ブログ記事4,271件
【0215】~2/27締切公園は2028年板橋第五中学校で「史跡公園(仮称)デジタルミュージアムオープニングイベント」が3/14(土)に開催されます(出典:板橋区公式サイト)「史跡公園(仮称)」は、板橋区加賀一丁目にある国史跡「陸軍板橋火薬製造所跡」を、当時の遺構や建造物を公開する公園として整備する計画です板橋区加賀1-7-7新板橋駅から歩いて10分ほど2028年のグランドオープンにさきがけて、史跡指定地内の遺構・建造物や、史跡関連史資料をアーカイブした「デジタルミュージアム」が
資料室の吉田です。本日(2月16日晴)の旧取水口の水位は96cm、石は3つ見えます。寒さの底は過ぎたのでしょうか、ここ数日は少し暖かい日が続いています。資料室の活動をさせていただいている枝下町老人憩の家は、構造上どうしても室内が暖まりにくく、寒さが大の苦手な私は、この時期はコートを着たまま毛布を掛けて過ごすことも多々あります。ですが!今日は久しぶりにコートを脱いで過ごすことができました。このまま春が来てくれればなぁと思いながら、この時期といえば!と思い立って、午前中は資料室
忘れない「忘れない」震災犠牲者の行動記録岩手県における震災犠牲者の,地震発生時から津波襲来時までの避難行動をまとめたデジタルアーカイブ.東京大学大学院渡邉英徳研究室✕岩手日報社wasurenai.mapping.jpXで見つけたシステムです。まだ本体?をみていませんが切り抜きの写真をアップされてる方がいて目に入ったのは懐かしい名前。訪問介護の利用者を気遣い高台の自宅からそのお宅へ向かった。と当時私が聞いたままの話が添えられていました。そのお宅は我が家のすぐそばで山の上がる
【番外編】として、横浜・関内駅周辺を短時間で歩いたときのメモです。イベントがない日でも、スタジアム周辺は散歩しやすく、ちょっとした発見がありました。■歩いたエリア・関内駅周辺〜スタジアム外周〜横浜公園あたり(短時間でも回りやすい範囲でした)■見どころメモ(印象に残った点)・スタジアム周辺は歩道が整っていて、ぐるっと歩きやすい・横浜公園内に、案内板のある歴史的な遺構がありました(旧居留地消防隊の地下貯水槽遺構の案内)・観光地の中心に行かなくても、「街の情報」を拾える散歩コースとい
遠方より兄が久々来鎌。母の見舞い面会のあと、和カフェでお茶したり、若宮大路の発掘遺構展示や侍気分さんに行ったり鶴岡ミュージアムで今日から始まった「鶴岡八幡宮とSAMURAISPIRITS」(刀剣展)いったり、ミニ観光。
城のふもとで感じた空気丸亀城へと続く道を歩きながら、頬を撫でる風の柔らかさに、心がほどけて行く今日は、丸亀城石垣崩落復旧整備事業現場見学会昨日、友達と丸亀城ウォーキングしててPR館の職員の方から今日の現場見学会のことを聞いて行ってきました何百年も前からこの地を見守ってきた石たちに、会いに行ってきました根石と言う言葉に惹かれて現地へと向かいましたここで、受付を済ませます13時前ですが、まだそんなには並んでなくスムーズに入れました普段は、入ることのできない所です丸亀城の南西部に
管理人の城のHPは世の知られた城も掲載するが、一方では公開するのが本邦初という物件も柱にしている。後者はいわゆる「一番槍物件」という奴である。それ用のネタの城探しをしていると、これは本当に城なのか?という物件に何度も遭遇した。ある人はそれは城と言うし、ある人はこれは城じゃないと言う。まあ、そんなビミョウな物件がほとんどである。多分、タイムマシーンに乗って過去に飛ばないと、城かどうか永遠に分からないだろう。城と判断する基準は、遺構と立地、伝承・文献、地名とか色々あるが、全部揃っている
ここ数か月、とても多くのタスクを課せられている日々の中でも、呑気な気分で過ごせた時もありました。僕が愛する晴海橋梁が遊歩道化された後、ついに歩きに行ったのです!なぜか84歳の母と一緒に歩く展開になってしまいましたが、まあ良い思い出が出来た、という事にしておきます。(^^♪足元が一部スケルトンになっていたり、横に飛び出した部分の柵とか元のままになっていたり、錆び錆びで立ち入り禁止の遺構だった時の感じを程よく残してくれてます。この橋に興味が湧いた方は、こちらもご覧ください。↓東京都
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/92847県庁所在地なのに認知されていない「福島城」、近世城郭にして遺構も残る城の見どころ、かつて伊達政宗の祖父が隠居日本「地味城」列伝(1)|JBpress(ジェイビープレス)日本全国の県庁所在地には、藩政時代の城下町に由来するものが多い。それらの中でももっとも地味、つまり城や城下町が認識されていないのが、福島ではなかろうか。だいたい福島県下で近世城郭jbpress.ismedia.jp伊達領の時代、
帰り道、城腰地区を少し散策しました古い石垣の跡?城腰地区へ抜ける道不動院へ至る坂土壁・土塁の跡?空堀を埋め立てた跡?馬坂城構自体は現代に至るまでに相当改変されてる(特に、野球場の建設により)ので、基本的に遺構は殆ど破壊し尽くされているようですただ、集落の構造自体が他の佐渡地域と異なり、かつてここが馬坂の城であったことを感じさせるような雰囲気が残っているのではないかと思いました最後に、霧
三重県伊賀市古郡にある古墳時代の遺跡で日本庭園のルーツともされる。3か所からの湧水を引き込んだ祭祀の遺構や掘立柱の建物跡などが残り、資料館も併設されているが、開館は金・土・日だけだった。
神奈川県相模原市緑区にある城山ダム。相模川本川に1965(昭和40)年に完成した重力式コンクリートダム。その貯水池は津久井湖と名付けられました。いま津久井湖の水位が下がり、湖底に沈んでいる昔の遺構が姿を現しています。この機会に普段は行けないその遺構に行ってきました。城山ダム堤体の上流側。撮影時、津久井湖の貯水率は16%まで下がっていた。水位は6門のラジアルゲート(4×クレストゲート・2×オリフィスゲート)の下まで下がっている。当然ながらゲート放流量はゼロだが、発電放流量は
下北交通大畑線第3回探索日2024.11.03公開日2026.02.11所在地青森県むつ市対岸からの景色2024/11/0307:28《現在地》下北側からの渡河を諦め、ぐるっと国道279号線を通って対岸へとやってきた。流れの小さな水面にはその姿が映し出されている。おそらく開業から架け替えられていないであろう橋は今年で86年を迎える。第一・三径間を緑に覆われながらもここに歴史があったことを伝える者としての定めを全うしているのかもしれない。