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嵯峨野にある常寂光寺です。小倉山常寂光寺という日蓮宗の寺。安土桃山時代の慶長元年(1596年)、大堰川の開拓を行い嵯峨野に邸宅を所有していた豪商・角倉了以が本圀寺16世・日偵に寺領の寄進を行い、創建されました。小倉山中腹に位置、境内は藤原定家が「小倉百人一首」を撰んだと伝わわる小倉山の山荘・時雨亭跡地ともされています。仁王門。南北朝時代に本圀寺南門として建造されたものを、元和2年(1616年)この地に移築したもの。安置されている仁王像は、若狭国・長源寺から移されました。
明日から20日まで、JRの3日間乗り放題パスを利用して、飯田線沿線の紅葉を観に出かけます。週二回(原則、日、水)かならず投稿と決めていたのに、まだブログを始めて間もなくて、長続きさせることも危うくなってしまうので、一日繰り上げて、今日投稿します。今回も前回の続きとさせていただきます。前回述べましたが、退下後すぐの式子内親王の住まいは、よくわかっていません。定家の『明月記』をはじめ、当時の貴族の日記から、その時々の所在が分かるのですが、どうも居を移さざるを得ない事態にしばしば陥っていたよ
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆日本書道史に関するビジュアル本から、面白い発見がありました。藤原定家の独特の書風は、「定家様(ていかよう)」と称され、特に江戸時代の茶人らに珍重されたりしています。どうみても「美文字」とは言い難いこの造形、実は「用」を重視したものというのです。「平生所書之物、以無落字為悪筆之一得」『明月記』(寛喜3年<1231>8月18日条)悪筆ながら落字の誤りをしないこと――定家自身が、自らの筆蹟について自負しています。あーなる
式子内親王の悲運な生涯を辿る前回では、それまでの仮住まいから、やっと大炊殿に身を落ち着けることができたまでをお話ししました。前回引用した、『源家長日記』の御殿の庭の記述からは、内親王が、平安な暮らしをようやくにして得たことがうかがえます。しかし、それは長くは続きませんでした。重い病が内親王を襲うことになるのです。それが、明らかになるのは、定家が『明月記』正治元年(1199)五月一日の次の記事からです。「大炊殿ノ女房告ゲ送リテ云ハク雑熱ノ事御ハス之間、医師等ヲ召スト云々」2018年に評
7.いきなり将軍将軍就任という大事を「僕も春から老中になるから、君は将軍、よろしくね♡」とかるーく歌にした曲。なんでやねん、と。「ちょっと待って心の準備がまだ♪」と言いつつも「この先よろしく幕府ふゥウゥゥゥゥ♪」と歌い上げ「フユ、フフツフフユー♪、フユ、フフツフフユー♪」と口笛吹いて終わるこのお気楽モードが良い。【歴史解説】「将軍」とは一般的には軍隊の指揮官のことだが、日本史的には蝦夷(東方)を征伐する官職「征夷大将軍」。中世以降、武家の棟梁がその官職を担い、源頼朝の鎌倉時代
『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する先生のお話をチノポス・書道史に沿って御衣黄の覚書から、記します。*詳細が気になった方は著書…ameblo.jp前回のブログで小野篁が、流罪に処された(隠岐に流された)事に触れました...その時、詠んだ歌と小野篁に関して先生がyoutube上で語られていましたので御衣黄なりに、まとめてみます。参照チャンネルむっちゃん百人一首篇【11
ご訪問ありがとうございます東京世田谷区田園都市線桜新町日常がちょっと豊かになるお花ハンドメイド教室CasaLibreカサリブレを主宰します吉沢か津子です今日の未明、ふたご座新月だったようですねしっかり願い事、書きました📝叶ったテイで、ね✨【コレなんていう花?③】「テイカカズラ定家葛」道沿いの生け垣に絡まるようにして咲いていましたジャスミンのようなイイ香り♡なんだけど、実はキョウチクトウの仲間なので毒があるそうで
恋心まだ衰えず定家葛(こいごころまだおとろえずていかかずら)コロナ禍のせいで、近くを散歩することが多くなったが、最近よく見かけるのが、今日取り上げる「定家葛(ていかかずら)」である。疏水に掛けられた橋の袂に植えてある灌木にまとわりついて、今多くの花を咲かせているが、見るたびに増えてきている感じである。*「かずら」は、旧仮名遣いでは「かづら」。ところで、「定家葛」の「葛(かずら)」は、蔓性植物であることを示すが、「定家(ていか)」とは何を意味するのか。ご存知の方も多いと思
*:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろしLINE@始めました・*:.。おみくじ、占い感覚でどうぞ執筆、講義のご依頼はお気軽に・*:.。→★(執筆関係)→★(講義関係)*:..。o○○o。..:*恋歌とてよめる帰るさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月藤原定家新古今和歌集恋三、1206【口語訳】有明の月よ。あなたはほかの女性と睦み合い、その帰りに別れてきたその人を想ってこの月をしみじみ眺めているのか。
NHKEテレ「古典芸能への招待」を見ております。松の形を眺めれば、お懐かしや宝生能楽堂。あれ?松の緑が濃くなったような…🙄見たいのは、能『忠度』なのですが、まずは狂言からスタート。✨人間国宝✨の語りとは言え非常に苦手な分野。😅既に眠い…😪我が家にはレコーダーがありません。『忠度』まで起きていられるのか!?😭21:30。何とか起きてた。😅爺さん(役)👻登場。〜花や今宵の〜眠いよ〜😭嵐の夜に忠度👻登場。承認欲求〜さざなみや志賀の〜👇文武両道のイケオジ?👻やっぱり眠い…😪「さ
平安期の蝶を詠った和歌をみてきたので、まとめとして作者と作品を年代順に並べてみます。平安前期①僧正遍照(816-890)ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまとふてふ(蝶)かな後期②大江匡房(1041-1117)百年は花に宿りて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞ有ける③源仲正(1095六位蔵人ー1135頃引退)面白や花に睦るる唐蝶のなればや我も思ふあたりに④西行(1118-1190)籬(ませ)に咲く花に睦(むつ)れて飛ぶ蝶の羨ましきもはかなかりけ