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写経絵の先生、観心寺の住職先生に高野山を案内して頂いた。写経絵一年の総終結、写経絵を高野山奥の院御廟前に奉納する。参加出来た6名の私達生徒と絵のデザインの先生ご夫妻、住職先生と9人で廻った。まずは寶亀院(ほうきいん)私にとっては初めての寺院。先生の計らいでちゃんと予約を入れておいてくださったので、寺院の僧侶さんが付いてずっとご説明くださり凄く良かった。この寺院は弘法大師空海様の衣を約1000年以上もの間、絶える事なく毎年、檜皮色の御衣を大師に献じているお寺である。空海没後86年目に
《新古今和歌集・巻第三・夏歌》284延喜御時、月次屏風に紀貫之みそぎする川の瀬見ればからころも日も夕暮に波ぞ立ちける☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆延喜の御代、月次の屏風に紀貫之みそぎをする川の瀬を見ると、日も、みそぎがすんで着物の紐を結ぶ夕暮で、涼しい波が立っていることだ。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆✴︎✴︎✴︎✴
第60代醍醐天皇の第十四皇子、母は中宮の穏子(藤原基経の娘)で、第61代朱雀天皇の同母弟である。第62代村上天皇の治世では、親政とされたが、実際には政治の実権は、依然摂関家の藤原実頼・師輔兄弟にあった。村上天皇は歌人・歌壇の庇護者であり、琴・琵琶等の楽器にも精通し、平安文化を開花させ、"天暦の治"として後世景仰された。その反面、この時代に外戚政治の土台が一段と固められ、吏治にも公正さが失われ、内裏焼亡をはじめ、数々の災難もあった。村上天皇は在位のまま崩御した(宝算42)。