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「聖教新聞」2025年4月2日(水)。
すいません。昨夜は深夜残業して・・・遅くなりました。感想・・・続けます。26.屋根の影まろみゆくなり春の夕円路掲句、「屋根の影」という暗色に対しての「春の夕」のまだ明るい日差しのコントラストでした。影が「まろみゆく」という表現も春ならでは・・・と思いました。着眼点が良かったです。あずさ発車す黒雲と春疾風特急「あずさ」で思い出すのは・・・昭和の歌謡曲「あずさ2号」ですね。信濃路を行く特急列車です。「あずさ」も走って行くものならば、「春疾風」も疾風(しっぷう)として駆け抜ける
3月23日Kさんの月釜へ伺いましたこの日はおしのぎ付きで午後から開始お酒をいただく気満々で電車(新幹線)で向いました暖かい日となり着物の下に履いていたスパッツをやめました着物備忘録お召十(徳川将軍家の定め紋)の江戸小紋空色で八掛けには「雪月花」帯は「シルクロード」の袋帯衿秀の銀の帯締め待合には木の下にうずくまる馬と肘傘の男性の画和歌があります「言の葉のおのづからなるまことより天地をこそ動かし
ごはん、お吸い物(とろろ昆布)、かぶのぬか漬け、鯖の水煮缶(大葉)、ほうれん草のお浸し、目玉焼き昨日の東京は、結構、雪が降りました。と同時にドカーンと「雷」一発。いわゆる「春雷」です。春雷(しゅんらい)は、春に鳴る雷のこと。立春(りっしゅん)から立夏(りっか)の頃までに発生する雷。寒冷前線(かんれいぜんせん)通過時に発生する界雷(かいらい)で、雹(ひょう)を伴う事もある。立春の頃の雷は春の到来を伝えるともいわれ、冬眠していた地中の虫たちが雷鳴に驚いて目覚めるという意味から「虫出し
角川「俳句」4月号岸本さんのとっても好意的な記事です。ボクとしては、評伝『高浜虚子』を読まない人はもぐりの俳人、と思いたいです。うふふ。
〈著者に聞く〉坪内稔典さん(本紙俳壇選者)が評伝「高浜虚子」を刊行2025年4月2日〈著者に聞く〉坪内稔典さん(本紙俳壇選者)が評伝「高浜虚子」を刊行【文化・解説】www.seikyoonline.com
こんばんは。この時期になると思い出す句があります。それは、この出逢ひこそクリスマスプレゼント稲畑汀子稲畑汀子さんは、俳人高浜虚子の孫で、1897年創刊の俳誌「ホトトギス」名誉主宰、昨年2月逝去。人との出逢いだけでなく、映画だったり、ドラマだったり、本だったり・・・。Xmasカラーのクロガネモチの樹少し前に知った、稲畑さんの印象的な句。それは、三椏の花三三が九三三が九(みつまたのはなさざんがくさざんく)※三椏の花(春の季
「春風や闘志いだきて丘に立つ」高浜虚子の有名な一句。この句が昔から大好きで、春の季節になると思い出します。4月は新しい出発をすることが多く、不安を感じながら、でも新しいことの始まりにワクワクもする不思議な感情が入り混じる時です。虚子のこの句は、そうした自分を奮い立たせてくれる力をもっています。・・・さて、私もこの春から新しいことを始めます。お仕事を本格的に始めようと考えています。不安もたくさん。お客さん来るかな~💦でも、新しい出会いの楽しみもたくさん。
昨日リハビリに行く送迎車の窓から桜の花を観ました先週は咲いていなかったのに昨日の桜は満開でしたどの桜も一所懸命咲いていました【咲き満ちてこぼるる花もなかりけり】高浜虚子喜びも悲しみも幾年月1957年公開木下恵介監督激動の時代をくぐり抜けていく究極の人間讃歌です当時わたしは16歳でし
カルルス温泉は、登別温泉の北西約8km、オロフレ峠の麓に位置し、1899(明治32)年に日野久橘によって開かれた。国民保養温泉地に指定されており、名湯百選にも選定されている。地名由来は、それまでアイヌ語で「ペンケユ」と呼ばれていたが、泉質がラジウムを多量に含有し、この泉質が当時、世界的に有名であった旧オーストリア帝国の温泉保養地カルルスバード(現チェコ領カルロヴィ・ヴァリ)に類似していたことから命名されたという。アイヌ語のペンケは上、パンケは下という意味です。ペンケユがカルルス
■ナジャ猫カード春風はるかぜやとうしいだきておかにたつきょし高浜虚子の句です。春風や闘志抱きて丘に立つ新年度の春、さて、どうしようか夢に向かって春の風を受けながらずっと前を向く、この季節ですねぇ今日もたのしくいきまっしょいナジャ猫拝