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幕末の志士“西郷隆盛”さんは言いました。「世のすべての人からけなされても落ち込まず、すべての人から褒められてもうぬぼれるな」坂本龍馬さんはこう言いました。「世の中の人は何とも言わば言え。わが成すことは我のみぞ知る」幕臣、勝海舟さんは、「おこないはおれのもの、批判は他人のもの、おれの知ったことじゃない」色んな人が、色んなことを言うけれど、それは注目されてきた証し♪自分さえブレていなければいいんです!人の噂もそうです。「あの人、こうらしいよ・・・」なんて言葉に惑わされちゃいけ
南洲神社のお隣にあるのが西郷南洲顕彰館。西郷隆盛の遺品などが展示されてます。こちらの施設もバスの1日券を見せると割引になりました。西郷隆盛の座右の銘「敬天愛人」私の中の幕末の歴史の中に西郷隆盛と彼の功績が加わった(ドラクエ風に)日本のお札にはなっていないのかな。マント西郷さんの最後の様子こちらの資料館でじっくり資料を見て、西郷隆盛がすごい人格者であり多くの人に慕われていたことがよくわかりました。この日1日の観光ですっ
変な題名ですが、「怖い世界史」のカテゴリに入る内容です。比較的地味な内容なので、スルー推奨かもしれません。さて、近代(日本の明治維新から第2次世界大戦まで)で、最も波乱に富む生涯を送った人を一人あげろと言われたら、自分は迷わず、ロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝、ニコライ2世と答えます。ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフこの人は、すごいトラブル・メーカーなんですよね。ただし、自分から好んでトラブルを起こすわけではなく、トラブルのほうから、この人物に向かって寄って
一外交官の見た明治維新(講談社学術文庫)Amazon(アマゾン)外国人の目から見た日本の明治維新の混乱ぶり講談社学術文庫は好きで、良く読んでいます。その中でも本書は600ページ前後の大作で、読むのに大分時間がかかってしましました。アーネスト・メイソン・サトーは英国の外交官で、日本に来る前にも各国を歴訪しているが、日本滞在が2年前後で一番長かったということです。このサトーという名前が、日本人にも親近感を持たれたようです。彼の職責は「通
西郷隆盛の残した言葉です。「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、個人をとがめず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」天に対して誠を尽くしているか。どんな嫌なことがあっても人のせいにせず、自分の誠が足りなかったのではないかと自らに問え、というのである。主人公意識の典型をここに見る。主人公意識で生きるのか、被害者意識で生きるのか。後者の人に運命の女神が微笑んだ例を知らない。【致知8月号藤尾秀明】西郷
折角鹿児島中央駅まで戻ったのにまだたっぷり時間があったのでもう一度カゴシマシティビューバスに乗って西郷隆盛ゆかりの地巡りをすることにしました。向かったのは南洲神社。こちらに西郷隆盛のお墓がありました。鳥居をくぐった正面にお墓はありました。「岩崎谷のおくつきは煙の香にて絶間なく上野の山の銅像は百千の人に仰がるる」と書かれてます。この電燈が登録有形文化財だそうです。先程の仙厳園にあった旧集成館が製造したそうです。
第1部:教育の原点を問い直す第1回教育とは何か―人をつくるという原点に返る―第2部:過去から学ぶ第13回修身とは何だったのかー修身を単なる戦前教育ではなく、人格を育てる教育として読み直す第14回教育勅語をどう読むべきかーそのまま復活させるのではなく、徳目と危うさを分けて読む第15回教育勅語から現代に残せる徳目を現代的に読み替える第16回教育勅語をそのまま戻してはいけない理由ー国家への過度な服従、個の抑圧、批判精神の弱体化という危うさを考える第17回教育基本法と
妻の実家がある宮崎県延岡市には、子供たちが小さいころは度々訪れたが、こちらも歳を取り、岳父が亡くなってからはとんと足が止まってしまった。延岡市役所の側に「愛宕山」という250mほどの山があるが、以前は「愛宕山公園」と言っていたように思うが5年ほど前「愛宕山笠沙の御崎公園」と名称変更している。「笠沙の御崎」とは古事記・日本書記に登場する「天孫降臨したニニギノミコトが、コノハナサクヤヒメと初めて出会い、求婚した場所」だとされる。この公園は「日本夜景遺産」に指定されたほどで、若い恋人ならずと
8/17の記事の続き音羽の滝からすぐの、毎回している約束の地さんの先祖かも知れないアテルイ、モレの顕彰碑実は、今回初めて、碑の裏に詳細な説明が彫られているのに気が付いたまだまだ、新たな発見があるそしてすぐ横の茶屋名前は「舌切茶屋」何とも恐ろし気な名前であるが、由来は、幕末にある月照上人というと、歴史好きなら聞き覚えがある僧であろう碑も清水寺にある『清水寺~北野天満宮その2』前回の続き音羽の滝からは、舞台の下の前の道を通ってEVACとなる
全ての国民が知っている有名な神社、あまり知られていない無名の神社、田舎にある小さな鎮守の神社、それこそ多くの神社が存在する。そして、それぞれの人にとっての推しの神社があるし、毎年決まって初詣をする神社があると思われる。日本人にとって神社は、七五三のお参り、厄祓いなどの際には殆どの人が利用している馴染みの深い場所とも言える。そんな身近な神社であるが、本当の神社と偽物の神社があるということを知っている人はそんなに多くない。そして、そんな偽物の神社を有難く拝んでいる人がいるのである。厄災を防
「万民の上に位する者、己れを慎み、品行を正しくし…人民の標準となり…」意味:人の上に立つリーダーは、自らを厳しく律して贅沢を戒め、一般の人々が「働き詰めでかわいそうに」と思うほど身を粉にして働いて、国民の模範とならなければ政治はうまくいかない。「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」(他人との比較や評価に囚われず、天(道理)に向かって恥じない行動をとりなさいという意味。)「児孫のために美田を買わず」子どものために良い田畑や財産
〜長崎2026GW旅⑳〜高さ10.5m、30㌧〜日本最大級の人物像西郷隆盛〜鹿児島空港の目の前〜西郷公園〜長崎2026年GWは九州を旅しました⑳知覧から、約1時間かけて鹿児島空港に向かうとインターを降りてからまもなく、左手にそれは大きな西郷どんが見えてきます。鹿児島空港の目の前にある、その場所は『西郷公園』です。なんと、日本一の人物像、と書いてありました。それもそのはず、遠くから見ても、大分存在感あったので、納得出来ます。真下から見ても、迫力あります。外は西郷隆盛像のみ
2025・9・25の讀賣新聞オンラインに「西南戦争の戦禍から住民を守るため、独自の治安部隊を率いた・・「川尻鎮撫隊」旧藩士・上田休の研究進む」という記事が掲載されていることに最近気づいた。同年3月8日に熊本大学で開催された講演会「熊本藩士上田久兵衛と熊本維新」を受けての記事だと思われるが、独自取材と思われる記述もあり誠にありがたいことである。これ等は永青文庫研究センターから本年3月「永青文庫研究・第9号」として特集されて発行された。上記講演並びに上記特集号の中に、宮内庁書陵部編修課主任研究員
こんにちは。歴史アロマ香水®を作っています桃龍風林佳保利です。このブログを読んでいただきありがとうございます🙇【平和について思うことその2】東京の歴史を振り返ると、戦いの時代の中にも、争いを避け、平和を願った人々がいました。戦国の世を終わらせ、天下泰平の世を築いた徳川家康。その思いを受け継いだ徳川秀忠。そして幕末。新政府軍による江戸総攻撃を前に、池上本門寺で勝海舟と西郷隆盛が話し合い、江戸を戦火に巻き込まないために尽力しました。「江戸を火の海にしない」その決断によって、多
西郷隆盛は、島津斉彬の意を戸塚静海に伝えに行き、帰って来て、自分に割り当てられた長屋に居ると、橋本左内が尋ねて来た、この前に会ってから5日目、12月13日だった。「西郷さん、お疲れ様でした、戸塚先生は、お元気でいられましたか?」、「はい、元気でした、そんで橋本さんにも元気で頑張れるよう伝えてくれるように頼まれもした」、「そうですか、実は今日、来ましたのは、京へ私と西郷さんが行ったおりには、西郷さんには近衛家へ働きかけてもらいたいのです、私は、土佐と三条家とか水戸のお留守居役などを、殿(松
本日発売の週刊大衆。歴史偉人「裏素顔」は、西郷隆盛と征韓論の特集です。原作/跡部蛮イラスト/萩山明日香次回掲載は、8月24日です。歴史偉人「裏素顔」をよろしくお願い致します。
中学校の授業のある1コマ「これから皆さんは、林間学校で福島県を訪れますが、是非、『武家屋敷』を訪れてください」「何でですか」「私と深い関りがあるのです。皆さんは『西郷隆盛』という名前は知っていますね。会津藩の家老『西郷頼母』という名まえはどうですか。同じ九州の豪族菊池氏を先祖としています。その西郷頼母氏から武術の教えを受けたと伝えられるのが『武田総角先生。』その教えを受けたのが『佐川幸義先生』そしてその教えを受けたのが私」「ええ、ただの英語教師じゃなかったんですね」「能あ
2026-08-04お墓参りの後〜いつも寄ってるこちら大黒寺寺田屋殉難九烈士之墓西郷隆盛が墓石の字を書いたんだって〜ご挨拶しますろうそく立てたよ道挟んで向かい側〜金札宮入りまーすクロガネモチご挨拶しますこちらもお墓参りの時は寄っているので、今回も♪トコトコ〜会津藩駐屯地跡門だけが残ってるんだけど、松平容保クンも来たのかなぁ?トコトコ〜
西郷隆盛と庄内藩の家老であった菅実秀の対談の様子を銅像にしたものです。酒田市の南洲神社にありました。庄内藩は幕府側として新政府と戦ったのですが、降伏後の処分が西郷の指示で寛大なものであった。その恩を受け西郷を慕い銅像が作られました。
鹿児島ブラアラキの続き前回の記事で訪れた繁華街天文館から南西隣のエリアへ加治屋町鹿児島城(鶴丸城)の城下町の一部で、下級武士の居住区だったエリアここからは幕末明治に活躍した人物たちを訪ねた記録加治屋町の西端に甲突川が流れ、その川沿いに「歴史ロード"維新ふるさとの道"」が整備されおりまずは西郷隆盛生誕地西郷隆盛・従道兄弟が生まれた場所そのご近所には大久保利通生誕地ちなみに利通の息子で、吉田茂の岳父でもある、昭和天皇の側近であった牧野伸顕もここで誕生
こんばんは♪明日は、話題のちいかわ観に行きます。ちいかわに切なくなりそうだからハンカチ持って行きます。泣くと思う。あの可愛さに🌸話変わります。小郡のカフェへ行ってきました。西郷隆盛さんも来たかもらしい。カメラ買った娘乗せてドライブして見つけたカフェでしたが、なかなかいい場所でした。スープセット1,000円でした。スープセットは、スープと、クロワッサン🥐二つとアイスと、アイスコーヒーです。抹茶ティラミスもいただきました。1,400円?のセットのケーキです。どれも美
終戦直前ポツダム宣言受諾の前日…阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣は、まるで西郷隆盛のような姿だったと思います。このときの阿南陸相の最大の使命は、戦争を続けたい青年将校らを抑え込むこと、つまりクーデターを起こさせないことです。このときの彼の言葉が記録に残っています。(防衛省防衛研究所HP参照)それによれば…「昭和20年8月13日の夜、終戦に反対する青年将校からクーデター計画を持ちかけられた阿南惟幾が、『西郷南洲(隆盛)の心境がよく分かる』(と語った)」…とあり
おはようございますご訪問ありがとうございます。うちはうら?よこ?が川で大雨ですごいびびってましたが今回もどうにか、セーフ💦雷で犬達が可哀想でした勘弁してくれーいそして一昨日ぐらいかなNTTドコモのルーターが壊れましてWi-Fiが使えない日々動画見ずに細々とギガを使い、生活。新しいルーターが届きたいした操作せず切り替えられるのに旦那が設定しないといけない!といいだし「やれない、できない、きぃー」、となりはぁぁぁわからないからチャットできいたら「そのままで大丈夫です。」言
昨日、8/12は、日航機墜落事故が起きた日だったのですね。日航機墜落事故について、以前書いたことがあったのですが、日航123便墜落事故についての真相&別班&東京大空襲とJAL123便の首謀者は同じ?再掲します。٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖٭.˖ボーイング社の修理ミスのため墜落したとい
西郷隆盛の要素を含んだ森高千里です。非実力派ながら重厚且つ圧倒的な存在感で時代を動かしそうです。非実力派宣言-森高千里Amazon(アマゾン)2025森高千里コンサートツアー“あなたも私もファイト!!”(通常盤)(2BD)-森高千里(特典なし)[Blu-ray]Amazon(アマゾン)「ザ・森高」ツアー1991.8.22at渋谷公会堂【Blu-ray+2UHQCD】Amazon(アマゾン)Tiaram
どこの市にもある郷土資料館、習志野市はいつになったらできるの?どんな小さな市町村にもある「郷土資料館」、なぜ習志野市だけないのか、ということが長年問題になってきました。ようやく、東習志野の実花公民館につくる計画が2年前に発表され、それによると今年3月までに準備が完了する予定でしたが、その後どうなっているのか、はっきりしません。『実花公民館が「郷土資料館」になる?市民が知らされて来なかった習志野の歴史』「総合教育センター再整備」で、習志野市にもやっと「郷土資料館」ができる?5月11日
東京芝の酒シュワシュワ微発泡!好きなタイプもう1本どぶろく江戸開城どろッとした飲み口甘い!東京港醸造東京港醸造|東京の物語を飲みましょう。東京23区内唯一の酒蔵「東京港醸造」の蔵元株式会社若松公式ホームページtokyoportbrewery.wkmty.com東京都心に100年の時を経て蘇った酒蔵幕末、造り酒屋を営んでいた「若松屋」。かつては西郷隆盛、勝海舟といった歴史的人物も頻繁に訪れる薩摩藩御用商人でもありました。明治時代に廃業しましたが、2011年、東京港醸造とし
どうしたら自分らしく生きられる?マヤの暦とともに自分らしく輝いて生きる一般社団法人シンクロニシティ研究会マヤ暦シニアアドバイザーkin85たかいゆうこですツォルキン(神聖暦)の紐解きを伝授しますいつもゆこブログをお読みくださりありがとうございます♡おはようございます(^O^)お盆休みの方も多いですよねー私はすでに夏休みをいただいたのでお盆は連日講座に勤しみます♡青い鷲11日目いかがお過ごしでしょうか?朝の空氣が変わってきましたねーちょっびり秋の気配です♡
次にバスで向かったのは西郷隆盛洞窟です。西郷洞窟前というバス停で降りたら目の前にありました。洞窟前は舗装されていないため、前日の台風からの大雨で大きな水たまり状態。つま先立ちで柵の前まで何とかたどり着きました。最後の5日間を戦友らと共に過ごした洞窟です。洞窟の道路を挟んだ向かい側には温泉がありました。お食事処もあったので、バスの時間まで余裕がある時はこちらで過ごすのもいいですね。
「敬天愛人」この「敬天愛人」は、西郷隆盛の遺訓の一部にある言葉である。西郷隆盛は、幕末から明治時代にかけて活躍した志士であり、薩摩藩の重要な指導者でした。彼の信条である「敬天愛人」は、天に敬意を払い、人々を愛するという意味を持っている。この言葉は、西郷隆盛の人間性や思想を象徴するものとして広く知られている。西郷隆盛は、自らが天命を果たすためにはまず天に敬意を払い、その後に人々を愛することが重要だと考えていた。彼は、人々とのつながりや信頼関係を大切にし、共に