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サイエンスで読み解く古代史ミステリー最終結論邪馬台国は阿波だった!Amazon(アマゾン)★★★★☆サイエンスで読み解く古代史ミステリー、というもので邪馬台国は阿波にあった、それはなぜそう言えるか?を説いたもの。稲作は約2500年前の弥生時代に中国大陸から朝鮮半島を経て北九州の玄界灘周辺に伝わり、その後徐々に西日本から東日本に広がっていったとされる私達がこれまで学校で習ってきた通説や、古代中国の秦の徐福が伝えたとされる通説は、大きく根底か
新しい年が明けた。今年も奴国王が待ちに待った志賀海神社の祭事の時が来ました。倭国連合では、もうこの祭事は必要無いのではないかという意見も出されていたが、奴国のイワレ王は、慣習として今年も祭事を行うことを決めたのでした。この祭事の時を秘かに待っていた者がいたのです。それは今は不彌国と、奴国によって名前が変えられて、前の面国の王の分家が治める中に隠れていた本家筋の若い王子の升でした。この升は秘かに伊都国のタカミムスビ王と協議していて、今はもう、邪馬台国の卑弥呼女王が神託を受けているのに、そ
伊都国の芥屋村にある爾支では、毎日、天心、照、阿女等の巫女達が協議を重ねていたのでした。ここで修行中の娘達の中で誰が一番霊能力が強いかという見極めに努力していたのでした。ある日天心巫女が照巫女と阿女巫女に言いました。「もうそろそろ、候補者を決めねばなりませんね、どうでしょう、三人で投票してみませんか?貴方方が一番ふさわしいと思う娘の名前を書いてこの筒の中に明日中に入れて下さい。私も書いて入れておきます。その結果でまた協議しましょう。」と、竹筒を机の上に置いて、木管を三枚用意したので
卑弥呼は実在したのか。何故記紀に記載がないのか。卑弥呼は実在した可能性が極めて高いが、記紀(『古事記』・『日本書紀』)に直接の記載がないのは、史料の性質・編纂意図・時代の隔たりによると考えられています。卑弥呼の実在について卑弥呼(ひみこ、またはぴみこ)の存在を示す主な史料は、3世紀末に成立した中国の『三国志』魏書東夷伝倭人条(通称『魏志倭人伝』)です。ここに、2世紀後半〜3世紀中頃の倭国(日本列島)で、長期間の内乱(倭国大乱)後に共立された女王として詳しく記されています。鬼道(呪術・シ
その日が来た。糸島半島の北西部の芥屋の大門には倭国連合の各国王や重臣、兵隊達が集まり、多くの阿曇族の船も沖合いまで出ていた。芥屋の大門芥屋の大門の洞窟の中から大きな銅鐸の音が鳴り響いた。「ゴロン~、ゴロン~、ゴロン~」洞窟の中では天心が祭の先達の挨拶を始めた。それと時を同じくして、照が乗った船が洞窟の前に漕ぎ寄せて来た。照が持った金銀鏡を太陽の陽を受ける位地に掲げて、光を洞窟の中に送り込んだのでした。金銀鏡から一筋の光線が芥屋の大門の洞窟の入口から中に射し込んで行ったのでした。
古代日本史の復元シリーズ(第12回)『古代ユダヤと剣山』講師:たちばな歴史研究会宇都宮徹様『古事記』に書かれる天孫降臨は徳島市へ講師:阿波古事記研究会副会長三村隆範様事実を学ぶ他では聞けない古事記講座参加資料費500円日時令和8(2026)年8月23日(日)13時~16時会場徳島市シピックセンター第1活動室所在地:徳島市元町1丁目24番地主催:徳島古事記研究会問い合わせ:090-8282-0328(三村)
独り言2026年8月15日(土)夏休み⑧/9「通院・塔の上のHospital編」どうも。卑弥角篤呼(ひみつのあつこ)です。《こないだのエッセイ「はじめてのまほうつかい」で出てきたポッタリオ針井の同級生やなかったっけ?》みんなからは略して“卑弥呼”と呼ばれてます。《もう“卑弥呼”でええやんけ》魔法学校では夏休みやから帰省してもええでって許可が出ていて、みんな帰省してるんですが、卑弥呼の出身地の邪馬台国がどこにあるのか分からず《邪馬台国はどこにあったのか論争か…》今年も帰れまて
前回の弊ブログ空白の4世紀で、邪馬台国・卑弥呼の話などを書いたが、いろいろ疑問を思い出した。まずは、子供のころ、学んだ内容:邪馬台国は九州にあった、いや、近畿にあったと、昔から議論されてきて、結論は出ていない。この問題について、ふりかえってみよう。まずは、「邪馬台国」の読み=やまと国:現在「邪馬台国」は一般に「やまたいこく」とされている。しかし、この「やまたいこく」という読みは、江戸時代の新井白石が通詞今村英生の発音する当時(江戸時代中期)の中国語に基づいて音読したものであるた
記紀神話が時代や場所をバラバラに解体しおとぎ話や怪物の伝承にすり替えてまで隠蔽したかったものとは何か?これまでの読解格子を通して見えてくる古代史の真の姿は以下のようになります。1.海神族系「4兄弟」の真実と、恐るべき裏切りの構図記紀神話で神武東征に同行したとされる兄たちは、イツセ・イナヒ・ミケヌの3人です。この海人族系の兄たちは熊野からヤマイチ国(邪馬台国)に婿入りしてきた「ニニギ」とワタツミ(海人国の王)の姉妹との間に生まれた、本来は4兄弟(
台風15号が通過した後も東日本は荒れ模様で、昨夕から千葉県は線状降水帯に長時間覆われる大変な状況になり、当地市原は早暁の現在も降り続いています。記事の材料に事欠くことが多くなり、今月に入ってから風蘭、カンアオイなど栽培植物の葉芸をバックボードを使って撮って連載することにしました。本日は風蘭の無地葉変わりの銘品「卑弥呼(ひみこ)」を紹介いたします。「卑弥呼」3画像8月9日朝に撮影一見した株の姿は一昨日に紹介した「弁慶丸」に似ていますが、葉肉が厚くて一回り大きい雄大な感じを
みなさん、こんにちは!今日もお疲れ様です✨最近、仕事が忙しくて妻とゆっくり話す時間が少なかったのですが、昨日は久々に夕飯のあとYouTubeを見ながら会話をしました。そこで見たのが、最新の「5m精度3D地図」や「AI解析」を使って古代日本の謎に迫るという歴史動画。これがもう、歴史好きの男心をくすぐられまくりでめちゃくちゃ面白かったんです!あまりの凄さに大興奮した僕は、お酒を片手に、頼まれてもいないのに妻へドヤ顔で熱弁を始めてしまいました(笑)私:「いいかい?そもそも『邪馬台
山梨県立考古博物館と、隣接する甲斐風土記の丘を訪れました。まず向かったのは丸山塚古墳。直径約72m、高さ約11mという山梨県内最大級の円墳です。そして、そのすぐ近くにあるのが甲斐銚子塚古墳。4世紀後半につくられた全長約169mの前方後円墳で、東日本でも最大級の規模を誇ります。実際に歩いて墳丘に登ってみると、写真で見る以上の大きさ。そして良い見晴らしでした。当時、これだけのものを人の力だけで築いたことにも驚かされます。歩きながら「そもそも前方後円墳って、なぜ丸い方が後ろなのか」という素朴な疑問
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー■ーーー■けふは1985日航機疑惑事件の日富士山山頂付近台風が来る12時間前、既に上空では台風の暴風が届いていたこれはコピペでリアルタイムで見たが、確か最初買って残っていた3〜4個を直ぐ食べてしまい、台風でお店が閉まる事も考え、追加で売ってるだけ全部、合計20個
ブログランキング参加しました。『ブログランキング』と『にほんブログ村』の2つです。よろしければクリックお願いします。歴史ランキングにほんブログ村いつも応援ありがとうございます。【歴史】現皇室の世襲は6世紀から?「継体天皇」が「始祖王」か関東学院大・河内春人教授「日本書紀は記述にバイアスがある」古事記には、神武東征のところで紀元前後までしか存在しなかった河内湖(河内湾)に関する記述があるそうです。大阪湾が現在と違い東(内陸側)に大きく入り込んで形成された湾で、時代と共に湾の入り口
日女命さまに、「日女命」さまでいいですか??と、確認したら了解を得たので記事をUPしました。卑弥呼でなく「日女命」で!!-縄文の神々につながったおっさんの備忘録日記この本を頼りに邪馬台国・卑弥呼を求めて2年が経った。。。このきっかけがなければ、神社にはまっては居なかったかも??お陰様で、応神天皇との問答のお陰で、まあまあ絞り込めて。。邪馬台国は、九州王朝で大和王朝とは2朝体制だった。。。持統天皇の時代に、大和王朝の末裔が権力を握り中国に対しての体面から。。。九州王朝と卑
○ブログ『玄中寺参詣旅を終えて』を書いてから、すでに24個ものブログをものしている。また、テーマ「玄中寺参詣旅」自体が225個ものブログ数となっている。何とも多くのブログを書いて来たことに、我ながら感心する。それだけ、「玄中寺参詣旅」が充実したものだったことが判る。○ここのところ、ブログ『遣唐使船南島路』から『卑弥呼の現住所が硫黄島であること』、『出雲神の故郷が硫黄島であること』、『坊津が日本三津の筆頭であること』、『天孫降臨の世界山』、『大和三山』、『天降り付く天の香具山の風景』、『ひらきき
こんにちはMDです😃斜体字はAIから出てきた説明です------------前記事の続きです黄金塚で出土した景初三年と刻まれた銅鏡(魏は百枚を贈った)は関東出雲奈良でも出土しているがなぜか九州では出土していない「傷(鋳型の微細なズレや摩耗)まで完全に一致する景初三年の同笵鏡」は、九州からは1枚も出土していません。この現象に対し、歴史学界での解釈の応酬(バトル)畿内説(奈良・大阪が邪馬台国)の主張「卑弥呼の都は近畿(ヤマト)にあった証拠だ。魏から届いた本物の『景初三年
こんにちはMDです😃自分用メモ投稿斜体字はAIから出てきた説明です高校時代、通っていた学校の隣にこんもりとした小山があった。入学して最初の歴史の時間にそれがいまだに論争を巻き起こしている遺跡だと教師が語りだしたでも15才のボクたちはそんなの全くのゼロ興味鼻くそほじって熱烈に語る髪の毛ボサボサの歴史教師を眺めていた。卒業して40年以上経った自分の中で古代史がマイブームである自作の古代年表も記載事項が多くなってきた。学校の横にあった小山は「黄金塚(コガネヅカ)」と呼ばれる遺跡
祖先の旅・特別編仮説構築編――タニハから美濃へすべては、DNA検査から始まった。2025年2月、自分のルーツを知りたいという軽い気持ちから受けたDNA検査。その後、自分の父から、そのまた父へと受け継がれてきたY染色体ハプログループを詳しく調べ始めたことから、「祖先の旅」は始まった。最初に分かっていたのは、ほとんどそれだけだった。Y染色体の系統を示すキーワードを一つずつ検索していくと、やがて中国・新疆ウイグル自治区のイリ地方へたどり着いた。さらに調べていくうちに、モ
歴史学者が明かす「人間臭い」背景本郷和人によるストーリー始まりとして語られてきた邪馬台国古代の日本史を語ろうとすると、ほとんどの場合、最初に話題に出てくるのが邪馬台国です。3世紀頃の出来事であり、その所在地はいまも確定していません。日本史には未解決の問題がいくつもありますが、これほど広く知られ、しかも長い間語られてきたテーマは、そう多くないでしょう。邪馬台国は、古代史の「入り口」に、ずっと置かれ続けてきた問題だと言っていいと思います。一般によく知られてきたのは、邪馬
○ここまで、ブログ『遣唐使船南島路』から『卑弥呼の現住所が硫黄島であること』、『出雲神の故郷が硫黄島であること』、『坊津が日本三津の筆頭であること』、『天孫降臨の世界山』、『大和三山』、『天降り付く天の香具山の風景』と続けて来た。○つまり、邪馬台国三山、うねびやま=霧島山(1700m)かぐやま=桜島山(1111m)みみなしやま=開聞岳(924m)に関連して、『大和三山』、『天孫降臨の世界山』、『天降り付く天の香具山の風景』と続けているわけである。こうなると、次はブログ『ひら
今回は古代史系のお話です。天岩戸神話については、みなさんご存知と思いますが、まずは概略を説明します。『古事記』『日本書紀』で、神話によっては内容が異なる部分もありますが、天岩戸の話は、どちらも大筋で大きな差はありません。天照大神の弟は素盞嗚命で、高天原で、田の畦を壊して溝を埋めたり、御殿に糞をまき散らしたりして大暴れしますが、天照大神は、はじめは、文句を言う他の神々から弟をかばっていました。ところが、天照大神が衣を織る機屋にいるところに、素戔嗚尊は皮をはいだ馬を投げ込みます。こ
『古事記』『日本書紀』において「神々が話し合い、大国主が平和裏に国を譲った」とされる美しくも神秘的なこの神話。記紀神話という分厚いベールを剥がし3世紀半ばのアジア情勢とリンクさせた歴史の再構築を従来の定説(アカデミズムの解釈)と対比させながらひとつの歴史絵巻としてまとめていきます。記紀神話における「国譲り」の筋書き使者の派遣と失敗:天照大御神(天津神)が地上世界(葦原中国)の治権を求め、天穂日命(アメノホヒ)や天稚彦(アメノワカヒコ)を使者として降臨させますが
○もともと、このブログのテーマは「玄中寺参詣旅」である。その「玄中寺参詣旅」を終えて、後日談を書いている。それが『廬山の慧遠』から始めて、『普陀山:観音菩薩の霊場』と繋げて、ここまで、ブログ『遣唐使船南島路』から『卑弥呼の現住所が硫黄島であること』、『出雲神の故郷が硫黄島であること』、『坊津が日本三津の筆頭であること』、『天孫降臨の世界山』と続けている。○こうなると、どうしても邪馬台国三山の話を完結しておく必要性を感じる。もちろんそれは、前回のブログ『天孫降臨の世界山』から始まっている。もっと
NHKの大河ドラマ、豊臣兄弟で、豊臣秀吉が天下統一に向け、動き出すようになってきた。主人公の豊臣秀長(小一郎)の知恵と勇気、調整力が描かれるようになるが、どのように描かれていくか楽しみですね。このなかで、豊臣秀長の死(1591年1月)後、豊臣秀吉は明の征服とそれに先立つ朝鮮征伐(文禄・慶長の役、1592年~1598年➡こちら)に向かう。ところで、日本と朝鮮半島とのかかわりが、はじめて、中国の歴史書にあらわれるのは、魏志倭人伝(三国志第30巻魏書の烏丸鮮卑東夷伝の中の倭人条の略称
【日を追う者たちと、シラス帝国の誕生】第1章:太陽(ひ)を求める旅と、最果ての「日向」〜紀元前数世紀頃すべての始まりは、九州の地(初代ヤマト)にあった。古代のヤマト族は、生命の源である「太陽(ひ)」を強烈に信仰していた。彼らの祖先は「太陽神〜天照大御神〜」として祀られ、太陽が昇る方向である「東」を何よりも神聖視し、自らの領土の東海岸、海から真っ先に太陽が昇る太平洋沿岸の地を「日に向かう地=日向(ひむか)」と名付けた。長い年月の中で、大和言葉の「ひ(太陽)」は、最も純粋で力強い母音で