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「何かちょっと胸が痛い」妻がそう言ったのは、2022年のクリスマスのお祝いをした後だったと思います。この時、この後こんなことになるなんて夢にも思っていませんでした。病院で診てもらいたいけど、なにぶんもう年末でここから急に予約が取れそうなところがない。しばらくどうしようかと相談していたのですが、出産後に胸が張って痛かった時に助産師さんにケアしてもらって随分痛みが和らいだことを思い出しました。そこで、助産師さんに連絡してみると12/27に来ていただけるということになり、マッサー
この日は前回検査に出していた以下のものの結果の説明を受けました。2/7に再検査に出していた、近所のクリニックで採取した細胞の診断レポート2/18に撮ってもらったMRIのレポート2/7に検査に出していいた、遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)のレポート細胞診こちらは近所の乳腺クリニックでの結果と変わらず、レポートにはDCISと考えますと記載されていました。つまり採取した部分に関しては非浸潤癌(ステージ0)ということですね。その他は核異型スコア2、核分裂スコ
2023年、年が明けて近所の乳腺クリニックが開くとすぐに受診しに行きました。私は仕事があったため、妻が一人で行きました。まず超音波検査をしてもらったのですが、はっきりと何かが映ったわけではありませんでした。その時言われたのはおおよそ次のようなことでした。通常乳がんであれば触ってしこりが分かったり、超音波でもはっきりと映るはず。それが見えないということは乳がんではないかもしれない。一方で張りが続いていて痛みも出ていたことから、他の原因も考えづらい。良性か悪性かは分からないが腫
はい、どーもひかりのMiKuです!皆さん、占い信じますか?私は信じません。まぁ、厄年なんで、なんか嫌な事ありゃー厄年やから〜って言えばいいとおもってます!笑無宗教なんですが、都合のいいイベント事はやります!年間のイベント事スケジュールなら初詣、彼女の誕生日、私の誕生日、バレンタイン(ホワイトデーはやるイメージ無いな🤔)、つき🐶の誕生日、彼女の娘になった日(今年から初めてです!)彼女とお付き合い記念日、娘の誕生日、息子の誕生日、つき🐶家族記念日(ここで8月まで)ハロウィンは彼女が
妻が居なくなって三週間が経った記憶が薄れてしまわないうちに妻が息を引き取る前の、二日間のことを書いておこうと思う痛み止め持続皮下注射の為1日だけの入院から帰宅したのが6月22日の朝その日中、うっすら、まどろんでいた様子はブログにも書いたでも、じつは、その夜中ぐらいから妻は痛みを訴えていたお腹に入っている注射から常に痛み止めは注入されていたでも、痛みが増したときは、手元のボタンを押せば薬が、追加注入されるただし、15分以上の間隔を空けて
今日で今年が終わります。12月28日をもって病気がわかってからまる6年今年を振り返ってみるとというより私の闘病生活を振り返ってみるとこの曲がピッタリだなと思いました。Mrs.GREENAPPLEの『僕のこと』です1部抜粋して歌詞を書きます。僕らは知っている奇跡は死んでいる努力も孤独も報われないことがあるだけどねそれでもね今日まで歩いてきた日々を人は呼ぶそれがね、軌跡だとああなんて素敵な日だ幸せに悩める今日もボロボロになれている今日もああ息をして足宛
こんにちは。先日、長男が23歳になりました。長男が大学を辞め、家に帰ってきた時は、もう次男はだんだん食べる事もできなくなって行った頃でかろうじて、左手の合図で私達は意思疎通をしていました。そんな中、大学を辞めて家に帰ってきた長男は、家の片付けを必死にしていました。そして、自分のパソコン部屋をつくっていました。それから、その部屋で、長男はパソコンゲームを夜中までしていました。1週間過ぎても、バイトにもいかずもちろん就職活動せず、パソコンゲームをしていました。家に帰ってきて10日ぐ
週に一回の血液検査の結果が出ました。主だったところではALT:86(基準値7~23)HGB:8.6(基準値11.6~14.8)PLT:241(基準値158-348)CRP:<0.04(基準値0.14以下)という結果でした。一番気になるのが、ALT(肝臓の値)で、基準値7~23に対して86と高くなっています。これは10/1に始めた肺のカビの薬の副作用だろうとのことでした。この薬を中断すべきかどうか、主担当である腫瘍内科の先生が感染症科の先生とも相談して下
乳がんの手術と言うと、大きく全摘か温存(部分切除)か、そして再建術をするかどうかという選択肢があるかと思います。私たちの場合は、再発リスクを抑えるというのが一番、その上で可能な限りQOLを上げる、ということを考えていました。なので、再発リスクという観点から、初めから温存というのは考えておらず、全摘という腹積もりをしていました。MRI等の検査をしていくと、大胸筋に近いところまで広がっていることが分かったので、実際には私たちにはそもそも温存という選択肢はなかったのですが。その
3/3に改めて詳しく超音波検査をして頂き、そのレポートをこの日頂いてご説明を頂きました。ちなみに、↓で書いたように、この時から別の先生にご担当頂いています。非常に明瞭な説明であったことを覚えています。『2/24担当医交代のお願い』実はMRIや細胞診の結果説明の後、担当医の先生を交代してほしいということをお伝えしました。断っておきますが、この先生が悪いとかいうことではなく、単に相性の問…ameblo.jpこの時のレポートでは、乳管内成分優位型乳癌、病変は浸潤部分と乳管内成分が
2024.11.22(金曜日)本日の出来事・想いなどを発信致します~本日の状態の報告~⚫︎自身の体調:体調は問題なし⚫︎身体の痛み:痛みは少し減ったがご飯食べると少し痛みあり。⚫︎食事:本日も全粥のまま。⚫︎下痢:下痢が相当酷くなってきた。食べるようになったからかも。。⚫︎治療/検査検査:なし点滴:免疫の点滴・抗生剤など赤血球輸血:なし!血小板輸血:なし!⚫︎体重⚫︎体温●トイレの回数(便も有るか
こんにちは。いつもいいねくださり、ありがとうございます。昨日、同級生が集まりました。それまでは数年に一度の同窓会で会うか会わないかだったのが、私のがん治療が始まって以来、もう幾度も集合して楽しい時間を設けてくれています。こういう仲間に今でも囲まれることに無性の幸せを感じます。ありがたいですね。闘病生活が始まってからもう1年以上、毎日が日曜日の甲状腺未分化がんの人です。これまで「病気ですしね」と何かにつけて諦めてきましたが、昨晩の仲間の一人が「明日の朝7:30から仕事なの」と
リアルタイム日記初めての投稿となりますので、少しだけ近況の整理をしておきたいと思います。(でないとタイトルの意味も分からないでしょうし・・・)今年(2024年)のはじめに乳がんからの脳転移の診断を受けて以来、2回の脳の手術と、2回の定位放射線治療を受けてきました。特に2回めの手術を受けた今年7月からは容態が急変し、急に右足(股関節から下全て)が動かなくなってしまいました。また、排泄も自分ではできなくなりました。直後のMRIで分かりましたが、これは脊髄転移のためでした。それ以来、
今日は待ちに待った外出の日朝病院に行くと、外出用の服に着替えて待っていました。朝から着替えたり外出の準備でバタバタしたことや外出の緊張もあってか、やや疲れた感じの表情をしていましたが、外出自体はとても楽しみでワクワクすると言っていました。トラブルなくこの日を迎えられて良かったです。日頃からきめ細かなケアをしてくださる看護師さんや先生方には本当に感謝です時間になり、介護タクシーの方が病室まで迎えに来てくださいました。外に出ると天気は快晴でした妻は様々な感覚が鈍っているので
今日は退院後初の外来受診でした。まずは採血ですが、妻の場合いつもこれが一苦労。血管が細いらしく、何度も針を刺し直すことも。痛みに弱い妻は大の苦手で、朝から緊張していました今回は2回目で何とか成功。他の方のブログを読んでいると、こういう時に嫌な態度を取られて…というのをお見かけする事もありますが、お世話になっている病院ではどなたもとても親切で、本当にありがたく思っています。採血の結果で、リムパーザの治療が再開できるかが決まるのですが、その結果はというと、HGB:
その日は土曜日で、診てくれる病院は限られていたが、午前中の診療にギリギリ間に合う初診の整形が見つかり、主人は急いで息子を連れて行った。2人はなかなか帰って来なかったがその時間は私にとって主人に対する怒りを落ち着かせるのに有用だった。今思えば、息子の心配よりもそんな事に時間を使っていた自分の愚かさに「お前は母親失格だ!」いや「人間失格だ!」と罵声を浴びせてやりたい気持ちに駆られる。すっかり日が落ちて辺りが暗くなったところでスマホが鳴った。主人からだった。「ごめん、連絡遅
間質性肺炎のなみちゃんです。今日は親友のチョコ(チワワ)と二人で冒険に来ました。車で20分くらいの所にあるカフェです。車が運転できないのでタクシーチケットを使いました。障がい者手帳を持っているので自治体から貰えました。(でもほんの少しです、うちの自治体財政難なのかな)。これは身体でなく精神の方です。もう15年以上、うつ病と不眠症を患ってるので取ることが出来ました。うつ病の原因はハッキリしています。カサンドラ症候群。まだまだ認知度が低いし理解されにくい病気?です。またそれはいつかお話
正月が明けそうになるといつも私の誕生日がやってくる今日69回目のそれを無事に迎えることができた前立腺がんにかかってから5年こんなに生きられるとは思っていなかったいろいろあるけど幸せな闘病生活だ神に感謝医療に感謝家族に感謝友人に感謝ともに歩むブログの皆さんに感謝です今夜のおかずはスパゲッティポロネーゼというやつこれってずいぶんピリ辛だねって妻に言ったらそれはタバスコの掛けすぎよ全然辛くないわだって確かに最近はいろいろな調味料を掛けすぎているかもしれない酢も米
実は乳がんの告知を受けた日は妻の誕生日前日でした。誕生日は元々ホテルに一泊してお祝いをする予定で、複雑な心境はありましたが子供たちにはまだ何も話さず、予定通りお祝いをしました。この時、明示的にそういう話をしたわけではありませんが、この時から今までずっと「闘病中でも楽しみは一杯あるし、人生を楽しむことをやめる必要はない」というような共通認識が、私と妻の間でできていたように思います。
1月4日えっ令和7年?2025年?なるほど・・そんなお正月を過ごしています新しい薬が見せてくれる、初めての世界に驚きと絶望と安堵と不安と迷い・・そして人生は最後まで修行なんだ、と学びながら2025年も自分らしく生きたいと思います弁当屋に頼んでいたオードブルで年を越し2日連続で消費した豚汁と出前で新年さすがに・・1度くらい餅でも食べなきゃと孫4の幼稚園の餅つきのおすそ分け餅を3日目の豚汁に入れて「お雑煮」のつもりお爺さんの二人暮らしみたいな現在の
元フジテレビアナウンサーの渡邊渚さんが、自身のサブスクリプションサービスを開始しました。昨年7月から体調不良で療養していた渡邊さんは、8月23日にフジテレビを退社し、9月1日には「やりたいことを先延ばしにせずやる」「自分が幸せと感じることを優先する」と投稿していました。10月1日、渡邊さんはインスタグラムのストーリーズで「WATANABENAGISA_にサブスクリプション登録しよう」とファンに呼びかけました。サービス内容は「サブスクリプション登録者バッジ」「限定コンテンツ」「ソーシャル
胸の痛みが増してきている中、一刻も早く治療を開始するため病院選びは急務でした。私は、紹介状を書いてもらう、と言うと、クリニックの先生におススメの病院を紹介してもらってそこに行く、というイメージを持っていたのですが、私たちの場合は自分たちで病院を選んでそこ宛ての紹介状を書いてもらう、という形でした。クリニックの先生からは、まだまだ若くて体力もあるから、通いやすさというよりはしっかり治療ができるところという観点で考えた方が良い、とアドバイスを頂いていました。病院選びに際しては、実に様々
今日は入院していた時から楽しみにしていた息子の運動会、心配していた天気も快晴、申し分ない日となりました娘と、手伝いに来てくれている私の母の4人で応援に行きました。学校側にも事前に確認していたのですが、快く車いすでのグラウンドへの立ち入りを受け入れて頂き、大変ありがたかったです。運動会は学年別に時間が分かれていて、保護者は自分の子の学年の分を見たら帰る、というスタイルで、コロナ以降今どきはこんな感じなんでしょうか。私たちが子供のころは、運動会と言えば一日がかりのイベントでしたが
母の腰痛の原因は末期の肺癌による骨転移だった。余命宣告を受けた前年の秋頃から母は腰が痛いと言っていた。私が結婚して以来、毎年暮れになると私達夫婦は母を東京の自宅に招いた。まだ小さな子供たちを連れて、築地の寿司屋に連れて行くのが恒例だった。最後になってしまった2016年暮れも腰を痛がってはいたが数年前に植木の剪定で脚立から落ちた母は「あの時に痛めた腰が季節の変わり目で痛み出したんだと思う。大丈夫。」と言って楽しそうに上京してくれたのだった。ただ、思い返せば、母の身体はそ
最初に乳腺クリニックを受診してから約一か月後、大病院での初診となりました。最初に胸の痛みを感じた2022年のクリスマスから考えると、約1.5か月になります。大きな病院だとそんなものなのかもしれませんが、とにかくこの待ち時間は長く感じました。その間にも妻は明確に胸の痛みを感じるようになってきており、毎日気が気でありませんでした。実績も豊富で体制も整った大きな病院で治療を受けたい、だけどそういう病院だと待ち時間が長くなる傾向がある、そんなトレードオフに葛藤を感じていました。さて
ありがとうございました!2023年7月5日0時38分「さだ」こと、私、貞苅早苗は、永眠いたしました。2022年8月9日の初診から、始まった子宮体がん(子宮がん肉腫)の闘病生活も終わりました。手術に抗がん剤、介護保険を使っての在宅医療。日々のいろんなこと、思ったこと、考えたことを気の向くままに綴ってきましたが、これが最後の投稿になります。治療方法も、ホスピスも、葬儀も、お墓も全部、私が決めてきました。身近な家族は、そんな私についてこれずに戸惑いも多く、心配したことだ
結果待ちの間は何とも言えない気持ちで過ごしました。特に、徐々に痛みも増していっているということで、不安を掻き立てられました。妻はこの時を以下のように振り返っています。検査結果待ちの間、胸の痛みは増していて、痛みどめを飲みながらの生活になった。痛みで仕事が辛いときもあったが職場にはまだ言えず。自分の状態については大丈夫なケースもあるだろうが、胸の張りから考えてステージ2~3くらいがありえるかなと思っていた。緊急手術など、怒涛の勢いで物事が決まって、何がなんだか分からない、とな
母の葬儀を終えた私たち家族は那覇の自宅に戻った。引越してからの私は母を思って毎日泣いてばかりだったが沖縄の豊かな自然と、そこで出会った方々に魂ごと支えてもらっていた。母は海が好きだった。一度も叶うことはなかったが沖縄にいる私たちに会いに来る事を楽しみにしていた。私は引越した当初から、この地が放つ何か大きな力に圧倒されていた。特に那覇から南側には足を運ぶことさえ出来なかった。どういう訳か息が苦しくなるのだ。母の四十九日が過ぎた所で1人の女性に出会った。彼女は子供た
毎年夏休みらへんからブログを書かなくなることが続いてはいるのですが今年ブログを書かなかったのは、ばあちゃん(娘にとってひいばあちゃん)の闘病とびゅーんと新しい世界へと旅立ったことで忙しかったのですこのブログでも何回か登場しているばあちゃん、83歳ですでにあの世にいるじいちゃんとの再会となりました病は突然ですね「なんかばあちゃん足むくんでない?」ということで、病院へとGOだったのですが、最初はかかりつけ医の先生も「年だからそれくらいむくむ」って言い方だったのです
2024.7/4白血病と告知されて今日で2年。ベッドから離れて生活出来るようになってからもう4ヶ月たつのに、なかなか体力が戻らなくて困ってる。ちょっと疲れやすい。2〜3時間の外出でもぐったり疲れて、ベッドに倒れ込んだら3時間後にワープしてる。この感じが白血病が発覚する頃の自覚症状にちょっと似てるな…。1年半以上ほとんど身体を動かすことが出来なかったせいで、身体中至るところの関節が固くなった。特に足首が固くなったせいで正座やしゃがみ込みが出来なくなったけど、これに関しては4ヶ月かけて