ブログ記事2,609件
前回同様に、平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。今回は兜の𩊱(しころ)についてです。𩊱(しころ)は兜鉢の腰巻から垂れ下がり後頭部と頸まわりを覆うもので、ほとんどが革札で、一部鉄札を用いることがあります。平安
大鎧は日本史上最も軽い鎧大鎧は日本史上最も軽い鎧、と言い切ってしまうと大変な語弊はあるものの、平安時代の鎧についてのあれこれ(1)に記載したとおり、少なくとも奈良時代後期の光仁天皇や桓武天皇が国家的に革製の鎧兜をつくらせて以降、挂甲や短甲よりもずっと軽い鎧として大鎧が出現したことは間違いありません(『続日本紀』)。挂甲や短甲など重装歩兵が蝦夷(阿弖流為)にこてんぱんにやられて以後、蝦夷(俘囚)によって弓馬戦法とともに騎馬用の革製鎧がもたらされていきました。大鎧の実態は重装歩兵をやっつけたロ
源平合戦(平安時代後期)のころの鎧兜をつくろうという方向けのブログ。なかなかこういったニッチな分野はネットで詳細が出てこないものなので、鎧兜をつくる指導を行っている者として、最低限知っておかなければならないことを後世に向けて少しでも書き残していこうとはじめた「平安時代の〇〇についてシリーズ」も鎧・兜・烏帽子につづいて、今回いよいよ絵韋(えがわ)についてです。絵韋は、画韋とも書きます。鎧兜の革所(かわどころ)に張られた鹿などの皮革(ひかく)のことで、時代によって傾向はありますが獅子や牡丹、不
前回同様に、平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。今回は縅毛の色目についてです。死に装束としての鮮やかさ縅毛の色目は、赤・紺・白・紫・萌黄・浅葱・茶・薄青などの色絲が一般的です。色目には一部の色を変える
前回同様に、平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。今回は立物(前立)についてです。平安時代の兜(遺物)には1つも鍬形はついていない立物の1つに鍬形および鍬形台があり、兜の正面に掲げる一双の角状の立物のこと
鎌倉子ども源平合戦、今年も正式に開催が決まりました!5月5日(日)こどもの日、10時から片瀬山公園にて開催です。参加申込始まりました。ぜひぜひご応募くださいませ。✉info@izakamakura.jp①名前、②ふりがな、③郵便番号、④住所、⑤電話番号、⑥年齢(子どもの場合)をご記載の上お申し込みください。先着500人まで(事前予約者優先)参加費無料協賛□かまくら主婦’sネットワーク長尾直美□石井真由子□大船観音寺□佛日庵□永墓正寿□伊豆の国市劇
烏帽子(えぼし)は、冠(かんむり)と同じく頭巾(ときん)という羅(うすもの)でできた薄い布の袋でできていました。羅(うすもの)とは絡み織(からみおり)をした目の粗い絹織物のことで、絹で織った網のような薄い布のことです。羅は元々は「鳥や小動物を捕獲するための網」という意味でした。4世紀前半に中国から渡来し、飛鳥時代には国産品も製作できるようになっていましたが、応仁の乱のころに技法の継承が途絶えたとされています。公家や侍(仕える下級貴族)たちの日常のかぶり物として徐々に庶民にも広まっていき、
今回から平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。小札の大きさは時代によって異なる小札は時代によって変遷していきます。平安時代初期、平安時代中期、平安時代後期、鎌倉時代前期と必ずしも明確に異なるわけではありませんが
紙でつくる大鎧(夏休みの子ども工作)#夏休み#小学生#小学校#親子で#子ども#手作り#工作#宿題#クラフト#ボール紙#自由研究#鎌倉#鎌倉らしさ#伝統#大鎧#鎧兜鎌倉といえば「武家の古都」鎌倉らしい自由研究に、源平合戦期の鎧兜を親子で作る、いかがでしょうか!?10歳の子どもが実際に着用してみるとこんな感じです。鎧立にかけてみるとこんな感じです。ペラペラの紙ですが、それなりに格好よくできてますよね。肩上(わたがみ)に障子板(しょうじのいた
実はそれがしも子どものころからずっと座右の銘にしてきたこの最後の一文「一期は夢よただ狂え」は、ビジネスなどでもよく座右の銘にしている方を見かけます。真の意味を知っている人は少ないようです。『閑吟集』は恋愛をうたったものが多く、この節も例外ではなく、真の意味を知ったら、ほとんどの方が座右の銘にはしないかもしれません。あ、逆に真の意味を知って、あえて座右の銘にする方も続出するかも…???『閑吟集』夜中は地櫓裏に巣刳るちろりちろり何と裳男矢綯う何ともなやなう浮き夜は夫婦
津波(河川遡上)津波で鎌倉も大船ものみこまれる。と、思っているのは私だけなのだろうか。最近、鎌倉市内の津波ハザードマップ、洪水ハザードマップ、土砂災害ハザードマップなどを見ていて、プロがつくっているのだから、正しいデータに基づいてつくられているのだろうけど、どうも信じられない。鎌倉市にはなぜ河川遡上を踏まえたハザードマップがないのだろうか。滑川をはじめ鎌倉にはいくつもの河川がある。河口から河川に侵入した津波が、1mの津波でも5kmは遡上するといわれている。河川を遡上する津波は伝播速
5月5日(日)、鎌倉子ども源平合戦を開催いたします!10:00~12:00受付は9:00から場所は片瀬山公園※駐車場はありませんので公共交通機関でお越しください。※路上駐車はできません。※道具の数に限りがありますので予約者優先となります。子どもから大人まで参加できます。参加費は無料です。(たまたま公園にいた子どもも一緒に遊べるように無料にしております)最大500人まで事前申込info@izakamakura.jp宛に、①参加者氏名、②お子様の年齢、③住
烏帽子のルーツは古代中国の頭巾烏帽子(えぼし)は、冠(かんむり)と同じく頭巾(ときん)という羅(うすもの)でできた薄い布の袋でできていました。羅(うすもの)とは絡み織(からみおり)をした目の粗い絹織物のことで、絹で織った網のような薄い布のことです。羅は元々は「鳥や小動物を捕獲するための網」という意味でした。4世紀前半に中国から渡来し、飛鳥時代には国産品も製作できるようになっていましたが、応仁の乱のころに技法の継承が途絶えたとされています。※古代中国では、冠や烏帽子(烏帽子の起源とされる