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はい!奈央です。平原遺跡にやってきました。三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡、そして、その後の王墓(女王墓)とされるのが平原遺跡なのです。王墓・女王墓の存在地続倭人伝HPよりお借りしました。伊都国歴史博物館に再現された平原遺跡1号墳の発掘当時の姿です。この王墓から出土した銅鏡は、直径が46.5cmの日本最大で伊勢神宮のご神体である八咫鏡(やたのかがみ)と同じとの説がある銅鏡も含めて同じサイズの鏡が4枚、そして、大型鏡(直径20㎝以上)6枚、中型鏡(直径20㎝以
邪馬台国論争パプアニューギニア【序】前回の記事で旧唐書が、倭国のある場所として記述する「京師(現在の西安)から一萬四千里の新羅の東南の大海の中」は、現在だとパプアニューギニアおよびビスマルク諸島に該当する可能性があることを見ました。倭國者、古倭奴國也。去京師一萬四千里、在新羅東南大海中では他の中国史書の記述も見てみます。<魏志倭人伝>倭人、在帶方東南大海之中。自郡至女王國萬二千餘里魏志倭人伝では、「倭人は帶方群の東南の大海之中にあって、女王国までは12、000里」
💞💞💞💞💞💞💞💞💞💞💞💞💞💞💞💞で、氣がよく巡ってる人とよく接すること。氣の巡ってない人と接すると氣を持って行かれる笑単純に元気な人、シャンとしてる人、存在感のある人、一本筋の通ってる人、声の大きい人、瞳がキラキラしてる人、そういう感じの人だな。感じいい、感じ悪い、の感覚を大事にするのだ。あなたにとって感じいい、はすなわち、氣がそこにあると思っていい。いろいろ書いたけど氣を求めるのだ。氣はまじで命の基本みたいなものなのだ。氣がなけりゃ願望実現なんてなかなか遠いもんだ。がんばろう
ご訪問ありがとうございます。さて、前回リブログでご紹介した「2人のハツクニシラス天皇」では、九州から来た「神武天皇」と第10代の「崇神天皇」について一人の始祖を分化させた疑いがあるということと崇神天皇は「ミマキヒメもしくはミマツヒメ」のところに婿入りをしてミマキイリヒコになった可能性を考えてみました。しかし、考古学会には神武東征を否定する見解があります。例えば、国立歴史民俗博物館名誉教授の白石太一郎さんは、畿内から九州への土器の流入はあっても、九州から畿内への流入が極めて少な
<金印を墳墓に納めたことが古文書に>全国には卑弥呼の墓とされるものがいくつもあるが、比定するにあたり、重要な三つの条件がある。一つ目に墳墓の径が百歩余り、ということ、二つ目に墳墓周辺から中国(魏)製の三角縁神獣鏡が出土していること、三つ目は当該墳墓周辺や卑弥呼の居住地域に金印がかつてあったこと。全国に卑弥呼の墓と呼ばれるものは多いが、これらの条件を全て満たす地はなかなかない。一つ目の条件はあまりにも有名だから補足する必要もないと思うが、魏志倭人伝には「卑弥呼以て死す、大いに冢(塚)を作る
スタルペスです。お久しぶりです転職してから忙しい日々を送っていてブログのフォローもできない状態がつづいていますが、今日は久々にブログ投稿ができそうです。前回と言っても1か月以上の前からの続きで、今回も唐津市の古墳を紹介します。前回のブログで紹介した「双水柴山古墳群」から少し北に向かったところ、近くには西九州自動車道が通っています。今回もさらにニッチな古墳、「外園古墳(ほかぞのこふん)」を紹介します。圃場整備された農地の中に集落があり、集落内を東西に通る道路際に外園古
『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『天岩戸別八倉比賣神社①』~箭執神社と松熊神社と天手力男の正体~』『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『多祁御奈刀彌神社』~元諏訪とタケミナカタの故郷~』『出張の合間の神社巡り四国編香川県『八坂神社』~牛頭天皇と琉球の繋がり…ameblo.jp『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『天岩戸別八倉比賣神社②』~日の巫女は月のように~』『出張の合間の神社巡り阿波徳島編『天岩戸別八倉比売神社①』~箭執神社と松熊神社と天手力男の正体~』『出張の合間の神社巡り阿波
あす3月24日の午後9時から、NHKスペシャル「古代史ミステリーヤマト王権空白の世紀」が放映されます。内容の詳細はわかりませんが、倭の五王(讃・珍・済・興・武)について描かれるようです。そこで、以前に倭の五王についてYouTube動画でシリーズ化していたこともあり、今回それをまとめた動画を作りました。動画本編は私の説が中心となりますので、多くの異論もあると思います。それで、今回動画では冒頭に中国史書に現れる倭の五王の記事や、一般的な解釈をまとめました。その部分を
小野の先祖を調べる上で生まれた、ホツマツタヱに由来する系図です。関係者しか載せておらず古代の様子を思考する為の資料に使ったものなので興味のある方は参考にして下さい。firestorage|標準ロールfirestorage.jp
『沖縄にある天岩戸の内緒話』『天岩戸隠れの真実とアメノウズメの内緒話』『ニギハヤヒと天の川の内緒話』『天照大御神の内緒話』『天照大御神(アマテラスオオミカミ)』神々の国「高天原(たか…ameblo.jp↑のつづき。初代天皇『神武天皇』は沖縄生まれだった…というとんでもない逸話をお話したが、沖縄、そして琉球は本当に不思議な島である。住んでみればおわかりになると思うが、なんの霊感もない私ですら、不思議な体験をしている。なにも知らずに本島からある島に迷い込み、そこが入ってはいけない所だ
ふと、スピリチュアルな力に導かれて東京からフラっと奈良へ…。1人旅をしてきました。Mignonは以前、超能力者のマクモニーグルの番組を見て以来、奈良の鳥見山にずっと憧れていました。マクモニーグル説によれば、卑弥呼は、3世紀頃、奈良県桜井市付近に夏の宮殿を有し、山口県下関市付近に冬の宮殿を有していたといいます。又この等彌神社は神武天皇が橿原宮に即位後、自ら鳥見山に霊畤(まつりのにわ)を設け、大和平定と建国の大孝を祈る大嘗会の発祥の地でもあります。今回、憧れの鳥見山の等彌神社に
『自分自身が何者であるか?』を探し求めた旅路の果て。2022.8.22〜2024.4.6会社員としての寿命は長期休暇の末、どうやら尽きていたようだ。(-_-;)汗ソレを捨ててまで追い求めた、『自分自身が何者であるか?』を知る為の全国制覇の旅路。森家の母さんの地元にある、徳島市渋野町の【佐野神社】が初代天皇、神武天皇(佐野命=サノノミコト)の東征の起点である!!と。【カゴメ歌】にある、カゴメx2、『籠(カゴ=三菱)の中の鳥(私自身)はいついつである?夜明け(2024.7.3.
こんにちはユダヤ説、さて今回も面白い動画でした。バアル神の「バル」を使う言葉が九州そして特に福岡に多いことから、バアル信仰の渡来人が九州に訪れたのではないかという考察でした。ユダヤ人に追い出されたバアルの人々が日本に帰化したのではないかと。ははぁーん、渡来起源説出て来ましたね!このような説まだ2つ程あるんです大陸起源説を頑なに信じている人が主張する、その他の説はコチラ。先ず、朝鮮半島に「村」を「バル」と呼ぶ言葉があることから、半島人が福岡に暮らして
みんな元気ですかきのうの続きしし座の時代に至る数万年前から非常に進んだ文明を持つ国が太平洋に存在していました。それがのちの邪馬台国(やまとこく)の語源となったやまと大陸。ちなみに邪馬台国の「台」の文字は「と」と発音していたと思います。アマテラスと共に、伊勢の国に落ち着くまで流浪の旅をお供をした台与姫は「たいよ」ではありませんでした。「とよ」と言いました。これを近代に入り「たいよ」としたため多くの混乱を招いています
今から15〜6年前かな本業の関係で「家系図」作成の仕事をすることになりどっぷり家系というかルーツにどハマりしていた時期があったんだけどここ最近は日本人のルーツというか人類のルーツというかアフリカで人類が誕生したのちにどうやって世界へ広がってどんな風に日本人になっていったのかという一つ前段階のことに興味を持ち始めてもうて毎日色んな本を読み漁っております日本で言えば「記紀」と云われる8世紀頃に編纂された「古事記」「日本書紀」そのあたりは、昔から
『ブログマップ』ブログ内の記事のマップです。これを読めばとりあえず分かるという記事をまとめました。まだ、途中ですがアップします。「神社*総まとめ」なども記載(スマホで見ると埋…ameblo.jp『神*総まとめ』神の総まとめを。(毎回、説明するのも何なので。必要な箇所だけ)☆天照は二柱男神・天照は、饒速日命。天火明命、月神・高良神、住吉神、他。女神・天照は、…ameblo.jp『女神・天照とはまとめ』更にまとめてみた。(詳細省いてます)思い出したら追記男神・天照
邪馬台国論争において昔から争われている論点として、「会稽東治(かいけいとうち)」と「会稽東冶(かいけいとうや)」のどちらが正しいかということがあります。これは、中国から見て邪馬台国がどのあたりにあると考えられていたかということに関連しています。それが、『三国志』(「魏志倭人伝」)と『後漢書』で異なっているのです。『三国志』計其道里當在会稽東治之東(女王国〈邪馬台国〉までの)道里を計ると、まさに会稽東治の東にある。『後漢書』其地大較在会稽東冶之東その地(邪馬台国)はだいた
今回ご紹介させていただきますのは、コチラです⬇️鯨統一郎さんの、「新・日本の七不思議」です。日本史や世界史の中で、未だに謎とされている諸々の事柄を、主にライターの宮田と研究者の静香があーでもないこーでもないと考察していくシリーズですね。今作も短編集ですが、取り上げられている内容はやはりすごいですよ。原日本人、邪馬台国、万葉集、空海、本能寺の変、写楽、真珠湾攻撃😅何となく、邪馬台国や本能寺の変、写楽などは、確かに謎の多いイメージはありますが、真珠湾攻撃や空海なんてそんなに謎の部分があるの
私の邪馬台国論の根幹をなすのは、魏志倭人伝後世書き換え説です。魏志倭人伝の行程記事は、帯方郡から不彌国までは里数が書かれていますが、不彌国から投馬国への行程と投馬国から邪馬台国への行程は日数で書かれています。(不彌国から投馬国)南至投馬国水行二十日官曰彌彌副曰彌彌那利可五万余戸(投馬国から邪馬台国)南至邪馬台国女王之所都水行十日陸行一月官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七万余戸里数は、尺度はともかくとして、万人が共通認識を持つことのできる具体的なも
演題:徳島にある一番~天岩戸伝説は実話か?講師:都市伝説・阿波古事記研究会会長池田美穂(アワテラスオオミホミコ)旬の古代史が全部聴ける古事記の舞台は阿波だった!邪馬台国は阿波だった!演題:徳島にある一番~天岩戸伝説は実話か?講師:都市伝説・阿波古事記研究会会長池田美穂(アワテラスオオミホミコ)旬の古代史が全部聴ける古事記の舞台は阿波だった!邪馬台国は阿波だった!mini卑弥呼フェス令和6年4月20日土13:00~16:00(開場12:00)会場:徳
「魏志倭人伝」を読んで邪馬台国へたどり着こうと考える人は、必ずこの「一里問題(仮)」にぶつかります。例えば、書かれた行程をたどって九州島の末盧国(まつらこく)へ上陸したとします。次は、末盧国から500里のところに伊都国を探さなければなりません。さらに、伊都国(いとこく)から100里のところに奴国を……。その過程では、1里が何メートルかを決めなければ先に進めないのです。しかし、邪馬台国論争はすでに300年を超えましたが、この最も基本的な「一里問題(仮)」には明確な決着がついていません。「
こんにちは。今日は前からリクエストがあった大宜津比売(オオゲツヒメ)について書いていきます😆わたくしの故郷は愛媛なのですが、生まれてすぐに母が仕事に戻らないといけないため、数か月、母方のおばあさんのうちに預けられておりました。そこから週末はずっとおばあさんちで、こういった生活は小学6年生まで続きました。わたしのルーツはこの祖母の家にあります。ここは古代豪族の忌部氏のルート上にあるところだったのです。忌部氏ってなんだい?というと、「麻」や「粟」を栽培して拡大した祭祀を司っていた一族です
画質が…………。二代目、小野小町の兄、弟が改善され、お通さんが追加され、横山党を具体的にしています。最終形はA0用紙横(今はA1縦)に分かった範疇の系図を組み込んで完成でしょうか!?
こんばんは♪SacredStonesです(*^_^*)寒い寒~い冬・・・のはずが、良い御天気が続いて気持ちの良い空ですね~皆様、いかがお過ごしでしょうか?いつもの冬と違って、暖かい日も多いので、お出かけされる方も結構いらっしゃるようです藤沢駅前は天気が良いと、富士山が綺麗に見えてほれぼれしてしまいます江の島の橋からはもっと綺麗に見えますので、是非是非、お天気の良い日は富士山を探してみてくださいね♪私は最近、先日のバレンタイン期間にお客様にお配りする
今回はあまり見慣れない刀!七支刀について少しだけ、掘り下げていこうと思います。一見すると、コレって・・・。どう使うの?通常の刀に比べ互い違いに刃が出てる変わったデザイン!刀自体手に取った事がある方、少ないかも知れませんがすごく重いんですよ(-。-;刀を振るなんて言葉がありますが、これって口で言うのは簡単で、実際はかなりの筋力がないと正直キツイ!昔のお侍様はこれを振るって戦っていたんだから、考えると驚きです。話しを戻してこの七支刀、通常の重い刀に更に刃が6本出
ネットの文春オンライン記事に歴史学者の桃崎有一郎さんの邪馬台国に関する新説が紹介されている。記事によると、邪馬台国の位置を従来の「倭人伝」ではなく古代中国にあった「礼」という文化の伝播経路を視点に「邪馬台」の読み方(文献史料)から「邪馬台国=奈良県」と結論づけているとのこと。「邪馬台国」の読み方や「臺=壹」の表記の違いの理由、「倭国」の国号表記に対する日中の認識のズレなど生野先生の考察内容をこのブログでも何度か紹介しています。お薦めなのはフォーネット2013年9月号、2020年6月号と
會所神社(會所八幡神社)(よそじんじゃ)豊後国日田郡大分県日田市日高74(P無し、「久大本線」沿い南側の道に路駐したと思います)■祭神仲哀天皇神功皇后応神天皇大足彦忍代別命比佐津媛神卑弥呼の候補とされる久津媛(比佐津媛)を祀る社。「豊後国風土記」には、景行天皇が熊襲征伐の帰りに日田に立ち寄ったところ、久津媛という神が人に姿を変えて現れ、現地案内をしたとあります。これが「日田」の地名由来となったとか。元々は會所山(よそやま)と称される山頂に久津媛神社として、久津媛と景行天
倭人は帯方郡の東南、大海(中国の東方、現在の日本海、東シナ海)の中、島に国村をなして住んでいる。昔は(漢の時代)百国余りの国があった。漢王朝の時代朝見してくる者がいた。今は使役通じるところは三十国である。帯方郡から、倭に行くには、いくつかの道程があるが、その一つ目は、海岸に沿って船で進み、韓国を経て、南、また東と進み其の(東南大海の)北岸にある狗邪韓國に到る。先ずは海を渡ること千里余り。目標は海中に浮かぶ島。對馬國に至る。官は卑狗。副を卑奴母離という。断絶した島で、その面積は一
こんにちは、スタルペスです福岡県みやま市の蜘蛛塚から近くに「権現塚古墳(ごんげんづかこふん)」があります。周りには住宅はなく、田畑の中にポツンと1基だけがある大きな円墳です。直径45m、高さ5.7mの2段築成の円墳です。周囲には幅11m、深さ1.2mの周溝が巡っています。古墳時代中期(5世紀)の築造と考えられています。※権現塚古墳主体部は確認されていませんが竪穴式石室ではなかったかと思います。墳丘は、周囲のどこからでも眺められる堂々とした古墳
今回の四国一人旅、目的の1つが1日目に巡った「段の塚穴型石室」を見たい!というのと、今日アップする八倉比売(やくらひめ)神社古墳群を見たい!というのも大きな目的の1つでしたなぜ八倉比売神社古墳群を見たいのか・・・・邪馬台国四国説卑弥呼の墓そんな伝承があるからです何度か書いたことがあるのですが、個人的には卑弥呼が実在したのか?は否定的です。魏志倭人伝の記述、かなり適当なのに、なぜそこまで信じるんですかね。↑まずは八倉比賣神社の鳥居ここまで来て、ちょっと愕然とし