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1956(昭和31)~1958(昭和33)年、西鉄ライオンズを「3年連続日本一」に導いた、「名将」三原脩監督が、1959(昭和34)年シーズンオフ、大洋ホエールズの監督に就任したが、大洋ホエールズは、1954(昭和29)~1959(昭和34)年に「6年連続最下位」に沈み、「万年最下位」とまで称された、超弱小球団だった。果たして、「名将」三原監督が、そんな大洋ホエールズで、どんな手腕を発揮するのか、注目が集まっていた。こうして、1960(昭和35)年、三原脩監督率いる大洋ホエールズは
10月2日は大正時代の東京五大学野球で活躍、当時の球界のトップに君臨していたと思われる野球人の生誕日でもありました。その野球人の名前は「湯浅禎夫」21世紀の今では忘れられた名選手・野球人と言えるでしょう。湯浅は1902(明治35)年10月2日鳥取県米子市で生まれ米子中学から豪速球投手として名は上がっていた。卒業後は大連実業団で野球をしていたが、明治大学OB大沢逸朗に誘われ明治大学に入学、当時の明大には豪速球だがコントロールの悪い渡辺大陸(初代大洋監督)という投手
皆さんこんばんは!本日は1/31(金)いよいよ明日から南郷キャンプスタートです!本日はライオンズ球団70周年企画と題しまして、歴代ライオンズの歌を記事にしていきます🦁本日は「西鉄ライオンズ」編です!九州の地、南郷でキャンプを行うライオンズの原点は、現在ホークスがフランチャイズを置いている福岡です!かつてホークスも使用しておりました平和台球場を本拠地とし、「野武士軍団」と呼ばれ福岡ライオンズ時代にも黄金期を築きました🎊所沢へフランチャイズを移し40年以上経過しているため、私はライオ
この年になると、同世代の人の訃報に接すると、その人が友人や知人でなくても、どこか寂しくなる。逆に、しばらく消息のなかった同世代の著名人が元気にしていると聞けば、全く面識のない人でも少し嬉しい気持ちになる。最近そうした出来事があった。8月中旬、次女の旦那さんから『・・・ベースボールマガジン社のパ・リーグMOOK本シリーズで、太平洋クラブ・ライオンズ編が出たようです』と情報が入った。私が70年近いライオンズファンであることを知っている彼は、ライオンズに関す