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新・ドラゴン藤波大年表2025RSD新しいシリーズがはじまりました。と、いっても、このブログのシリーズで、藤波さんの参戦する「シリーズ」(「闘魂シリーズ」とか)でなくて、ごめんなさい。藤波さんが参戦した2025.8.10柏市フェニックスプロレスとかの話題は、別のファイルにしますので、ちょっとお待ちください。(試合結果等を調査中ですし)★ご案内★藤波さんの歴史はプロレスの歴史です。藤波さんを好きな「ファン」が作成したサイトです。楽しんでいただけましたら、
三越伊勢丹のお客様ランクが下がった(笑)実は今年はうっかり年間お買い上げ実績が(T.T)だからバレーパーキング年間利用無制限がなくなっちゃった(T.T)何年かぶりに自走式パーキング💕なかなかタイミングが難しくて9時50分に到着するようにしないと並ばなきゃならない🤪途中、首都高で急な割り込みトラックにあと数センチで衝突ってヤバいアクシデントもあったけど完璧に9時50分到着💕(この季節、下手くそが多くて困る😅)俺って何キロ離れてても車の予定到着時間±5分以内に
新・ドラゴン藤波大年表2025311996ドームで天龍と一騎打ち、鼻に重傷をおう。精力的に「無我」の興行、他団体への進出、「新龍王伝説シリーズ」の主役、朝のテレビ小説や、各種「テレビ出演」と大奮闘の年。。ドームで天龍と一騎打ち、鼻に重傷をおう。だが、精力的に「無我」の興行、他団体への進出もすすめる。新日本本隊では「龍王伝説シリーズ」の主役をつとめ、朝のテレビ小説「ひまわり」や、各種「テレビ出演」と大奮闘の年。。
新・ドラゴン藤波大年表2025131982年ヘビー級に転向「飛龍十番勝負」もなかなか苦戦ニューヨークで「WWFインターヘビー級」タイトル奪取!藤波は「ヘビー級の証明」をするために「飛龍十番勝負」を闘う。だが、強豪相手に思うようにいかず、焦りも見え始める。そんな中、「WWFインター・ヘビー級」なるタイトルを奪取。これで、「飛龍十番」に代わる路線が見えてきたか、という間もなく、あの「長州の反逆」が始まる。●昭和57年(1982)28歳ヘビー級に
新・ドラゴン藤波大年表20252619911991年リックフレアーに勝ち「NWAヘビー級」奪取!藤波20周年第1回「夏のG1クライマックス」開催べイダーと組み「SGタッグリーグ」優勝平成3年(1991年)藤波はベイダーとの選手権試合ではじまり、フレアーから世界のベルトを。20周年記念試合のあと、夏のG1初開催に参戦、ベーダーと組んでのSGタッグリーグ優勝!バラエティ番組にも出演と、バラエティに富んだ忙しい1年に。●平成3年
小諸ボンバイエ前半はコチラ『小諸ボンバイエ2025③』小諸にボンバイエしに来た『小諸ボンバイエ2025②』小諸市の美味しいレストランで『小諸ボンバイエ2025』こんな楽しげなイベント小諸でやってい…ameblo.jp残すはメイン…アレアタマ数合わない思ったらダブルメインイベントと題してまーーさーーかーーのデスマッチこのレザーフェイスという謎の覆面レスラーが入場時からチェーンソー振り回して大暴れ途中有刺鉄線がレザーフェイスの髪に
新・ドラゴン藤波大年表2025191985ブロディが登場、藤波はホーガンとの熱戦唐突な「おまえは平田だろう!」藤波はホーガンとの熱戦ホーガンとの熱戦「おまえは平田だろう!」藤波夫妻のテレビ出演。バラエティにも出演する。昭和100年10月10日夜10時10分10秒更新●昭和60年(1985)31歳●昭和60年(1985年)31歳1月1日後楽園で新春黄
新・ドラゴン藤波大年表20252119861986年UWF戦士の参戦で活気づく前田との大阪城決戦武藤の凱旋とタッグ結成★この年の新日本プロレス★UWFの参戦によって、あらたな展開が期待された。「ロープに降っても戻ってこない」とか「関節技でギブアップを狙い、カウントスリーはない」などと、大いに話題になった。ファンは猪木と前田の対戦を期待していたが、なかなか交わることはなく、対戦をいやがる選手もいるという中、藤波と前田のカードがファンの渇
新・ドラゴン藤波大年表20252219871987年木村健吾との抗争にワンマッチ興行。海賊さわぎ。長州の乱入で負傷欠場。世代闘争から巌流島と「名勝負数え歌」最後は、両国の大暴動で終わる波乱の年木村健吾との抗争にワンマッチ興行。海賊さわぎ。長州の乱入で負傷欠場。突如はじまったニューリーダー路線。「世代闘争」・・・と、ある意味「身勝手な」長州に振り回された一年。猪木とマサ斎藤の「巌流島」に対抗して「最後の名勝負数え歌」(RSD)最後は、両国の
新・ドラゴン藤波大年表2025372002あいつぐ選手の離脱で社長も大変。猪木問答で蝶野に全権委譲そんな中、選手としても試合に出場。さらなる飛躍を目指す。東京ドームの「無我」新日本30周年へむかってあいつぐ選手の離脱で社長も大変。現場の指揮権が長州から蝶野に変わり、そんな中選手としても試合に出場。さらなる飛躍を目指す。●平成14年(2002年)48歳1月2日藤波社長が、新年の挨拶で、東京ドーム大会への参加を拒否