指せ♡可愛いおばあちゃん♪松本りょうこです自己紹介let'sgo大分!!本日より【katsuさんと行く人生の質を高めてゆくツアーin大分♨️】…ameblo.jp始まりました❣️katsuさんと行く人生の質を高めてゆくツアーin大分『人生の質を高めていくツアーin大分/「判断力と信頼力の繋がり」』最近は、心地よく涼しい、とて
※2026年2月5日訪問※天守へと向かう登城路の途中に位置する【はの門南方土塀(将軍坂)】を見て行きましょうこの場所は、分厚い土塀を間近で堪能出来る、お城ファンにはたまらない場所ですよね観光客の方が多い時間帯などは道が混雑してしまい、中々シャッターチャンスが難しい場所ではありますが、土塀と坂道と天守群を1枚の画角に納める事の出来る絶好の撮影スポットでもあります📷ちなみに、この石段の坂道は、松平健主演のテレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系列/昭和53年〜平成14年放映)で江戸城という
今日も晴天。昼間は暑い。佐用町上月城跡まで行った。上月城登山道入り口前にある、歴史資料館の無料駐車場にバイクを停めた。黒田官兵衛ゆかりの地のようだ。説明書き看板に一応目をとうした。三連休で天気もよかったが、人は全然いませんでした。ここから、本丸跡まで登るか迷ったが、折角なので登ることに決心した。約380メートルらしい。
死後663日の今朝も、彼女♥は、3連休で大忙しで、今日も勤務日なので、パパとボクだけで、高野山奥之院お大師様御廟参拝でしゅ。高野山奥之院前、今空晴れ。(実時間8時すぎ)今気温。彼女♥のとっても上品な、最高のフレグランスがまだ残る、と言うか染み付いている、車内の温度と湿度でしゅ。手水舎で、ボクのクリスタル位牌もお清め。手を洗った水や、口をすすいだ水を、手水鉢の中に吐く、超不潔なドアホ大バカボケカスクズゴミ(大抵後期高齢者の超非常識男)がいるので、出てる水から直
※2026年2月5日訪問※西の丸跡から天守方面へ歩いて行きます途中に【「五芒星」の刻印】と書かれた案内板が設置されているので確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼一西の丸・化粧櫓西側一姫路城の石垣には、約50種90個の文様や文字などが刻まれ、これらを「刻印」と呼んでいます。刻印は、石の産地、提供者名、工事担当者名、運搬作業者名や呪符などではないかと考えられています。石垣の地面に近いところに、「奈良村」と刻まれた石があります。江戸時代、姫路市周辺に「奈良
岡山県の備前福岡でロート製薬の目薬売ってた黒田官兵衛の祖父にあやかり、備前福岡から福岡という名前をもらって、息子の黒田長政が筑前五十二万石に行った際に城に「福岡城」と名づけたと聞いた。それが元で地名が「福岡市」になったのだと。司馬遼太郎が「播磨灘物語」に書いていた。確かめるために備前福岡にやってきた。暑いわー。目薬売ってる官兵衛のおじいちゃんにあったよ。帰り、駅まで軽トラで送ってくれた。でも電車が1時間半もなくて、ロー村にいる。ここは福岡市出身の私のルーツでもある土地な訳だ。
黒御門から奥へ進むと出てきます。椎木門跡。今は門自体はありませんが、鳥居が立っています。鳥居を潜って右を見ると石柱が立っています。こちらは「扇形の石垣」と解説されています。この絵看板によると、椎木門は「枡形虎口」になっていたようですね。鳥居を潜って正面には当時塀があり、石柱の方に曲がって門を潜る構造だったようです。そして石柱の方に曲がって門を潜るとこの「扇型の石垣」が正面に見える。という作りですね。今は一部しか残っていませんが、下記記載の写真を見てみると、現
※2026年2月5日訪問※化粧櫓のすぐ側には西の丸の北側の出入口である【西の丸北門】が設けられていました【西の丸北門跡】の案内板が設置されているので確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼西の丸への入口は、南北に一つずつあります。ここは北入口の門跡で、脇戸付きの高麗門でした。通路上に残る約50cm角の3つの石が門の礎石です。西の丸はかつて本多忠刻の居館があったので、出入口はしっかりと守られました。この門の西端には武者溜りがあります。化粧櫓1階部分の石垣を張り出さ
黒牢城米澤穂信角川書店令和6年6月25日初版時代劇は何か久しぶりではあったものの、ミステリプラス時代劇、と言う事で、気にはなって居た一冊。なおかつ第166回の直木賞の受賞作、と言う事もあり、一度は読んでおこうかな、と言う事で積読になっていたものの消化。それこそ最近映画化もされており、その内容的にも安楽椅子探偵、黒田官兵衛、みたいな感じで紹介されていたところもあり、さて、どんな感じなのかな、と。一応、ミステリにしては結構長めの作品と言う事もあり、歴史小説
※2026年2月5日訪問※ワノ櫓から化粧櫓までの【百間廊下】と呼ばれる長屋の内部、約240mを散策して来ました百閒廊下の内部の印象としては、当時の女中や千姫達の『居住区』としての印象が強かったように感じましたしかし、姫路城はれっきとした『お城』という軍事要塞🏯🔥今度はその『要塞』としての様子がわかりやすい建物の外観を確認して行きたいと思いますまずは出口となった【化粧櫓】から【化粧櫓】【カノ渡櫓】【ヌノ櫓】【ヨノ渡櫓】【ヨノ渡櫓〜ヌノ櫓】【ヨノ渡櫓】【タノ渡櫓〜ルノ櫓〜ヨノ
ABEMAテレビより。三大大河、陳情令。エイラク、山河令が、残り二つ。紀元前の大陸では、武力衝突が開始する。遼寧省の瀋陽に、集落があった日本人は。九州島に、この時期移住している。白米の栽培のために、寒冷な郷里を去ったのだ。瓔珞<エイラク>~紫禁城に燃ゆる逆襲の王妃~BOX3<コンプリート・シンプルDVD-BOX>【期間限定生産】[ウー・ジンイェン[呉謹言]]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}漢服が着物👘の原型だが。着物が、世界的に有名になるころには。漢民
※2026年2月5日訪問※西の丸百閒廊下の最終地点である【化粧櫓】を見て行きましょうワノ櫓から約240mに渡って続いた百閒廊下の出口部分になっている化粧櫓千姫所縁の櫓としてとても有名ですよね【化粧櫓】の案内板が設置されているので、確認しておきましょう▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼化粧櫓は、千姫が本多忠刻に嫁いだ際に、将軍家から贈られた10万石の化粧料の一部を使用して建設されたといわれる櫓です。階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室をとって、天井には杉板張り、壁面はすべて黒
最近、ふと戦国時代の有名な武将の話が観たくなり、YouTubeで[黒田官兵衛]の生涯を語るものを観ました。大河ドラマでも主人公に取り上げられた軍師です。豊臣秀吉を天下人に押し上げた功労者でもあり、豊臣秀吉が最も恐れた武将とも言われた黒田官兵衛。その話の最後に、「これって、モラハラ対処も同じだな」と思った言葉がありました。黒田家は、最終的に九州を任されたわけですが、要は、都から遠く離れた国に置かれた状態。豊臣と徳川の戦いにも呼ばれず、黒田家は戦いに参加しなかったそうです。豊
SNSでよく目にして、気になっていた蝶🦋アサギマダラなんと、このアサギマダラ渡り鳥のように旅をするらしい。確認されているところでは、2025年、福島から香港へ3,000km超だそうです‼️それだけ飛ぶには、いろいろ、作戦はあるようですよ😆春には、日本列島を北東方向に秋には、その反対方向に向かって移動します。その移動するルートに淡路島が入っているとかで、やった〜🎉調べてみたら、諭鶴羽神社が出てきました。アサギマダラは、フジバカマが好きで、諭鶴羽神社では、境内にフジバカマを