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2025/10/27&10/28の⭐熊本城おもてなし武将隊⭐画像集です❀(*´▽`*)❀【布陣】(10/27)加藤清正公/細川忠興殿/大村喜前殿(10/28)加藤清正公/島津義弘殿/黒田官兵衛殿/細川忠興殿/南条元宅殿/八十姫【10/27】天守閣前✨大村喜前殿/加藤清正公/細川忠興殿✨✨加藤清正公✨✨大村喜前殿✨【10/28】開門✨南条元宅殿/島津義弘殿/八十姫✨✨島津義弘殿✨✨八十姫✨✨南条元宅殿✨【城彩苑】✨南条元宅殿/加藤清正公/八十姫✨✨加藤清
有償かつ今更感漂うコレに需要あるのか?……とは思いつつ。先ずは星4戦術家竹中半兵衛さん(戦国無双)・敵ラ3〜10体術ダメ1.15本日の運勢を見る以外の使い道はあるのか?翻って、固有はそこまで悪くない。スキルをメインに使い、兵器をサブで使う武将の暫定特性と考えるならありかも。そして、何気に星4でこの組み合わせは100信版の秀吉さんのとコレだけ。後はアップグレード版が星5義元さんの固有。ということで、本人運用はないが固有移植なら一考の余地はある。当たりではないな。次は星
黒田斉清福岡市博物館福岡藩黒田家の血脈は一般的には6代黒田継高で途絶えたとされます。後を継ぐ7代黒田治之は一橋徳川家、福岡藩は7代目藩主を決めるとき藩祖黒田官兵衛や初代長政公の血をひいた女系の縁戚も候補にありましたが、お家の安泰を考えると一橋家の縁組案をのまざるを得なかったのでしょう。8代黒田治高は多度津藩京極家から迎えますが福岡にきて半年もたたず福岡城で亡くなります。福岡では領内の巡見や山笠見物をなどをしました。短い間でしたが今も博多の東長寺に大きな五輪の塔のお墓が現存しています。9代目
11月16日(日)大分ハーレーダビッドソン愛好会主催の定期ツーリングです🏍別府国際観光港行ってきます~🏍途中のコンビニこの日20年ぶりに友と再会したのよお互いの近況やら話しつつ道の駅なかつ🏍黒田官兵衛から揚げモニュメントと秋の空耶馬渓洞門パティオ~🏍ランチ順番待ちの間に鐘見たりオランダ橋見たり👀川見たり👀鐘があると鳴らすオトコにゃん地域情報ランキングにほんブログ村本場の中津から
備中高松城跡岡山県岡山市北区高松558-2天正5(1577)年。「天下布武」を旗印に天下統一を狙う織田信長は、家臣の羽柴秀吉に命じて、毛利氏の勢力圏である中国地方への進攻戦を開始した。これが世にいう「中国攻め」である。備中高松城は、低湿地に位置する典型的な「沼城」で、秀吉軍の兵や馬は攻め入ることができなかった。秀吉は参謀の黒田官兵衛を交えて軍議を重ねていた。そのとき、黒田官兵衛の進言が、膠着した戦局に変化をもたらす。「水によって苦しめられ城が落ちないのだから、反対に水によって攻めたら
※圧倒的な存在感!俳優【岡田准一】が持つ「マルチな才能」の正体※俳優、武術家、そして表現者として、多方面で傑出した才能を発揮し続ける【岡田准一】さん。彼の出演作は常に高い評価を受け、その魅力は世代や性別を超えて多くの人々を惹きつけています。彼の持つ**「プロフェッショナルとしての徹底ぶり」と「自己研鑽を厭わない姿勢」**は、多くの読者にとって、自身のキャリア形成や目標達成に役立つインスピレーションを与えてくれるはずです。ここでは、【彼の代表作と、彼が放つ多面的な魅力の核心】に迫ります
明神坂(みょうじんざか)福岡県飯塚市蓮台寺1022−3(たまごハウス)付近実際に分かる人に案内して貰わないと絶対に見つけられなかった場所。たまごハウスの右の方から坂を登る。八木山の麓、「たまご工房」というお店の右横から約50メートルほど入ったところに約400年前に造られた「明神坂」どいう石畳の道が残っています。また八木山展望台を過ぎ、八木山茶屋に至る峠の右下にも石畳の道が残っていますが、昼なお暗い坂道で両側にしめ縄をめぐらした大岩があり、常夜灯や牛の像があり
兵庫県姫路市の広峰山山頂にある廣峯神社へお参りしたのは2019年11月のこと。本殿・拝殿とも国の重要文化財だとか。パワースポットとして知る人ぞ知るってかんじだとか。官兵衛の祖父・重隆(しげたか)は、御師の家に寄宿(きしゅく)し一族に伝わる目薬を売ったところ、大変繁盛したそうです。そして財を築いた重隆は有力豪族へと成長し、当時姫路を治めていた小寺政職(まさもと)に召し抱えられることになりました。ってことから黒田官兵衛ゆかりの神社だとか。黒田官兵衛が戦国武将となるきっかけになっ
浄土真宗本願寺派福岡教区西嘉穂組天女山白馬院西光寺(さいこうじ)福岡県飯塚市馬敷283紅葉紅葉が綺麗でした!官兵衛との縁慶長6年、福岡城の築城の際に官兵衛は城に使用する材木を求めて山々を見て廻り、笠郡市原村より山を越えて三部山の麓で希望した木が見つかった為、西光寺に宿泊して用材を調達しました。これをきっかけにたびたび当地を訪れていますが、三郡山の麓にはこの時の名残で「如水ヶ原」「休場」(よこいば)「
落合芳幾1833-1904歌川国芳門下で役者絵や美人画をよくしました。明治以降は東京日日新聞の挿絵や東京絵入新聞のを創刊し錦絵新聞ブームを作りました。落合芳幾作太平記之内本應寺大合戦之図(1861文久1年)江戸時代には規制がきびしく徳川家に関する絵は禁止されていました。この絵も誰が見ても織田信長の本能寺の変ですが「織田信長」→「太田平春永」にわざと変換して規制をかわしています。また「森蘭丸」→「保利蘭丸」また信長に一番槍をつけたと言われる「安田作兵衛」→「安田宅兵衛」タイトルも本
『福岡旅4ドーミーイン博多祇園』福岡旅の宿泊はコチラドーミーイン博多祇園クリスマスツリーがお出迎えなんだけど、ちょうどチの字国の観光客とチェックイン時間が重なっちゃってロビーがワンワンしてる…ameblo.jp福岡旅の続きです2日目はバスに乗ってココへホテルの近くのバス停から1本で来られるココは福岡市立博物館福岡市博物館福岡市博物館の公式サイト。国宝「金印」や2014年の大河ドラマの主人公・黒田官兵衛を藩祖とする旧福岡藩主・黒田家に伝来した黒田家資料など多数展示。museum.city
高市総理よ日本は中国にとどめの一発を与えてくださいました。中国の混乱も間近でしょう世界は変わる。結局中国は日本がいないと何も出来ないのがわかる黒田官兵衛こと令和の軍師高市総理https://youtube.com/shorts/nGKl4wp0yGY?si=jpvE26Sun8MhfNSK
勝てば官軍ってヤツで歴史の上では「勝った側」「政権を獲った側」が正しいようなことになってるけど実際にはそうでもないこともたくさんあるようで…今回の大河ドラマの田沼意次もそう私なんかの時代はすっごい悪役の感じで勉強したと思うんだけど今はそうではない捉え方らしい戦国武将もこっちから見るのとあっちから見るのとでは見え方が違ってくる結局今も昔も政治家は清濁併せ持つような人じゃないと務まらないのか?…もしれませんで、誰が好きかっていうと武将というより、まさに大河ドラマ
黒田官兵衛は、日頃から倹約・蓄財に努めていた。そして、関ヶ原の戦いの際に、今まで貯めた金を放出し兵を集め、空き家になった九州を席巻、それが福岡藩52万石に繋がった。ここ一番、いざと言う時のために、お金を貯めておくことは大切である。・・・という逸話を話して、金を渡したらすぐ使いきる妻に倹約と蓄財の大切さを諭そうとしたところ、鼻をほじり出し、ほじった指を私の服に擦り付けて、その場を去っていったことを思い出した。こういうアホウに対話は無意味、肉体言語あるのみという教訓を得た瞬間
毒親で毎日が苦しくて牢屋で毎日心や体の暴力を受けているような人生そこに幸せはあるのか?とても苦しい状況だなと思うでも私はふと黒田官兵衛近藤勇吉田松陰そんな3人が牢屋に入ってる姿が目に浮かぶあの3人はそこで絶望はしていなかったと思う黒田官兵衛は片足をやられながらもその後見事に復活してその名が本当に世の中に轟くような一歩間違えば天下を狙えるようなそんな存在へと変わっていった近藤勇にしても最後は首を斬られ処刑されたとしても
福岡県民の僕は小さい頃から聴きなれた民謡「黒田節」そのルーツを調べてみた黒田官兵衛の家臣であった母里太兵衛太兵衛は大酒飲みで長槍の使い手そこからこの民謡か生まれたそうな詳しく知りたい方はググるか下記サイトよりどうぞ講談『黒田節の由来』あらすじkoudanfan.web.fc2.comその太兵衛が福島正則から奪い取った長槍がなんと福岡市博物館にあるのです-YouTubeYouTubeでお気に入りの動画や音楽を楽しみ、オリジナルのコンテンツをアップロードして友だちや家族、世
九州に着いて小倉のホテルに泊まりいざしゅっぱーつ!まずは小倉城ここは夜のライトアップが竹を使って綺麗みたいです中津城黒田官兵衛の居城なぜかお城の中は造花の花々で美しく飾られていました青の洞門通りかかって気になって引き返して見に行ったのですが落石?で通れず!なんかすごいところだった日本で初めての有料道路だそうですくじゅう高原雨☔晴れて欲しかったライダーさんも残念でしたね別府に近づくと町があちこち湯気でもくもく地獄めぐりしたかったのですが時間の都合で赤い血の池地獄
漫画の思い出・続平田弘史『黒田・三十六計[瞞天過海]』副題の四字熟語は初めて見た。*瞞天とは天(太陽)をあざむくこと。過海とは海を渡ること。つまり、白日下の盲点を衝いて目的を達することを言う。出典は中国の秘本兵書『三十六計』。*黒田官兵衛の伝記で、彼の奇策が紹介してある。漫画としてどうということもないが、話が面白い。(終)
紀の川柿をいただきました✨️見た目は追熟してるようにも見えます✨️皮を剥いてみると黒糖をまぶしたような横にスライスしたら星のマークが浅かったようです再度スライス星マークが見えてきました✨️甘くて梨のような柿のような食感初めて口にした食感でした✨️以下げんき和歌山さんから抜粋https://genki-wakayama.com/紀ノ川柿というのは、和歌山県紀ノ川沿いの地域で生産され、特別の方法で栽培された「平種無柿(ひらたねなしがき)」または「利根柿(とねがき)
ノリスケです!YouTubeで朗読配信をしています。朗読を始めて、11月で3年になりました。さて今回の朗読は、坂口安吾(1906-1955)の『黒田如水』という作品です。黒田如水とは、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、軍師との異名をもつ黒田孝高(官兵衛)の隠居後の名です。わが町、九州・福岡という地名の由来は、如水の子、長政が関ヶ原の戦いの功績により、筑前国五十二万石を与えられ、新しい本拠城の名称を黒田氏ゆかりの地、備前国(現在の岡山県)の福岡より名を取って、「福岡城」と命名、城下町を
板部岡江雪が主人公。北条氏直や氏規、氏房から慕われ、北条氏政からは疎まれていた江雪。そして今、北条家はまさに滅ぶ寸前。だけど小田原城攻めで集まった20万の兵は危うさも潜んでいて、何かが起こるのを待っていた。北条家存続のために板部岡江雪は、千利休、黒田官兵衛、徳川家康、伊達政宗に接触し、策を巡らせる。板部岡江雪は北条家を救うため、秀吉は小田原城を落とすため、黒田官兵衛は秀吉の天下を覆すため、策士たちの頭脳戦が繰り広げられた。面白かった!石田三成、大谷吉継らが忍城に行く
2014年の大河ドラマで取り上げられた軍師官兵衛、役者としての岡田准一の官兵衛は印象に残る良い演技だった。物語終盤、関ヶ原の戦いの時点では、官兵衛は家督を長政に譲り、隠居を願い出て如水と自称している。九州平定を実現して天下取りのチャンスが訪れたに見えたが、関ヶ原の戦いは一日で決着、機会はついえた。秀吉にもその才能と人格から天下取りの下心を疑われた官兵衛は、家康にも二心なきことを示すため、忠誠を尽くすことを表明する。本書によれば、軍師にはいくつかのタイプがあるという。軍配者型が武田信玄の軍師
こんばんは。歴史アロマ香水®を作っています桃龍風林佳保利です。このブログを読んでいただきありがとうございます🙇今日は、スピリチュアルな事も書きますので、苦手な方はスルーしてください。私自身、講習会やコミュニティなどで人に会うことが多くなりました。人混みが苦手な事もあり、酸欠になったり、しんどくなることもあります。私の場合、精油を扱っているとどうしても見えないものまでも見てしまいます。地方で講習会をした時に黒いものが巻き付いて生気を吸っていたのが見えたり、人混みに行くと元氣がなくな
戦国時代末期から安土桃山時代にかけて、茶の湯は単なる嗜みや文化活動ではなく、政治的・社会的な機能を持つ重要な場でした。特に豊臣秀吉の時代、茶会は権威の象徴であり、結束を強める装置としての役割を果たしました。茶器はその象徴性を具現化する道具であり、所有することは地位や格を示し、取引や貸借は資金調達や人脈形成の手段でもあったのです。名物茶器や高麗製の希少な品々は、海外製であることや限られた流通により、文化的価値と同時に政治的価値も帯びていました。秀吉は自らの権威を内外に示すために茶会を活用し
2025年10月19日から2泊3日で近江国巡礼をしました目的は長浜市の観音の里ふるさとまつりの参加と西国三十三所の琵琶湖に点在する札所巡礼年に1度の観音の里ふるさとまつりでは20ヶ所以上のお堂や社で一斉開帳されますまた巡回バスが出ており、フリーパスを購入すると拝観料は無料です😱てな訳で、高月木之本地区の観音様を拝観して参りました😁色々苦慮した末に8ヶ寺をチョイスして行程表作ってそれに従って行動しました朝8時半の始発バスには新幹線間では合わなかったので9時の巡回バス🚌で先ずは木ノ本駅
福岡県から大分県へ九州で2番目に訪れたお城は中津城🏯水門から海水が入ってきて🌊堀の水かさが海の干潮で上下する水城。とても立派なお城ですtimeleszのアクスタをつれてきたのでここで初めて撮影です💜💓💚ピントがお城に合ってうまく撮れなかった天守閣からの眺め🏯見えるのは中津川。その向こうは海そして、中津城の城主は黒田孝高(官兵衛)とか細川忠興とか…あと、徳川家康の娘婿の奥平信昌の子孫奥平家も長く城主を務めたということをここで初めて知り、
皆の衆、息災か!熊本城おもてなし武将隊は加藤肥後守清正が筆を執る。戦国の世より四百有余年、時は令和の世となりても、武士の魂は不滅なり。此れよりは我が武録「清正現行録」の刻じゃ!-----〜時節の巡り合わせ〜本日十月二十三日は、旧暦にて黒田官兵衛様が姫路城の本丸を後の太閤秀吉様に献上された日である。天正五年(1577年)のこの日、播磨国の姫山に聳える城において、一つの決断が天下の行く末を変える礎となった。此度は官兵衛様の智謀と、その揺るぎなき先見の明について語って参ろう。〜黒田家
道の駅なかつで一泊した翌日、今日のメインは「宇佐神宮」なのですが、その前に、スタンプラリー関係で、薦(こも)神社と言う所と、中津城に寄ることに。薦神社【公式】大貞八幡宮薦神社(こもじんじゃ)|大分県中津市|神門(国指定重要文化財)|出張祭典|お宮参り|七五三参り|厄除け|鎮疫祭|仲秋祭|菊花展大貞八幡宮薦神社(こもじんじゃ)|大分県中津市|神門(国指定重要文化財)|出張祭典|お宮参り|七五三参り|厄除け|鎮疫祭|仲秋祭|菊花展|初詣komojinja.jp鳥居。大楠。参道。参道。
福岡市南区の住人、ハイジャン男のブログ『爽やかに歴史紐解く日なりけり』福岡市南区の住人、ハイジャン男のブログアメブロ友の芳根杏子さんの「芳根杏子日記」の俳句の昨日のお題は「爽やか」だった。アップが遅れてしまった。それは標題の俳句…ameblo.jp今朝、記事にした詳報である。『荒木村重の末裔の寺』8月2日、ハイジャン男は、叔母の一周忌法要に参列のために、朝倉市長田を訪れた。ここに、有岡城の牢獄で、黒田官兵衛を助け、次男を官兵衛の養子にした加藤重徳の弟の…ameblo.jp2014年8月2
今日は、久しぶりに大分県中津市へ行ってきました。秋晴れで心地よいため行楽日和です。中津城黒田官兵衛資料館中津市街と山国川福沢諭吉旧居独立自尊の碑久しぶりに行くと中津城も福沢諭吉旧居周辺もずいぶんと装いが変わっていました。