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8月24日月曜日6時前、起きる。寝た時間が遅かったけど、スパッと目が覚めた。トイレに行くと、息子はもう起きて宿題をやっていた。早いな。それから、少しPCを立ち上げて、自分の事。頭がボーっとする。切り替えないと。今日から通常業務だ。朝食を摂り、仕事に行く。始業前に準備して、今日する事の確認。それから出勤ログ&朝礼。久しぶりに会う若い子。休暇は謳歌したらしい、良いね。午前中、がっつり仕事。お昼は…またカップラ生活に戻る。量的にも丁度良くなってきちゃったな。午後も
10月25日日曜日起きる。時計を見ると、9時を回っていた。日曜だしね、いいよね。起きて一階に行くと娘だけがいた。そっか、息子は高校の一日入学に行ってるんだっけ。Mさんも居ない所を見ると、親同伴かな。知らされて無いけど。朝食を作って、食べる。食べている途中に、娘が「お父さん、マイクラやろうよ!」と言ってくる。もちろん、OK.食事が終わって、皿洗いした後やりますか。『どこでやるの?』と娘に聞くと「お父さんの部屋に決まってるじゃん♪」と言うので、移動する。それ
とても自信があるように振る舞う裏で、モラハラ夫は、ありのままの自分では受け入れてもらえない恐怖でいっぱいなのだろうと思います。底の見えない不安を覆い隠すために、誇大に振る舞う。虚栄心。自己像との乖離。借金、嘘、暴言による威圧。本当の愛を知らない人。人生において、いつか満たされる日がくるのでしょうか。私の知るモラ夫は、おそらく幼少期に義父からの暴力を受けていた人でした。きょうだいたちもいますが、一番上の兄であるモラ夫への風当たりが、特に強いものであったのだろう
思いもよらぬ義理の両親との同居は、トータル1〜2ヶ月程度だったと思います。そんなもんかと思われるかもしれません。でも、私にとっては苦行でしかなかったです。心の準備ができてなかったというのもあるかもしれません。縁もゆかりもない土地で、頼る人、相談する人がいなかったのもあると思います。結婚に伴う引越しのため、退職もしていました。モラ夫とは遠距離恋愛で、私が引越しをしたので、私の友達はみんな、他県にいました。モラ夫の身内以外の人に話ができないのは、とにかく孤独で
日記が1週間前になりましたので、ここからは今まで通りに行きます。~~~~~~~~~~9月13日日曜日朝、6時前に目が覚める。早く起きたから、先に朝食食べよ。ニュースを見ながら、フルグラを食べる。何かを造る気にはなれなかった。それから、自室に戻ってネットを見たり。みんな、頑張ってるな。北海道に行けなかったの、悔しいけど仕方ない。みんな頑張れ。それから、仕事の準備をして部屋を出る。息子の部屋に子供達が居た。娘に呼び止められる。「お父さんお父さん!」朝
8月29日土曜日朝、4時に目覚ましが鳴る。起きなきゃ。少し寝ぼけた目を覚ましてから着替えて、荷物をもって一階に降りる。Mさんも息子も起きていた。息子の朝食とか準備するMさん。僕の事は一切意に介さない感じ。息子の準備が整い、5時に家を出た。僕の車で行くか、家の車で行くか直前まで迷ったけど。。。家の車で出た。ドラ猫の方が高速は楽だけど、向こうで休むなら家の車の方が楽だし。息子に『ちょっとコンビニ寄っていい?朝御飯買うから。』と言うと、「お父さんのおにぎりもあるよ。大丈夫
11月11日水曜日6時起きる。寝る。7時起きる。目を閉じて開くと、7時25分。あれ?急いで着替えて準備。一階に降りる。息子は朝食が終わっていた。パンを焼いて食べる。塩バターフランスパン、チーズのせ。最近ドはまり。美味しい。それから家を出る。家を出る時間が息子と同じぐらいに遅くなってる。でも、しばらくこれで良い。職場に着いて、準備して出勤ログ。それから通常業務。午前中は合間を縫って、炊飯の準備。お昼、米を炊く。美味しい。。。家だと僕だけはいつ炊いたかわか
家庭裁判所での離婚調停が決裂し、帰ろうとしていた私に男性の調停員さんと女性の調停員さんお二人が「いや~、あの人本当にダメですね」「まともな話が一切通用しないんですから裁判で戦うしかないです」「サッサと訴訟を起こした方がいいですよ」と笑いながら話しかけてきました。きっと「長年調停員をやっているけどあんなアホ見たことない」と思ったんでしょう。笑そして最後に「あなた、本当に苦労しましたね」「でも絶対大丈夫ですから頑張ってください」と、優しい笑顔で私を励ましてくれ
友人が帰った後、モラ夫と私は口論になりました。「ふふむ(私)は、ワガママすぎる」「俺は核家族なんか好きじゃないんだ!」「◯◯(モラ夫の出身都道府県)では長男が実家に戻るものだ」「(この地域では長男が家に戻るのかどうか)その辺の人に聞いてみろ!」「ふふむは、我慢ができてなさすぎる」これが、モラ夫の主張です。じゃあ、「俺は◯◯(地域名)に住む長男だから、親と同居するのが当然だよ。それができないワガママな嫁なんていらないよ。」って結婚前に言ってほしかった。と、今となって
9月11日金曜日起きる。朝食を摂って、仕事へ行く。職場について、出勤ログ。今日も仕事はほぼ無い。でも、途中で分かった。自分の勘違いで、来週月曜だと思っていた研修が、今日の午後だった。研修へ行く準備だけして、自分の事をする。お昼少し前、一緒に研修へ行く上司に誘われて、お昼ご飯を食べに行く。久しぶりにちゃんと食べる定食、美味しかった。。。まともにご飯を食べれるのって、幸せ。いや、いつもちゃんと作って貰ってはいるのだけど。。。茶碗にいっぱい入ったご飯が、嬉しい。そして全部食
何かの話から発展し、義両親の老後についての話題になったことがありました。モラ夫は、「きょうだい間で話し合うにしても、何かしら親の面倒を見たい」と言っていました。私の意思や、それぞれのきょうだい、そしてきょうだいの配偶者の意思はどこへ?と思いました。それは夫婦やきょうだいで、話し合うことだよね、ということを伝えました。「俺が面倒見るんだから、いいんだ!お前に関係ないだろう!」あれだけ義両親との関係を強要して、こんなに近所に住む長男の妻である私に、関係ないと言い切れる
モラ夫とふたりで食事をしていても、「今お父さんひとりでごはん食べてるんだろうな〜」「可哀想だから、一緒に食べに行こうか?」と私の罪悪感を募らせて、一緒に食事をとるように仕向けてきました。やっと同居から逃げたのに、ずっと私は縛られている感じがしました。私は、モラ夫家に嫁に入るために、結婚したのか。モラ夫家に尽くすために、結婚したのか。当時の結婚生活は、私の思い描く結婚生活とは程遠いものでした。モラ夫と協力して、ふたりで、新しい家庭を築いていきたかった。モラ夫家+