ブログ記事8,230件
第19回西郷隆盛をしのぶ維新ふるさと館書道展結果が発表されました⬇️💡【審査結果】西郷隆盛生誕200年・没後150年カウントダウン記念第19回西郷隆盛をしのぶ維新ふるさと館書道展–維新ふるさと館-ishinfurusatokan.infoご確認ください🙇♂️
江戸時代、薩摩藩は都内日比谷~三田あたりに広大な屋敷をいくつも構えていた・・それを知ったきっかけとなったのは、江戸東京博物館で開催されていた洋館展と、日経新聞朝刊の連載小説「江戸を隠してふところに」でした。まずは、洋館展。鹿鳴館の門は、薩摩藩島津家の中屋敷黒門がそのまま使用されていたという説明がありました。調べると現在の日比谷あたりです。今の基準でいう一等地に屋敷があったんだなぁ、、と思った矢先のことーーー『風、薫るにも登場した鹿鳴館遺構が保存されていた話』先日
「信長」「秀吉」といった教科書に書いてある名前を「諱(いみな)」と言います。これは直接呼ぶのは非礼とされていたので、普段は滅多に口にすることはありません、だから忌み名と言うわけです。たとえば戦国大名とか、あるいは江戸時代の藩であれば、大名(殿様)は家来から諱で呼ばれることはありません。家来は「殿」と言っていれば済むわけで、主君の諱なんか覚えておく必要はない、ってくらいです。同僚の武士どうしなら、なおさらです。相手の諱を呼ぶ機会なんか、一生涯ないかも知れない、大名とか天下人とかに出世しない
確か月曜日の朝ドラ「風薫る」で聞いて懐かし〜!と思って以来時折口に出して歌っていた今朝はリュウマチ患者役の相田翔子さんが歌っていた数え歌(童歌)最後まで歌わなかったけど…一かけ二かけ三かけて〜四(し)かけて五かけてはし(橋)をかけ〜は〜しのらんかんに手をかけては〜るか向こうをながむれば17,8の姉さんが花と線香を手に持ってもしもし姉さんどこ行くの〜私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です〜ナンチャラカンチャラ(西郷さんが切腹したことを歌っている)父様のお墓参りにまいります
昔の侍には、たくさんの名前があります。幼名、本名、通称名など…。ほんと、調べる場合間違えやすいです。幕末の時代、蓑田伝兵衛は通称で、本名は長胤、島津久光の側近で西郷隆盛や大久保利通なとと手紙をやり取りした人です。私の曾祖父は「蓑田長暢」と言い、有馬家から蓑田家に養子に来たとあります。もう一人「蓑田長僖」と言う人がいて彼もまた蓑田家の養子です。彼は若いときは蓑田新平と呼ばれていました。彼は薩摩藩の使節として、パリ万博に行っています。長暢より6年年上です。分りずらい写真が残っています。
今日は鹿児島では西郷隆盛の命日、150年ということで多くのイベントが行われていました。鹿児島では圧倒的な人気ですので、飲み屋で西郷さんの悪口は言わないようにとアドバイスしています、下手すると殴られますからね。この人気はやはり司馬遼太郎の「翔ぶが如く」でしょうね。坂本龍馬の「竜馬が行く」と同じ現象です。実際の貢献度では、島津家では島津斉彬・小松帯刀・大久保利通に次ぐ4番手ですが(調所広郷もいるので5番手かも?)県民人気では圧倒的な一番です。日本書記という歴史書的なものだけでなく、古
【寸暇を惜しんで読書する】6342齋藤孝氏の心に響く言葉より…寸暇(すんか)を惜しみ、あらゆる〝隙間時間”を利用して、とにかく本を読め。そこまで励めば、必ず読書の効果は上がる。《凡(およ)そ読書の功は昼夜を舎(す)てず、寸陰(すんいん)を惜しみて是れを励むに非ざれば、其の功を見ることなし。》(安政三年五月二十六日「講孟余話」)あまり本を読まない人は口を揃えて、「もう忙しくて、本を読むためのまとまった時間が取れない」というようなことを
2025・9・25の讀賣新聞オンラインに「西南戦争の戦禍から住民を守るため、独自の治安部隊を率いた・・「川尻鎮撫隊」旧藩士・上田休の研究進む」という記事が掲載されていることに最近気づいた。同年3月8日に熊本大学で開催された講演会「熊本藩士上田久兵衛と熊本維新」を受けての記事だと思われるが、独自取材と思われる記述もあり誠にありがたいことである。これ等は永青文庫研究センターから本年3月「永青文庫研究・第9号」として特集されて発行された。上記講演並びに上記特集号の中に、宮内庁書陵部編修課主任研究員