ブログ記事7,179件
今日はMGでした。3コマ目は「社会科教育法」7名で行いました。4コマ目は「特別日本史補習授業ー幕末から明治維新へ」3名で行いました。番外編は5コマ目相当時間。某講義室での学生二人との会話。スーツを忘れて探しに行った講義室で、ちょっと話し込みました。それそれの場面で、ステキな言葉に出合いました。その1💎「今週、救急車で運ばれ、1週間の静養を知るように医師に言われたのですが、どうしても金曜日のこの授業を受けたくてきました」と語る、学生。ジワッとなりました。(3コマ目の社会
「幾度か辛酸を経て、志始めて堅し、丈夫玉砕して甎全を恥ず」西郷隆盛の言葉である。この言葉は、幾多の苦難を乗り越えることで、初めて志は固くなるという意味である。そして、男なら玉のように砕けても、瓦のように安穏に生きるのは恥ずかしいと説いている。現代を生きる私たちも、人生において様々な困難に直面する。しかし、西郷の言葉は、どんな困難にも屈せず、自分の志を貫き通すことの大切さを教えてくれる。例えば、目標達成のために努力を続けている時、挫折しそうになったり、途
風情ある山の中の宿、湯之谷山荘温泉♨️が硫黄泉と炭酸泉の二つが湧き出してました霧島、豊かだなぁ再放送『篤姫』に出てくる名が目にとまり坂本龍馬夫婦、西郷隆盛、小松帯刀も訪れていた霧島温泉と、張り紙があります素晴らしい温泉でした体調よくなるのでしばらくいたくなりましたずいぶん気温が下がって明日は韓国岳真冬の装備で登りますつづく
11月20日平日なのにやって来ました可愛岳(えのだけ)登山口。駐車は30台位に立派なWCも設置され。いざ出陣じゃなくいざ出発。左の山が可愛岳、右に烏帽子岳、ここから見上げれば烏帽子じゃない。しかし歴史(山)は正面だけじゃない側面から見れば立派な烏帽子です。写真右手が西郷資料館(宿陣跡)です。更に右後方がニニギノミコトの陵墓と考えられる可愛参考陵墓で宮内庁が管理しています。何故ここに西郷軍が陣を取ったのかは一目瞭然です。歴史も山も沢山あり過ぎますので先に山に登ります(^▽^)/
11月9日~10日鹿児島天文館~西郷どん知覧から市内天文館のホテルに着いたのが19時過ぎちょこちょこ食べてたので余り空腹感も無い黒豚しゃぶしゃぶは次回にお預け繁華街ぶらぶらしていると…そそる看板発見JAZZスポットリレットさんへGo‼一曲いかが?EMILY/ウイスキーが、お好きでしょ(カバー、一部鹿児島弁Ver.)屋久島、指宿…ずいぶん以前の様な錯覚を(笑)3ステージ楽しんできましたメンバー皆、気さくでお話好
児孫(じそん)のために美田(びでん)を買(か)わず本当にその通りだし、しかも、見えない世界的には、本人の気付かない借金を背負わす様なもの!『ホンモノの親心&真のご先祖様供養』〜まさしく、無知の知〜クワバラ、クワバラ。。。『児孫のために美田を買わず』子孫のために財産を残すと、それに頼って努力をしないので、財産を残さない。西郷隆盛の詩の中に出てくる言葉
奄美大島旅行記、観光編の2回目です。「東シナ海と太平洋が同時に見えるスポット」山の多い奄美大島は、ちょっと走るとすぐ山道、すごいワインディングロードが続きます。その急な山道を登っていき、ベストポイントで下ろしてもらいました。左側が東シナ海、右側が太平洋です。景色は美しく面白かったけれど、8月にインド洋と大西洋を同時に見たばかりだったせいか、インパクトは薄かったかな……でも、あの荒海に比べると、穏やかできれいな海でした「西郷隆盛の家」奄美大島での蟄居を命じられた西郷隆盛が、3年ほど
名前で目立とう作戦です。西郷酒盛。駄洒落居酒屋系でしょうか店員さんが西郷コスプレ…は、なさそうです
18日の月曜日仕事が早く終わったので久しぶりに上野公園に行ってみました西郷さん清水観音堂の月の松から弁財天ジュウガツザクラ🌸が咲いていましたジュウガツザクラ🌸は春🌸と秋🍁~冬☃️にかけて年に2回、咲くそうです摺鉢山じつは前方後円墳です頂上まで登れますけどね( ̄▽ ̄;)以上ご覧いただきありがとうございます(*`・ω・)ゞ
先日、娘が友達とミラノに行ってきました。7月に11月のミラノ行きの高速列車のチケットを買おうとしたら、その土日は全く買えるチケットがなかったんです!何でかな?と思い調べたら、サッカーのインテル対ナポリの試合が日曜日に重なって、ナポリサポーターがすでに列車のチケットを押さえたのかも。ミラノへ行けないなら、ジェノヴァまで行って1泊して、翌日ミラノへ移動すれば?と私が思いついて、ジェノヴァ行きの列車のチケットを取りました。海岸線を通る列車でジェノヴァまで5時間半。1等車の割引チケットが取れて、宿
ご出版おめでとうございます㊗️NaotatsuOkumiya代表よりチャンスを私も頂きました❣️屋宮代表より「敬天愛人と仲間たち」の本は、愛あふれる会員が3千人いる直達会(なおたつかい)の中から31名で執筆したものです。みなさん、素晴らしいです。11月23日発売です。発売日に日経新聞1面に広告も出します。また、11月23日(土)12時30分から銀座で出版記念パーティーを開催します。会費1万円、飲み放題、食事付きです。執筆者31名の内、22名が参加します。執筆の思いを話します
おはようございます加茂店よしだです沖永良部島の旅の続きです「西郷隆盛記念館」「ソテツジャングル」「SeriyosA」ここでピザにかけて食べたみかスコがおいしすぎて即購入しました(笑)はちみつをかけて全ておいしくて幸せ空間でした早起きして日の出も見に行きました
何ともレトロな♨️です。嬉しくなった!西郷隆盛も入ったらしい。小さいけれど手入れが行き届いていた。入浴料100円、外部の人200円、貸し切り❗️ずーっと入っていたくなる。でも、他何も無い!それで良いではないか。
10月、自民党総裁選に勝利した石破茂総理。改めてその経歴や人物像に注目が集まっているが、ここでは歴史上の総理大臣のエピソードをとりあげたい。開拓使長官として北海道を「酪農王国」にするなど、数々の功績をあげている第2代・内閣総理大臣の黒田清隆は、酒乱で有名で、なんと「酔っ払って妻を斬り殺した」という報道までされているのだ。どういうことなのか、見ていこう。■北海道を「酪農王国」にした功績者なのに…本当は極めて優秀な役人であり、第2代・内閣総理大臣にまで上り詰めた政治家
歴史の教科書にも載る有名な豊臣秀吉の肖像画愛媛・宇和島市の伊達博物館が所蔵してるが・・宇和島伊達家に伝来した年数にズレがあったと🤔8代藩主・宗城といえば・・❗慶応2年(1866年)、イギリス東洋艦隊が宇和島港へ来航した際、宇和島藩(当時の藩主は宗城)の旗と軍艦旗を交換し、今も伊達家に保管されてる(通常非公開)※現物はかなり大きい。イギリス東洋艦隊の入港時、こちらの樺崎砲台から礼砲が撃たれた❗右隣に見える建物は宇和島市立歴史資料館※宇和島海軍航空隊(予科練)に居た故・澁江理さん
歴史探偵でも取り扱った、明治時代の士族。廃藩置県によって藩主との縁が切れて、藩兵としての役割を終えた。そんな武士だった人々の歴史がつらい・・・まだ調べてないですが、流れ的には大まかなものを掴めた。廃藩置県で藩主は華族として、俸禄も与えられて特権階級となった。一方、藩を支えていた武士はなんの特権もなく、リストラされた。廃刀令で完全に普通の人になった。文官ならば、官僚として政府に取り立てられたかもしれないが、政府が雇ったのはおよそ16%程度。他の人たちはどうしたのか?農
今日は晴れ☀️久しぶりに青空が見えますお日様が温かいついこの間までこのお日様が恨めしいほど暑かったのに金曜日の朝鹿児島へ行った長男はい出張です朝早い飛行機だったので空港近くのホテル〜いえ今回初体験のこちらカプセルホテルで前泊木曜日仕事を終えて寮に戻って出張準備してから向かったのでチェックインは23時頃チェックインカウンターは結構並んでたようです無事鹿児島到着飛行機は満席だったようですバスでこちらへ↓まずは腹ごしらえのランチ鰻〜ふわふわでとっても美味
(『人間革命』第12巻より編集)116〈後継〉14戸田の指導に応え、一同を代表して小西理事長が、一言、決意を述べた。「私たち弟子一同は、ただ今の先生のお言葉を肝に銘じ、互いに新たな決意で、しっかり頑張ってまいることをお誓い申し上げます」そして、乾杯となった。祝宴が始まった。宴は喜びにあふれ、やがて、歌が相次ぎ披露された。「白虎隊」を歌う人もいれば、一高寮歌「ああ玉杯に花うけて」を高唱する人もいた。婦人部は、
徳川の人間として生き抜いた「篤姫」大河ドラマで印象に残っている番組を紹介します。大河ドラマというと戦国時代と幕末の番組が多いように思います。数ある大河ドラマの中で2008年に放送された「篤姫」を最初に取り上げようと思います。篤姫役は宮崎あおいさんです。番組ホームページより引用激動の幕末、薩摩藩島津家の1万石の分家に生まれながら、徳川十三代将軍の正室になる篤姫。夫・家定の死後は出家して天璋院となり、自らの信念を貫き、江戸
「7神武の祖父は山幸彦(その7)」今日は、月照みなさん、おはようございます11月16日は西郷隆盛と月照が錦江湾に入水しました神武の祖父は山幸彦(その7)トヨタマヒメは本当の姿(=ワニ)を見られて恥ずかしく思い海神(わたつみ)の世界に帰ってしまったのですそしてウガヤフキアエズも再び海神の娘であるトヨタマヒメの妹のタマヨリヒメ(玉依姫)と結婚しお生まれになったのがカムヤマトイエアレヒコ後の神武天皇なのです最後までお読みいただきあり
内容紹介(出版社より)薩摩藩の下級武士に生まれ、薩摩藩のリーダーとして明治維新の立役者となった西郷隆盛。西南戦争で武士の時代の終わりに殉じたその生涯を、50の謎とともに読み解く。「明治維新にどのような役割を果たした?」「なぜ西南戦争を戦わなければならなかった?」「西郷家はその後、どうなった?」などなど、知っていそうで知らない疑問がよくわかる、大河ドラマの予習にピッタリの1冊。序章隆盛以前の西郷家と薩摩藩1章隆盛の登場と幕末2章明治新政府での葛藤3章西南戦争とその後の西郷
おはようございます。本日は清水寺にて「落葉忌」が行われます。落葉忌ってなにと思われると思います。【落葉忌(おちばき)とは】清水寺の奥に続く道を登ると美しい池が見えてきます。そこが庭が美しい成就院です。塔中(たっちゅう)成就院の第24代、25代住職月照、信海両上人の忌日法要が「落葉忌」です。月照上人は「安政の大獄」によって九州に下り西郷隆盛と薩摩湾にて入水、上人が入滅された忌日です。翌年、江戸・小塚原にて非業の死をとげた弟、信海上人を合わせて追善法要、献茶が行われます。【成就院の庭園】
NHKでやっている【歴史探偵】という番組をご覧になったことありますか?私は元々歴史ものは大好きでこちらの番組は最近見始めたんですけどいろんな角度から掘り下げられていて現地調査や化学実験などもあり教科書では学ばないお話もいろいろあってとっても興味深くおもしろいです♪先日は、明治維新についてでした。たくさんの藩が乱立しあらゆる側面でカオス状態の中どん風に明治政府が日本を1つの強い国にまとめようと奔走したり西郷さんは、武士のみなさんは・・などなど混沌とした
スーパーで開催されていた九州フェアであく巻というものを買ってきました。包装のビニールをはがすと、こんな風です。竹の皮で包まれています。竹の皮をはがすと長い餅が出てきます。こどものころ、よく食べました。鹿児島の親戚からたくさん送ってもらっていたので、いっぱい食べました。非常になつかしい味です。付属のきな粉をつけて食べます。竹を燃やした灰からとった灰汁(あく)に浸して作るので、あくの独特の味がします。これがもっちもちで最高にうまいんで
2024年11月14日光の柱とは、天と地を自らの肉体を通して繋ぎ、自らが光の柱と化し浄化すると同時に縁ある御霊を天上界へと導くのが役目である。故に一人一人が大切な役割。そういう役割を担うものが増えてくれば日本国は安泰。それを望む。〈お知らせ〉光の柱建立プロジェクト(hikahashi.com)関心のある方はどうぞご覧ください。会員登録を、お願い致します。会員登録|光の柱建立プロジェクト(hikahashi.com)質問などは下
「敬天愛人」西郷隆盛の座右の銘として知られる言葉である。「敬天」とは、天を敬い、自然の摂理に従うこと。「愛人」は、人を愛し、慈しみ、平等に扱うということ。つまり、「敬天愛人」は、天の意志を尊重し、全ての生命を大切にするという、西郷の深い思想を表している。この言葉は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれる。例えば、自然環境問題が深刻化する中、「敬天」の精神は、自然との共存の大切さを教えてくれる。また、「愛人」の精神は、多様な価値観を持つ人々との共生社会の実
進化思想の平等の考え方を持っているからストレスになるのです。人格を積み上げる事、即ち一人一人の人間が人格的にも能力的にも死ぬまで、積み上げ続けていく事は、当然価値のある事で、昔から道徳や文化の根本に位置つけられていた。ですが、ここで重要なのは、人間の積み上げの度合いは個別のものであり、人によって差があるという事実を認識するという事なのです。人間の積み上げには、早い人も遅い人も大きく成長する人も、変わらない人もいる。歴史に残っている人は大きな積み上げをした人ともいえます
\#歴史探偵今回は#明治維新/日本の大きな転換点「明治維新」実は新政府は資金不足に兵力不足からのスタートだった!?課題を一挙に解決した電撃作戦💡明治政府の苦悩と挑戦に迫る歴史探偵🔎明治維新新政府の挑戦13日(水)午後10:00〜日本の大きな転換点「明治維新」。実は新政府は、資金不足に兵力不足のどん底からのスタートだった!?課題を一挙に解決した電撃作戦とは?明治政府の苦悩と挑戦に迫る。←予告動画日本史上屈指の大改革・明治維新を徹底調査!実
鹿児島市南洲神社内に10月中旬にオープンしたレストラン。『lacuisineNANSHU』数日前予約なしてふらりと訪れたら予約でいっぱいだったので改めてDMで予約してから訪問。私たち滞在中もふらり客10名~をお断りしていた。以前はお土産屋さんだったかな?神社の鳥居の近くにおしゃれな建物のお店。店内は大きな窓から景色眺められて明るい雰囲気。テーブル席2つとカウンターが8席ぐらいだったかな?オープニングメニューサラダ・グリンピースドレッシングとってもグ
2024年11月12日~西郷隆盛殿より~(栃木県大田原市西郷神社にて)おいどんのことも、そして家族(弟)の事もお助け下さり、本当に申し訳なかった。本当に有り難い。嬉しかったのう、こんなにうれしいことはなかばい。有難い。おいどんが上がったことより、家族みんなが、そして縁ある者達が上がられていったことが有り難い。国の為に生きてきたおいどんも、いろいろと困難に見舞われ大変だったが、今これからの人(国民)達と共に日本国が良き日本国と