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ミラクルスプラッシュ再投稿赤羽潤さん@tiran_tokkotai16時間・・鳥濱トメ命日・・今日(4月22日)は私の祖母・知覧特攻の母鳥濱トメの命日にあたります。祖母のトメは戦中、軍指定の食堂「富屋食堂」を営んでいました。当時、物が無い時代に特攻隊員達のお腹を満たしてあげるため家の家財を投げ売り食材に換え、テーブルいっぱいにご馳走を並べてあげました。特攻隊員達は「こんなご馳走食べさせてくれるのは嬉しいけど俺達はそんなにお金は持ってな
2020年12月12日土曜日。この日は前週に登った宮路山とは峰続きの場所を歩いてきました(^O^)歩いてきたのは、宮路山の西にある五井山と御堂山の間のこの区間(σ`3´)σ2019.1.12「宮路山→五井山(内山駐車場~)①内山駐車場~野鳥の森~展望の丘」「宮路山→五井山(内山駐車場~)②展望の丘~宮路山」「宮路山→五井山(内山駐車場~)③宮路山~五井山」2020.1.25「砥神山→御堂山(JR三河三谷駅~)①JR三河三谷駅~登山口~原山」「砥神山→御堂山(JR三河三谷
栖雲山安禅寺■西山浄土宗■御本尊:西国三十三ヶ所の観音菩薩■京都市南区久世上久世町629■洛西観音霊場番外室町時代に後花園天皇の第一皇女・観心女王により創建されたと伝わり、当時は御所内に存在していました。観心女王は当寺に入山して住持となり安禅寺宮と号しました。江戸時代に栖雲和尚によって中興された際に現在地に再建されましたが、桂川の氾濫でたびたび被害を受け再建が続けられました。観音堂には西国三十三ヶ所の33体の観音菩薩が祀られ写し霊場となっています。西国巡礼の観音講が出発前に家族
昨日の帰宅時、なにげに前を走ってる車のナンバープレートをみると👀な、なぬぅ9292クニクニでしてびっくりしましたぁハハ続きから移動します。ブッブー北小倉のしだれ桜もう、終わりですね黒沢川の桜ここも、散ってましたねハーッ川はきちゃないので写しません田多井観音堂の枝垂れ桜完璧に終わりじゃーんチッ岩原の大しだれ桜写真とちがーう終わってます常念道祖神の桜これも終わってるぅ宗徳寺花びらが・・終わってるじゃん大町市へ移動します。ブッ
各キャラクターが誰に殺されたのかとその方法や殺され方等を書き出してみました。莫玄羽莫家一家と、金光遥に恨みを晴らすため献舍して、自害。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧江楓眠温氏による蓮花塢襲撃で、刺され殺された。魏嬰達によって埋葬されたのだろう。୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧ユー夫人温氏による蓮花塢襲撃の際、江楓眠の死を感じ、首を斬って自害した。魏嬰達によって埋葬されたのだろう。
以前南房総の神社巡りをしていた際この神社はかなり高いところにあり階段や坂を登るのが大変だろう?と勝手な憶測で参拝を見送っていました。人見神社さん確かに街を見下ろす高台にありましたが社殿の左横に駐車スペースが3台分あり運良くどなたもお参りしていなかったので停めることができました!九曜紋があるので妙見様(北辰星)と御縁があるのかと思ったら主祭神はアメノミナカヌシ様!やはり!ひとみの妙見様人見神社御祭神一、天之御中主神あめのみなかぬしのかみ日本神話
みょうがくいん慈雲山明学院おはようございますご訪問ありがとうございます投稿されてなかった(^_^;)【所在地】山形県最上郡最上町若宮119【宗派】天台宗【札所本尊】十一面観世音菩薩【通称】太郎田観音【札所】最上三十三観音霊場第32番由緒・歴史この地方はその昔、一帯が見渡す限り泥海のようであったが、最上川流域の開拓に従って原野となり、部落が作られていった。その未開の頃に伊豆の国の伊豆三郎という者が移り住み、狩りや漁をして生活していた。ある日、
こんにちは、みなさんお元気ですか?強い冬型の気圧配置の影響で、8日から10日にかけ日本海側を中心に再び大雪になることが予想されているそうです。気象庁も積雪による雪崩などに注意を呼び掛けているとのこと、該当地域にお住いのみなさまは十分にお気をつけください。さて、先月29日にアップした記事で筑西市立農業資料館に咲く蝋梅(ロウバイ)を紹介したところですが・・・実は農業資料館を訪れた同じ日に、茨城県筑西市内にある、蝋梅が咲くもうひとつの場所・宮山ふるさとふれあい公園にも行ってきたのでご紹介させて
楠木家の姻戚筋である服部家・服部友貞の居城で、今も尚、戦国期のまま現存する荷之上城(国指定重要文化財・通常非公開)を特別に公開して頂き、15代目ご当主からお話しをお聴きする第47回楠公研究会「楠木一族と服部一族〜南北朝動乱から戦国時代、そして現代まで繋がる盟友関係とその歴史〜」を、5月12日(日)今後2時から以下の通り開催致します。https://facebook.com/events/s/%E7%AC%AC47%E5%9B%9E%E6%A5%A0%E5%85%AC%E7%A0%94%E
今日はブギスにやってきましたいつも多くの参拝者の方々で賑わっているこちらの仏教寺院。観音堂178WaterlooStさて、今日の目的は観音堂ではなく、ロビンさんという有名な占い師さんにみてもらうこと。留学経験があり英語が堪能なお友達に誘ってもらいました待ち合わせ場所に早めに着いたので、観音堂のすぐ近くにあるスリ・クリシュナン寺院の色鮮やかさにしばし見惚れる…神様クリシュナが祀られた寺院です。一番上の方で、青い体をして笛を吹いている神様がクリシュナ。美男子で
読谷(よみたん)村字喜納に観音堂公園という名前の広場があります。この広場の一角に文字通りの喜納観音堂があります。広場は周りよりも若干下がっています。道路から観音堂までの参道があります。そこを暫く進むと赤瓦の建物が見えてきます。これが喜納観音堂です。祭壇の中央にはケースがあって、その中に千手観音が入っています。堂の中はとても綺麗に清掃されていました。観音像はこんな感じです。割と小型な像です。この観音像は本島北部の金武(きん)町から1841年頃に勧請して喜納に来たとされています。
皆さんこんばんは。前回の続きになりますが報徳二宮神社でお参りのあとは如来寺でお参りして素敵な御朱印をいただきました。期間限定御朱印〜祈り〜如来寺でいただける御朱印御朱印帳如来寺は、室町時代(1478年頃)、金蓮社暁譽上人により開創された浄土宗の寺院です。境内には、本堂、鐘楼、観音堂(下野33観音札所第4番)、地蔵堂、弁天堂、星之宮等の諸堂があり、兼務寺院は浄泉寺、玄樹院の2ヶ寺であり、その他、回向庵を管理しております。江戸時代には、日光社参の折、徳川将軍が宿泊する
4/14、夜勤明け。帰り道、ちょっと寄り道して布引観音へ。「牛に引かれて善光寺」の元がここから始まってるらしいことが、記載されてる。意外と険しい道を登ってく。二段滝。見上げると崖に張り付く様に観音堂が見える。仁王門と観音堂。昔はここから登って行ったってことか?今はここからは上がれません。仁王門の前を通り過ぎて登ってくと、本堂とシダレザクラ。観音菩薩像とシダレザクラの向こうに観音堂。水の溜まったカメの中に繫殖期のヒキガエル。手掘り
みなさん、こんにちは。少し前に、京都府木津川市にある「蟹満寺(かにまんじ)」に行ってきました!※外出の際は「新しい旅のエチケット」を参考に、感染リスクを避けてお出かけくださいこちらのお寺は、今昔物語に登場する「鶴の恩返し」ならぬ「蟹の恩返し」の伝承で有名なお寺です。「蟹の恩返し」について簡単に触れておきます。昔々、観音様を厚く信仰する農家の父娘がおり、ある日、村人が蟹を捕まえて食べようとしていたのを、可哀想だと娘が買い取って逃してあげたそうです。またある日、父が田んぼで蛇に食べられそ
昨日はブログを休んでしまい、いつも見に来て下さる皆さま本当にすみませんでしたあまりにも良いお天気で、気温もあまり上がらなかったので急に思い立って、東京都の端っこの青梅市の御朱印巡りをしてきました。流石は観光地だけあって、観光案内所もしっかりあって、山も近いし気持ちの良い散策になりました。電車で青梅に行ったのは初めてで、それだけでもワクワクしっぱなしでしたその記事は、まだずーっと先になっちゃいますが今回も、武蔵野市吉祥寺の四軒寺の一つ、月窓寺へ参拝と御朱印です月窓寺は、繁華街のサン
金光瑶についてあれやこれや前記事「その6金光遥についての雑感」より≪対人関係≫〘直接殺害した人物〙聶明玦の配下(総督)溫若寒〘グル(蘇渉とか薛洋と)で間接的殺害〙金子軒金子勳江厭離聶明玦金光善〘殺害方法不明人物〙金如松↑と名前を書いてマイナーなので誰だか分かりますか?これは金光遥と秦愫の子供です。息子がいたのは知っていたけれど名前が思い出せず探してしましました。*金如松ジン・ルーソン*weblioより「蘭陵・金氏」の解説中にも
奈良市小倉町にある小倉観音寺。最高の見頃でした(^^)本堂南東側の枝垂桜は満開。■寺号標参道石段の下にまで伸びる枝垂れが圧巻!根付いている地表よりも、幾らでも下まで枝を下げられるんですね・・・北西側の枝垂桜、こちらも満開!境内が高台にあるので、その下まで伸びている枝垂れが美しい・・・
はんにゃいん鷹尾山般若院こんばんはご訪問ありがとうございます最上三十三観音巡り、再開です【所在地】山形県尾花沢市丹生1699【宗派】天台宗【札所本尊】聖観世音菩薩【通称】丹生村観音【札所】最上三十三観音霊場第30番由緒・歴史昔、一人の老僧が旅をしている途中、この地まで来て病気で亡くなった。老僧が目をおとす直前、「私は江戸浅草観音堂から、観世音の木像を頂いて、諸国を遍歴してきた。ここで命数つきて永眠するのも、何かの因縁でしょう。思うに観音がここに止ま
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈••✼「各話感想の記事」に収まり切れなかった記事⒂この「その他心に残ったシーンの記事」は「(未来予定記事→)各話感想の記事」の中に入れようと思ったのですが画像が多くなってしまったので一記事として作ったものです。✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈••✼刀霊にとりつかれた温寧が観音堂にやってきました。刀霊聶明玦:金光遥上手く騙してくれたな✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈••✼
おはようございます、カイラです先に言っておきますが…しばらく三十三観音のまとめが続きます1日5カ所をまとめるので…7日かかる予定ですしかし、私は仕事が忙しいのと休みが少ないので…全然写真を撮りに行っていませんこのまとめを書き終えたら…何を書いたら良いのだろう…?と言う事で、本日も仙台三十三観音のまとめ②になりますのでよろしくお願いします【六番札所】荘巌寺【御朱印】【所在地】【訪れた日】2017年6月4日
皆さんおはようございます今日は鎌倉にある長谷寺(はせでら)さんを紹介しますポチっとどうぞ↓↓長谷寺(鎌倉市)ウィキペディアより長谷寺←こちらもどうぞ鶴岡八幡宮に行った後で私達3人は長谷寺に行きました※4/7日のブログ記事を御覧下さいm(__)m長谷寺の山門に着くと、カッコいいお兄様の軍団がいました皆さん中肉中背、サングラスをかけている方もかけていない方もみぃんなカッコ良すぎ姉も私も姪っ子ちゃんも彼らに釘付けになりました皆さんまるで、映画のトップガンに出
取手市を歩いていますとげぬき地蔵で休憩して東漸寺の観音堂と山門を見に来ました茨城県指定文化財着いたわでっかいクスノキ発見!見えてきました良い感じの山門だすてき山門と鐘楼が見えます境内は広いようです天正2年(1574年)の創建のようです山門の建立は元禄3年(1690年)茅葺だ近くで見ると大きいので迫力
岐阜県の坂祝から鵜沼に向かう道沿いに岩谷観音駐車場がありました。ひっそりとある感じなので、大通り沿いですが目立ちません。近くにあるのは岩屋観音堂なのですが、駐車場表記は岩谷観音駐車場ですね。ひっそりとした駐車場なので誰も誤記に気づかないのかな。その駐車場に車を止めて、そこから中山道を鵜沼方面に歩きます。坂祝町の標識には、日本歴史街道と書かれていました。一番左に木曽川が流れ、県道(旧国道21号線)が走っています。中山道を挟んで右側には、JR高山本線が走ってます
鉾田市に来ていますちょいと気になる神社がありまして来てみましたどこじゃ?ここじゃない感ちょっとのぞき見していきましょう古びたお堂観音堂です大きなイチョウの木もあるわね隣を見るとここがお目当ての場所のようです香取神社に着いたわ鳥居をくぐると超雰囲気空気感変わるわね草茂森を
こうせいじ浪高山東善院光清寺こんばんはご訪問ありがとうございます【所在地】山形県最上郡最上町富沢1378【宗派】天台宗【札所本尊】馬頭観世音菩薩【通称】富沢観音【札所】最上三十三観音霊場第31番山形百八地蔵尊霊場第93番由緒・歴史清和天皇の貞観五年(863)、慈覚大師東北行化の途次、この地に来り形勝の地なるによって補陀落山と名づけられ、ことに駿足の馬匹各所に放牧する様を観て、産馬に適し民の生業を利益するなりと、自ら座像の馬頭観音を彫刻し、精舎
沖縄最後の夜も、愛美ちゃんと深い話になり…やっぱりどこに行くかも大事だけど、誰と行くかも大事だなぁと思いました!(*´꒳`*)朝起きて、部屋を掃除して、近くの観音堂へお礼を伝えに…月のマーク🌙なんだなぁ…そして、観音堂の裏へ…ここもきっと祈る場所…本当にあちらこちらにあります(≧∇≦)からの、龍神宮へ!ここにも祈る場所…そして、那覇空港へ✈️ここでも沖縄を満喫して、いざ大阪へ〜!✈️龍に見送ってもらいました🐉自分へのお土産はこの2つ!ご縁がなければきっと行けなかった今回
本日、ご祈祷お申し込みの方々の御札の加持、不動供にて七ヶ座結願しました。毎月21日よりご祈祷開白しますので、ご希望の方はお早目にお申し込み下さい。明日は28日、お不動様のご縁日です。観音堂にて14時より護摩祈祷厳修致します。どなたでも随喜出来ますので、どうぞご参拝下さい。護摩の炎とは、仏の智慧の炎です。護摩祈祷会へ参拝の際は、檀上の炎を眺めご真言を唱えながら、自身の煩悩、現在抱えている問題や悩み苦しみを焼き尽くすと心の中で想い、不動尊の威徳を信じお祈り下さい。修法が終わ
隙間時間を縫って、観光スポットもめぐってます♪シンガポールで最もご利益のある仏教寺院へ、友達に連れて行ってもらいました。ご利益もある上に、ここの一風変わったおみくじがよく当たるらしいのでワクワク「KwanImThongHooChoTemple(観音堂)」ADD:178WaterlooSt.MRT:Bugis駅徒歩10分程度TIME:Daily:6:00am–18:00pmBrasBasar駅からBugis方向にのびるWaterlooSt.ここは、美術館
今を距へだたること約九十年の昔、天保十年七月四日の事――ここに筑前国志摩郡伎志浦の酒造家で庄屋を勤むる者に岡崎傳四郎というものが居ましたが、その長男の市治郎なる青年が、この日の午後四時頃突然重い瘧疾わらはやみに襲われた。話はそれから始まるのです。無論同家では最初はただの病気と思い、百方医療に手をつくしましたが、幾日経っても少しも効験がない。そして八月に入るに及びてますます重態となり、躯からだが餓鬼のように痩せ衰えてしまった。これは大変というので各所の神仏に修法祈祷を依んで見たが矢張り少しのき
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈••✼「各話感想の記事」に収まり切れなかった記事⒁この「その他心に残ったシーンの記事」は「(未来予定記事→)各話感想の記事」の中に入れようと思ったのですが画像が多くなってしまったので一記事として作ったものです。✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈••✼▲前置き▲魏嬰・藍湛・藍曦臣と金陵が観音堂に捉えられました。蘇渉が気絶した懐桑を捉えて来ました。人質です。¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨