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「魏志倭人伝」を読んで邪馬台国へたどり着こうと考える人は、必ずこの「一里問題(仮)」にぶつかります。例えば、書かれた行程をたどって九州島の末盧国(まつらこく)へ上陸したとします。次は、末盧国から500里のところに伊都国を探さなければなりません。さらに、伊都国(いとこく)から100里のところに奴国を……。その過程では、1里が何メートルかを決めなければ先に進めないのです。しかし、邪馬台国論争はすでに300年を超えましたが、この最も基本的な「一里問題(仮)」には明確な決着がついていません。「
こんにちは。今日は前からリクエストがあった大宜津比売(オオゲツヒメ)について書いていきます😆わたくしの故郷は愛媛なのですが、生まれてすぐに母が仕事に戻らないといけないため、数か月、母方のおばあさんのうちに預けられておりました。そこから週末はずっとおばあさんちで、こういった生活は小学6年生まで続きました。わたしのルーツはこの祖母の家にあります。ここは古代豪族の忌部氏のルート上にあるところだったのです。忌部氏ってなんだい?というと、「麻」や「粟」を栽培して拡大した祭祀を司っていた一族です
画質が…………。二代目、小野小町の兄、弟が改善され、お通さんが追加され、横山党を具体的にしています。最終形はA0用紙横(今はA1縦)に分かった範疇の系図を組み込んで完成でしょうか!?
こんばんは♪SacredStonesです(*^_^*)寒い寒~い冬・・・のはずが、良い御天気が続いて気持ちの良い空ですね~皆様、いかがお過ごしでしょうか?いつもの冬と違って、暖かい日も多いので、お出かけされる方も結構いらっしゃるようです藤沢駅前は天気が良いと、富士山が綺麗に見えてほれぼれしてしまいます江の島の橋からはもっと綺麗に見えますので、是非是非、お天気の良い日は富士山を探してみてくださいね♪私は最近、先日のバレンタイン期間にお客様にお配りする
今回はあまり見慣れない刀!七支刀について少しだけ、掘り下げていこうと思います。一見すると、コレって・・・。どう使うの?通常の刀に比べ互い違いに刃が出てる変わったデザイン!刀自体手に取った事がある方、少ないかも知れませんがすごく重いんですよ(-。-;刀を振るなんて言葉がありますが、これって口で言うのは簡単で、実際はかなりの筋力がないと正直キツイ!昔のお侍様はこれを振るって戦っていたんだから、考えると驚きです。話しを戻してこの七支刀、通常の重い刀に更に刃が6本出
ネットの文春オンライン記事に歴史学者の桃崎有一郎さんの邪馬台国に関する新説が紹介されている。記事によると、邪馬台国の位置を従来の「倭人伝」ではなく古代中国にあった「礼」という文化の伝播経路を視点に「邪馬台」の読み方(文献史料)から「邪馬台国=奈良県」と結論づけているとのこと。「邪馬台国」の読み方や「臺=壹」の表記の違いの理由、「倭国」の国号表記に対する日中の認識のズレなど生野先生の考察内容をこのブログでも何度か紹介しています。お薦めなのはフォーネット2013年9月号、2020年6月号と
會所神社(會所八幡神社)(よそじんじゃ)豊後国日田郡大分県日田市日高74(P無し、「久大本線」沿い南側の道に路駐したと思います)■祭神仲哀天皇神功皇后応神天皇大足彦忍代別命比佐津媛神卑弥呼の候補とされる久津媛(比佐津媛)を祀る社。「豊後国風土記」には、景行天皇が熊襲征伐の帰りに日田に立ち寄ったところ、久津媛という神が人に姿を変えて現れ、現地案内をしたとあります。これが「日田」の地名由来となったとか。元々は會所山(よそやま)と称される山頂に久津媛神社として、久津媛と景行天
倭人は帯方郡の東南、大海(中国の東方、現在の日本海、東シナ海)の中、島に国村をなして住んでいる。昔は(漢の時代)百国余りの国があった。漢王朝の時代朝見してくる者がいた。今は使役通じるところは三十国である。帯方郡から、倭に行くには、いくつかの道程があるが、その一つ目は、海岸に沿って船で進み、韓国を経て、南、また東と進み其の(東南大海の)北岸にある狗邪韓國に到る。先ずは海を渡ること千里余り。目標は海中に浮かぶ島。對馬國に至る。官は卑狗。副を卑奴母離という。断絶した島で、その面積は一
こんにちは、スタルペスです福岡県みやま市の蜘蛛塚から近くに「権現塚古墳(ごんげんづかこふん)」があります。周りには住宅はなく、田畑の中にポツンと1基だけがある大きな円墳です。直径45m、高さ5.7mの2段築成の円墳です。周囲には幅11m、深さ1.2mの周溝が巡っています。古墳時代中期(5世紀)の築造と考えられています。※権現塚古墳主体部は確認されていませんが竪穴式石室ではなかったかと思います。墳丘は、周囲のどこからでも眺められる堂々とした古墳
今回の四国一人旅、目的の1つが1日目に巡った「段の塚穴型石室」を見たい!というのと、今日アップする八倉比売(やくらひめ)神社古墳群を見たい!というのも大きな目的の1つでしたなぜ八倉比売神社古墳群を見たいのか・・・・邪馬台国四国説卑弥呼の墓そんな伝承があるからです何度か書いたことがあるのですが、個人的には卑弥呼が実在したのか?は否定的です。魏志倭人伝の記述、かなり適当なのに、なぜそこまで信じるんですかね。↑まずは八倉比賣神社の鳥居ここまで来て、ちょっと愕然とし
織田信長:「大倭王朝歷代王」に就いて此處に記載爲る。第貳文明倭國靈團系圖.gsheet第參文明倭國靈團系圖.gsheet天地開闢『日本書紀:卷第壹神代上第壹段本書』年號紀元前壹世紀天地開闢『日本書紀:卷第壹神代上第壹段本書』原文古天地未剖,陰陽不分,渾沌如雞子,溟涬而含牙。及其淸陽者薄靡而爲天,重濁者淹滯而爲地,精妙之合搏易,重濁之凝竭難。故天先成而地後定。然後神聖生其中焉。故曰:開闢之初,洲壤浮漂,譬猶游魚之浮水上也。天地開闢『日本書紀:卷第壹神代上第壹段本
こんにちは、スタルペスです。今日は、福岡県みやま市の田油津姫伝説の古墳に来ています。みやま市瀬高町大字大草字大塚にある「蜘蛛塚(くもづか)」に来ています。※老松神社の敷地内に「蜘蛛塚古墳」はあります。※まずは老松神社にお参り。老松神社の境内にあるこの蜘蛛塚は、田油津姫(たぶらつひめ)の墓と言われています。神功皇后は山門県(やまとのあがた)にヤマトに従わない田油津姫という土蜘蛛の女酋がいるということでこれを討ち果たします。この田油津姫の墓がこの
家康が開いたという関東。しかし、関東は案外栄えていました。邪馬台国は九州に?いやいや、出雲でしょう。あるいは、邪馬台国というくらいだから、そのもの大和でしょう。と、定説は様々です。が、最近こんな説も。邪馬台国関東説。伊勢神宮と似たような東の果てに、鹿島神宮。縄文時代、文化が栄え人口が多いのは東日本。大陸との交流が盛んなのは、実は日本海。そこから関東は近い。伊都国は今の糸魚川。ヒスイの産地。高天原があるのは茨城県。ツケ、ヒタ、ムサ、フサは昔の国名。後に、都に
∀ヤマタイ国≒カレーライス※意味的に手天道衛教・自分神話研究会・383あなたのメンタルヘルスに貢献する。え?なに?そう思いますよね。わが国が、魏志倭人伝に記された国号を精査するとこうなっています。「邪馬台国」。でも、ヤマト=大和=国家のこと。つまりヤマタイ国=国家・国家。カリーは香辛料を使った主に汁ご飯。ナンの場合もあるケド。で、カレーライス=汁ご飯・ご飯。つまり、ダブっている!?手天道衛教はHand-fairymethodEI-kyou=Re
NHKスペシャル『古代史ミステリー』第1集「邪馬台国の謎に迫る」に少しだけ出演しておりました。来週のNHKスペシャル『古代史ミステリー』第2集「ヤマト王権空白の世紀」にも出演予定です。●NHKスペシャル『古代史ミステリー』第1集「邪馬台国の謎に迫る」3月20日(水)23時50分~再放送●NHKスペシャル『古代史ミステリー』第2集「ヤマト王権空白の世紀」3月24日(日)21時~放送https://www.nhk.jp/p/special/ts/2NY2QQLPM
またまた、ロマンを求めて、八倉比売(やくらひめ)神社やってまいりました。さぁ、行きましょう。階段登って行きましょう。そんなに大した階段ではありませんよ。ささっと登れます。すぐに、着きました。この八倉比売神社は、古墳の上に建っております。いいね。そして、ロマンへの入り口がこちらになります。奥社へ行きますよ。円墳(古墳)の上に、五角形の青石祭壇に、石祠があります。円墳(八倉比売神社1号墳)の上にある祭壇が、とても珍しいよう
タイトルの前に^^)今週の虎太郎^^)↓今日は食事風景をパチリ^^)それではタイトルに戻ります^^)関門海峡は九州と本州の間にある海峡で、壇ノ浦の合戦でも知られています^^)諸説ありますけど、ここ関門海峡は「馬関」と呼ばれています^^)以前「山口県防府市の旅」で「おまたのはちまんさま」の記事を書いたときに、「邪馬台国」は山口県西部と書きました^^)なぜ山口県が「邪馬台国」なのか?もちろん理由があります^^)ミネルヴァ書房の「邪馬台国」はなかった古田武
夏休み継続中ですw夏休み中、ずーっと最近話題の阿波古代史に関する動画を観ていました。非常に面白いですね。骨子としては、日本の建国に関わるとされるいろいろな出来事は、全て阿波で起こったローカルな出来事だったということです。それをいかにも日本の広域で起きたことのように、事後にいろいろなランドマークを作ったりして、壮大なドラマとして日本書紀や古事記にまとめたのです。そしてそれがバレないように、四国は歴史から抹殺され、都合の悪い史跡は破壊されたり、縁起が改ざんされたりしたようです。邪馬台国は徳
織田信長:「石巢比古卽位」に就いて此處に記載爲る。第貳文明倭國靈團系圖.gsheet神生み『古事記:上卷』年號不明神生み『古事記:上卷』原文次生石巢比賣神。神生み『古事記:上卷』現代語譯次に石土毘古の王后(王の共同統治者)の石巢比賣神石巢比古が大倭王朝(邪馬臺國)第伍代王に生まれた卽位爲た。國生み『古事記:上卷』年號不明國生み『古事記:上卷』原文次生隱伎之參子嶋。國生み『古事記:上卷』現代語譯次に隱伎之參子嶋石巢比古が大倭王朝(邪馬臺國)第伍代王に生
◯NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集「邪馬台国の謎に迫る」が、昨日2024年3月17日の午後9:00〜午後9:50に、放送された。当古代文化研究所では、事前に、ブログ『NHKスペシャル新シリーズ「古代史ミステリー」邪馬台国の女王』、ブログ『<邪馬台国>吉野ヶ里&纒向遺跡の研究最前線取材で新事実紹介』、ブログ『NHKスペシャル:古代史ミステリー第1集邪馬台国の謎に迫る』、を書いて、NHKの事前予告を案内している。◯これらを見ても判るように、NHKのこの番
『文藝春秋』2024年3月号と『文藝春秋電子版』に歴史学者・桃崎有一郎氏の画期的新説「邪馬台はヤマトである」が掲載されているとの情報を目にした。少し読んでみたら、やっぱりという導入内容。先行論文は検証されたのだろうかとの疑念を抱いた。いわゆる邪馬台国論争(邪馬台国はどこにあったのか、という議論)は、詰んでいる。当時は文字があまり普及していなかったので、「ここが邪馬台国だ」と書かれた遺物が出土する可能性は期待できない。遺跡や遺物は、複数の解釈を許すものしか出土せず、最後は文献の裏づ
鰯の趣味の一つが、妄想(もうそう)。趣味と言うより、癖(くせ)と言った方が当たっている。フォロワーさんのブログを読んでいて、色々と妄想する日々。もしも、鰯と同じ様な人がいたなら。その人は鰯の頭のことを、どう妄想するのだろう。と、妄想してしまう。ある理由(わけ)あって。今、中国の歴史「三国志(さんごくし)」に興味がある。とりわけ、「蜀(しょく)」のことに。とりあえず、入門書を入手。ルビがないので、漢字が読めな
織田信長:「大倭王朝」に就いて此處に記載爲る。邪馬台国(やまたいこく/やまとのくに)は、2世紀-3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合(邪馬台国連合)の都があったとされている。古くから大和国(やまとこく)の音訳として認知されていたが[注釈1]、江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読した[注釈2]ことから「やまたいこく」の読み方が広まった。日本の文献には邪馬台国や卑弥呼の存在は一切記載
ご訪問ありがとうございます。今回は天照大神は卑弥呼なのかという命題についての検証なのですが( ̄▽ ̄;)これについては古くは東京帝大の白鳥庫吉博士や哲学者の和辻哲郎氏が唱えられ、現在では安本美典さんが急先鋒というべき存在ですが、ちょうど理由をまとめておられるのでそれをあげてみましょう。(「BESTT!MES」より転載)天照大御神と卑弥呼「9つの共通点」①女性である②宗教的権威がある③夫がいない④弟がいる⑤『古事記』に記述のある高木神(たかぎのかみ)と『魏志倭人伝』の「女王の
《邪馬台は「ヤマト」と読む》「邪馬台国はどこにあったのか論争」に歴史学者が画期的新説(文春オンライン)-Yahoo!ニュース邪馬台国はどこにあったのか――。古くから続けられてきた論争に決着が付かない理由は、『魏志』倭人伝に記された地理的情報にこだわっていたからだと、歴史学者・桃崎有一郎氏は指摘する。そして、あることに注目news.yahoo.co.jp邪馬台国の台を「ト」と読むことから、ヤマト国に限定した。しかし、仲哀天皇と応神天皇の間の空白の70年が不都合な歴史になってしま
織田信長:「大倭王朝の前王朝滅亡」に就いて此處に記載爲る。第貳文明倭國靈團系圖.gsheet天地開闢『古事記:上卷』年號紀元前壹世紀天地開闢『古事記:上卷』原文次國稚如浮脂而。久羅下那州多陀用幣琉之時。〈琉字以上拾字以音。〉如葦牙因萌騰之物而。成神名。宇麻志阿斯訶備比古遲神。〈此神名以音。〉次。天之常立神。〈訓常云登許。訓立云多知。〉天地開闢『古事記:上卷』現代語譯次に國が未だ若くて固まらず倭國(日本)に發生爲た洪水の被害が未だ收まらず、水に浮いて居る脂の樣な狀態で、くらげ