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千と千尋の神隠しより昼寝中に、3つの夢を見ました「千と千尋の神隠し」にあるような建物に入り中にあった和食店で食べたところものすごく美味しかった!なのに、流行っていない店員さんに聞くとどうしてなのか、わからないと言うそれで外側から見たりして勘案したところ今の出入り口を閉じて北側の入口から入ったほうがよさそうだと話す翌週、行ってみるとものすごい行列でしたようやく入って食べていますと「べらぼう」の鳥山検校
皆さん、鳥山検校が怖い怖いとおっしゃりますが。私は今回、えっ、検校じつは、いい人?って意外だったんですよ。最初に蔦重たちが「面長太夫に口を利いてくれ」と言って訪ねてきた時、けんもほろろに断りましたよね。奥さまと一緒に、一度、太夫の芸を聞きに行ってください、って言われても、「人の多いところは嫌いだ」とか、とりつく島もない。自分の妻のはずの瀬以(瀬川)が、この蔦重と「ただならぬ関係」であることは、とっくに気づいてますよ、検校は。このひと人一倍、鋭いんだから。先週の瀬川引退パレ
『瀬川』の身請けの際につくった錦絵本『青楼美人』。素晴らしい出来ながらも、鶴屋さんの予言通り『高すぎる』ため、一部の『錦絵(吉原?)マニア』は買っていくものの、それ以外にはなかなか売れず。終いには、『青楼美人を常連さんに配って、それを身入りにつなげてください=借金をチャラにして♥️』と『いい加減』なことをいった蔦重は、ある意味親父様の面目も潰し怒りをかい、またもや階段から落とされて、足に怪我をしてしまいました。(と、いうか、今まで怪我しなかったのが、不思議だったんだよ💦予告で蔦重をボコしてた
吉原の花魁:瀬川を1,400両で身請けした鳥山検校。検校というのは江戸時代の特殊な階級で、室町時代以降盲官(盲人の役職)の最高位の名称として定着したとWikiにあります。以下、Wikiから引用仁明天皇の子である人康親王が若くして失明し、そのため出家して山科(現在京都市山科区)に隠遁した。その時に人康親王が盲人を集め、琵琶や管絃、詩歌を教えた。人康親王の死後、側に仕えていた盲人に検校と勾当の2官が与えられた。これが検校と呼ばれる盲官の始まりといわれている。また、人康親王が坐って琵琶を
去年の秋にイベントで植えた球根から紫のチューリップ🌷が咲きました。記憶に残っている学校の先生は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう仰げば尊し・・・「-和菓子の音-」と変換された😅やはり、和菓子🍡🍘好きですからね😊和菓子ってことでミニ桜🌸大福(桜の餡入り)と柿の種は、和菓子ですよね?(わが師では無かった)チューリップの棚をよく見ると(チューリップの隣の)レースラベンダーに蕾がついていました。(そ
鳥山検校は、大金で吉原一の花魁・瀬川を身請けしたが、その正体は悪辣な手法で取り立てをする、悪徳高利貸しであった。鳥山検校の正体を、詳しく見ていこう。医学が未発達の時代、盲人が多かった理由としては、衛生面から幼児期に眼病を発症する場合が多く、その後もトラホームや天然痘、はしかから失明する人も多かった。日本では平安時代に、皇族に盲人がいたため、盲人に手厚く振る舞う政策が実施された。江戸幕府もその政策を引き継いで検校、別当、勾当、座頭などの官位を盲人に与え、公金を渡して貸金業をやらせ、その利
馬面太夫と市川門之助、男の甲斐性&瀬川太夫の「その後」さて、気温はぐんぐんと上がり、本当に春めいた陽気ですね。我が家の白木蓮も、ようやく今年最初の一輪が咲きました。もう数日前から、今日咲くか、明日咲くかと、毎日楽しみに眺めていたのですが、かわいそうなことに、まだ開く前の可愛らしいつぼみが、小鳥にかじられて無惨なことになっておりました。私の母に言わせると、開く前の蕾と言うのは、大変柔らかくて、おいしいの