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遺物がありませんので全ては『平治物語絵巻』『蒙古襲来絵詞』『後三年合戦絵詞』『軍用記』『武器袖鏡』などに描かれた貫(毛靴)からの推測となります。笹間良彦氏によれば、履物は、古墳時代や奈良時代には身分の高い者が履いており、下級の者は裸足であったそうです。埴輪の履いている沓などから古代の履物が推測できます。かなり後世までは裸足だったようで足の裏は相当丈夫だったようです。平安時代以降、俘囚の文化が入ってきて以降は、鹿や猪などの皮(革)でつくった沓、貫(毛沓)が使用されたとされています。狩猟用で
地理院地図1894~1915年地理院地図1928~1945年消えた鎌倉の河原片瀬川から村岡川(現在の境川)流域に、南から川名(かわな)、河原(かわら)、大鋸(だいぎり)と川沿いにつづいています。相模国鎌倉郡村岡郷河原、現在の神奈川県藤沢市大鋸1丁目から藤沢市弥勒寺1丁目にかけての一帯です。『相模国鎌倉郡村誌』の弥勒寺村の項には「元標は弥勒寺村の西の方、小名河原(かはら)なる藤沢鎌倉間の往還と里道との三辻にあり」と記されています。『地理院地図』1894~1945年に確認できる「河原
もう10年近く、直垂を普段着のようによく着てきて、ずっと疑問に思っていたことがある。古くから狩衣と同じように庶民の服、つまり活動着として用いられてきた直垂。にも関わらず、とにかく動きにくい。どうもおかしい。・狩りをする上で矢を射る・騎射するために乗馬する・戦うために鎧を着用する・農作を行うなど、普段着として着用されてきたはずだが、どうも動きにくいので調べてみた。結論からいうと、巷で販売されている直垂(鎧直垂)の類は、鎌倉時代後期以降の礼服化した後の直垂であって、決して活動
鎌倉氏の家紋について、平良文を祖とする桓武平氏鎌倉氏族の鎌倉氏をはじめ大庭氏、豊田氏、俣野氏、梶原氏、香川氏、長尾氏、長江氏などの家紋を記す。平良文の家紋「月星」紋平良文は仁和2年(886年)生まれ。「平将門の乱」においては、甥の平将門に与して戦い、北斗七星の化身である妙見菩薩の加護により危機を脱したことから妙見を守護神として崇めたこと(北斗信仰・北辰信仰)にちなむ。鎌倉氏の家紋「丸に梅鉢」紋「丸に違い矢」紋「丸に抱き茗荷」紋『都道府県別姓氏家紋大事典』によれば
今回から平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。小札の大きさは時代によって異なる小札は時代によって変遷していきます。平安時代初期、平安時代中期、平安時代後期、鎌倉時代前期と必ずしも明確に異なるわけではありませんが
2022年6月12日(日)に放送された大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第23回の感想です。完全ネタバレなので、ご注意ください。NHK出版ガイドブックなどを補足で参考にいたします。第23回「狩りと獲物」なお、キャストの順番は以下の通り。北條義時(小栗旬)、北條政子(小池栄子)、北條頼時/北條泰時/金剛(坂口健太郎)、北條時連/北條時房(瀬戸康史)、比奈(堀田真由)、畠山重忠(中川大志)、源頼家/万寿(金子大地)、大姫(南沙良)、安達盛長(野添義弘)、源範頼(迫田孝也)、工藤祐経(坪倉
鎌倉子ども源平合戦、今年も正式に開催が決まりました!5月5日(日)こどもの日、10時から片瀬山公園にて開催です。参加申込始まりました。ぜひぜひご応募くださいませ。✉info@izakamakura.jp①名前、②ふりがな、③郵便番号、④住所、⑤電話番号、⑥年齢(子どもの場合)をご記載の上お申し込みください。先着500人まで(事前予約者優先)参加費無料協賛□かまくら主婦’sネットワーク長尾直美□石井真由子□大船観音寺□佛日庵□永墓正寿□伊豆の国市劇
前回同様に、平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。今回は草摺についてです。平安時代後期に前後草摺の四段が出現する草摺(くさずり)は通常前後左右五段ですが、平安時代後期にかけて草摺の前後四段・左右五段が出現
4月25日(木)14:30から村上邸にてトークライブ#路地フェス#石倉正英#鎌倉智士#鎌倉路地フェスタ拠点7#村上邸(旧村上邸-鎌倉みらいラボ-)#紅月劇団の石倉正英さん#大蔵頼朝商店会の大友友美さん三者会談(トークライブ)協力#株式会社グッドネイバーズ能舞台という貴重な場で開催いたしました路地フェスはまだまだ続きます!4月27日(土)と28日(日)が本番とのこと!ぜひぜひ路地へ遊びにいらしてくださいね!主催鎌倉路地フェ
1年半着続けてくれた武者カーネル、鎧はいい感じに色あせ、カーネルおじさんだいぶ汚れていましたので雑巾でゴシゴシとお掃除。壊れたところなどを補修して、また再度着せ付けて完了です。いつまで着続けてくれるかな。カーネルサンダース像鎌倉武士化プロジェクト完結いたしました。#武者カーネル毎年5月5日こどもの日には日本KFC全店でカーネルサンダース像に鎧をつくって武者カーネルを飾ります。そこで、今年はぜひとも鎌倉もののふ隊でつくらせていただきたいと申し出たところ、本社からご承
実はそれがしも子どものころからずっと座右の銘にしてきたこの最後の一文「一期は夢よただ狂え」は、ビジネスなどでもよく座右の銘にしている方を見かけます。真の意味を知っている人は少ないようです。『閑吟集』は恋愛をうたったものが多く、この節も例外ではなく、真の意味を知ったら、ほとんどの方が座右の銘にはしないかもしれません。あ、逆に真の意味を知って、あえて座右の銘にする方も続出するかも…???『閑吟集』夜中は地櫓裏に巣刳るちろりちろり何と裳男矢綯う何ともなやなう浮き夜は夫婦
津波(河川遡上)津波で鎌倉も大船ものみこまれる。と、思っているのは私だけなのだろうか。最近、鎌倉市内の津波ハザードマップ、洪水ハザードマップ、土砂災害ハザードマップなどを見ていて、プロがつくっているのだから、正しいデータに基づいてつくられているのだろうけど、どうも信じられない。鎌倉市にはなぜ河川遡上を踏まえたハザードマップがないのだろうか。滑川をはじめ鎌倉にはいくつもの河川がある。河口から河川に侵入した津波が、1mの津波でも5kmは遡上するといわれている。河川を遡上する津波は伝播速
5月5日(日)、鎌倉子ども源平合戦を開催いたします!10:00~12:00受付は9:00から場所は片瀬山公園※駐車場はありませんので公共交通機関でお越しください。※路上駐車はできません。※道具の数に限りがありますので予約者優先となります。子どもから大人まで参加できます。参加費は無料です。(たまたま公園にいた子どもも一緒に遊べるように無料にしております)最大500人まで事前申込info@izakamakura.jp宛に、①参加者氏名、②お子様の年齢、③住
烏帽子(えぼし)は、冠(かんむり)と同じく頭巾(ときん)という羅(うすもの)でできた薄い布の袋でできていました。羅(うすもの)とは絡み織(からみおり)をした目の粗い絹織物のことで、絹で織った網のような薄い布のことです。羅は元々は「鳥や小動物を捕獲するための網」という意味でした。4世紀前半に中国から渡来し、飛鳥時代には国産品も製作できるようになっていましたが、応仁の乱のころに技法の継承が途絶えたとされています。公家や侍(仕える下級貴族)たちの日常のかぶり物として徐々に庶民にも広まっていき、
烏帽子のルーツは古代中国の頭巾烏帽子(えぼし)は、冠(かんむり)と同じく頭巾(ときん)という羅(うすもの)でできた薄い布の袋でできていました。羅(うすもの)とは絡み織(からみおり)をした目の粗い絹織物のことで、絹で織った網のような薄い布のことです。羅は元々は「鳥や小動物を捕獲するための網」という意味でした。4世紀前半に中国から渡来し、飛鳥時代には国産品も製作できるようになっていましたが、応仁の乱のころに技法の継承が途絶えたとされています。※古代中国では、冠や烏帽子(烏帽子の起源とされる
前回同様に、平安時代の鎧兜と鎌倉時代以降の鎧兜の違いについて1つ1つ紹介していきたいと思います。一括りに大鎧をつくるといっても平安時代初期なのか中期なのか後期なのか、あるいは鎌倉時代のものなのかなど時代によって少しずつ異なるので、自分自身がどの年代のものをつくるか、そのためにはどうしたらよいのかの1つの目安になるかもしれません。今回は縅毛の色目についてです。死に装束としての鮮やかさ縅毛の色目は、赤・紺・白・紫・萌黄・浅葱・茶・薄青などの色絲が一般的です。色目には一部の色を変える