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西鉄ライオンズホーム用・ビジター用1954年途中〜1959年、1960年〜1961年、1962年~1965年※今回は1954年途中~1959年までを中心に語ります。略年表1954年《ホーム・ビジター共通》日本シリーズから採用される。また、この日本シリーズだけNLマークの紺地の帽子を着用される。1958年ビジター用のみ胸ロゴがNISlTETUからFUKUOKAとなる。1960年《ホーム・ビジター共通》帽子のマークが花文字のLマークに変更。左袖に番号がつく。ともに1961年まで。
千葉県木更津市にある大洋ホエールズが川崎球場時代の選手だった田中章さんが営む「もつ焼きあきちゃん」に行きました。木更津駅から近くでした。田中さんが焼いてくれた焼鳥を頂きました。店内は、最初に入団した読売時代や、オールスターに出場するほど活躍した西鉄・太平洋時代の写真やチームメイトのサインが飾ってあり、昭和のスターの話を聞かせてくれました。田中さんが大洋に在籍した時代の湘南カラーのユニフォームにサインしてもらいました。木更津が始発の久留里線の久留里〜上総亀山間が廃止されてしまうニュース
1978年(昭和53年)10月12日、西武への球団売却と本拠地移転が発表された際、ライオンズファンだけでなく、所属選手の多くは大きな戸惑いを覚えただろう。長年、福岡の平和台球場を本拠地とし、「西鉄、九州のライオンズ」として愛されてきた歴史があり、選手たちも福岡での生活に根付いていた。当時の選手会長だった大田卓司選手(クラウン、西武に在籍)によると、チームメートの9割が所沢への移転に難色を示し、正直なところ「行きたくなかった」というのが本音だったらしい。しかし、球団
■今から60数年前に福岡に住んでいた米国の81歳になる男性が「自分はプロ野球選手として契約したはずだが、在籍リストに名前が残っていない・・・」と昨年夏、調査を依頼してきた。今日はそこから始まる温かい物語です。九州・福岡での出来事ですが、調査に関わった人々の善意や思い、熱意が伝わってくる話です。今から54年前の1972年(昭和47年)まで、プロ野球に『西鉄ライオンズ』というチームがあった。現在の埼玉西武ライオンズ(以下西武球団)の前身である。(大学時代の親友で野球