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おはようございます。昨日は診察に行き、点滴をしてもらいまいた。体調は「具合が悪いので病院に行けない」と言う笑えない状態だったのですが、点滴を受ける為に頑張って行こうと言い聞かせ、病院に向かいました。医師の第一声が「点滴する?」でしたのでハイと答え「食べられてる?」いいえ。来週の入院を確認し診察は終了w医師は見た目で様子が分かるのでしょうね。ベット上でポートに針を刺すときに、1か月持ちますかね~と聞くと「それを予想するのは難しいんだよね。身体を見ると思っていたより良いですよ」と言っていました
ヤフーブログの閉鎖にともないこちらへお引っ越しして来ました。改めてもなかの闘病生活を記事にしようと思います。ヨーキー×チワワ(ヨーチワ)の女の子13歳発病は、11歳11ヶ月の時私、今、大きく深呼吸しています。どうやってどこから綴ろうかと最初の言葉に悩んでいます。もなかが、リンパ腫と診断を受けた日から覚悟を決めてこの病気と真正面から向き合いました。リンパ腫は治療しなければ、平均余命1ヶ月ステロイドだけの緩和治療は、平均余命3ヶ月抗がん剤
こんにちはまずはまだ2回しか書いてないのにたくさんの訪問とたくさんのフォローをありがとうございます。何か一つでも皆さんにお伝えできるようしっかり闘病生活を刻んでいきますね。さて昨日から放射線治療が始まりました。これが後26回続く・・・・看護師になって35年以上過ぎたんですが放射線科に勤務したことはなく、まだまだ知識が不足しており「へぇ〜〜〜っ」て驚くことばかり技師さんも看護師さんも
現在、アメブロの入院・闘病生活ジャンルの最上位圏にランクインしている「胃癌ステージ4の旦那と私の日常を綴る日記」というタイトルのブログ主、nicoさんが、「火葬場の雰囲気に震えた」という記事をアップされています。この記事にも私は強く共感しました。火葬は「怖い」「残酷な」葬儀といえます。亡くなった方に、「早くこの世から完全にいなくなってくれ」といわんばかりの葬儀だからです。先日も触れましたが、日本は有史以来、土葬が超長期の慣行でした。火葬は仏教とともに伝来した葬儀であり、ほぼ定着したのが
直腸がん患者の私が死を覚悟するガン末期症状。2024年3月17日。いよいよもうダメだろうと自分で感じるがん末期症状を書き出してみます。がんの症状と麻薬系鎮痛剤の副作用が入り混じっていると思われます。残された時間は後になり逆算してもらうしかないのですが、私のイメージでは後1か月から3カ月位かな~と感じております。【ひどい疲労感】疲れ方が今までと違うと明らかに感じます。座って書いている姿勢を保つのも辛く感じます。身体に力が入らないです。【痛み】がんの症状の典型だと感じています。私は直腸
2年前に、卵巣癌のステージ4bだとわかった時から、わりとすぐに訪問看護師さんに来ていただいています。頻度は2週間に1度の割合です。要介護2もいただいていますが、今のところ自分の事は全て自分でできるので、何か介助をしていただくということもないのですが、コロナ禍で、あまり人とおしゃべりもできず、がん友さんを作る機会もほとんどなかったので、訪問看護師さんに来ていただいて、日々の様子をしゃべるだけでも、精神衛生的に良かったように思います。私はこの2年の闘病生活の間に、帯状疱疹になった
おはようございます。比較的精神状態は安定していると感じています。最期を向かえるにあたり、心の準備、実生活の準備が出来るのは良いのか悪いのか分からないと思っていましたが、今は良いのではないかと感じています。がんで死ぬのは、良い死に方が出来そうだと言うのが今の心境です。余命宣告を受けてからのがん患者さんは「最大の希望を持ちつつ、最悪に備える」早すぎではないかと思うくらいがちょうど良い気がします。がん末期の身体の弱り方は思った以上に早い。本当にあっという間に何も出来なくなる感じです。10日前
何度も雪が降って寒い4月だったけどどこへ行ってもお花がたくさん☺️🤍💛3度目の抗がん剤投与のあと体調を崩してしまいおとといまで入院していました😵何日間も辛くて大変だったけど、、なんとか回復して家に帰ってくることが出来ました!🙌💛4月の半ば、3度目の抗がん剤投与の日。この日は同じ部屋で抗がん剤治療を受ける初対面のふたりの女性と楽しく過ごすことが出来ました😊フレンドリーで優しい方たちだった!この日からひとつは新しい抗がん剤に。今回はアレルギー反応なく無事
大島隆司です本日は藤本ソシアルダンス以外に所属する、地元の大和市鶴間にありますカトレアダンススタジオのダンスパーティーでした藤本ソシアルダンススタジオから、KS様、KK様が参加してくださいました🙏お二人共とても良く踊れていて安心感しかありませんでした。昨年の秋が深まるころカトレアダンススタジオオーナーの奥様先生が長い闘病生活の末にお亡くなりになりましたわたくしがプロデビューしてから、元々は所属スタジオでは無いのに、鎌倉の◯◯先生のスタジオの大島君!と、なんだかん
紡錘細胞がんのくつです。2016年5月11日…私のがん告知日です。4年…生きる事ができました。今回はがん告知日、前夜から告知日までのお話を…前夜…私は、行きつけの居酒屋さんで飲んでおりました。当時の体調自体は、そんなに悪くもなく。強いて言えば、両肩が上がらないのと目眩が少々(1年近く)あ、それと発疹も…色んな症状が出てました。鈍い奴です。居酒屋を後にして、うん。何?真っ赤やん。目がおかしくなった。俺、酔ってる?そうです。血尿です。明日になったら、大丈夫なんて思いなが
今日は、病院へめまいの感じと頭がボーとすることを話しました。いつも自分が試したい漢方を話して処方してもらっています。前回はあしのしびれとムズムズがありましたが、漢方のおかげでなくなりました今回は前に効いていた当帰芍薬散と苓桂朮甘湯を処方してもらいました。効くといいなぁあと、前から興味があったヒルトニン注射をお願いしてきました。前から気になっていて、劇的に効かなくても少しでも効果があればと思いせレジストも効いてる気がするから、できれば注射を打たない期間飲めればいいのですがそのことも含
こんにちは😊神崎麗華です。本日は潜在意識で病気を治す方法についてお話したいと思います。病は気からといいますが果たして潜在意識で病気は治るのか?この答えはイエスでもありノーでもあります。有名なお話ですと全ての臓器に対して「ありがとう」と100万回言って子宮頸癌を治したという「ありがとう100万回の奇跡」という書籍です。
Noi(のい)といいます!よろしくお願いしますひさびさのブログとなりました色々な事情もありまして忙しく過ごしてましたそんな中でまさかの出来事が私の乳がんが発覚ちょっと驚きでなんで私が?なんで今?そんな事思いながらそして病気の事もよくわからないまま日々が過ぎましたもしかしたらこんな私でもお役に立つ事があるかも…参考になる事があればとそんな事を思い闘病生活をブログに綴っていこうと思いますなぜ、気づいたのか?それは、たまたま乳房の上が硬い気が…あれ?これなに
皆さん、おはようございます。3月末の入院以来、やっと正気を取り戻した感じです(笑)だいぶ弱っていましたので、皆さんにご心配をおかけしましたが、優しく暖かい多くの、コメントに励まされ、体調や精神状態も落ち着いてきました。コメントを読みますと、嬉しくて本当に涙が溢れます。ありがとうございます。転院後の体調悪化に一番影響したのは、痛み止めの変更だと思っています。経口投与のナルサス10㎎から、注射剤ナルベインへの変更、皮下注射の痛み止めのようで、内容はほぼ一緒。投与量の調整に日数が掛り、苦しんでい
いつも拙いブログを読んでくださりありがとうございます。今は胆管がんで亡くなったパパの闘病生活を振り返りながらその時々にふと思い出した事残された家族の日常などを綴っています。以前書いた内容と被る事もあるかと思いますがお許しください。2019年9月の終わり頃にパパは体調不良になりました最初は胃がむかむかすると言っていました二日酔いみたいな症状のようででも1日もあれば良くなるだろうと軽く思っていましたところが1日経っても2日経っても全然良くならず何日もその症状は続きま
今年の5~6月に入院して(もう何回目か何十回目かもわからない)本気で死ぬ気で治りたいと思ってフォロワーさんやアメンバーの皆さまにも励ましていただきながらたくさん辛い経験をして主治医や看護師さんとも毎日喧嘩をして暴れて泣き叫んでこんな所、早く出てやる!!早く治して帰ってやる!!今度こそ絶対に!!と、37~8kgまで体重を増やして地獄のような入院生活から解放されこれからは普通の女の子として生きて行くんだ、生きて行きたい!!必死にがむしゃらに頑張って来ました。治療
私のがん告知は、CT撮影専門の病院で、画像診断専門医が画像を見ながらつぶやくように、「がんがあるな~、肺にも」こんな感じでした。私の方を振り返るでもなく、何の感情もなくCT画像の結果を伝えてくれたという感じです。きっとがんの告知に慣れていなかったのだと思いますが、実にあっさりとしたものです。ただ、帰り際に「予約はなくとも、今日の帰りにクリニックへ行き、紹介状を書いてもらった方がいいですよ」とは、アドバイスをくれました。その時の私は腸閉塞の痛
※娘の最期にも触れている過酷な内容です苦しい方はご遠慮ください※※後半のところ補足しました※昨夜撮りためてあった「アンサングシンデレラ」を見ました。テーマは『在宅医療』物語は夫婦の話で旦那さんが奥さんを看取る姿が描かれていたけれど……見るもの、出てくる単語など娘の闘病生活との共通項が多くて、涙が止まりませんでした。ドラマで描かれていた投薬によって意識が薄れていく姿それをするかしないかの選択肢娘の場合7月13日の痙攣以降明らかに状態が落ちていきそこから痙攣止めの処方。
死にたいと泣きたいが似ているから困るんだよねなんて誰かに話したことがあった気がする今日は生きてる自分のことが許せなくて上手に笑えてる気がしない。死にたい死にたいって誰かに電話して縋りたくなるのって結局今まで後回しにしてきた泣く作業とか誰かに抱きしめてもらう作業とかがきっと必要なんだと思うでもどうやって泣いたらいいかもわかんない抱きしめてくれる人もなかなかいない生きてる自分を許せなくて幸せになりたい感情と早く楽になりたい感情の狭間で息をしてるけれどお腹は当たり前に空
こんにちは。先日、長男が23歳になりました。長男が大学を辞め、家に帰ってきた時は、もう次男はだんだん食べる事もできなくなって行った頃でかろうじて、左手の合図で私達は意思疎通をしていました。そんな中、大学を辞めて家に帰ってきた長男は、家の片付けを必死にしていました。そして、自分のパソコン部屋をつくっていました。それから、その部屋で、長男はパソコンゲームを夜中までしていました。1週間過ぎても、バイトにもいかずもちろん就職活動せず、パソコンゲームをしていました。家に帰ってきて10日ぐ
おはようございます。お読みいただき感謝します。私の病院の緩和病棟の最大入院患者数は18名だそうですが、スタッフの人員的に14名がMaxだそうです。看護師さんは20人程度だそうです。皆さん親切で、優しく、至れり尽くせり。4人部屋もあるそうですが、実質1人で使用、皆個室状態です無料の個室は2~3割程度状況により変わるそうです。一番驚いたのは、食事に関してでしょうかwアイスとジュースのみの食事。アイスを食べることを食事と数えてくれる事。末期がんの方の多くが、アイスは食べやすいと感じる方が
2022.8上旬子宮肉腫と告げられた人は、その聞いたことがない病名に、すぐネット検索し、予後が悪いと言う言葉しか目に入らず、一瞬絶望的になったという経験をされたのではないでしょうか?もし今もその不安の渦中から抜け出せない方がいらっしゃったら、その方に伝えたいです私は再発治療を繰り返しながらも、見た目元気そのもので5年目を迎えられましたということを…決して自慢ではなく、こんな肉腫患者もいるということを知ってもらい、希望を持って貰いたいと心から願っています私は肉腫というものを知っていくうち
はじめまして高1と中1の子を育てているRyokoと申します。2023年1月4日に大腸がんと告知されました。このブログは注射が大っ嫌いで痛みに弱い、ヘタレな私の闘病記録です。細々とポイ活をしています。簡単にお小遣いを稼ぐ方法『ポイントサイトで無理なくポイントを貯める方法』はじめまして高1と中1の子を育てているRyokoと申します。2023年
おはようございます。生活リズムの乱れというと、闘病生活には天敵のように感じていましたが、今となり感じているのは、乱れがあるだけ体力がある?と感じています。がん終末期では、寝ている状態がほとんどで、そもそもリズムも何もなく、起きているだけで体調が良い。体力も何とかある方だと感じました。数か月前に「ブログを書けているうちは平気」と励まされたことを思い出しますが事実こうして書くことも休みやすみ、1日2度に分けて1日分を書く事が日常となっています。体力の低下は一度起こると、回復したり持ち直すことは
がんになる前、体調の悪さと強いストレスをなんとかしようと、ヨガを習っていた時期が何年かあります。ヨガ専門のスタジオに行っていた時もあるし、スポーツクラブの中でひらかれているものなど、いろいろ行きましたが、私の求めていたのは、アクロバティックなポーズをとることではなく、呼吸に自然な形で体の動きがついてくるようなヨガでした。ヨガとは何か、ヨーガスートラを読んでみようと少し勉強し始めたところで、がん発覚。勉強も、時間切れになってしまいました。し
夫を家族で看取ることができたわけですが、やはり後悔は色々とありました。結局、夫はほとんど一人で闘病してたこと。車で1時間のがん研での抗がん剤治療も、転院した緩和ケア科さえも、彼は一人で行きました。夫の癌が発覚する前の年、私はパートで仕事をしながら、3度の不合格を経て、一級建築士の資格を取りました。さぁこれからスキルを身に付けて本格的に働くぞ!、と再就職した矢先の夫の癌。しかも膵臓がん。夫を失った後、私が子供たちを支えていくために、そんな状況でも、仕事を続けて経験値を上げたかった。夫
こんにちは。昨日、東京に住んでいる甥っ子が、次男のお墓参りにわざわざ、我が家に来てくれました。甥っ子は、次男の一つ年下で、うちの四兄弟の中でも次男と一番仲良かったです。闘病中も東京で、久しぶりに会いました。次男は車椅子で、ほとんど会話ができる状態ではありませんでしたが、身振り手振りで、本当に幼い頃を懐かしむように話していたのを覚えています。甥っ子に会った後、帰りに次男が「甥っ子おっさんになった・・」と嬉しそうに笑顔で言ってたのを今でも鮮明に覚えていて、あの時の次男の嬉しそうな表
連日のブログ投稿に際しコメント、メッセージ、LINE等たくさんの励ましのお言葉や、助言などを戴きました。本当にありがとうございました本来なら、ひとりひとりにコメントをお返ししたいのですが、まだ本当の気持ちが定まらず、揺れております。ここに、私のほんとの気持ちを記し、皆さまへのコメントのお返しとさせて頂きますことを、どうかお許し下さい。娘が旅立ってから、8年間という長い年月の間にも娘の旦那君をはじめ、両家でも話し合いを重ねて来ました。私たち夫婦にとっても、かけがえのないたったひと
今日は午後から診察に行きます。今の私にとっては診察もちょっとしたイベント。帰りにはネット注文したコートをGUに取りに行かなければw今日も1日がもうすぐ終了。朝起きて薬を飲み、PCの前に座りコメントのお返事をして昼寝w起きてアマプラを見て夕方にはまた寝て、薬を飲み深夜に寝て1日が終わる。外出もせず何もせずあとは寝るだけ。本格的な無治療闘病生活を送っています(笑)2024年1月12日の診察でもう積極的治療は終了、がんの緩和ケア無治療生活を告げられ今日でまる2か月。何もしない事と痛みがこれほ
間質性肺炎で肺移植をし、その後肝硬変で肝移植をした夫の闘病記です。移植病院医師からは、初めての症例と言われた程、稀な病気の経過を辿りました。苦しい闘病生活だけではなく出来なくても最期まで生きることと楽しもむことを目標としていた夫と同じ病気のかたの参考になればと思っていますまだ夫が酸素無しで病院に通っていた頃、担当医に毎回言われていたことがあります。「今のうちに筋肉をつけなさい」そのときには理由を聞かずあまりピンとこなかったので