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守谷城址に来ています守谷城二の丸からの眺めです絶景かなはす田の緑が濃いわぁ延々と広がる緑ですこの時期は緑のじゅうたん良き眺めじゃやはり眺めは昔からなんだなさらに進みます暑いけど木陰は風もあり気持ち良いです橋が登場そろそろ本丸か現在地がわかる当時は周
4年ぶりに再訪した小呂島ですが、一番の目的は電燈所を探すことでした。電燈所は射光機(探照灯、サーチライト)による夜間時の警戒と加農砲の射撃補助が任務でした。要塞砲台に付属設備として構築され、小呂島にも砲台北方島端高地に設けられたことが史料に書かれています。地図で確認します。電燈所の正確な場所は不明ですが、「砲台北方島端高地」は北端にある標高44mピーク以外に考えられませんので、砲台から北に向けて伸びる交通路を辿ってみました。途中から激ヤブになり道をロストする場面もありましたが、
前回の続きです。精錬所の遺構を見るため少し籔の中へ入る。すると、排水溝でしょうか?中に色々詰められてます…その他にも、あの開口部から何かしら出てきていたか?これはホッパーだろうか?近づくと、シュート形状はなく穴があいてました。その精錬所の前にも坑内水処理施設の貯水槽でしょうか?貯水槽みたいな物が何個かあるんで沈殿させているようだ。その槽から水路がのびています、中を覗くと、真っ赤。この水路を辿るとアレがあるのでは…右下が水路です。登ります、途中には、ボー
遺構探索は陸海軍の砲台・見張所に絞って行っています。◎陸軍…要塞の砲台・堡塁・関連施設、北九州の防空陣地◎海軍…警備隊/防備隊所属の防空砲台・見張所・防備衛所・関連施設◆目次◆~クリックで各ページが別ウインドウで表示されます下関要塞(明治/大正期)[概略]砲台:[田ノ首*][筋山*][老ノ山*][田向山*][笹尾山*][古城山*][門司×]火ノ山砲台*:[概略][第一][第二][第三][第四][補助施設][低観測所]堡塁:[戦場ヶ野×][一里山×][金比羅山×][龍司山*]
筑西市国指定文化財になっている関城跡に来ています八幡神社からさらに歩いて遺構を探しています庚甲塔浅間大神等々たくさん置かれていますこの辺りも土塁でしょうか近くに点々と石仏も置かれていました通りの名前も関城通りださらに歩くと石碑がありました関宗祐父子墓案内板付きで
【2】より続く。現れた、第三の橋梁。これまでと違い、中音水川の本流を渡る橋梁である。正対して見ると、渡河した先で、路盤はググッと左に曲がっていくのがわかった。そしてお気づきだろうか、桁のIビームもわずかに曲げてあるのが。これは面白い!念のために申し添えておくと、上流は写真右側。よって流されてきた岩などで曲がったわけではない。なんだろう、あそこから少し曲がり始めないと路盤の曲線と合わせられなかったんだろうか。めっちゃ気になるわ~。現地でもこれは盛
鉾田市に来ています烟田城跡があるので来てみました烟田城跡には新宮小学校がありましたが今は廃校になっています廃校がどこも増えています見事な土塁良くわかりますね奥へ進むと小学校の校庭にでます奥には鳥居が見えます小学校の校庭に氷川神社小さなお社がありました本殿が見えた烟田城は烟田氏
電波がないなら電波のある場所に行けば良い。そう考えたか~み~は取り敢えず尾根を目指した。それこそいつもの様に無理矢理斜面を直登するのだから、チャクラを大幅に削られる。恐ろしいのはそのヌチャヌル度合いである!!本来あるべき姿のふかふかの斜面は…ッッ!!ローション坂48へと姿を変え…ッッ!!か~み~をスリップ地獄へと嵌らせた!!一方その頃だみやんボーイは…。ムレムレの湿気地獄の中、か~み~の到着があまりに遅すぎる為怒りがピークに達していた!!以下は下山後に聞いたその時のやり取りである。
【22年12月4日探索・24年4月19日公開】現在地はこの辺尾根筋まで上がってきた。この先、道なり方向には赤い看板があった。道はこの先に延びているし、私は過去にこの先にも行った事があるんだが、以前はこんな看板はなかったぞ。あんな真新しい看板を見たらその脇を抜けて先に行く気にならないので、振り返り方向の道を進んでみよう。車道ではない道が続いていたが、秩父ファミリーパークとは無関係と思われた。この先20m地点に何かがあるのがちらっと見え
大東亜戦争末期の昭和20年(1945)、下松市は6回の空襲を受けました。『下松市史』から引用します。1回目:昭和20年5月10日B29約300機徳山の海軍燃料廠および岩国の陸軍燃料廠を狙った空襲でしたが、下松市にも軽微ながら被害を受けました。負傷者4名、建物損壊3戸。2回目:昭和20年6月30日B2930機下松市の工業地帯が狙われ、日立製作所笠戸工場と日本石油下松製油所などを中心に被弾。死者64名、負傷者16名、建物損壊69戸。3回目:昭和20年7月15-16日B
呉市警固屋の「音戸の瀬戸公園」は平清盛が夕日を招き返して1日で切り開いたという伝説の名勝地ですが、園内の一番高い場所にある高烏台には、明治期に陸軍が築城した「高烏堡塁」の遺構が残っています。この堡塁は大正期に廃止となり海軍に移管されましたが、昭和期には堡塁跡地に海軍の高角砲台が置かれ、大東亜戦争終結まで呉の防空を担いました。昭和20年(1945年)終戦時の呉軍港周辺配置図で場所を確認します。高烏(たかがらす)防空砲台の履歴は以下の通りです。(呉海軍警備隊戦時日誌、引渡目録等より)
到着しました守谷城址公園です公園はとても広い今回探索するのは守谷城の部分です長年の風雨で残念な形・・・おしいなぁ気を取り直していざ出陣!湿地帯広がる城作りには良い土地かそろそろ出て来ますワクワク写真では迫力が伝わらない・・・写し方が悪いのよ腕悪いから・・・実際はか
おはよう御座います。ツルハシです。さて、今回はと言いますと長崎県の知り合いから連絡があり、「栢木炭鉱が大事になっとります!」内容は、以前に炭鉱調査へ入った長崎県松浦市旧栢木炭鉱の坑口が土砂崩れによって崩壊しているとのことでした。周囲の詳細な確認をお願いしたところ扁額が埋まらず坑門から剥がれ落ちていると報告を受けた。崩落前の坑口崩落前の写真2この坑門に埋め込まれた扁額が…このように1つ1つバラバラに散らばっていたとの事でした。坑門は、完全に崩れて土砂に埋まっていたと聞いた。
牛久市のお目当て小坂城跡に着きました公園になっています整備されていると案内板があるのでわかりやすいです結構大きいな小規模な城だったと思うがこう見ると広いわ他がもっと大きいってことかしらね小田氏から分かれた岡見氏が築城さすが城登るんじゃ~整備されているから上りやすいんだがやはり・・・きついわぁあ
守谷市で遊んでいます守谷市と言えば・・・そりゃあもう、見どころ満載と言うことで・・・電車見に来た守屋駅ですこちらはJR守谷駅おっとぉTXだぁそして隣には関東鉄道の守谷駅関鉄がんばれローカル線いいぞ!さて城址目指して行きましょう守谷森林公園その前に
行方市に来ています木崎城址と香取神社を見に来ました香取神社だよぉおっとぉ木崎城跡じゃぞぉ甲斐の武田氏の一族とな城内の守護神香取神社すてきですねぇ遺構を見ることができます行ってみましょうこれなんだ・・・ほぅ境内は緑が映えてきれいです
先日、八瀬の花尻の森に伺った帰り道、ケーブル八瀬駅にも立ち寄った。少し前に知った八瀬もみじの小径、早くも新緑の季節。ところが少し様子が変わっていた。橋などが手入れされ、枯れていた人口の渓流にも並々と水が注がれ、滝も復活していた。元々この場所にはお寺か屋敷が建っていて、その庭園の遺構がそのまま残っていると聞いた事があった。最近のSNS効果で紅葉期には沢山の人が訪れるようになり、新たな紅葉名所として動き出したのか、かなりほったらかしだった山肌に足場が
前回までに砲台跡の遺構はすべて紹介しましたが、史料を読み込むと御殿山第二砲台には付属する観測所が多数設けられていたようですので、「その3」ではこのことについて書いていきます。まずは付属する観測所一覧です。()はおおよその標高と備付の測遠機の種類となります。①右翼観測所(335m、武式)②左翼観測所(335m、武式)③砲台鏡観測所(300m、砲台鏡)④応式分置観測所(300m、応式)⑤穴澗(あなま)低地観測所(70m、武式)⑥高龍寺山低地観測所(140m、武式)⑦立待
【ひばらさんは栃木を探訪しております】栃木県内をへこへこと探訪しに行っています。栃木県内のB級スポット、マニアックなお店、イベント、史跡、遺構、珍百景、伝説、ゆるキャラを探しています。※別にそれだけでなく、一般的な観光名所や一流のお店なども掲載しております。また採石場に行ってしまった。今回は、宇都宮市大谷町にある「カネホン採石場」。大谷石の露天掘りをしている唯一の採石場で、現在も採掘をしている採掘場です。普通に重機が行き来していました。このカラーコ
旧第二雀田炭鉱の遺構が残るという事で厚南妻崎地区へ向かった。第二雀田とは聞かない名だ。雀田、新雀田、第二雀田とあったようで雀田と新雀田は知っている、(新雀田炭鉱)雀田とは駅南側に位置した。新雀田はそこから西側に位置していた。鉱区番号で調べたところその名がありました。第二会社かなにかでしょうか?現地に到着する、駅を見ると痕跡が残っていた。引込線と積込場跡が残る、積込場の基礎が3列並んでいた。そして、斜坑があるという場所へといきましたが、地元の話しによると最近
2月に屋島山頂に、宿泊したばかりなのですが気に入ったので、また、同じ所に宿泊しました~👍️この宿から見える、高松市内の夜景が素晴らしい✨駐車場🅿️が狭いので💦相方のMARCH「マー兄さん」で❗(笑)前回2月に、部屋の窓から見えた、老木の桜が気になってました。しっかりと、🌸桜の花を、咲かせてました🎵🎵🎵部屋の窓からは、こんな感じに見えますよ🎵窓から、北側を眺めると、山桜が沢山咲いてましたこのホテルが有る場所自体、昔の屋島城跡らしいのですが❗城といっても昔の砦跡。
薬師山砲台は、函館山最高峰の御殿山ピーク(標高334m)から北東にやや下がった標高250m付近に位置しています。地図で場所を示します。なお矢印は射撃の首線となります。御殿山第一、第二および千畳敷砲台が湾内~津軽海峡に向けての海上射撃を行う海正面砲台だったのに対し、薬師山砲台の射撃の首線は後方にあり、函館港内および地峡に広がる函館市街地に敵が侵入した際にはこれを射撃し撃退することが任務でした。陸正面防御の要素が強いので砲台と言うよりは堡塁と呼んだ方がしっくり来ますが、実際史料には「薬師
境町に来ています次に来たのが長井戸香取神社長井戸城跡でもあります遺構を見ることができるのか・・・こちらも広い境内です創建は不詳のよう長井戸城跡に移築されているよう創建は不詳ですが宝永3年の記録も残っているそうです先へ進みますいつのものか・・・寛政文化天保文久
【20年3月15日探索・10月11日公開】先ほどの鞍部よりも雷電山寄り約50mの場所で、以前見た記憶はあるものの9年も前だったため、改めて新鮮な気持ちでの索道遺構との再会となった。現在地をGPSで確かめた。雷電山山頂から南東方向約120m、ハイキングコースからは直線距離でわずか30m程だ。角度を変えて撮影したら、もう一つ左側にも索道のプーリーが残っているのがわかった。その左側の木材、支柱なのでは?鞍部が50m位離れて2カ所あったという事は、索道
今回は飯塚市平恒にあった旧忠隈炭鉱の調査を行う、飯塚市内からこちらへ向かうとボタ山が見えてくる筑豊富士、ここまで完璧な形で残るボタ山があるだろうか?調査は炭鉱住宅から開始します、基礎となるブロックは新しく感じるのだが、ここにも炭鉱関連の建物があったのでは?そこから奥へ歩いて行くと、忠隈炭鉱、第四坑巻上台座。近くで見ると、赤く綺麗なイギリス積みの煉瓦です。周辺は新しい住宅が目立つ住宅街にこのような遺構がポツリ残るのも筑豊地区独特な風景だろう。詳細、庄司
20inchの自転車で...名古屋市内の@NAGOYAを全数回った時...『16inch自転車で「@NAGOYA」全部回ってみた!』16inchのミニヴェロで「@NAGOYA」全数回ってみた(市内5ヶ所あり)@名古屋港ガーデン埠頭@名古屋城@久屋大通公園@オアシス…ameblo.jp主目的は...名古屋市内の藤原師長のゆかりの地を撮影して回る事だった🚴藤原師長1179年(治承3年)平清盛により都を追われ(
昔免許を取る時の適正検査の質問で、誰かが私を陥れようとしている。〇or✕で〇をつけて出そうとしたら教官に「これ違うでしょ!」と突っ込まれた経験があるか~み~(主食がアブラムシ)です!まぁ簡単に言っちゃうと10代の時から中二病まっしぐらなんだZE!そう!常に何かに警戒して臨戦態勢ってやつさ。そんな感じで続きを書こう。遺構が目立って来るのはわかるんだけど、土砂崩れか台風で流されたのかグチャグチャに潰れてる物が非常に多い。まだ先なのかもしれないがmog氏に教わった目印となる物がほとんど見つから
少し前のことになりますが、用事で北浦和(さいたま市)に行って来ました。予約していた時間よりも早めに着いたので、北浦和公園に行ってみました。実は、20代前半の頃に北浦和公園のすぐ近くに住んでいました。北浦和駅に向かう時は、この公園内を通るのが近道でした。埼玉県立近代美術館時間があれば、入りたかったな。北浦和公園では、近代美術館の周りや彫刻広場を中心に、様々なパブリックアートに出会うことができます。果実の中の木もれ陽子午線―1993アートを楽しみながら散歩するのもいいですね。音楽
手元の資料を見返すと三波川村(現在は合併により消滅)と日本ニッケルの間に締結された約定書類にはこう書かれている。「甲ハ乙ノ選鉱場用地トシテ字雲尾部落ノ土地売渡及ビ家屋移転並ビニ之ニ附帯スル事項ヲ斡旋シ附近村有地内一定区域ヲ限リ乙ニ貸与スルモノトス」雲尾のニッケル鉱の項目に出ている事と地図から割り出した場所からしてもやはり多野鉱山で間違い無かったようだ。更に読み進めて行くと日本ニッケル株式会社多野鉱山と普通に出てたwwwカタカナと漢字だとついつい飛ばしがちになっちゃうけどちゃんと隅々まで読
5月14日先日、「ザウスの跡地」を書きましたが、同時期にこれまた鳴り物入りで開業して同じようにいきなり閉園した「ワイルドブルーヨコハマ」。跡地は、マンションになったまではわかってましたが、地元じゃないのでなかなか見見つけられなくてずっと行けなかったのですが、やっとマンション名の入った地図で場所を特定できたので行ってみました。その前に、実は私、ここは友達と行ったことがあるのです。けど、覚えているのは遠い、混んでる、だったりして。ここの特徴は屋根があるので全季節、全天候対応型なの