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10月18日に福島を発ち19・20日は「SLやまぐち号」、21日は「SL旭幼稚園号」を撮影。22日に帰宅しました。「未公開シリーズ」を少しお休みして、今回の「山口行」の紹介をさせていただきます。今回もKNさんに同行いただき、追っかけ中心よりも『煙が期待できるところを厳選して撮影する』をコンセプトに行程を組みました。そのため撮影地は少なく、上下で19日-3か所、20日-3か所、21日-4日か所&津和野転車台のみでした。本日は最初に撮影した写真&動画を紹介いたしま
撮影地:東海道本線塚本-尼崎大阪府と兵庫県との府県境の神崎川橋梁です。12系客車12両編成のC622牽引「白鷺号」ボイラーを輝かせ汽笛を鳴らしながら神崎川を渡って来たC6221972年11月19日昭和48年4月10日に発行された最新「SLダイヤ情報」撮影ガイドの項20~21頁に神崎川を渡るC622の写真が掲載されて此の神崎川橋梁も一気に注目されるようになりました。縦位置で機関車のみをアップで捉えた其の作品を観て「こう言うふうに撮る方法もあるんだ」と衝撃を受けた思い出
愛知県犬山市「博物館明治村」つづき・・・3丁目~4丁目・・・ここへ行く前にいろいろと下調べで、ここがぼちぼちTVアニメが再開される「鬼滅の◯」の聖地となってることを初めて存じあげた次第で・・・そう云えば時代背景はまんまですね!一昨年前にやっていた「る◯うに剣心」とのコラボの時に行きたかったのですがその時は行けずで・・・それも鬼滅と同じような時代背景でで主にそちらの方に気がいってしまってました。で、鬼滅に出てくる場所がここに存在してるとか・・・そちらも探してみます。
1972年春のダイヤ改正で姫路第一機関区のC11は姿を消し、播但線を走るC57列車も2往復だけになってしまいました。豊岡区に最後まで残ったC57は93・95・113・128・156の5両です。幸いなことに1往復のC57貨物列車が撮影可能な時間帯に設定されていて、悪評高かった生野峠のDD54補機は春の改正以来、C57貨物の前補機に付く率は低くなったように感じました。これは当時DLの両数に限りがあり補機仕業に割り当てる余裕がなかったからかもしれないと勝手に思っています。播但線に残されたC
観光列車に駅や沿線から手を振る光景が見られます。列車の乗客からも手を振り返します。これを「お手振り」と呼ぶことがあります。今回は「お手振り」が盛んな観光列車ベスト10をまとめました。■どこから「お手振り」?お手振りは、大きく4つに分けられます。《1》ホームの駅員から、列車の乗客へ横断幕や小旗を用意していることがあります。↑伊予灘ものがたり(松山駅)↑しんぺい・いさぶろう・かわせみ(小倉駅)↑あめつち《2》ホームの乗客から、列車の乗客へ↑志国土佐時代の夜明けのものが
1982年、玉川上水駅から程近い西武運輸の倉庫に保管された旧陸軍鉄道連隊のE形タンク(コッペル社製)を訪れました。元を辿れば西武鉄道へ払い下げられて入間川の砂利採取線で使用された3両のうちの1両でした。(1982玉川上水西武運輸倉庫E16)元々は3両全てが玉川上水に集結していたのですが、うち2両(E18.E103)が1971年にユネスコ村へ移転し展示されました。(1991ユネスコ村跡E18.E103)1990年、ユネスコ村が閉園となり1両(E18)が豊島区内のエリエイ(プレ
憧憬鉄道では3輌目の蒸気機関車、初めてのタンク機関車となるC11が仲間入りしました。まずは前後左右の姿です。ナンバーには特に思い入れはないのですが、付属の4種類を調べたところ、竜華と福知山に所属歴があるようでしたので、174をチョイスしました。自分でしなければならない作業はナンバープレートの取り付けだけなので楽ちんです。作りが細かいので、不注意の多い私はすぐに壊してしまいそうで触るのが怖いです(;^_^A旧型客車を引い
皆さま、こんにちは!今月末に17歳の誕生日を迎えるチビ(♀)。カメラをプレゼントすることになりました。来月に修学旅行があるため校内でカメラ女子が増殖しているらしく。本人は一眼レフが欲しいと言ってましたが、ボディがデカいと外出の際に携行しにくくなるので、個人的にはソニーα5100辺りのミラーレスがいいと思うのですが…。ソニー推しなのは自分自身がソニー信者だから。キャッシュバックキャンペーン中だからじゃありませんからね!今日は千歳線・植苗(うえなえ)駅の訪問記です。自分が
イギリスの有名な肖像画家であったトーマス・ローレンス(1769-1830)彼の代表作の一つに「マスター・ランプトン」というのがあります。またの名前は「赤い少年」これを知ったのはイギリスに来るきっかけを作ったある漫画でした。イギリスへ来ると、その絵に出合いました。確かストリートマーケットだったと思います。イギリスではこの絵を飾っている家庭もあったと思いますがそれだけこの絵は愛されてきたってことでしょうか?その絵(もちろん複製ですが)を買いましたよ。ただ、額入りのその絵を探したのです
SLもおか茨城県の下館(しもだて)駅~栃木県の茂木(もてぎ)駅を結ぶ真岡(もおか)鐡道。その真岡鐵道で、C1266が3両の50系客車を牽引しているのが「SLもおか」号です。C12型のSLはコンパクトでかわいいですね。SL自体も珍しいのですが、実は50系客車がほぼ原型をとどめた状態で運行されているのはここだけとのこと。レッドトレインとして親しまれた50系客車ですが、ぶどう2号(いわゆる国鉄の茶色)に塗られています。サボもや車両番号の表記も、いい味をだしています。
本日は5月4日。すなわち5-4Day。親会社では京都鉄道博物館保存車DD5433号機をブログアップ。『本日5-4Day!②DD54形ディーゼル機関車33号機(寝台特急出雲/京都鉄道博物』本日は5-4Dayですので、NゲージのC54に続いて、DD54形ディーゼル機関車です。無煙化が進む昭和40年代、地方幹線では未だに蒸気機関車が就役しており…ameblo.jpそれなら子会社は…と言うと、くさせんり会長は本日も応援先から本社まで2トントラックのハンドルを握り、大型連休後半2日目で混雑する
りんどうラインを通るたびに「何ができるのかな~?」と楽しみにしていた施設が昨日OPENしました!場所はトリックアートや蒸気機関車があるところの直ぐ側です。午後早速行ってみることに!実は駐車料金500円って高いな〜って思っていたらホームページを見てみるとアプリをダウンロードで1台無料とのこと!ホームページは那須グッドニュースと検索するとすぐに出てきました!下に貼り付けておきますね!GOODNEWS|那須町に持続可能なまちが誕生!サステナブルアクションに取り組むまち「GOOD
わたしの好きな蒸気機関車を見に室蘭市にあります。旧室蘭駅公園の蒸気機関車のD51560号機を見におじゃま♪こちら、旧室蘭駅は、1912年に建てられた、北海道内の駅舎の中では最古の木造建築物で国の登録有形文化財とJR北海道の準鉄道記念物にも指定されている歴史のある駅舎で、現在のJR室蘭駅より、約1キロ先にあります。ほか、1975年12月14日ここ室蘭駅より岩見沢駅に向けて国内最後の旅客の蒸気機関車運行が行われました。数年まで室蘭市青少年科学館に置いてあったのですが歴史のある
新幹線開発の礎築いた「ED91」懐かしの写真で軌跡たどる公園の車体、保存巡り議論に|河北新報オンラインニュース/ONLINENEWS(kahoku.news)ED9111については詳しく書かれている最近の新聞記事があるので参照してどうぞ21号機が解体されたので最後のED91となります交流電化された路線で最初に運行された電気機関車です記事最後に書かれている通り早くて今年1月に解体されるそうです一説によるとPCB(ポリ塩化ビフェニル)の廃棄処分期限が迫りJR
撮影日2014/05/05大井川鐵道大井川本線新金谷駅からのびる側線新金谷駅・新金谷車両区右下へのびる線路が大代川側線側線上に来てみた新堀踏切真新しい警報機・遮断機側線は電化されている手動の遮断機『佐藤製材専用線(?)』訪問日2014/05/05大井川鐵道大井川本線新金谷駅から大井川右岸へむかってのびる大代川側線同線途中から分岐し、北へ続く謎の線路があるレールが引き込まれ…am
今日の秋田市、早朝は強い雨が降っていましたが今は青空が広がっています。さて11月15日の磐越西線です。吉津トンネルと御前橋梁で撮影後、三川ICから津川ICまで磐越自動車道に乗って「深戸橋梁」へ向かいます。到着、深戸橋梁の西側から柿の木と蒸気機関車の写真を撮ろうと思ったのですが、(銀杏はありましたが、)柿の木が見当たりません。そこで私は橋梁の正面へ、家族は東側へカメラをセットします。鹿瀬→日出谷(深戸橋梁正面)11:37最後に門デフ感を1枚です。深戸橋梁で撮影後、山
途中で追い抜いたので、とりあえず撮りました。沿線はどこもギャラリーでいっぱいです。新緑が綺麗な上長瀞☘️黒煙を棚引かせて荒川橋梁を渡ります。こちらにも大勢の方がいらっしゃいました。後追いで旧客を狙います。2024年4月21日秩父鉄道SLパレオエクスプレス
早いもので遠征から1週間経ちました。前回までの「コスモス街道」SLばんえつ物語2020.9.12@磐越西線C57180つづきで今日がラストです。それも今回は同じ場所で8枚も!どうぞ、おつきあいください。①今年はglockさん案で早出川の上流側から撮ってみようということに。日没は17:56定刻の18:20に列車がやってきました。空に明るさが残っていてくれ、機関車、いい色をしてますね。虫の声にも感動!(一番下に去年の9月7日、下流側の記事URLを掲載します)②たそがれ
遠目から遠慮気味に撮ったC5075号機は早くから入換え専用機として亀山にいた釜C50としては非常に珍しく保存されていますがその場所が不思議なことに東京足立区の北鹿浜公園なぜこの土地に・・?この場所のストリートビューはなぜか公園の中まで入れてしまいました残念ながらかなり状態は悪い感じですね・・・C58267号機は重装備ですC57145号機そして当時は「フィルムの無駄」と言ってシャッターも切らなかった”天敵DD51”これで亀山機関区撮影分は終
コロナと熱中症のダブル攻撃、もう勘弁してください!(*_*)さて、今日はKさんseriesの日。今回は1973-74年の石北本線のC58です。代理投稿byD51338・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Kです。北海道の現役蒸機の写真、前回の釧網本線に続いて、今回は石北本線北見-網走間で、客貨両方の列車の先頭に立って活躍していたC58の写真です。この区間のC58の無煙化は1975(昭和50)年5月末と比較的遅く、昭和50年の春休みには雪晴れの中を走る「大雪くずれ」
9600形蒸気機関車は、日本国有鉄道の前身である鉄道院が1913(大正2)年から製造した、日本で初めての本格的な国産貨物列車けん引用のテンダー式蒸気機関車である。軸配置は2-8-0(1D)、「キューロク」、「クンロク」と愛称され、四国を除く日本全国で長く使用された。国鉄において最後まで稼動した蒸気機関車ともなった、長命な形式である。・石炭専用列車の活躍状況夕張駅北海道炭礦汽船絵はがき1935年頃夕張線では昭和40年代前半には登川支線への入線などD50、D51形と共に活躍した。D51
2021年も2/3が過ぎ去りましたね。実感ありませんけど。さて今日の写真は15年ほど前の家族旅行で、JapanRailPassを使って日本を鉄道で一周している時に撮ったものです。函館駅のホームに特急白鳥号がまさかの485系車両で入って来て驚きました。まだ小さかった二人の息子を家内が抱きかかえて485系と一緒に撮ろうと思った矢先、お若い「にーチャン」が乱入して来たので思わずシャッターを押しました。彼の姿をお仲間が近くで撮っているのだろうと思い、周囲を見渡しますが誰もいませ
こんにちは。(^O^)/今回は東北仕様のD5117とD51164を見ていきたいと思います。先ずは、D5117から・・・D5117[KATO]配属H26.12.17公式側実物は晩年、一戸機関区に所属し東北線十三本木峠で活躍、最後は盛岡機関区に移り、昭和44年に廃車となりました。一次形ということで、給水温め器が煙突の後ろに横向きに置かれ、煙突から蒸気溜までひとつの大きなカバーで覆われています。その形から通称「なめくじ」と呼ばれていますね。他にも標準形と異なる点として、煙室
鉄道専門モデラーになるつもりはありませんが、我が家には中途半端なGM(グリーンマックス)キット組立品が結構な数ありまして、時々思い出しては気になっています。追加パーツを購入しなければNゲージとして仕上げるのは困難な物が多く、放置状態となっています。しかし、3Dプリンター導入により格安で、それなりの作品に仕上げられる可能性が出てきました。今回の記事では、なんとなく目に留まった4両のスハ32を仕上げる事にしました。ちなみに、スハ32とは国鉄の前身である鉄道省が昭和4年から製造した2
全国に4万ある八幡社の総本宮である宇佐神宮(大分県宇佐市)。日本史の教科書では、道鏡や和気清麻呂らが登場する奈良時代の宇佐八幡宮神託事件で有名です。その一角に参拝客を迎えるように小さな蒸気機関車が佇んでいます。ドイツ・クラウス社製の10形「26号」。1891(明治24)年生まれ。九州鉄道(国鉄の前身)創業期に導入された20両のうちの1両です。クラシカルな細長い煙突が魅力的。71年間活躍しました。山口県防府市で保存されている防石鉄道の機関車も同型です私が先日訪れ
はい!きましたスゴい邦題のコチラ【パンデミック・エクスプレス:感染無限列車】衛生省職員のスーさん一家どう見ても盗賊?の親分と子分など多くの乗客を乗せて北衛府駅から出発した蒸気機関車沿線はゴミが山積みで大量のネズミが発生しているらしくそんな混みあう列車に"無賃乗車"している不届きな輩が!(お前ら静かにしろよ。。。)(って、うあ!天井が抜けた!)(見つかったぜ!ヒャッハー!)大量のネズミらが無限に湧き出して乗客たちは大パニック!すると車両から溢れ
苦節5年で昨年やっとこさJPS展(日本写真家協会写真公募展)に初めて入選したと思ったら、今年も連続して入選することができました。鉄道ファンにはあまり馴染みがありませんが、JPSとは国内のプロのカメラマンの大半が加盟している写真家団体で、展覧会では代表会員の作品と公募の入賞作品が展示されます。上位入賞者はプロへの登竜門とうたわれており、今年の応募者総数は1,720名、応募点数は3,832点で、入賞者数は238名。入賞率は13.8%と、写真愛好家の中では難しい公募展と言われています。今
今日は、久しぶりに作戦会議という名の飲み会・・・その前に・・・某黒い館の館長様より極秘の指令が・・・「チョット大阪までお使いしてきてくれ」と・・・でっ、JRで山崎まで乗車し、阪急大山崎駅へ阪急に乗るのは久しぶり・・・南茨木で乗り換えモノレールで万博記念公園へ・・・某店舗でこれを買って来いと・・・これ9600用?そしてよせばいいのに・・・おぉ~~天賞堂・・・不動ということで、他の天賞堂製蒸気機関車よりは安かったのですが・・・相場ぐらいかな・・・なんかセンスのな
書類上では昭和48年(1973年)10月秋の改正で関西本線は無煙化された事になっていますが、実際にはDD51の配属が上手く行かずに昭和48年10月に入っても暫く細々と奈良区のD51が荷物列車や貨物列車を牽いていました。私は何でその情報を得たのか?記憶も訪れた日も定かではありませんが、半信半疑で関西本線を訪れることにした日の事です。関西本線に蒸気機関車の「さよなら列車」が走った事がテレビニュースで大々的に放送されたので、さすがに他の撮影者に出会う事はありませんでした。ただ沿線でカ
紀伊田辺機関区所属のC58260号機がなぜ亀山にいたのか?そしてその後ろに連結されているのは暖房車ホヌ30形に見えるのですが・・・?しかも煙も上がっているので暖房用の蒸気を作っている・・?なぜこんな奇異な組み合わせでここにいたのか?今となっては藪の中亀山機関区撮影:1971年3月7日