ブログ記事2,740件
河原(かわら)河原の旧道を歩きます。河原河原部落は、片瀬川から村岡川(現在の境川)流域に南から川名(かわな)・河原(かわら)・大鋸(だいぎり)と川沿いにつづいている現在の神奈川県藤沢市大鋸1丁目から藤沢市弥勒寺1丁目にかけての一帯をいう(かつては相模国鎌倉郡村岡郷河原)。『相模国鎌倉郡村誌』の弥勒寺村の項には「元標は弥勒寺村の西の方小名河原(かはら)なる藤沢鎌倉間の往還と里道との三辻にあり」と記されている。『地理院地図(1894-1945)』に確認できる「河原」の字はその後忽
小坂(こさか)※現在は「おさか」と訓む。小坂の古道を歩く。小坂郷「かまくら子ども風土記」の内海恒雄氏は本来は「こさか」と訓むという。「新編鎌倉志」「社務職次第」には鎌倉郡谷七郷の1つに小坂郷とあり、遠佐可と訓むとある。室町時代から戦国時代にかけては鎌倉郡の広範囲が小坂郡と称され(鎌倉郡ではなく小坂郡と称され)、山内大船台山崎小袋谷岩瀬笠間長沼上倉田下倉田戸塚矢部常盤片瀬扇谷極楽寺坂ノ下長谷材木座乱橋大町小町雪ノ下西御門二階堂浄明寺十
長尾(ながお)長尾の古道を歩く。長尾長尾台は鎌倉の地名由来辞典によれば古くは台村と称されていたが、慶長年間(1596-1615年)に現地名となり(皇国地誌)、昭和14年(1939年)に長尾台町となった。風土記稿によれば長尾台遺跡は長尾氏塁蹟として伝えられ五輪塔や板碑など中世遺物が発掘されている。相模国鎌倉郡村誌には「長尾臺村支村新田なし長尾臺村古昔本国小坂郡に属し山之内荘長尾郷の内臺村と呼ぶ后ち年号干支未詳鎌倉郡に編貫す慶長年間郷名を冠し更に長尾臺村と称す爾来現今の称を用う