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読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます3.9『4歳8ヶ月(4歳6ヶ月)』3月11日で4歳8ヶ月になります最近ずっと発達記録だけになってますが、娘は元気です〜【口、嚥下、咀嚼】今まで娘が舌を口の中から出したところを見たことが無かった事に、最近気づきました。舌の動きも、嚥下や咀嚼、発語に関わる大切な事なのでここ1ヶ月ほど『舌👅』の動きを出すために色々と試してみましたヨーグルトやアイスなど娘の好きな食べ物を舐め取らせたり、色々真似するようにな
療育センターの先生から(書類)出来上がりの連絡がきたので取りに行って、その足で区役所に申請してきました・身体障害者診断書・意見書(肢体障害用)①障害名:四肢体幹麻痺②原因となった疾病・外傷名:重症新生児仮死、低酸素脳症による脳性麻痺(疾病)原因として、交通・労災・その他の事故・戦傷・戦災・疾病・先天性・その他という項目があり、たまるは先天的な異常はないため疾病に該当しましたが、出産事故なんだから事故が該当しそうな気もするけど、そういうことじゃないんでしょうね。③疾病・外傷発生年月日:平
久しぶりの、東京でゆっくり過ごす週末です!午前中は、0歳から入れるフルートとハープのコンサートに行ってきました。娘は興味深そうに初めての音に真剣に聞き入り、最後のチャルディッシュではノリノリに!大興奮でした。私と夫のどちらに似てもそうなるのですが、娘はどうやら音楽が好きみたいなので、定期的にコンサートに連れて行ってあげたいと思いました。午後は、誕生日1週間前だけどこのプレゼントをあげて、公園で遊びましたよ〜めちゃめちゃ喜んでくれて、笑顔のいい動画も撮れて両親と義母にも送りました〜!↓
↑産まれる2日前に撮ったものです。その日の夜はいつも通りお風呂から上がり36w目のお腹が重たいので椅子に座って化粧水を塗っていました。椅子から立ち上がるとジャーーーっと何かが漏れる感じ。「破水だ!!」そう思って下を見ると床は血の海になっていました。産婦人科では妊娠してから今まで何一つ異常は何もなく、全てが順調でした。臨月も近づいていたので「少しでも出血があれば連絡して下さい」と言われていましたがそれどころではない血の量に震えながら「お風呂から上がったら急に大出血しま
パパママー!今日はM字のあんよもサービスで見せちゃうよ!夫婦で沐浴の日お風呂上がりぐっすり眠るれいちぇるの後頭部を観賞しながら夫婦の時間を過ごしました。お家でしたいものですねぇお風呂に入ると緊張が抜けてうれしいなぁ無防備れいちぇるになってる隙に、ばぁばが作ってくれたにぎにぎを装着!まだ試作品。ばぁばもひぃばぁばも、針仕事がとっても得意なのに、なぜかママはデキナイんだーボタン付けが限界はい、ワタクシ、裁縫で困った時はお母さーーーーーん!!と泣きついてやってもらってきた人生です。のび
心配していたミルクの逆流。ほぼ毎回起こるようになってしまっているお腹が空いてご機嫌ナナメでジタバタした状態から↓ミルク注入↓ミルク逆流↓本人もびっくりで筋緊張↓さらに逆流↓吸引↓ミルク注入継続↓ミルク逆流…これをずっと繰り返してました。悪循環の極み。吸引はひたすらミルクが引ける引ける。これ、分泌物じゃないね。ミルクだね。え、これ、次の時間までにお腹空いちゃうよね?13時のミルクからずっと頻脈で。れいちぇるの心臓とか大丈夫かな少し落ち着いた?と思って
れいちぇる、無事GCUへお引っ越ししておりました看護師さん達が事務作業するデスクの真ん前を陣取らせて頂いております。ご配慮ありがとうございますNICUでお世話になった看護師さん達も顔を見に来てくれたり嬉しい限りです特に看護師長さんは普段かられいちぇるより私のことをとてもとても気にかけてくれるんです。今日も声を掛けて頂いて。産後2週間で体重10kg減、面会時の体温が34度台などなど、the不健康!な母親を見兼ねて身体やメンタルの心配をして下さるのですが、母親が入院中の子どもより心配されてち
さて、無事退院の日を迎えることとなりました。今回は特にこれ以上何か感染したりすることもなく、実にすこやかな退院と相成りました。本当にみなさんのおかげです。ときのぶさん、鯉のぼりゲット!そうそう、こどもの日だったんですよね5日は。ですので、我が家でも用意しておりましたよ。2日遅れの菖蒲湯。というか菖蒲シャワーこれで元気にすくすく育つよ。長男も自分からは言いませんが、内心待ちわびていたご様子。ときくんのところに置いていた、こどもの日でばーばがくれたおもちゃ。帰
こまさがお家に帰ってきて2日経ちました。日中はリビングに敷いたベビー用お布団で寝ていて、夜は寝室で親子3人川の字で寝ました。いつもは電気は全部消して寝る派ですが、こまさが隣に寝てるとなると、もったいないので、豆電球(?)をつけたまま寝ました。オレンジ色の光の中横を向くとこまさの横顔があって、あぁ幸せだなぁって思って眠りにつきました。昨日今日と。もともと、目を開けたり、動いたりすることのないこまさだったので、家に帰ってきて横になっている姿は呼吸器や経管チューブがついていないだけで生きてた時
2023年4月、三男は重症新生児仮死で産まれてきました。そんな息子について綴っていきます。前回から少し間があいてしまいましたが、我が家の三兄弟は変わらず元気に過ごしています次男がインフルエンザBと溶連菌に同時にダブルで罹るということもありましたが、家族にうつることなくやり過ごすことができました。もう3月も終わりになりますが、今月初めに産院でのフォローアップ健診に行ってきました久しぶりに主治医の先生とお話ができるとわたしも楽しみにしていました。当日は体の様子や動き方を触って確かめても
出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日6:30起床。とっても軽い生理痛のようなものを感じ、これは前駆陣痛ってやつなのかな??そんなふうに思いながら一応間隔を測る。間隔6〜10分…痛くないけどすでに10分を切る。ひとまず朝ごはんを食べたり、いつも通りにすごしてみるけど間隔が短いことが気になり出す。11:00母から電話。私の夢を見たから電話してみた。と。母は時々私が夢に出てくると電話をしてきます。間隔
さて入院から6日が経過しました。病棟ではRSウイルス患者がかなり増えているんですって。看護師の中では「絶対にときくんに伝染してはならない!」と、バックヤードにでかでかと掲示しているそうです。ありがたいなぁ。そんなみなさんのおかげで今のところなんの感染もなく、ときのぶさん非常に落ち着いておられます。ちなみに病室が我が家では「VIPルーム」と呼んでいる、ナースステーション目の前の、病状が悪化した時に入る部屋だったのですが、本人がどうこうではなく周りと隔離してくれたんです
続き、出産③出産した日を思い出すと胸が苦しくなります。出産って奇跡。あの日を振り返って綴りたいと思います。2023年8月29日もうその後の時間の流れは記憶がありません。静かになった手術室で吐き気のする中淡々と閉腹され、病室へ運ばれました。麻酔で足が動かず、発熱で寒気がある中1人になってようやく何が起きたのか理解しました。夫に送った産後初めてのLINEは“ごめんね”赤ちゃん守れなくてごめんね。夫婦とお腹の赤ちゃんととっても楽しく過ごした妊娠期間。想い出が沢山です。あれだけ元
NICUを卒業する時に看護師の皆さんからの色紙や、ミツキの産まれた時から今までの写真集などをいただきました。これは一生の宝物です。そうだ、ミツキに読んであげよう。ミツキが読まなきゃね!というわけでミツキ昨日から転院してまして、転院してはじめて知ったのが「発作」というものがすごく起きてたらしいです。ビクッ、ビクッ、となって目が上転する。これはNICUでも見てたのでミツキが起きてる時の普通の姿だと思ってたのですが転院先の看護師さんたちはコレの時間を測ったりしてて、「発作が15分間も続
生きる意味もうないさえに会いたいただただそればかり。かろうじて生きるのも疲れる。自ら死を選ぶことはないけど積極的に生きる気もない。でもなにせ丈夫な体の私。中途半端な不調はいっぱいなのに生きるのに支障のない丈夫な体。ほんとさえにあげたかった会いたい。今どこにいるの会いたい
転院してから毎日慌ただしくとてもたくさんの検査をしてもらっています。そして脳波の検査を受けたあとに医師4人と看護師長さんと私たち夫婦とで別室で話し合いを行うことになりました。そこでミツキの今の状態をとても細かいところまで話してくださいました。脳波の荒れに荒れた波形を見せられて「ウエスト症候群です」といわれました。ミツキの全身をビデオ撮影しながら少し長い時間での検査だったのですが脳波の波形の1ページが10秒間あって、端から端までの波形すべて荒れていて、その状態が検査の最初から最後までずっ
先回の日記で酸素の値が30%まで下がったというエピソードをご紹介しましたが、これは妻が体験したものでして、私はその時寝てるターンでございました。で、昨日の25日木曜日の朝、私のターンでもタン詰まりのようなことが起こりまして、酸素が30%台まで落ちました。顔色悪くてくちびる真っ青。急降下するサチュレーション。吸引の手震えますね。というか、初めてアンビューバックを使用しましたよ。病院にいるころ、緊急時の対応の練習で何度かやってみたアンビュー。使用する事あるのかな?と思ってました
パパママがずっといるー!わあー!先日、長時間面会なるものが開催されました。12時半から20時まで。飲み物とトイレ休憩のみ、基本ベッドサイド。カーテンで仕切られて生命に関わらない限りは基本パパママだけで過ごす。院内外泊の前段階といった具合です。わりと長めに面会してるタイプなのでいつもと変わりなく。しいていうなら、れいちぇるが不調の日だったので落ち着かなくてあっという間に終わりました最終的にはダイアップに頼り、おねんねした頃に退室。うんちをちびりちびり出されて何度も入れ直し、“う
2023年4月、三男は重症新生児仮死で産まれてきました。そんな息子について綴っていきます。4月に入り、あっという間に下旬にさしかかろうとしています。昨年のW入学&入園に比べると落ち着いていますが、それでも新年度はバタバタしますね💦ようやく一息ついてきたところです。この4月から、三男は保育園に通い始めました🙂近くでみていたい気持ちも強かったのですが(出生時のこともあり、なおさら)、どうしても育休中に勉強をしたく、預けることにしました認証保育園に、1年だけお世話になります。その後は復職と同
はじめまして。れいちぇるママですこのブログでは、愛息子れいちぇると新米パパママの日常や思う事を綴っていきたいと思っています。不妊治療の末に授かった子どもは重症新生児仮死で誕生し、低酸素性虚血性脳症で医療的ケア児となりました。重症新生児仮死?低酸素性虚血性脳症?医療的ケア児?えぇーーーっ出産以降、初めて耳にする単語のオンパレードに震えて、検索魔になったり、涙が止まらなかったり。が!愛息子に触れる度に強くならなくちゃ!!と自分を奮い立たせる毎日です。(まだまだブレる時もあります)
12月半ば頃から?ギャバロンが始まった頃から?頻脈+高熱、もっと悪いとサチュレーション下がったり不眠で。ダイアップのお世話になることが多くなって以来、なんとなーーく気付いてた。1月退院するイメージが湧かない目標!って言ってたのに、なんか手応えないそれでも看護師さん達が1月退院に向けて色々してくださるので私もそういうもんだと思ってたけど…1月中は難しいです。と、主治医では無い先生(一応チームの先生)から言われたらしい、パパが。がーん。だけど、なんかそんな気がしてたーこの、お薬調整が
2015年10月28日、伊吹がこの世に生まれてきてくれた日。大きく運命が大きく変わった日。一生忘れる事はない一日です。正期産まであと3日の36週4日、伊吹は常位胎盤早期剥離による緊急帝王切開で生まれました。“新生児重症仮死”妊娠経過も本当に順調なまま臨月に入り、まさかこんな事が起きるなんて、1ミリたりとも思ってもいませんでした。初めの2日間は気が狂いそうになったかと思えば、生きる気力を失ってしまったり。笑える日なんてこのまま一生やって来ないと思いました。だけど、伊吹が生まれて
11月25日はとてもよく晴れた日でした。親子3人川の字で寝た3晩。朝早く起きてこまさをリビングに運び、体をお湯で湿らせたタオルで丁寧に拭いて、旅立ちの支度です。服は色々迷ったけれど、ハーフバースデー、お正月、こどもの日と散々着倒した袴風ロンパースにしました。1年も前の服なのでパンパンでした。こまさ、成長したねぇ。私は火葬は夫婦二人でやりたいと思っていましたが、葬儀もやらないので火葬位は参加したい、納棺にも立ち会いたいとの夫の親族らの希望により、夫の親族も朝早く家に来て、一緒にこまさを
こんばんは、泣き虫パパですいつもブログを読んでいただき、励ましのお言葉や色々なアドバイスをいただいた方ありがとうございます今日は娘の手術(喉頭分離)ついて書かせて頂きます。娘の胃の手術が決まり、一緒に気管の手術をするかどうかの選択を今年の2月頃小児科の先生から迫られました。気管の手術は説明するのが難しいですが、口鼻から肺と胃まで伸びている気管を分離して、口鼻から胃へ伸びる管と喉から肺へ繋がる管をそれぞれ1本ずつ作ってやることで口や鼻からの唾液や痰などが肺に流れ込むことが無くなるので誤嚥
10/24の22:45にみっちゃんは一生懸命に生き抜いてくれて息を引き取りました。生後6ヶ月と8日の短い命だったけど、人生34年生きた私でも経験したことのないたくさんのことを経験して乗り越えて、私の大先生で大先輩で尊敬のかたまりの存在でした。最期は眠るように苦しむことなく楽にお空のお星さまになりました。みっちゃんは産まれた時から「いつ何があるか分からない。」と先生に伝えられていたので、長くない命だということは分かってました。だからこそ生きてる時間は1日のたった1秒でも長くそばに、後悔のな
日にちがかなり空いてしまい…いつのまにか夏休みも終わりましたね。2019年7月31日はひかたん2歳のお誕生日でしたみんなでお祝いしましたひかたんのバースデーケーキはマンゴータルトですひかたん喜んでくれてるかな??でもね。やっぱりひかたんがいないのは寂しい。ひかたんが喜んでくれると思って、やってることは少し辛くもあり…。ひかたんがいない現実はやっぱり辛いものです…。ひかたん2歳。どんな子になってたのかなーこれはいつになっても考えてしまいます。でもこうしてブログを書く
読んで下さる方、いいね!して下さる方、フォローして下さる方、ありがとうございます3.11『産科医療補償制度【結果】』ついに、3月9日に届いた産科医療補償制度の審査結果通知書を開封しました。結果は『補償対象』となりました正直な感想は、ただただビックリですそして、色々と大変だった申請を思い返して報われた気分と、娘にもっとお金をかけてあげる事が出来る事への安堵ですリハビリに通っている発達センターの先生には『歩けるから多分ムリかな?』みたいな反応をされていましたし、最初の頃に診ていただ
産後の約1週間の入院期間は地獄でした。コロナのせいで、夫であろうが誰であろうが面会は完全禁止だったのです。初めの2日間は個室だったので寂しくなったらすぐ夫に電話できたのですが、3日目からは大部屋に移されたので赤ちゃんの泣き声や、出産を控える幸せそうなお母さんたちに囲まれて、毎日毎日枕に顔をうずめて声を押し殺して泣いて過ごしました。一生分泣いて泣いて泣いて泣きすぎて目が開かなくなるほど泣きました。帝王切開後の体はというと、私の場合かなりの緊急を要する帝王切開だったので全身麻酔でした。
僕、明日からGCUへお引っ越しします!そうなんです。いよいよ明日からGCUへお引っ越しとなりました…すぐお隣のお部屋なんですけどね…私が1番緊張してます。本音を言えば、GCU飛び級で退院希望でした。GCUって元気な赤ちゃんいっぱいで、そこに放り込まれる感もう、れいちぇるにできる治療はございませんと言われているようなものです。実際そうなんだけど、改めて現実を突きつけられた感じでただ、れいちぇるが退院に近付いてるということでもあるので誠にハッピー在宅看護は不安もあるけど、ママも一緒に
今月の18日でウキちゃん、生後半年を迎える事ができました。まずはウキちゃん、本当に本当におめでとう!!!!!!今もこうしてウキちゃんが生きて可愛いお顔を見せて、柔らかいほっぺを触らせてもらえることはとても尊い事なんだなと思う。幸せな出産のはずが、どん底に突き落とされた気分になったあの日。あぁ、神様っていないんだって思った。目の前の現実に、現実味がわかなくて、淡々と説明される在宅医療という言葉が怖くて怖くて仕方がなかった。先生は何を言ってるんだとさえ思った。逃げ出したいとは思わなかっ