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コスモスの季節です。平原遺跡公園(福岡県糸島市)にコスモスを撮りにいってきました。平原遺跡というのは、邪馬台国論争の基礎資料である「魏志倭人伝」に登場する伊都国(推定・福岡県糸島市)にある弥生時代終期の墳墓です。伊都国は、邪馬台国への経路の途中にあった国のひとつ。時代が違うので卑弥呼の墓ではないようですが、出土品から、葬られているのは女王と推定されています。墳墓のむこう側にコスモス畑が広がっています。満開ですね。猛暑のせいか、花群れが薄いようで、望遠で撮って圧縮しごまかしています
<無料フリースクール雑学講座-1066>【諸説-1】1.ケネディー大統領を暗殺したのは誰?①オズワルド単独説②ソ連陰謀説③カストロ陰謀説④CIA陰謀説⑤マフィア陰謀説⑥ジョンソン陰謀説2.インダス文明滅亡の原因は?①アーリア人侵入説②環境破壊説③気候変動説④河道変化説⑤古代核戦争説3.ハーメルンの笛吹き男(グリム童話)のモデル①少年十字軍説②疫病説③ハンチントン病説④東方移住説4.邪馬台国はどこにあった?①畿内説②北九州説③南九州説insta
先日、このブログのタイトルの一部と、サブタイトルを更新しました。元々のタイトル「今を遊ぶ、今と踊る♪」の後に、~「心の清庭」を調える日常の気づき~という部分を追加したのだけど、「心の清庭(さにわ)」って何?となりそうなので、この言葉との出会いのきっかけをお話ししてみようかなと。ちなみに、若干スピ色強めの話となるけど、怪しい宗教などとは一切関わりはないので、ご安心を笑。2か月くらい前から、脳内に大昔の日本の男性のビジョンが
朝日新聞に考古学者の白石太一郎さんが11日に亡くなられたとの記事。過去の勉強会で「前方後円墳」がテーマになった資料を見直したけど、白石太一郎さんの名前はなかった。「邪馬台国近畿説」や、「纏向遺跡=卑弥呼の墓」だとする考古学者は多いしねぇ・・どの研究分野にも重鎮とか第一人者と言われる著名人が存在する。そんな牙城を崩さなければ・・・なんてことは思わないけど、文献史学と共に『歴史科学』の両輪となってくれたらいいのにと切に願うだけ考古学は、余程の幸運や偶然が重なって自分自身が発見者
お久しぶりです~カクヨム小説で手いっぱいでなかなか来れませんでした。こちらに少しずつリンクを貼っていきます。小説風に、掛け合いで書いてますので分かりやすいと思います。邪馬台国と神話の謎が解かれます!「二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束」福岡の那珂川にある、住吉の元宮、現人神社。そこで、弥沙は神と邂逅する。6話神との邂逅──那珂川の現人神社──-二柱の天照~邪馬台国の謎と千八百年の約束~(三島ひみか(卑弥果))-カクヨム邪馬台国とは高天原。現実
邪馬台国を都とする倭国女王・卑弥呼が魏に遣使し、「親魏倭王」の印を得ていた頃、西方では、大月氏国(クシャーナ朝)の王(第三代・ヴァースデーヴァ)が同じように魏に遣使し、魏から「親魏大月氏王」の印璽を得ていたことは、よく知られていよう。この両国、倭国と大月氏国は、魏の京師・洛陽からみて東と西という対極的な地域に位置していたが、魏の皇帝からみて同じような位置づけをもって見られていたことは、一応確認しておく必要があるだろう。魏志の記述によれば、倭(倭人)は、都・洛陽から12500里の距離にあ
晴れ。27度。三連休最後の日も爽やかに晴れた。着物続きだったので洗濯物が山のようで、まずは家事を優先し、その後は読書した。小林惠子著「古代倭王の正体」は、本屋さんで見て、あまりに主張がユニークだったので買ってしまった本だ。著者によると、邪馬台国があったのは、「魏志倭人伝」を素直に解釈すると奄美大島になるという。「魏志倭人伝」では、邪馬台国への旅程の最後は陸行1か月となっているが、奄美大島のような小さい島では上陸してから都のある場所まで1か月もかからないと普通は思うが、港のある島の南か
卑弥呼は…能力者として絶対的な力を持っていました(ここでは全てを語ることができませんが…最期の一部だけ、綴らせていただきます)足には足枷がつけられ、手にも手枷がつけられ、首にも首枷がつけられた状態で左半身の頭から身体にかけて…酷い暴力を受けて意識が無くなりかけている、そのような状態でも…卑弥呼は『…全ての者たちが…幸せであるために…』その想いでいっぱいでした意識が遠のいていく状態で卑弥呼は、岩にうつ伏せで押し倒され、陰部から…大きな剣で串刺しにされました
今日は10月11日(日)豊田市のビジホから豊川稲荷にお参りして夕方無事に帰宅しましたブログは奈良観光の後半の①いってみよう😁天理参考館を後にしてすぐ近くの石上神宮にお詣りここ石上神宮には百済からヤマト王権に贈られたとされる鉄剣の七支刀(国宝)があるんです西暦369年作と言われてます2026年7月15日〜20日に石上神宮境内にて特別公開されたようです🤗次の場所は箸墓古墳倭迹迹日百襲姫命大市墓拝所宮内庁が管理しています邪馬台国畿内説支持者は箸墓古墳こそが卑
琉球赤瓦で葺かれた普天満宮の拝殿を参拝して、例によって拝殿の後ろに向かいます。拝殿の裏の本殿がありました。もちろん戦後に再建されたもので、赤瓦葺きながら日本風です。もともと本殿はこの場所にはなく、この先の「普天間宮洞穴」と呼ばれる鍾乳洞の中に本殿がありました。古い写真を見ると、参拝者は拝殿を通って鍾乳洞に入り本殿を拝んでいたようです。残念ながら時間が遅くて洞穴の中を拝観することができませんでしたが、洞穴内部の本殿は現在は奥院と呼ばれ、「琉球古神道神」が祀られています。沖縄県には鍾乳洞が
10/11(日)徳島に来てます。会場は、由緒ある神社のお膝元、阿波史跡公園。メインゲストは、、ムー三上編集長と、トカナ総裁角由紀子さん。阿波こそ大和のはじまり!卑弥呼は畿内でも九州でもなく阿波!と、熱いトーク😊お話を聞いたあと、ランチは徳島ラーメン。塩分補給をしたら、いざ、公園から続く山道を登り、気延山頂の古墳(一説に卑弥呼の墓と言われる)へ。手を合わせてきました。息を切らしながら急な山道を一気に頂上まで登り、その後急いで山を下り、公園に戻りました。トーク終了から1
ワタシのつぶやきブログにご訪問頂きありがとうございます。(人''▽`)ここ北部九州には、豊の国がありました。また、ミケの神の国でもありました。古代史を学ぶとき、多くの方は邪馬台国がどこだったか?卑弥呼についてを検索しますが、あくまで私見ですが、邪馬台国がどこにあったか?卑弥呼の墓はどこか?よりも時代背景と、北部九州にあった小国が大国となり、時代ごとに大きく変化変容した人々の祭祀や信仰を見直しています。ここに、先住民であっただろう縄文人たちの変化など中国大陸や
古代史考察甲斐宮下文書山霊崇敬の古俗(石井広夫説)甲斐宮下文書の宮下本家の方が正しいのは、山霊崇敬は本邦の古来よりの風俗であって、これを相模国にみると、そこには箱根山・足柄峠・大山などに何れも祭祀あるのでもよくわかりうる。伊豆相模甲斐駿河の祭祀は富士神岳の山霊崇拝の古代民俗的信仰に起こったのか、それとも山へ追われて逃げこみ火をかけられて殺されたもうた御先祖のまつりだろうか。山ツ神におわす大山詰祇神を主となし奉り姫神木花咲耶姫命(浅間神)を奉祇し、浅間神の御夫神、瓊々杵尊及び二神の御子
今日は2026年10月7日(水)です。NHKニュースを見ました。コスモスが満開だそうです。コスモス畑に迷路が有ります。多くの観光客が楽しんでいました。========僕も文珠院に行った事が有ります。懐かしいので僕のブログ記事から一部振り返って見ました。過去記事です。↓=========2014年5月4日(日)の出来事です。奈良県桜井市の安倍文殊院に行きました。前ページの続きです。前記事です。↓クリックhttp://blogs.yahoo.co.
これまでの弊ブログで、現在の日本の歴史の問題点とされている「邪馬台国」、及び、「魏志倭人伝」に書かれているそこへのルート等について、書いてきた。今回は、邪馬台国の位置=畿内説に書いてみよう。話題の原点は魏志倭人伝にある記述をどう解釈するかだ:つまり、南至投馬國水行二十日官日彌彌副日彌彌那利可五萬餘戸南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月南へ水行20日で、投馬国に至る。ーーーーーー。南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。記
【起稿2026年10月7日記事】好きな推理作品はある?あまり読まないから分かりません😅▼本日限定!ブログスタンプおはようございます🙋今朝の東京は、厚い雲が広がっています🌫️→🌥️?予報では、昼過ぎから晴れるとしていますが...どうかな?ミステリーですなぁ🕵♂...と、言う事で、皆さん今日は「ミステリー記念日」だそうです。由来は、ゴシック・ロマンス系譜の作品で知られ、後に世界で初めて推理小説を書いたと言われる米国の小説家・詩人・編集者のエドガー・アラン・ポー(1809年-
⬛️サロとスロの真実:ヒメヒコ制が明かす「隠れる女王」と「出る男王」の陰陽ネットワーク🏛️図1:新羅の本当の王統史(金氏のヒメヒコ共同体VS簒奪者たち)東アジア諸国の歴史書がひた隠しにする、朝鮮半島南部から大和へと連なる真の血統タイムライン。それは、既存の歴史学が説くような「朴・昔・金」の平和な氏族交代などではなく、純血なる在来クランと、外来の略奪OSによる、凄惨な王権争奪戦の記録でした。その全4期にわたる驚天動地の興亡史を、ここに完全開示します。-----------------
サロとスロの真実:ヒメヒコ制が明かす「隠れる女王」と「出る男王」の陰陽ネットワーク(1/2)前回のブログでは「新羅(斯蘆国/サロ国)」神話と「金官伽耶(狗邪韓国/クヤ国)」神話を巡り、亀と龍(玄武)の引き裂き工作について考察しました。しかし、さらに精緻なリサーチを重ねた結果、当時のリアルな信仰の実態に即した重要な解釈のアップデート(一部訂正)に至りましたので、まずはそこからお話しさせてください。確かに7世紀後半、我が国の『記紀』や半島の『三国遺事』が勝者のペンによって大改竄された当
日本人の男性の遺伝子はY染色体で祖先がわかります。一万年以上前から日本に住んでいた縄文系のD染色体紀元前500年位以降、大陸から移住したO系統染色体日本列島全体では、縄文系の遺伝子を持つ男性は2~3割程度と云われていますがそのデータを古墳時代で推測してみると九州北部と近畿ではO系統の渡来人血統が多く沖縄、北海道、東北は縄文系のD系統が圧倒的に多い時代です。少しの違いでは九州北部と山口県など中国西部は渡来系が強く鳥取や四国、九州南部は縄文系が残っています。これって魏志倭人
帚木蓬生「日御子(下)」使譯一族9代にもおよぶ物語であり登場人物は漢の時代三国時代の漢字ばかりの名前でう〜ん覚えていられない系譜と登場の中国大陸の地図があると嬉しい一冊でした小説の中心は日御子でも金印でもなかったです日本人の心深くにあるものと思いたい帚木蓬生さんらしいもので使譯(通訳)の三つの教えともうひとつの四つめの教えですそれを日御子に伝えたことから弥摩大国は豊かになって行くのですその教えとは・・・人を裏切らない人を恨まず、戦いを挑まない良い
西尾幹二著「国民の歴史」上下二巻著者は東大独文科卒のニーチェの研究者である。従って歴史については門外漢だが先入観や偏見に囚われず却って専門家と違った視点で歴史事象を考えることが出来、大変興味深い。例えば上巻206頁に「魏志倭人伝は歴史資料に値しない」とある。我が国に歴史書が無い時代だったのでどうしても中国の歴史書に頼らざるを得ない。以下概略を引用する。「魏志倭人伝の著者は陳寿といい諸資料を利用出来る立場にありそのひとつは魏志倭人伝に先行する魚豢という人の『魏略』であり魏志倭人伝は『魏略』
耶馬台国群は中国の出先機関邪馬台国と対立していた八幡国郡こそ現日本人の祖先2023年6月に佐賀県の吉野ヶ里遺跡で見つかった弥生時代後期の有力者のものとみられる墓について、内部調査が行われた。蓋は大きく重く、沢山の記号が刻まれ、見晴らしの良い場所にあったことから、邪馬台国が存在したとされる弥生時代後期に作られた有力者の墓とみられ、「すわッ。卑弥呼の墓か?」「これで邪馬台国九州説は裏付けられた」とぬか喜びの顛末が在った。何処にあったか、卑弥呼は美人だったか、などと枝葉末節の論議はここ
今読んでいる本またまた帚木蓬生さんです邪馬台国卑弥呼が弥摩大国日御子となっている創作歴史ロマン小説ってことですが今まで読んだ帚木蓬生さんの「国銅」は奈良の大仏様の「襲来」は蒙古襲来の「水神」は筑後川治水工事の歴史を踏まえての小説だったからこれもかなり歴史的背景に基づく小説と思います“卑弥呼”が謎に満ちている分“日御子”は楽しめる展開になるのでは?秋の読書にどうぞなるる〜☆
魏志倭人伝に登場する邪馬台国の女王卑弥呼2世紀ごろ100の国々が乱れて倭国大乱180年頃に、争いを治めるために女王卑弥呼が共立されて国が治まりました。ここまでは後漢の時代です。238年には魏から親魏倭王の金印をもらいます。魏の役人も倭国へ来ていますので当時の倭国の状況が詳しく書いてあります。247年南の狗奴国との紛争が過激してきたので卑弥呼が魏に応援を頼みます。248年魏の役人の張政ら20人ほど倭国に到着卑弥呼以て死す卑弥呼は亡くなっていてお墓も完成、葬儀も終わ
卑弥呼は日本の記録には一切出てこない。古事記や日本書紀にもそれらしい記述は一切ない。しかし、中国の魏の国(三国志で有名な魏、蜀、呉の魏)の魏志倭人伝に書かれている。そこには・邪馬台国があった。・卑弥呼という女性の王が治めていた。・鬼道(呪術・宗教的な力)により治めていた。・多くの国が卑弥呼に従っていた。・卑弥呼は魏に使者を送り、魏から「親魏倭王」の称号と金印や鏡などを授けられた。・卑弥呼が死ぬと、大きな墓が作られた。・次いで男の王を立てたが国が乱れ、最終的に台
帚木蓬生「日御子(上)」安定の楽しさ&面白さで感動がいっぱいの帚木歴史小説です国宝金印「漢倭奴国王」を廻る衝撃的なお話から始まるのでわくわくが止まらないこの小説では奴国ではなくて那国邪馬台国ではなくて弥摩大国あくまでも小説だからなのでしょうなので日本史の授業をぼんやり聴いていたわたしでもそれなりに楽しめるのです上巻には日御子はまだ登場しません倭国から漢への使者と同行した使譯(通訳)の一族の物語でした日御子は卑弥呼なのでしょうか???卑弥呼って調べたら卑弥
前の投稿の続きです。邪馬台国と筑紫と日本神話|エクセル塾古事記の神武東征弥生時代後期の邪馬台国連合が古墳時代に筑紫になった時代の出来事それならば、卑弥呼の時代に作られた箸墓古墳は卑弥呼の古墳??長髄彦で祈祷師は饒速日(ニギハヤヒ)です。箸墓古墳の時代の奈良は長髄彦時代背景も三輪山の神様大物主の時代です。天皇家の時代で云えば10代崇神天皇時代で倭迹迹日百襲姫命は、崇神天皇の叔母さんです。可能性があるとすれば箸墓古墳はニギハヤヒの古墳?です。確かに築造時期が卑弥呼と