ブログ記事906件
『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...②』『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...①』『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨…ameblo.jp前回のブログで「小野篁」に関して、記載しました。その続きです。参照チャンネルむっちゃん百人一首篇【11番】---ある日、右大臣・藤原良相(藤原良房の弟)は死の淵に立たされその時、閻魔大王と謁見した。この時点で、地獄行きが確定
『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...①』『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する先生のお話をチノポス・…ameblo.jp前回のブログで小野篁が隠岐に流された時に詠んだ歌に関して、記載しました。その続きです。参照チャンネルむっちゃん百人一首篇【11番】「百人一首」かるた大会で勝つための本「百人一首」なんでも辞典---遣唐使に選ばれる男の条件と
2024.5.1のブログを一部改正致しました。『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨天皇、空海、橘逸勢」に関する先生のお話をチノポス・書道史に沿って御衣黄の覚書から、記します。*詳細が気になった方は著書…ameblo.jp前回のブログで小野篁が、流罪に処された(隠岐に流された)事に触れました...その時、詠んだ歌と小野篁に関して先生がyoutube上で語られていましたので御衣黄なりに、まとめてみます。
藤原定家が古今和歌集に注釈した「顕注密勘」の原本が冷泉家から見つかり、4月18日に公表された。定家にはじまる冷泉家の当主が一生に一度だけ開ける習わしの古今伝授箱で保管されていた。冷泉家時雨亭文庫の調査で2022年に古今伝授箱を開くと、冊子59冊と古文書58点に交じって顕注密勘の原本が現れた。伝授箱の中に入っていただけでなく、定家様と呼ばれる上手くない字体や八座沈老という筆名、花押から判断した。この箱が開かれたのは明治時代の130年ほど前以来という。原本が初めて顕注(註)密勘(または
NHKEテレ「古典芸能への招待」を見ております。松の形を眺めれば、お懐かしや宝生能楽堂。あれ?松の緑が濃くなったような…🙄見たいのは、能『忠度』なのですが、まずは狂言からスタート。✨人間国宝✨の語りとは言え非常に苦手な分野。😅既に眠い…😪我が家にはレコーダーがありません。『忠度』まで起きていられるのか!?😭21:30。何とか起きてた。😅爺さん(役)👻登場。〜花や今宵の〜眠いよ〜😭嵐の夜に忠度👻登場。承認欲求〜さざなみや志賀の〜👇文武両道のイケオジ?👻やっぱり眠い…😪「さ
昨日のブログ記事とつながりますが↓【京都】古今和歌集の注釈書藤原定家の自筆の原本発見|NHK【NHK】鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が古今和歌集についての解釈を書き込んだ注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の自筆の原本が京都で発見される。www.nhk.or.jp今でもこうした「国宝級の歴史資料」が見つかるというのが興味深いと思います。史料が見つかったのが冷泉家なのであり得る話ではありますが自然災害はもちろんですが
本日の機材その①:PENTAXK-5ⅡS+FA50mmF1.4カスタムイメージ雅今日は午前中快晴。ぶらぶら歩きながら拾い撮りしたんだけど、こってりした色の乗りといい、まるで銀塩時代のリバーサルフィルムで撮った写真みたい杉の木に絡まって野生化したフジ。少しだけ花が咲いてたけどまだ香るほどじゃなかった。これは『テイカカズラ』。毒があるつる性植物でジャスミン香(要するにいい香り)の花が咲く。見栄えはあまり良くない花なんだけど、芳香がそれを補って余りある生け垣に使われることが多
🌛訪問ありがとうございます「写本では分からない定家の思考を知ることができる貴重な史料」定家の自筆本見つかるという記事です。鎌倉時代初期の歌人、藤原定家(1162〜1241年)の自筆による古今和歌集の注釈書「顕注密勘」が見つかった。顕注密勘は、平安時代末期の僧、ありがとう顕昭による古今和歌集の注釈に対し、定家が自説の注釈を加えた書物。写本は確認されていたが、自筆本は、初めてで古今和歌集の解釈を伝える「古今伝授」で冷泉家が使う文章を入れた木箱の中にあった。(2024.4.20
【流石、冷泉家】藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書が見つかる[R6/4/20]※自演防止@jien1:第13艦隊◆IpxlQ2BXrcdb:24/04/20(土)13:33:14ID:???鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が、定家の流れをくむ冷泉(れいぜい)家(京都市)で見つかった。公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(同)が18日、発表した。写本が重要文化財に指定されているが、直筆書が確認
「人生」楽しい(308)★日本の文化は凄い古今和歌集の注釈本「顕注蜜勘(けんちゅうみっかん)」が冷泉家の倉から発見された。藤原定家の秘伝だそうだ。◆「出雲国風土記」の補訂本万葉緯本では、前述の加賀郷条記載は整理され、神祇官非登録社項目では、本来は45社有るべき社数の内35社が補訂されている。○この万葉緯本系等の写本が数冊伝わっている。○細川家本は奧書によれば「江戸内府御本」を書写したものである。▲松江藩主の松平直政の侍儒である黒沢三右衛門弘忠(石斎)が承応二年(1653年)に二
百人一首を作ったのは有名歌人である藤原定家ですがその製作に深い関わりをもった鎌倉御家人がいました下野国(現、栃木県)の武士宇都宮頼綱です彼がいなければ百人一首はこの世に誕生しなかったといわれています坂東武士としての宇都宮頼綱は文化人としての蓮生としての顔も持っていました宇都宮頼綱の半生を辿りながら鎌倉時代の歌の世界に入ってみたいと思います坂東サガヒガシと京都との関係というのは結構面白いものでそもそも関東というものは室町幕府においては鎌倉公方の管轄する相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、
2024年4月10日10時京都市右京区京都の桜2日目-1嵐山から二尊院朝から晴天でした。ホテルに近い四条大宮駅から嵐山駅迄京福電気鉄道で行きました。嵐山駅付近の商店街渡月橋から嵐山を見にいきましたが山の桜は数が少なく目立ちません。渡月橋から嵐山を見てからタクシ-で二尊院へ行きました。観光スポットではタクシ-が次々にやってきます。二尊院の門は小さいですが小倉山二尊院の文字は白くて目立ちます。二尊院内は大きな桜はありませんが百人一首の撰者・藤原定家の常寂光寺とともに山荘跡
昨日までは、スマホで〝こそこそ〟とブログを書いていた。仮に入院の際にパソコンを持って行っても、私などは病室が個室でもないから、使うことをためらってしまう。だから、ありがたいというか、まさしく便利な世の中になったと感じたのが、スマホでブログを書いて投稿できることだった。今回は昨日まで3日間、スマホで簡単な自分の状況紹介のブログを書いていた。そして今日は、午前中に退院ということになった。昨日のブログでは、今日の退院は未定ということで終わっていた。その後に、看護師さんから連絡
風が強かったなぁ。洗濯物が飛びそうだったよ。+++++++++++++愛媛・高知で震度6弱地震学者「南海トラフ地震誘発ないだろう」(図、毎日新聞より。17日午後11時14分ごろの各地の震度)17日午後11時14分ごろ、愛媛、高知両県で震度6弱を観測する地震が発生した。震源の豊後水道の辺りでは、深さ約30キロで陸側のユーラシアプレートの下に海側のフィリピン海プレートが沈み込んでいる。気象庁によると、今回の地震の震源は深さ約39キロ。香川大の金田義行特任教授(地震学)は「フィリピ
2024年4月19日(金)昨夜のTV報道で紹介されていましたが、この記事は今朝の朝日新聞です。藤原定家の自筆の古今和歌集注釈書『顕注密勘(けんちゅうみつかん)』の原本が、冷泉家時雨亭文庫で130年ぶりに発見されたという。定家の血筋を継ぐ冷泉家では、かっては歴代当主が一生に一度開けて秘伝を受け継いできたが、明治期以降忘れられてきたという。古今和歌集は905年ごろ醍醐天皇の命によって紀貫之らが撰んだ最初の勅撰和歌集で、約1100首、全20巻。「日本の美意識の根幹とされ」、国文学に
定家の直筆書は冷泉家当主が800年間代々継承、古今伝授箱は「畏れ多く」130年開かれず(読売新聞オンライン)-Yahoo!ニュース藤原定家の直筆書物と思われる史料が、冷泉家で発見された、とのことです。以下、記事の抜粋。『定家の直筆書は冷泉家当主が800年間代々継承、古今伝授箱は「畏れ多く」130年開かれず4/18(木)21:14配信鎌倉時代を代表する歌人・藤原定家の流れをくむ冷泉(れいぜい)家(京都市)の当主の間で、約800年にわたって継承されていた古今和歌集の注釈書
関東と東北て以外に近いんだなとつくづく思います源頼朝が奥州合戦の際に下野に滞在して藤原定家、宇都宮氏と婚戚となり百人一首と関わる原敬と栃木とか楢山佐渡と原敬のこともっと知りたいですね
子孫の冷泉家の木箱から藤原定家が自筆した「顕注密勘」が見つかりました。約130年振りに木箱を開けたら、あったそうです。これが事実ならば国宝級の発見だそうです。浪漫を感じます。↓押してくれたら嬉しいです↓にほんブログ村
読売新聞より「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく「国宝級」藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書、冷泉家の蔵から見つかる…推敲の跡も生々しく【読売新聞】鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」が、定家の流れをくむ冷泉家(京都市)で見つかった。公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」(同)が1www.yomiuri.co.jp訪問して下さった方、【いいね】をして下さっ
鎌倉時代の歌人藤原定家による「古今和歌集」注釈書が上京区冷泉家で上中下巻が見つかったようです署名と花押が定家の手、と決めてになりました✨✨ニュースで見たかぎり凄い虫食い国宝級✨✨まだまだ宝物を擁していた京都✨✨何度も足を運びたい地ですさいたま市浦和東仲町書道教室📖✨✋平田幸邦でした
藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見専門家「国宝に値」4/18(木)18:00毎日新聞配信より藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見専門家「国宝に値」(毎日新聞)-Yahoo!ニュース配信より冷泉家に伝わる古今伝授箱から見つかった藤原定家直筆の「顕注密勘」=京都市上京区で2024年4月16日、加古信志撮影鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が自筆した「古今和歌集」の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が見つかった。
藤原定家が古今和歌集の歌の解釈を記した書物「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が発見されたそうです。https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240418/k10014426021000.html
時雨亭文庫の研究がまだまだ進んでいない証でもあるんだろな【速報】京都の冷泉家から藤原定家直筆の古今和歌集の注釈書発見専門家「国宝級だ」https://t.co/LcufpeZ563—京都新聞(@kyoto_np)April18,2024藤原定家が1221(承久3)年に記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本2冊調査に携わった専門家「和歌研究史における重要資料の原本。『国宝級』の発見だ」顕註密勘出典:フリー百科事典『ウィキペデ
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。今回は大河ドラマ『光る君へ』でお馴染みの藤原道綱・藤原道長兄弟の共通子孫の話をしていきたいと思います。まず藤原道綱は道長の異母兄で、母親は『蜻蛉日記』の作者・道綱母です。道綱母・道綱の子孫には、『讃岐典侍日記
おはようございます。拙が生きているうちに観てみたいものが2つあります、1つはオーロラ、もう1つは皆既日食です。赤気だったですかね?藤原定家が記した日記の中に出てくる記述に出てくるのですが、これはオーロラだと言われております。赤くはなりますが、条件さえゆるせば日本のような緯度の高くない地域でもオーロラの観測ができることもあるのですね。さて米国では先程、皆既日食が観測できたのだそうです、羨ましいですね、今の列島のように春の嵐に見舞われるようなことがなければいいのですけどね。日本ではたしか20
今日のブログは…。徒然草第八十九段今日のブログは”猫と生活”のジャンルにはふさわしくないかもしれませんが、徒然草に書いているのでご容赦ください。「何がふさわしくないの?まさか…。」徒然草第八十九段は『猫また』のお話です。猫または大別して山の中にいる獣と言われるものと、人家で飼われている猫が年老いて化けると言われるものの2種類です。今回は後者の方が問題になるのですが、前者も全然関係ないかというと、そうでもないような気がしました。第八十九段に入ります。
みくるです『なぞりがき百人一首』をなぞりました。97番権中納言定家です。来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身も焦がれつつ権中納言定家(現代語訳)松帆の裏で夕凪に焼く藻塩ではないけれど、いくら待っても来ない貴方を待っている私の身も恋い焦がれています(恋する女性の身になって詠んでみました)権中納言定家(藤原定家)は百人一首の選者です。藤原道長の「来孫(五代後の子孫のこと)」と知り、この歌をなぞりました。「光る君へ」第12回「思いの果て」で、道長の妻の明子が子供ができた
《新古今和歌集・巻第八・哀傷歌》796定家朝臣母身まかりて後、秋のころ、墓所(むしよ)近き堂(だう)に泊りてよみ侍りける皇太后宮大夫俊成まれに来る夜半(よは)も悲しき松風を絶えずや苔(こけ)の下に聞くらん☆☆☆☆☆【新編日本古典文学全集「新古今和歌集」☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆(訳者・峯村文人・小学館)の訳】☆☆☆☆☆☆☆☆定家朝臣の母が亡くなってのち、秋のころ、その墓の近い堂に泊まって詠みました歌皇太后宮大夫俊成わたしがまれに来て泊まる夜でも悲しい思いで聞
三の丸尚蔵館皇居三の丸尚蔵館TheMuseumoftheImperialCollections,SannomaruShozokan皇居三の丸尚蔵館は、皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類に加え、故秩父宮妃のご遺贈品、香淳皇后のご遺品、故高松宮妃のご遺贈品、そして三笠宮家からのご寄贈品を収蔵しています。shozokan.nich.go.jpへ行ってきました(^_^)/現在開催中なのは、開館記念展皇室のみやびー受け継ぐ美ー第3期「近世の御所を飾った品々」
クーデターとしてもよい建久七年の政変を主導したのは土御門通親である。その後の政権運営を見ても土御門通親の意向が強く反映されていることが読み取れるというのが人口に膾炙されているところである。しかし、よく見ると、本当に土御門通親の意向なのかと疑念に感じる点も出てくる。公卿補任を見る限り、建久七年の政変に伴う人事と断言できるのは、関白が九条兼実から近衛基通に変わったことと、藤原兼房が太政大臣を辞職したため太政大臣が空席となったこと、そして、一条高能が新たに参議に任命されたことだけである。しか