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神代(みよしろ)神代の古道を歩く。神代郷「山崎村往古より鎌倉郡に属し神代ノ郷と称しその後北深沢ノ荘洲崎郷といひその境内今の寺分上町屋梶原常盤などの数村に亘れりその後山内荘山崎ノ郷と改称しまた小田原北條氏のときは東ノ郡玉縄領を冠称しあるいは小坂ノ郷内に属せしことありといふ共に年暦詳ならず」と鎌倉郡村誌に記されており、元標は「山崎村中央字前田なる里道の辻にあり」、掲示板は「山崎村中央より稍北方字前田なる里道の傍にあり東北の方台村境なる村口より1町8間を隔つ」と郡村誌に記される。
洲崎(すざき)洲崎の古道を歩きます。洲崎(すざき)須崎・瀬崎とも記す。元弘3年(1333年)5月の鎌倉幕府滅亡の際に新田義貞軍と北條軍北條守時とが激突した古戦場として名高い。地名の由来は砂(す)の崎(さき)で砂州(さす)の伸びた岬という。初見は貞和5年(1349年)成立の「梅松論」で北條守時が武蔵路沿いの洲崎千代塚において新田義貞軍と戦い敗れて自害したと記されている。「太平記」でも洲崎合戦の様子を詳述している。「日工集」永和2年(1376年)1月17日條に「瀬崎の宿屋」とあり、
河原(かわら)河原の旧道を歩きます。河原河原部落は、片瀬川から村岡川(現在の境川)流域に南から川名(かわな)・河原(かわら)・大鋸(だいぎり)と川沿いにつづいている現在の神奈川県藤沢市大鋸1丁目から藤沢市弥勒寺1丁目にかけての一帯をいう(かつては相模国鎌倉郡村岡郷河原)。『相模国鎌倉郡村誌』の弥勒寺村の項には「元標は弥勒寺村の西の方小名河原(かはら)なる藤沢鎌倉間の往還と里道との三辻にあり」と記されている。『地理院地図(1894-1945)』に確認できる「河原」の字はその後忽