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管理人の城のHPは世の知られた城も掲載するが、一方では公開するのが本邦初という物件も柱にしている。後者はいわゆる「一番槍物件」という奴である。それ用のネタの城探しをしていると、これは本当に城なのか?という物件に何度も遭遇した。ある人はそれは城と言うし、ある人はこれは城じゃないと言う。まあ、そんなビミョウな物件がほとんどである。多分、タイムマシーンに乗って過去に飛ばないと、城かどうか永遠に分からないだろう。城と判断する基準は、遺構と立地、伝承・文献、地名とか色々あるが、全部揃っている
城のふもとで感じた空気丸亀城へと続く道を歩きながら、頬を撫でる風の柔らかさに、心がほどけて行く今日は、丸亀城石垣崩落復旧整備事業現場見学会昨日、友達と丸亀城ウォーキングしててPR館の職員の方から今日の現場見学会のことを聞いて行ってきました何百年も前からこの地を見守ってきた石たちに、会いに行ってきました根石と言う言葉に惹かれて現地へと向かいましたここで、受付を済ませます13時前ですが、まだそんなには並んでなくスムーズに入れました普段は、入ることのできない所です丸亀城の南西部に
神奈川県相模原市緑区にある城山ダム。相模川本川に1965(昭和40)年に完成した重力式コンクリートダム。その貯水池は津久井湖と名付けられました。いま津久井湖の水位が下がり、湖底に沈んでいる昔の遺構が姿を現しています。この機会に普段は行けないその遺構に行ってきました。城山ダム堤体の上流側。撮影時、津久井湖の貯水率は16%まで下がっていた。水位は6門のラジアルゲート(4×クレストゲート・2×オリフィスゲート)の下まで下がっている。当然ながらゲート放流量はゼロだが、発電放流量は
きのう3月22日は「放送記念日」だったそうで、朝クルマのエンジンを掛けたときにナビが教えてくれましたが、その場でスマホで検索してみると100年前に日本で初めてラジオ放送がされた日でありました。広島でテレビ放送が始まったのも同じ3月22日で、これはawakinがこの世に生を受ける2年前、今から69年前の1956年(昭和31年)のことでありました。それは己斐の大茶臼山頂に今も存在するマイクロウェーブの中継所が稼働し始めた日ということです。当時このマイクロウェーブの中継所で働いていた
2025年3月神奈川県相模原市緑区三ケ木(みかげ)古いほうの道志橋を探索上が現道志橋(1964年完成)下が旧道志橋(1964年撤去)橋に続いていたであろう手前の道橋台…?荒れてます石と見せかけ一部は土のうです対岸側の橋台や橋脚が残っています大正13年(1924)に、この地に鉄橋が架けられ、橋床は木製のため昭和27年(1952)に、床のみ鋼床板に取り替えられました現在の道志橋とほぼ垂直になる程、新と旧とでは橋の向きが全く異なります↑これ、ズーム無しでの撮影で、現地でも「すぐそこ
本日は2/23(日)せっかくの連休なので家族で宮城県に車で旅行へ…AM4:00出発🚙常磐自動車道を走っていると…🚙未だに放射線量を計っているんだね…AM9:30仙台市内のアンパンマンミュージアム到着🚙横浜にもありますが子供達がどうしても行きたいと…😅私はその間、気になっていた…仙台のウワサのお菓子霜ばしらを探し求め…🚙お店の開店10:00と同時に行きましたが…既に凄い行列…😱急いで並びましたが…なんと…私の前の人まででちょうど完売😱然し!!サイズは少
なぜ小金城を投稿するのよ?私はまぁ東京の極東地域(!?)に住んでいるのですが、そうなると、葛西城とか、江戸城とか、平塚城とか、東京の気軽にいける城は行き切っちゃう訳ですよ。だから、あぁ……なんか近くに城ねぇかなぁって思ってたんです。あぁあるぅ!!!!!あるんですねぇ……!小金城ですよ!小金城!視野が狭かったですこれまでは。千葉もあるじゃないか近くに!ばかやろう!!ばかこの!!ただですね……まぁ城に行くって決心したのが3時くらい(おせぇよ)だったので、パッとだけ調べてみたんですよな
ちょっと前に用事があって房総まで行ったんですが、高速代をケチろうと夜中に都内を通過するスケジュールにしたんですわ。首都高は深夜でも料金は変わりませんが、東北道とアクアラインは時間割があるので。いやぁ何度も通ってますが、やっぱり首都高は訳が分からない(笑)カーナビが無ければまず目的のルートを走ることは不可能だし、ナビがあっても連続するコーナーと分岐には、気が休まる暇がありません。しかも夜中の首都高は流れが速く、緊張しっぱなし。ようやくアクアラインに入ったころにはへとへとでした。助手席
今日は、昨日のメンバーに神宮寺隊員、親方が合流し長崎県佐世保市にある無人島の永ノ島へ。瀬渡しで10分到着永ノ島は、ここです。かつて、永ノ島炭鉱として栄えた島で、明治時代から昭和初期にかけて石炭を採掘していました。1897年:坂田某が採炭権を取得し、永ノ島での採炭が始まる。1906年:初期の採炭が終了し、炭鉱は閉鎖。1947年:堀川辰五郎が採掘権を取得し、再開。1953年:再度閉山。1960年代:栗山鉱業株式会社による本格的な開発が始まり、