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2017年骨髄移植することになりました(その時はそれしか生きる手段がなかったからです)したいから出来る訳ではないのが骨髄移植です移植する前の健康状態も様々な検査で確認されます。それによって移植に体が耐えれるか、また出来るだけ良い状態で挑めるように移植する前に何回かの地固め治療で出来るだけ、がんを叩くのも大事と先生に聞きましたまず実弟のHLA検査(遺伝子座)をしてもらうことになりました兄弟姉妹間の場合、4分の1の確率です。適合するしないでドナーになれるかが決
2017年骨髄移植について骨髄移植後、血小板減少症や赤血球が減少してしまう赤芽球癆(せきがきゅうろう)と症状が出たので、通常はしない検査も行いましたすると…私の骨髄はドナーさんに90%以上入れ替わっているでも、血液一部に、もともと移植する以前の私の血液があるという結果でした血液は骨髄で作られると言われているのに?骨髄はドナーさん血液は私のもの????そんなことある主治医や、他の先生もこの状態がどういったことなのか分からないとのことでしたいわゆるキメラ
昨日の14時、突然ゴングがお腹で鳴り響いた。ぐ~ぐるぐる話続けていた母親も黙るくらいの結構な音量そこから20数回くらい??ものすごいビッグウェーブ到来💩だるいとか、息苦しいとかそんなん言ってらんねーわ数分起きに、すくっとベットから立ちスタスタとトイレへ急ぐ。多分普通の40代に負けない早さ。心は無、無、無…とうとう最後に一回だけチビる最後は意識も遠退き始めて膝は生まれたての子羊ライクなガクブルこれは見事な脱水症状だ!今意識失ったら母親はあっちゃこっちゃ電話しまくり
2017年骨髄移植について骨髄移植をして退院する前に看護師から注意事項がありました「退院後も免疫は、通常の人より低いので、くれぐれも家の掃除とかしないようにしてくださいね」(分かってるけど…数ヶ月ぶり色々片付けたい欲求が…我慢我慢)3ヶ月ぶりに自宅に帰ると、カーテンが全部、新しいものに入替られて、SHARPの空気清浄機もあり、色々私を迎える準備を家族がしてくれていました(ありがたい)当時、勤めていた仕事は今後、命もどうなるか分からない状態だったので
ビザーダ3クール目2回目で大学病院に来ています(熱は1日で下がりました)私の気持ちを表しているように?また、雨です気持ち悪さは今クール、初回から吐き気どめ(ナゼア)が出てるので前回と違ってやや気持ち悪い程度これくらいで最後まで乗り越えたいところです…昨日の問診で主治医から骨髄移植に向けての入院が来月頃になりそうと言われました当初予定していた、息子からのパプロ移植(末梢血)ではなく、ドナーさんからの提供で骨髄移植となりそうです(感謝です)1月にMDSと確
毎週交互に腕を生贄にだしてますがだんだんわからなくなってきますね。看護師さんともあれ、今日ってどっちでしたっけ?みたいな会話になります。採血結果は・・・白血球900赤血球242ヘモグロビン7.4血小板1,000いつもは看護師さんからヘモグロビンは先に言
2017年骨髄移植について骨髄移植時、痛みがある時は、痛み止めの点滴をその都度使ってもらいました点滴の痛み止めはすぐ効きますが、4時間間隔を空けて使用する点滴は実際、痛みを軽減できる時間が2時間半程で切れてしまい残りの時間は、痛み止めが使えない時間でかなり苦しみました他の痛み止めは、6時間間隔で、大体4時半程で痛みが復活してくるそうなると、どちらを使うか無菌室の看護師さんと常に迷いました「まだ、使っちゃダメですかー」と訴えたことも…結局、どちらを選んでも
く大じいちゃんは、うちから10分くらいの病院に入院していました98歳の大往生だったんですが…それは大じいちやんのXディの日ウチは、バアバの家の隣にあります。まだ赤ちゃんだった娘を三階の窓から夜景を見ながらあやしていたパパ。私は隣でゴロゴロしてました。パパが言いました「人影が家の前にあるんだけど人が見えないとかってあるん?」私は「ふ~ん」と寝ながら言いましたその5分後、バアバがウチに来ました。「大じいちゃんが死んだ!!」改めてパパに聞くとバアバの玄関を探るように人
1月10日〜2月28日寛解導入法⇒寛解2月29日〜3月4日一時退院3月5日〜地固め療法開始…の予定がコロナ陽性になりコロナ治療の為入院3月11日退院3月18日外来にてコロナ陰性確認4月3日地固め療法の為再入院お久しぶりですほぼ3週間自宅で過ごして今日から地固めの為入院です。退院中の3週間のうちに血液内科3回、皮膚科4回の外来受診がありました。血液内科の血液検査は毎回問題なし、肝臓の数値も良くなっているのでウルソ(肝臓のお薬)も中止になりました今は毎日夕食後に一回、胃薬
退院後1週間経ちました…少し動くだけで動悸、息切れ、疲労感イスまで息も絶え絶えにたどり着きHPの回復をひたすら待ちますこんだけ体力落ちてるとろくなこと考えない退院後診察は問題なく終わりましたでもね、ずーっとイスに座ってると腰も痛くなるさ、食欲はないさろくなことはない、けどどうしようもない。そして、座るとすごい眠くなる今日は長男だけ家にいたんだけど寝ぼけて意味不明なことを話まくりドン引きされました。おかん壊れた工事のおじさん!とか何度も話しかけて…マジ引くわ笑。しか
「家に帰りたい…帰ってもいい?」入院5日目夜デイルーム内早くも電話で家族に愚痴ってしまった前回の急性骨髄性白血病の骨髄移植から6年ぶりの今回の入院あの時と比べれば、今回はぜんぜん短い期間なのに…早く帰りたいなぁ…当時と比べて感染予防対策で病院の面会時間が短いのも原因の一つ平日のみ15時〜17時の間の1組家族2名まで15分間(短かすぎでしょ…17時までって?働いてる人は来れないよね?)コロナ、インフルエンザと感染を病院側が恐れるのはそれは重々承知私も
2017年骨髄移植について移植前処置の話でもう一つ、私的にすごく辛かったことがありました使用した抗がん剤の中に副作用で口内炎ができやすい化学療法がありました口内炎を予防するには投与時に口の中に氷を入れて冷やすことでした(冷やすことで、血管を収縮させて、口の粘膜へ薬剤の量を減少させるそうです)移植方法を以前聞いた時に、夫に「アイスでも買って食べればいいね」(好物:アイス)と軽い気持ちだったので、事前に、夫がコンビニで、氷(ロックアイス)を2袋と、食べる
ヘロヘロには理由があったみたい。緊急入院になりました…昨夜、38.1℃の発熱。2日前から、夜ベットに横になると咳が出て苦しい疲れてるので爆睡は出来ますがゴロゴロするにはしんどい…多忙であろうコーディネーターさんに勇気を出して相談緊急受診→酸素開始→入院右側の肺の胸水抜きました脇の甘い部分の麻酔怖かったよ~収穫は1.5L、おしっこみたいな色でしたそんなところに湖あったらそりゃくるしいわ退院して10日で出戻り…海の学習の準備も、おうち縁日も苦しくて何にもできなかった
2018年急性骨髄性白血病発覚骨髄移植と臍帯血移植を経て再再発予防と寛解維持療法として五年間ビダーザとハイゼントラ投与2024年春5年寛解を迎えるそんな寅年息子のことを綴ったブログです時々ミスチル時々ポケモンGO時々美術鑑賞などなど最近ではほぼわたしの独り言の場になっています✴︎✴︎✴︎この春に5年寛解を迎えてから息子coo介の外出が増えた白血病の再再発を克服してからずっとテレワークでほとんど出社していなかったがぽつぽつと出社する日も出てきた飲み会な
グルタミン酸…3食飲むのキツイ…昨夜消灯前に主治医たちがお部屋に来ました「今日のCTでは、病気の方はキムリアのお陰で落ち着いてます。でも、肺の炎症が少しずつ大きくなってる」少しの肺炎でも、移植で免疫なくすにはリスクが大きい。キムリアが働いてくれているうちに肺炎の原因を見つけたい。場合によっては移植が遅れるかもしれないそうですその上、主治医から言われたことは「キムリアをしていなければ、移植まで持たなかったかもしれない。抗がん剤だけでは絶対にここまで押さえられなかった」絶対にって。。お医
本日、無事に好中球500を達成しましたあとりあえず、嬉しい!生着熱、浮腫があるけど、食欲も出てきて元気になってきました。が、、なかなか血小板は低くてリハビリは中止になりました足とか皮下出血がひどい😭毎日輸血です。献血に心より感謝ですまたひとつ、退院に近づけたのが嬉しいれんくん♡いいこだね♡今日は.主治医とお化けの話で盛り上がりました治療関係なしw,そうなんです、夜中にノックが3回聞こえるんです…看護師さんは巡視でも夜中はノックしません工事とかもしてません。でも、よ
急性骨髄性白血病で余命1カ月の少年のために…歴代の仮面ライダーたちが続々エール0001朝一から閉店までφ★垢版|大砲2024/05/30(木)20:05:58.30ID:oEeo3jl39[2024年5月30日12時30分]急性骨髄性白血病で余命1カ月という少年の情報がX(旧ツイッター)上で拡散され、俳優の要潤(43)や賀集利樹(45)ら、かつて特撮ドラマ「仮面ライダー」シリーズでヒーロー役を務めた俳優らがエールを送っている。X上では「拡散ありがとうございます」というアカウン
お向かいのおばあちゃまと看護師の会話が聞こえてきました。「どうなってるの?検査しても結果を伝えに来ないし、新しく始める薬もちゃんと説明ないし」夜勤の看護師に怒っていらっしゃる。昼間も同じようにプンスカして看護師に怒っていた様子。私は思う。それ、主治医じゃないとどうしようもないんですよ夜勤の看護師は優しい言い方でしたが「それは先生には伝えていますが…私たちでは出来ない事なので先生に直接言ってください」と言っていました。その後、主治医がベッドサイドに来ていましたが、はい、はいって
今日から始まる戦いの前に、職場の上司だった方と、同僚だった移植コーディネーター(担当ではないけどよく来てくれる♡)から卓上カレンダー、お守りが届きました携帯でしかカレンダー見れなかったから今日からは毎日カウントしながら辛くても治療乗り越えるんだ。医療者だって、神頼みしまーすどんだけみんな私のために涙を流してくれるん?こんな幸せある?たとえまた良くない結果でも私がこれだけの人たちと短い人生の中で素敵な関係を持てたなら悔いはないいつかはみんな死ぬんだから一足先に虹のふもとで
みなさんこんばんわいかがお過ごしでしょうか??【千田健生】今日は、2023年3月31日・・・。私にとって、とても大きな①日であり、大きな一区切りとなる①日でもありました2018年3月31日今から5年前・・・。私の息子(長男)健生が骨髄移植をした日であり、あれからちょうど今日で5年が経過しました。長かったような、短かったような5年ではありましたが、生まれて0歳に発症した病気(白血病)の影響で骨髄移植を余儀なくされ、そこから人に助けられ、骨髄移植を受けるこ
前処置に向けて、検査がめじろ押しです!昨日は、マック差し入れてもらったけどまだ味覚もどってなかったー娘がプリキュアの光るパジャマ欲しいっていうからくれぐれも昼間着ないように言ったのに真っ昼間、病院まで着てきていたらしい言わんこっちゃない笑。元気ならまぁいっか明日は胃カメラと、CV挿入と、ルンバールやるらしい、まぢで??血小板低いから、朝イチで輸血も…同日にここまでみんな詰めてやってるのか何回明日は麻酔すんだろ?胃カメラは寝ている間にやってもらうけどどんだけ主治医パワフル
◎はじめての方◎現在2歳になりました☞Instagram朝になった。主治医の先生が来て、「お母さんの遺伝子から、やっぱり、虹翔くんと同じNEMO異常が見つかったと連絡がありました。まずはお母さんに伝えてから、お父さんにもお伝えした方がいいか確認しようと思いまして。」と言った。やっぱり。明らかになった、私の異常な遺伝子と虹翔の異常な遺伝子が同じということ。でも、もう覚悟はできていたし、そんなに驚くこともなく、悲しむこともなかった。「パパにも伝えて全然大丈夫です。」そう言い、パパ
これは今から35年前、私が大学生だった頃の話です。私には名前ぐらいしか聞いたことのない独身の叔父(母の弟)がいました。中学校で美術教師をしていたその叔父はバイク事故により45歳で急死。私は体調不良だった母の代理として伯母(母の姉)とともに叔父の部屋へ後片付けのために向かいました。叔父の住んでいた賃貸マンションの部屋に入ると、微笑む若い女性の大きな肖像画が飾ってありました。「ああこれ、しおりさんの絵ね。」伯母は絵を見るなりそう言うと、部屋の片づけをはじめました。
2017年4月急性骨髄性白血病(M2)罹患寛解導入6月地固め療法①回目7月地固め療法②回目8月地固め療法③回目9月下旬〜12月中旬まで骨髄移植入院どの入院時も入院してすぐ、点滴(抗がん剤など)を体内に入れる際に使用するCVカテーテルを鎖骨近くに入れました。麻酔をして、穿刺をして、静脈に留置します途中、カテーテル挿入部分が感染したことがあり、高熱が出たので、
月曜日は通院日でした採血結果は、CRPの上昇が少しありましたが血小板もしっかりあって大きな問題なし。ただ、筋肉がかなり落ちていて昨年の4月には38kgあった体重が今は32kgまで減少GVHDで抜け毛も増え関節痛がさらに悪化しています。先日学校近くでつまずいた拍子によろけて転んで起き上がることができなくなってしまいました。その話を主治医にしたら顔色が変わり、すぐにベッドで横になって関節をチェック。「……非常によろしくないです。」と。息子の皮膚は入院治療をすべき状態
お久しぶりでーすのんびりと移植準備していますが、キムリアの影響で血球減少があり、輸血により補充している状況ですしんどいキムリアで寛解しても、輸血依存になるケースもあるって、ICの時説明された気が…キムリアさんよぉ、副作用はきっちり残してくれたじゃないのよー効き目はどうしたよ?輸血に依存になってしまった私ですが「どうしたら治るんデスカ?」一生輸血に通院なのか?と不安になりまして先生に聞いたら「骨髄が、ピチピチのになるからまたたくさん作ってくれるよ!」だそうです以下、私のポジテ
2021年4月、急性リンパ性白血病と診断されました。一般的な抗がん剤治療だけでは命が助からないとのことで骨髄移植をしておかげ様で元気になりました。3年後の現在、また白血病細胞が出てきました。本日、医師と面談しましたが今年9月に臍帯移植を予定しています。生存率は50%。さぁ、本当の生きるか死ぬかの人生ゲーム🎮よし!やってやろうじゃん🥳💓【追記ドナーさんへ】わたしはドナーさんから骨髄をいただきました。2年頑張ってくれたんですね☺️タイムウェバーでみてみるとわたしとい
しばらくブログが更新できませんでしたタイトルにある病気に5月にかかり、治療してました。以前から数値がおかしかった白血球と血小板がさらに低値になり骨髄穿刺で白血病が確定し、抗がん剤と骨髄移植を終えて、今は自宅療養中です。Iga腎症の時もいきなり病気が発覚しましたが、今回もいきなり病気になりました。病気ってそういうものなんですね。人生って色々抱えなくてはいけないのだろうけど、なかなかハードな日々でした。生きることがこんなに大変だとは思いませんでした。日々当たり前のことが当たり前
R5-8/3予後約1.5年と宣告された市大附属病院への外来日となる。特に診察や治療無く、今後の治療の見通しの話しだった。かなり厳しい治療と、具体的な生存率の値を含め骨髄移植の前処理、移植前後の感染死、GVHDでの身体起こる障害説明だ。また退院後も人により車椅子に酸素マスクの生活等もありQOLはかなり落ちると。更に退院後、普通の生活に戻れたとしても再発、その他で5年後の生存率は30〜40%と言う事だった。この様に具体的に長い時間をかけて聞いたのは初めてで、この日が1番気持ちが落ちに落ち
半額にもラッキーは隠れてますよ半額をアピールしながら差し入れたダンナ移植するんだぜ??衛生観念~実は、入院している病院は私の職場でもあります最初は知ってる人ばかりで検査の時とか、きまずくて超絶嫌でしたー一番の衝撃は、初発の緊急入院で、当直の顔見知りの先生におっぱい丸出しでエコーしてもらったこと。あの時、私の羞恥心は虹の彼方に消えましたBBA相手に向こうのほうが気まづかったで賞でもね、患者として見て、知り合い関係なく医療者は驚くほど優しい生検で同じ姿勢でいるときもかわいい後輩