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8月25日火曜日朝、起きる。寝坊した。目覚ましを止めた記憶が無い。7時半だった。直ぐに着替えて、荷物をまとめ、歯みがきをして家を出た。もう朝食は食べなかった。どうせ戻すしね。職場に到着する。と言っても、始業開始の30分前。それから前準備して、出勤ログ。あとは通常業務。お昼は安定のカップラ生活に戻る。結局おひとり様炊飯器を買おうと思ってたけど、電子レンジの方が汎用性が高いのでは無いかと言う意見を貰い、悩んだまま夏季休暇に突入した。確かに、レンジは米も炊けるし、冷凍
離婚調停不成立は私側からお願いしたというか、正確には私の弁護士の計らいでお願いした旦那側が拒否するなら何回しても意味ないし、時間の無駄で精神的にも磨耗するだけ仕事休んで行くのもバカらしい因みに、旦那は調停員に同情をして貰うべく思いでの品をいろいろ持参していたみたいそんなことされても、こちらは嫌気が増すだけ離婚調停しなければ、離婚訴訟が出来ないから全く意味のない物ではなかった旦那もまさかボイスレコーダーで録音されてるとは思ってないだろう公の場に内容が暴露されるのは相当プライドが傷つ
思いもよらぬ義理の両親との同居は、トータル1〜2ヶ月程度だったと思います。そんなもんかと思われるかもしれません。でも、私にとっては苦行でしかなかったです。心の準備ができてなかったというのもあるかもしれません。縁もゆかりもない土地で、頼る人、相談する人がいなかったのもあると思います。結婚に伴う引越しのため、退職もしていました。モラ夫とは遠距離恋愛で、私が引越しをしたので、私の友達はみんな、他県にいました。モラ夫の身内以外の人に話ができないのは、とにかく孤独で
ある日、臨時収入が入ったから、とモラ夫に言われ、ふたりで外食に行きました。そして、ここでも口論になりました。私が、初めて聞いたことに対して、それ聞いてないよ、と伝えると、「今言った!!」と反論するモラ夫。小学生並みの屁理屈です。私が事実を述べているだけでも、「ほんと、ああ言えばこう言うよな」と言われます。私が何かを指摘すると、「俺はこういう人間なんだ!」と、押し通そうとします。意見のすり合わせなんて、できません。一度言った言葉は取り戻せないと、私が伝えても、「
妊娠検査薬で、陽性が出たときのことです。モラ夫は自分の車だけではなく、母親の車のローンまで支払っていました。私は、妊娠がわかったので、これから仕事を探すにも苦戦することは明らかでした。そして、生まれてきたら、子どもを育てていく必要があります。モラ夫の母親は、働いています。親の遺産もたんまりあると聞きました。義父の退職金だってあるはずです。つまり、支払い能力があります。対して私は、車を所有していません。(しかし、車がないと不便な地域でした)結婚のために退職し、妊娠し
妊娠検査薬で陽性を確認した日の翌日、産婦人科へ行き、妊娠が判明しました。私のお腹に、子どもがいる。私は、母親になる。そう思ったら、やっぱり家計をそのままにしておくわけにはいかない、と思いました。月々の収支を明らかにして、豪遊するモラ夫は、お小遣い制にするなど、対処する必要があると。そして、私はモラ夫が実家近くに買った中古物件のローン、モラ夫の車のローン、義母の車のローンに不満を持っていたため、お小遣いの中から払ってくれれば、私も納得できると思いました。我ながらナイ
妊娠したかもしれないのに、思ったほど喜んでくれなかった、モラ夫。きっとびっくりしただけだ、と私は自分に言い聞かせました。そして、後日産婦人科で妊娠がわかり、モラ夫にメールを送ったとき、モラ夫は先日の自分の反応が、冷たいものだったことに気がついたのか、あの日の様子とは打って変わって、「おめでとう!辛いことも苦しいこともふふむと協力して乗り越えられるように、自覚を持って一生懸命になるよ!」と絵文字をたくさんつけて、返信してくるのでした。取り繕っているような、違和感。でも
夏に別居して秋が過ぎ冬が来て今はもう春季節は過ぎていくのに私達はまだ離婚していない。なんだかかっこよく言ってみたけれどはっきり言うとグダグダしているのだこの間も電話で話した時夫は優しい夫を演出してきただけども話していくうちにやはりお互い相手の非を言いたくなるお前が悪い!と言われればそっちこそこんな事してたよね?!なんて腹が立ってきて声も大きくなるすると夫は私のものの言い方や声が大きくなってきた事に対して非難してくるするとその言葉そっ
私は、夫婦として、家族としての未来の話がしたかったです。子どもがほしいのなら、今後どう働いていくのかとか、どこに住むのがいいのかとか、そういったことに向き合ってほしかった。押し付けられるのではなく、一緒に考えたかった。でも、モラ夫と見る未来は、義両親の老後の面倒を見ること。モラ夫は、息子として、長男として。私は、その嫁として。私たちが家族になるなんて、最初から無理だったのかもしれません。モラ夫は『モラ夫家の長男』でしかなく、『私の夫』にはなってくれませんでし
モラ夫と私は学生時代から交際を始めたこともあり、共通の知人が、多くいます。モラ夫は外面がとても良くて、周りから私は、あんなにいい人いないよと言われていました。あの人逃したら、もうお前にかまってくれる男なんていないよと言ってくる男友達もいました。冗談か本気か知りませんが、当時の私はもちろん、間に受けました。私なんかに誰も、見向きもしないんだから。と自分に言い聞かせていました。でも、よくよく思い返してみれば、ありがたいことに、私に好意を寄せてくださっていた方もいた
家庭裁判所での離婚調停が決裂し、帰ろうとしていた私に男性の調停員さんと女性の調停員さんお二人が「いや~、あの人本当にダメですね」「まともな話が一切通用しないんですから裁判で戦うしかないです」「サッサと訴訟を起こした方がいいですよ」と笑いながら話しかけてきました。きっと「長年調停員をやっているけどあんなアホ見たことない」と思ったんでしょう。笑そして最後に「あなた、本当に苦労しましたね」「でも絶対大丈夫ですから頑張ってください」と、優しい笑顔で私を励ましてくれ
TV放映映画録画集から映画「パワー・ゲーム」(2013年ロバート・ルケティック1時間47分)を見た。簡単に言えば、産業スパイを扱った映画である。しかし、そのライバル2社の創業者がゲイリー・オールドマンとハリソン・フォードという豪華版。ハリソン・フォードの会社に入社して産業スパイ活動するのがリアム・ヘムズワース演ずるゲイリー・オールドマンの会社の27歳の社員。ヘムズワースは、アンバー・ハード演ずる幹部社員と恋愛関係に。このアンバー・ハードが、なんとジョニー・デェップの元妻で、DVも絡んだ派手
私は、実家近くの家にいても関係を強要されることに疲れ、早く賃貸物件を探そうとモラ夫に持ちかけました。モラ夫は、私が結婚式で当初の予定よりも大金を使ったから、という理由で(実際はモラ夫の見栄により額がかなり大きくなりました)、私の浪費だと責め続け、物件探しを拒み続けました。この当時、モラ夫は家計を明かしてくれなかったため、私はモラ夫にどれだけお金があるのかが、全く検討もつきませんでした。でも、節約を強いるわりには羽振がいい様子だったことや、結婚前に年収について聞いて
モラ夫は、いろんな観光地に、友人たちと行っていました。帰ってくると、機嫌良く写真を見せてくれます。その観光地らしい服を買ったり、着物をレンタルしたり、女の子たちと楽しそうに写真に映るモラ夫。女の子が、可愛い服着て写真を撮っているのは、素敵だなあと思う反面、あなたのそのコスプレ、需要ないけど。ていうか、女の子たち、内心、この写真にモラ夫入れたくなかったんじゃないかな?(苦笑)というぐらい、不自然です。モラ夫が入ることで、映えない写真の出来上がり。他の男性陣
モラ夫と不動産屋さんに行ったとき、実は、実際に内覧することができるお部屋が、ありませんでした。私はそのとき見れなかったお部屋を見に行くように、モラ夫に言われました。モラ夫は、仕事です。今となっては、モラ夫が休みの日に、一緒に行けばいいのに。と、思いますが、モラ夫は不動産屋さんの口車にでも乗せられたのでしょう。私はひとりで内覧に行くことになりました。見せてもらったお部屋は、1室だけでした。他のお家も、外観を見せてもらったりはしたけれど、実際にお部屋の中を見ら
友人が帰った後、モラ夫と私は口論になりました。「ふふむ(私)は、ワガママすぎる」「俺は核家族なんか好きじゃないんだ!」「◯◯(モラ夫の出身都道府県)では長男が実家に戻るものだ」「(この地域では長男が家に戻るのかどうか)その辺の人に聞いてみろ!」「ふふむは、我慢ができてなさすぎる」これが、モラ夫の主張です。じゃあ、「俺は◯◯(地域名)に住む長男だから、親と同居するのが当然だよ。それができないワガママな嫁なんていらないよ。」って結婚前に言ってほしかった。と、今となって
*・゜゜・*:.。.。.:*・゜*・゜゜・*:.。.。.:*・゜゜・*:.。.*・゜゜・*:.。.。.:*・゜*・゜゜・*:.。.。.:*・゜゜・オ・ヨンソに非難コメントが殺到、アン・ジェヒョンが直接謝罪まで◎ク・ヘソンがアン・ジェヒョンとの離婚の理由について「浮気のせい」と現在出演中の「ドラマ女優」との恋愛説を主張した中で、ク・ヘソンの暴露によりオ・ヨンソのSNSには非難のコメントが書き込まれ続いている。ク・ヘソンの暴露により、火の粉が飛び移ったもの。去る4日午前、ディスパ
暴言を吐かれ続けていた私。無気力で、自己肯定感のカケラもなかった私。未来を見ようとしても、そこは真っ暗で。どこが前か、わからなかった。だから、前に進めなかった。ただ、暗闇でもがき苦しむ中で、私が唯一力を振り絞ったのは、スマホのメモに、モラ夫の暴言を書き記したこと。書き残せば、またメモを見たとき、辛くなる。書き残す気力も、ほとんどない。でも、何となく、直感的に。忘れてはいけないと思った。かけられた言葉。傷ついた心。うつになると、記憶力にも影響が出ると知ったのも
ある日、モラ夫から、クレジットカードを渡されました。憧れていた、家族カードでした。「できるだけ、これ使うようにして」ポイントなどを貯めるため、現金ではなくクレジットカードを使うように言われました。憧れだった家族カードをもらい、嬉しいはずだった私。でも、そんなことを言われても、使って良い目安の金額もわかりません。毎月何十万と請求がきていることは知っていました。でも、あの給与明細の給与が事実だとしたら、どこから支払っているのか・・・疑問や不安が入り混じった気持ちでし
私は嫁として、義父母の機嫌をとる役割だったようです。私が出かける必要がある際には、公共交通機関を使って行こうとしていましたが、モラ夫からは、義父母に送迎してもらうように言われました。実の親でもないのに、気軽に「迎えに来て」なんて、連絡できるほどの仲ではありません。公共交通機関を使う方が、よっぽど気楽でしたが、モラ夫は嫁を使って義父母の機嫌をとりたいため、結局毎回、義父母に送迎してもらっていました。私のことなのに、私の意思は関係ありません。放っておいてほしかったです
私は、基本的にずっと家にいました。妊婦健診などでバスに乗ると「バス代(200円以下)がもったいない」と言われます。しかしモラ夫は頻繁に飲み歩き、連絡もなしに、タクシーで朝帰り。友人との旅行三昧。ブランド物の衣服購入。ゴルフや釣りなどの娯楽。私に節約を迫るわりに、自らがお金を切り詰めて生活する様子は、一切ありませんでした。私が仕事を探すにも、妊娠中であるため、今後の働き方について夫婦で話し合いをしたかったのですが、モラ夫は、「共働きしないとお金がない」と言って
モラ夫とふたりで食事をしていても、「今お父さんひとりでごはん食べてるんだろうな〜」「可哀想だから、一緒に食べに行こうか?」と私の罪悪感を募らせて、一緒に食事をとるように仕向けてきました。やっと同居から逃げたのに、ずっと私は縛られている感じがしました。私は、モラ夫家に嫁に入るために、結婚したのか。モラ夫家に尽くすために、結婚したのか。当時の結婚生活は、私の思い描く結婚生活とは程遠いものでした。モラ夫と協力して、ふたりで、新しい家庭を築いていきたかった。モラ夫家+
判決日からひと月半ほど経った頃に、弁護士さんから電話があった。財産分与の支払いが確認できないので、強制執行するかどうかの確認だった。そもそも、離婚届が出されたのかどうかについての連絡は来ていなかった。私の方から確認しなかったのも悪かったが、てっきり、「相手方が離婚届を出しました」というような連絡をくれるものだと思い込んでいた。聞けば、約1ヶ月前には判決が確定していたのだという。相手方からの上告はなかったということだ。離婚届が出されたのかどうかについては、何も情報はなく、私が自
こんにちは、もりさかゆうこです。不倫して家を出た夫から離婚調停を起こされた。離婚調停の不成立後、離婚訴訟を起こされた。そんなご相談が続いています。有責配偶者である不倫夫からの離婚請求は今のタイミングでは法的に通らない。夫もわかっているはずなのに。そこまでして離婚の意思を夫は表明したいのか…。妻の気持ちは追い込まれます。離婚請求に不倫は関係ない夫婦は破綻していたと主張する夫は多い
私は、モラ夫の散財具合が疑問で仕方ありませんでした。どこにお金があるのか。じゃあ、あの給与明細は?混乱していました。全貌を明かしてほしかったです。しかし、モラ夫が家計を明かしてくれないことには、私は知りようがありません。ある日、モラ夫が、モラ夫名義の通帳を一冊、手渡してきました。「これ、管理して」「ここに給与が振り込まれるから」と。やっと、やっと私が管理できる・・・!モラ夫にも、私の気持ちが伝わって、モラ夫なりに夫として、父親としての自覚が芽生え始めたんだ、と思
不倫されているとどうしても神頼みや運勢みたいなものを信じたくなる今年のおみくじ私は吉で夫も吉だった私の方は「歓事あるべし」「疾病は日を追って全快すべし」「相談事ととのうべし」「訴訟事大いに利あり」と、なかなか良い事が書いてある不倫の悩みも解決しそうな予感疾病は特にないけど、きっと精神的なものだろうもし離婚訴訟になっても大丈夫だと思っていたら夫の方は「争事勝つべし」と書かれていたちょっと待って!どっちが勝つの!?そもそも誰と誰が争
私は、これまでの人生、我慢強いと言われてきました。でも、モラ夫だけは、認めてくれませんでした。モラハラって、なんとも表現しづらいことで責められたり、話をすり替えられたりするので、友達に愚痴を言いたくても、「あれ?そもそもケンカの原因ってなんだったんだっけ?」となることもしばしば。思い出して友達に話すことができても、「え、そんなことで?」「私なんてこんなことがあってさ…」となることもあります。「こうしたらいいんじゃない?」と、それらしいアドバイスをもらうことも。相
裁判にて、相手側と激しい親権バトルを繰り広げました。とても長かった、そして疲れた相手側に子供を連れ去られましたが、なんとか親権を得て子の引き渡しを完了することができました。今日はどんな手続きを行ってきたかと結果について綴っていこうと思います。まだ最後まで終わっていませんが、後は形式的なことなので割愛します。弁護士は初めからお互いつけていました。①相手側より「離婚調停」⇒親権で揉めて「離婚訴訟」へ②私側より「面会交流調停」⇒成立③相手側より「婚姻費用分担調停」⇒成立